マネジャーの休日余暇(ブログ版)

奈良の伝統行事や民俗、風習を採訪し紹介してます。
すべての写真、文は著作権がありますので無断転載はお断りします。

2日連続、三休橋筋界隈の食事処を巡回②

2020年10月31日 11時12分40秒 | もっと遠くへ(大阪編)
前日の治療を終えた際に伝えられた歯科医院の言葉。

消毒しないと、いうからこの日も診療に向かった大阪・中央区の伏見町。

消毒くらいなら短くて30分。

長くても1時間以内に終わるだろうと高をくくっていたが、見事に外れて1時間半。

抜糸はまだまだ。他にも治療してもらいたい痛みのある個所。

奥歯も前歯もあるから時間がかかる。

この日は午後2時に介護スタッフは買物サービスをしにやってくる。

当初想定を大幅に越えるとわかって介護サービス事業所にお願いしたら2時間も遅らせてくれた。

この日も大阪府公安委員会のパーキングチケット購入利用。

超過の30分はまたまた三休橋筋界隈の巡回。

前日は雨天で寒かったが、この日は快晴。

気温も順調に上昇し、最高気温は16度。

軽い上着も要らない心地よい街中にビジネスマンたちは颯爽と歩いていた。

店舗前に設営を済ませた焼肉屋の牛丼。

よくよく見れば、ビュッフェスタイル弁当バイキング王国のようだ。

看板にワンコインの五百円玉をあしらった図案がある。

どうやら地下店舗のようだ。

販売はこちらで、弁当・支払はあちらと「→」表示。

気づくのだろうか。

次に見つけた店舗はカレーライス店。



旗の印しからおそらくスリランカカレーを提供するフルバリ店。

目を凝らしてみれば持ち帰りもできるらしい。

歯科医院に行くまでに聞いたおふくろの好み。

弁当はあまり食べることはないから食べる気持ちが湧かないようだ。

カレーなら食べてみたいというから探し出したフルバリ店。

持ち帰りは2品。

カレーライス若しくはナンカレーである。

以前、我が家近くにあるスリランカカレー店のミランで食事をしたことがある。

美味しいと云っていたから大丈夫だと思うが・・・。

黄色地テント屋根が目立つ「らーめん兆北浜にんにく元祖辛口」。



隣の食事処は人気店のよう、次から次へと入店していた。

初めて入る北向き1本筋にもさまざまな食事処があった。

1軒はオールワンコイン。



500円定食がいっぱいある和食のやぐら。

鮪の刺身定食でさえ500円。

味わってみたい欲が出る。

もう1軒はうどん屋。



屋号はきりん屋。

朝の7時から午前10時までのタイムサービス。

いなり寿司1個がついてたったの400円のおはよううどんの味が気にかかる。

(H31. 3. 5 SB932SH撮影)

顧客要望を取り入れたかっぱ寿司南津守店のリニューアルシステムに拍手喝采

2020年10月30日 11時24分44秒 | 食事が主な周辺をお散歩
3カ月ぶりに出かける歯科診療。

そのときに歯固めした歯が毀れ落ちた。

左はなんとか持ちこたえていたが、数日前に破綻した。

土曜、日曜にもう少しだ、痛みは我慢できるか、と云いながら騙し、騙しで出かけた歯科医院治療は2時間超。

午後も1時を過ぎていた。

麻酔が切れる前に食べさせておきたいこの日の昼メシ。

おふくろは相も変わらずのご希望はうどんにまぐろ寿司。

出かける前から私の頭にあった食事処は大阪・西成区の津守。

おふくろにとっては8カ月ぶり。

他店舗であるが、私にとっては半年ぶりになるかっぱ寿司の味わいである。

到着した時間帯は午後1時45分。

小雨になっていた。

入店しても気がつかないリニューアル。

建物に座席などはまったく同じだが、違ったのは廻るレーンでなく直行レーンである。

注文するタッチパネルは取り外し可能。

レイアウトもずいぶん違ってみえる。

おふくろが食べたい麺類はうどん。

これまでなら平日一杯が150円の150円のかけうどん。

それが美味しい、美味しいと食べていた。

いつしか音沙汰なく他店舗でのお食事。

本人曰く、飽いてもたから他のお店にという要望で離れていた。

かっぱ寿司南津守店は広い。

圧迫感のない店内レイアウトが気に入っていた。

照明も明るいし、メニューも豊富。

口にあうからついつい長居してしまう。

ゆったり寛げるのが一番だというかっぱ寿司南津守店。

そこなら安心して食べられるから行こう、である。

と、いうことでおふくろが選んだメニューはきつねうどん。

私はラーメンと云って決めたあっさり醤油ラーメン。

あっさり系が好みのかーさんである。

私といえば、店内に入ったところに堂々と掲げていた立て看板に目が口づけ。

創作中華 一之船入の監修メニューである肉味噌辛辣ラーメン~赤葱醤使用特製スープ~

3人揃って麺類が一番。

チャチャッと注文するタッチパネルはタブレット型。

おふくろの希望の第一主義になるまぐろのにぎりにタッチ。

もう一度、というか、主たる位置にある「注文」にタッチして決める。



ほぼ待たすことなく直行レーンが運んできた3品の麺。

コシのあるうどん麺に味が浸み込んだアゲさんも美味しいというおふくろ。



つるつる食べられたと喜んでいる。

かーさんもこれは美味しいという醤油ラーメン。



あっさり、さりさりのラーメンもスープが良い。

麺が絡みやすいスープ味が良かったという。

一方、私が食べた肉味噌辛辣ラーメン。

見た目は看板写真と大違い。

かっぱ寿司のHPにあがっている写真とも違う。

これは期待できそうにないなぁと思いながら箸ですくった麺を一口。



ぐ、ぐ、ぐぐぐ・・。

むちゃ美味いやん。

本物のラーメンは食べたことはないが、これはもう絶品である。

口の中が辛辣で暴れまくっている。

まるで洪水のように押しよせくれる旨さ。

そ、そ、こういう味を待っていたんだ、と・・。

ずるずる、グビーと麺すすりに汁飲み。

美味さの洪水が口の中で暴れん坊。

まさにその通りだと思った。

味わいの感想は人それぞれだと思うが、これは抜群に美味い。

みなに聞けば、面の量もスープ、出汁の量も丁度いいだ。

ミニサイズのようでありながら、味はミニでない。

もはや口の中も頭の中も肉味噌辛辣ラーメン染め。

赤葱醤使用特製スープに堪能、である。

かーさんが注文した3品。

ゆず塩あかイカに鮮極生えびや私が注文した海鮮うま辛が滞留中。

麺を食べ終わっても到着しない3品。

苛立ったところにやってきたが、この時点で画像を撮っていたガラケーのバッテリー切れ。

あいにく旨さを伝えられなくなった。

おあいその会計を済ませてプリントされた注文。

発注順に300円のきつねうどん、300円のあっさり醤油ラーメン、390円の肉味噌辛辣ラーメン、100円のまぐろにぎり、100円の一日数量限定海鮮うま辛和え軍艦巻き、100円の鮮極生えび、100円のゆず塩あかイカにぎり、100円の真イカにぎり、180円の北海道産ぷりぷり帆立、50円の一貫まぐたく軍艦巻き、100円の漬け真イカみみ、180円の三貫盛り(春のキャベツのやみつきサラダ・釜揚げしらすいくらのせ・釜揚げ桜えび)春の贅沢三昧、100円の鉄火巻き、100円の干ぴょう巻き、100円のつぶ貝、100円の揚げたてえび天にぎり、100円の山かけまぐろ軍艦巻き、50円の一貫揚げたてえび天にぎり、280円の三貫盛り(牛カルビ、ローストビーフ山わさびのせ、牛タン直火炙り)牛Kingの肉三昧、280円の冬のうまネタ三昧(北海道産ぼたん海老・ほたていくらのせ・本ずわい蟹)、280円の一貫富山湾産白えびだった。

新システムになって、3人が食べたメニューのすべてを振り返ることができる。

望んでいたシステムが嬉しい。

おふくろが食べた品々は、きつねうどん、まぐろ、真イカ、鉄火巻き、干ぴょう巻き、えび天にぎりの6品。

かーさんは、あっさり醤油ラーメン、鮮極生えび、ゆず塩あかイカ、ほたて、つぶ貝、山かけまぐろ、冬のうまネタ三昧、富山湾産白えびの8品。

私は、肉味噌辛辣ラーメン、海鮮うま辛和え、まぐたく軍艦、漬け真イカみみ、春の贅沢三昧、えび天にぎり、牛Kingの肉三昧の7品。

特に美味かった、と3人が好評だと手を挙げた品々は、味の濃い鉄火巻きに干ぴょう巻き。

プリプリ感が嬉しいえび天にぎり、コリコリつぶ貝、ねばーと甘くとろけるような富山湾産白えび、ようやく旨みのある肉味に感動した牛タン直火炙りに牛カルビ。

おけがさんでお腹がパンパンに膨れてしまった。

かっぱ寿司のトピックスにアップしていた南津守店のリニューアルシステム。

昨年の平成30年12月13日だった。

新システムは実に快感である。



いや、それ以上に美味しい。

麺類を食べてお寿司は入らないだろうと高をくくっていたが、なんの、なんの。

レシート明細でもわかるくらいにお腹いっぱい。

なかでも絶品のにぎり寿司は、富山湾産白えびに牛タン直火炙り。

特にといえば、定番の揚げたてのえび天にぎりもある。

一貫売りがありがたい。

お腹の具合に合わせて一貫、それとも二貫という選択肢が嬉しい。

味見に一貫もできる。

これまで発想のなかった一貫売りが実に嬉しい。

ならば、である。

牛タン直火炙りだけでも一貫・・・。

そんな特別なことをしてくれたらもっと嬉しいのだが・・。

ところで、レジ支払い場にあったお客さまアンケート。

メニューに入れてほしいお寿司は?の問いにお願いしたいメニューは、一に寿司屋のたたき軍艦巻き、二に海鮮ユッケ包み、三に油そば、と書いて投函しておいた。

(H31. 3. 4 SB932SH撮影)

雨天の三休橋筋辺りの食事処を巡回①

2020年10月29日 10時17分20秒 | もっと遠くへ(大阪編)
おふくろが50年以上に亘って通院してきた歯科医院がある。

場所は大阪・中央区の伏見町。

介護の身になったおふくろが独りで出歩くことは不可能になった。

そこでアッシーを務める我が家の軽バン。

この日は雨天。

たまたまの巡り合わせで我が家から出発して第二名阪国道。

近々において西日本ネクスコに経営移転するとニュースが報じていた。

利便性が高まるのか、それとも・・。

期待したい経営移転であるが、この日は旧来通り。

生駒山トンネルを越えた瞬間に阪神高速道に切り替わる。

高速道の途中に下って伏見町。

堺筋に入って北上する。

ここら辺りを左折すればすぐ近くにある歯科医院であるが、ご指定の駐車場は高さ制限に引っかかって利用できない。

青空駐車できる付近のタイムパーキンは安いところで30分が400円。

それより少し高い駐車場は20分で400円。

1時間利用で1200円にもなる。

そこで考えたもっと格安なパーキングは・・・大阪府公安委員会のパーキングチケット購入利用である。

歯の治療時間は予想を越えて2時間20分。

パーキング利用は1時間で300円だが、それ以上になれば他の人にも利用できるよう明け渡して行先のない巡回周遊。

尤も一時的に歯科医院の待合室に滞在する。

その行き帰りに拝見する往復道にある店舗である。

付近のビル街に勤務するサラリーマンの人たちが圧倒的に利用する店頭販売の弁当買い求め。

いっときの時間帯は行列ができるほどの人気店もある。

店頭販売をしていない食事処もある。

この日は雨降り。

降る日の客サービスに割り引く上等カレー店。



すべてかどうかわからないが100円引きのキャッシュバックサービスで客を引き込んでいた。

もう1軒はラーメン屋さん。

黄色いテント生地の柄に書いてある「らーめん兆北浜にんにく元祖辛口」文字でわかるラーメン店。



一人で当地に来たなら食べてみたい韓国風汁なし油そばがメニューにある。

「只今100えん引き」とあったが、翌日の晴天日も立てていたので雨天サービスではなさそうだ。

往復路にある食事処は数多い。

ついつい目移りするメニューに価格帯。

この看板は1店舗でなくよく見りゃ2店舗。

定食屋の万寿に吟酒海楽だ。



その店の横に路地にも4店舗。

雨に濡れた石畳の様相。



お酒を飲みたくなる路地裏感雰囲気に浸りたい。

少し歩けばまたもやラーメン店。

見た目でわかる辛目派だがサービスはないような麺屋ガテン。



ヤフー、最強の次世代ラーメンの日本一決定戦に優勝したとある。

停めた府公安委員会のパーキングはビフテキのスエヒロ店近く。



昔からある有名店らしいが味わったことはない。

地鶏が売りのお店の名は知らないが、看板メニューを見ていたら喉の奥からジュワ。



第一に味わってみたいメニューは地鶏もも炭火焼き定食か、地鶏の炙り親子丼だ。

隣の店舗もまた名は知らぬ。



オール700円も近隣食事処よりかは少し安い和食店だ。

遠くに見かけた焼肉屋の牛丼は小盛で380円。

テント内で店員さんが白飯をよそった椀に牛汁を垂らしていた。

できたて、作りたてが味わえるようだ。

もう1軒は最近になって見かけるようになった出汁のオアシス。



出汁が売り物のお店の売りは格安食。

そば、肉そば、中華そばなどなどがワンコイン若しくはプラス100円で。

サイドメニューにミニカレーもあるようだ。

最後にもう1軒。

これも新しくできたお店だとおもう麺屋。

手打ちうどんのがんちゃんこそ私の本命。



メニューにある210円のかけうどんで決まり。

ぶっかけうどんでも250円。

これにも喰いつく。

それだけでは物足りないから300円の親子丼。

牛丼で300円の店は京都最南部の木津川駅近くにあるう・どんとえー勝負であるが、親子丼は珍しい。

べたべたの牛丼よりもあっさり系の親子丼を食べたいときもあるから、第一希望に揚げた。

(H31. 3. 4 SB932SH撮影)

瓶詰め筍はもてなし後の料理に祝う

2020年10月28日 07時52分35秒 | もらいもの・おくりもの
せっかくのもてなしに登場しなかった料理がある。

尤も調理したのは二人が京都に向かってからだ。

予め細工をして中身の筍を開放した瓶詰めの蓋がある。

瓶ごともらった掘れたて新鮮、ではなく一年前に瓶詰めされた当時は採りたての筍。

皮を剥いて茹でた筍をそのまんま瓶詰めしたとされる。

実際に見たわけではないので、なんともであるが、2月16日に「これ持って帰って」と、くださった京都南部・木津川市山城町綺田(かばた)在住の古川座三老のF・Kさんである。

おふくろにもフィアンセにも味わってもらいたいと思って蓋は開けずに待っていた。

蓋は密閉状態だからなんぼ力づくでも開けられない。

蓋が回らないのだ。

濡れ布巾を蓋の側面に巻いて回そうとしてもあかん。

たいがいのものはそれでいけるんだが・・。

とにかく、いくら力を入れても回らない瓶は密封状態におそらく真空状態。

Fさんが云っていた開け方を思い出した。

蓋に穴を開けて空気を抜けばあっさり開くということだった。

試してみようと取り出した金槌。

先が尖がった方でボコン、バコン。



十数か所に穴を開けたがまだ回らない。

そこに再度登場する濡れ布巾。

蓋にも瓶の底にも巻いて滑り止め。

そうしたら、ふっと回って開いた。

瓶から取り出した筍は新鮮そのもの。

瑞々しい姿である。

そして、かーさんが炊いてくれたタケノコ料理。



いつも美味しく、そして今夜も食べるワカメ入りのたけのこ煮。

Fさんがくれた筍の柔らかいこと。

しかも、芯でなく柔らかい先の部分ばかり。

これがむちゃ旨いんだ。

おふくろも柔らこうて、美味しいという。

この日は歯が痛いというから、包丁を入れて短冊切りにしたらガツガツ食べてくれた。

たけのこ煮の出汁はマルトモの鰹だしの素

いつのころか覚えてないが、顆粒だしの味が気に入っていつも美味しくいただいている。

もう一つの出汁はスーパートライアルが製造販売する液体の白だし。

これもよく使う出汁。

いずれも重宝している。

それはともかく、こんなに美味しく炊けた、

特別の旬の筍。

フイアンセに食べてもらおうと、せっかく用意していたのに・・・タイミングが間に合わんかった。

昼間にもてなした残り物料理とともに、喉を潤す祝杯。



めでたい祝いの日にありがとう。

(H31. 2.16 SB932SH撮影)
(H31. 3. 2 SB932SH撮影)

フィアンセが我が家ににやってきた

2020年10月27日 10時02分13秒 | だんらん
待ちに待った目出度い日。

独身を貫いていた息子が初めて我が家に連れてくる女性。

これまでまったくその気もない息子。

生まれ育って奈良を離れた仕事人。

忙しい毎日に何を食べているやら、親の心配はそれだけではないが・・。

フィアンセが我が家に来る日を伝えられたのは前月の2月15日。

そこに至るまでにちゃんとしなあかんのが先方の親に挨拶をしてからということだった。

その日は2月7日。

とんとんと来て東京から二人揃ってやってきた。

普段というか、息子が我が家に戻ってくる場合は自家用車。

勤務の都合で1日だけ宿泊の場合は新幹線。

数回あった程度でそれ以外はすべてが東名、西名阪高速道利用であるが、今回は安心できる新幹線。

京都駅から近鉄奈良線に乗り換えてやってくる。

迎えの場所は近鉄郡山駅すぐ近くのバスロータリー。

予告時間までに到着して二人を待つ。

向こうから歩いてきた姿はすぐわかる。

いらっしゃいませに背の高いミニクーパーまがいの車に乗ってもらうのが申しわけない。

息子が憧れのミニクーパーに乗って東京から奈良まで走ってきた日は前年の平成30年5月1日

カッコいい車体の助手席に乗せてもらった。

乗り心地は悪いというが、そうでもない。

格好良さにずっと眺めていたいミニクーパーは日本仕様の右ハンドル。

1年前ほどからお付き合いしたというフィアンセ。

そのころすでに乗り心地を味わっていたのだろう。

本日は気持ちの良い快晴。

駅に車で走ってきた路は郡山城跡を横断する通行道。

回数を増す度に観光客が増えている大 和郡山の盆梅展。

今年で16回目
を数える。

通行道にたくさんの幟を立てている。

その道を歩く人も多い。

天候に恵まれたこの日は130数か所にお雛さんをお披露目している第8回大和な雛まつり会場も大にぎわい。

息子が育った城下町の一片でも見ていただければと誘ってみた盆梅展。

東隅櫓内が会場の盆梅展は有料であるが、お外に咲いている梅林は無料。

車は大門を潜った向こう側にある駐車場に停めることができる。

しかも無料である。

行ってみるかいの誘いに二つ返事。

城垣があちこちに見られる城下町の風情。

少しだけであっても記憶に遺れば、と思って内堀から大門。

そして駐車場。

ほぼ満開になった梅の花を愉しむ人たちでいっぱい。

梅の花の向こう側に見える城垣は天守台

天守はないが、つい数年前の平成29年3月に改修工事が行われ、郡山城跡・天守台展望施設が解放されている。

二人はそこで記念写真。

梅の春らしさを堪能していた。

少しの時間を愉しんでもらって我が家に直行。

その途中にある外堀跡。

意外に思える城下町の広さを感じてもらう。

居間で待っていたおふくろとかーさんも初顔合わせ。

緊張が解けるのは食事に入ってからだ。

テーブルに並べた主たる料理は寿司盛り。

数時前に頼んでおいたスーパーセンタートライアル大和小泉店にあるお魚屋さんは鮮魚専門のスーパー“鯛将”。

鮮魚も美味いが、それ以上に美味しいのがにぎり寿司に巻き寿司。

機会があるごとに買って食べていた。

家族ともども美味しいと唸る味は格別。

大手スーパーなんてものは目じゃない。

レベルがあまりにも違い過ぎるほどに美味い寿司。

寿司メシというかシャリも違う。

大手であろうが中堅スーパーでもしでかすにぎりはぎゅうぎゅう詰め。

食べられたんもんじゃない。

ネタは厚い。

旨みのある新鮮ネタは脂がのっている。

回転寿司のネタなんてものは薄べったい。

味のない薄っぺらさなのに旨さがあるのは摩訶不思議。

違いは本物を食べてもらいたい。

そう思って特別に注文した。

電話でどうでしょうかとお願いしたらすんなりと応じてくれる。

予算は1万円。

希望するネタは雲丹に鮑。

それは残念ならが仕入れを約束できない。

ならば約束できる範囲内にあるネタは・・・。

結局、決まった寿司盛りは、おふくろが第一の好物に挙げている鮪にイカゲソは外せない。

当初予定では45個のにぎり。

大きな桶一枚でいけそうと思っていたが、1種類増やした10種。



中トロ鮪に、イカ下足、カンパチ、海鮮巻き、鯛、ぼたん海老、つぶ貝、真イカ、サーモン、炙りサーモンそれぞれを5人前。

ただ、海鮮巻きは一本で八つになるから、やや中型の桶に詰めてくれた。

総額は税込み8946円の上にぎり。

一人当たりが1790円。

回転寿司よりは倍額になったが、味は断然に鯛将に軍配である。

大きく分厚い鮮魚ネタは中トロ鮪に鯛、カンパチ。

中とろは一口では食べきれないほどの大きさ。

とろとろ感がたまらない。

鯛もカンパチも一筋縄ではいかない分厚さ。

噛んだら歯が跳ね返されるほどの新鮮度合い。

三つ食べたらもう満足。

サーモンもトロトロ。

プリプリのぼたん海老にコリコリのつぶ貝を堪能する。

おふくろは、二段巻きの海鮮巻きから鮪部分を外そうとしたが、そりゃ無理だ。

どんどん食べてやと遠慮しがちなフィアンセにお薦め。

笑顔で美味しいと云ってくださったのが嬉しい。

話題は自然な流れで自己紹介、他者紹介。

いらんことまでいうてもうた、かな・・。

もてなし料理は寿司だけでなく、かーさんお手製の特別料理がある。



これまで数回、食べたことのあるローストビーフ。

山陽マルナカでとびきり上等の国産牛肉で作ったローストビーフが実に美味い。

タレは売り物利用であるが、肉そのものに旨みがある。

憎らしいほどに肉の味がするローストビーフ。

これもまた大きくて分厚い。

噛んだらジュワーと肉汁も。

もう一品は蒸し鶏。

自家製ドレッシングを落として食べる。

拘ったのはドレッシング。

醤油、砂糖にオイル、みじん切りの玉葱、生姜、葱などなど。

旨みのあるドレッシングは蒸し鶏以外の野菜にあてても美味いだろう。



もてなしの場は発泡酒で乾杯。

お目出度い乾杯に大喜びのおふくろ。

孫にお嫁さんは、ずっと待っていたと嬉しい言葉。

あれやこれやに話しが盛り上がって酒も美味くなる。

酔いの美酒に溺れそうになるくらいに飲ませてもらっただんらんの場にデザートも。

よってってで買っておいた古都華苺。



奈良を代表するブランド苺、2パックすべてを盛った皿に真っ白な乳白色の森永のコンデンスミルク。

これがなきゃ食べられないという人も多い、昔から人気のあるミルクを落として先っちょから食べる。

あっという間にたいらげた古都華苺。

さすがの味である。

雰囲気が良かったのか、京都行きにバス1本が乗り遅れ。

天候が怪しい明日は宿泊地の京都・嵐山から散策。

嵐山トロッコ列車は乗れそうだが、戻り行程の保津川下りは雨天の可能性有りで体験は叶わないだろうが、熱々の二人にとってはそれもいいだろう。

(H31. 3. 2 SB932SH撮影)

箸中中垣内・雨天対応のコンピラサン

2020年10月26日 09時00分16秒 | 桜井市へ
たぶんこの日にされるだろうと思って出かけた桜井市箸中の中垣内。

えっ、ここに祭りごとが・・。

初めて知った日は平成28年7月10日

集落辻にあった石塔。建之は江戸時代末期の嘉永元年(1848)。

金平大権現の刻印からわかったコンピラ講であるが、講中がどこの家であるのか、手がかりなく・・・

翌年の平成29年7月10日にも再訪した中垣内のコンピラサン。

運よくお会いできた当時84歳のKさん。

お会いできたのもよかったが、祭りごとは終えて後片付けに来たと話していた。

Kさんが話すコンピラ講。

講中みなが御供、参拝をするわけでなく四垣内に分けた当番制で行っている、ということだ。

毎年に替わる年番に担当する垣内の組のもんが担うそうだ。

行事日程は、7月9日に10日。9日の朝。

当番垣内の組が決めた時間に、葉付きの笹竹を立てる。

石塔脇に2本を立てて水平に竹を置く。

その竹は垣内の提灯を吊る。

砂盛りをして祭壇を組み、花立を置き、お花を飾る。

朝の間にそうしておいて夕方に法要し、翌日いっぱい、飾っておき、夕刻に片づける。

昨年は、突然の雷雨を予想し、片付け時間を早めた。

法要に来ていただく僧侶は、慶雲寺の住職というから、すぐ傍に建つ浄土宗三輪山慶雲寺。

聞いていた時間はもうすぐであるが、来られる気配がない。

まさか、と思って訪ねた慶雲寺。

お寺さんのご婦人がいうには、朝は快晴だったそうだ。

提灯も吊るしていたが、午後の時間帯になったころ、なんと、警報が発令された。

突然に雲行きが怪しくなった。

雨降りに提灯を吊るしておけば水浸し。

夕方にする予定だった法要は、急遽早めた午後4時に繰り上げした、という。

法要を終えた時間帯。予報通りの土砂降り雨。

法要を済ませ、提灯はすぐに降ろして、慶雲寺に保管した、と話してくれた。

(H30. 7. 9 EOS7D撮影)

ふり返る平成31年2月の介護まとめ

2020年10月25日 09時58分53秒 | むびょうそくさい(おかん編)
この月もおふくろの介護の関係で大阪・住之江に行くこと度々。

記憶は記録。ふり返る際に思い出したい事項は書き記しておく。

ケアプランセンターおにぎりのFさんから電話があった。

住之江・安立地域包括センター宛の書類にサインならびに捺印のお願いである。

10日後の3月1日の午後4時から5時ころにおふくろを迎えに行く用事があるので、その日に手渡すことにした。

時間合わせに、大和郡山を出発する際に、到着予定時間を電話で伝えることにした。

この月は、こと大きいものもなく穏やかな1カ月だった。

(H31. 2.20 記)

早くも咲いた鉢植え春蘭

2020年10月24日 10時21分10秒 | 我が家の花
鉢植えの春蘭に蕾がついたのも気づかず。

えっ、もう咲いてるの?。

昨年の花咲きは4月初め。

1カ月以上も早く咲いた我が家の春蘭。

地球の温暖化の影響ではなく、室内暖房によるもの。

3週間前、中庭にあった鉢植えを室内に置いていたら咲いてもた。

3月半ば過ぎあたりから咲き始めるが、季節外れだけにとても嬉しい。

ごく普通に見られる一般的な春蘭。

南山城村農林産物直売所で買った春蘭鉢

なんと500円で売っていた。

10年数前、自然観察に訪れた里山に数株の春蘭を発見したこともあったが。

写真は記録のために撮った、

翌年に出かけた同じ場所。

盗人でしょうか。

無残にもその場に自生していた春蘭は2度と見ることはできなかった。

それから数年後、盗人の手によって根こそぎやられた地から数km離れた里山にまたもや発見する。

自生地はいくら秘密にしていても探し当てる人が居るものだから・・困ったもんだ。

(H31. 2.26 EOS7D撮影)

ラー麺ずんどう屋奈良田原本町店の元味らーめん+味玉丼ミニ

2020年10月23日 11時09分32秒 | 食事が主な周辺をお散歩
明日香村・下平田の祐福寺に法然上人の御忌会(ぎょきえ)法要が行われている、と昭和62年3月に飛鳥民俗調査会編・刊行されたの『飛鳥の民俗調査研究報告第一集』に書いていた。

たまたまお会いした村総代のYさん。

寺は存じているが、聞いたことがない行事だからお寺さんに電話してあげようと・・。

結果は、ないということだった。

お寺さんは他から来られる兼務寺。

考えられるのは、調査報告後になんらかの事情で僧侶が代わられて途絶えたのかもしれない。

場を離れて帰路につく。

途中に立ち寄るスーパーや百均ショップで用事を済ませて家に戻りたいが、時間切れ。

切れたのはお腹。

お昼時間も過ぎてどこかで食べたい食事処。

行きしなの道中は昼めしを何にするのかあれやこれやと車窓に目がいく。

あの店、この店はさまざまなジャンル。

昨年の平成30年11月に新装開店したラー麺屋に車を停めた。

入店した時間帯は正午半。

23台も停められる駐車場は半分ほど。

店内に居らして食べているお客さんも半分程度。

満席であれば困るが、本日土曜日のそこそこ入り状況にへぇのラー麺ずんどう屋奈良田原本町店だった。

お一人さんはカウンター席に案内される。

座ったところで店員さんが持ち込んだ高菜漬け。

たぶんにピリ辛だろうが、それをサービスですからと伝えていた。

あの美味しいふくちぁんラーメンは勝手にとるビュッフェ形式。

もちろん無料であるが、ここはサービスですからとお奨めである。

メニューをあれやこれやと眺めて、うーん。

決め手に欠ける食事メニュー。

ラー麺屋さんだからラーメンは当たり前であるが、最低価格が750円。

昨今の市場からいえば安いほうだが・・。

これが650円なら躊躇なく注文する750円の“元味らーめん”。

お店の謳い文句に「純正味シンプルとんこつらーめん。ずんどう屋定番の味」とあるから、これが店の味。

他にも800円の元味HOTらーめんや900円のねぎ好き、ピリ辛味もある。

他にも850円の味玉らーめんや1100円の全部のせらーめんに1170円のチャーシューメンも。

さて、メインが決まった。

その一杯でいいのだが、こっちもと心がゆれ動く。

気になったのが三種の丼もの。

塩チャ丼、味玉丼、ずん丼の3品は量によってお値段が違う。

ミニであれば350円、並みは450円に大盛りタイプが650円であるが、らーめん+丼セット版はメニューにない。

これは確かめなきゃとミニ版の味玉丼を注文した。

で、らーめんはどんな商品であっても、背脂の量や麺の形状に希望が選択できる。

この日の選択は背脂がこってり。

麺はちぢれ麵にした。

発注してから3分。



早速、運ばれてきた元味らーめん+味玉丼ミニ。

見るからにこってり系のラーメンである。

味玉丼にのっけていた熟系の煮玉。

メニュー写真に掲載されている写真では二つ。

配膳されたのは一つ。

掲載写真はどうやら並みのようである。

始めに箸をつけたのはらーめん。



湯気がないのか、ラーメンの香りが浮かんでこない。

スープは熱々でもなさそうなので、箸で摘まんで口に。

ずるっと勢いよく吸って口の中が・・。

なんとなく獣の匂いを感じた。

この味、獣の味で思い出すインスタントラーメン。

臭いのが当たりまえ“とでも云っているようなクセのある獣臭だった。

ここずんどう屋のラーメンはそこまでいかなくとも、ぷーんと感じる獣臭。

二口目がコワくなったが、箸ですくってずるずる。

三口目になれば臭みは感じない。

舌が慣れてきたような気がする。

その後は箸が止まらない。

実は、旨いのである。

クセはむちゃあるが、味は申し分ない。

頼んだちぢれ麵の食感はないが、スープが麺にだだ絡む。

ずるずる、ずるずる・・・。

一気に半分くらいまで攻め立てた。

さて、ラーメンの味がわかったところで、今度は丼だ。

こちらもガツガツ喰い。

箸を丼に突っ込んで口を丼の縁にもっていく。

箸が動く。

ガツガツ動いて大量の飯が口のなかで踊る。

意外と美味いやん。

はじめの食べ方が刻み海苔に刻みねぎ。

がんがん食べる丼めしが美味い。

タレの量は少ないが味のある丼飯が美味い。

それにしてもねぎの量が多い。

タレの味を邪魔するかのような量である。

海苔を片づけた次は味玉である。

がつがつ飯を入れた口に味玉を。

半分を口の中に放り込む。

じわっと美味さが伝わってきた味玉。

濡れ場の情景が浮かんだ。

これは素晴らしい。

半分食べたところでラーメンに戻って引き続いてズルズル、ずるずる・・。

また、箸が止まらなくなった。

とろとろに溶けてしまうチャーシューが美味い。

味は濃くないのだが、旨みのある味に食感。

これもまたラーメン麺とともにずるずる、ずるずる。

ラーメン丼の泥沼に惹かれていく。

一枚の海苔、刻みねぎの効果はない。

あまりにも強烈なこってりコテコテ味のスープによってラーメン沼に吸い込まれていく。



味玉丼も同じくとろとろチャーシュー。

比較的、こちらのほうが味を感じやすい。

掻きこみ、駆け込み・・・むちゃ美味いが、次第に飽いてくるスープ味。

どろどろのコテコテ感も飽いてきたので、サービスだと云っていた高菜漬けをトッピング。

なんと不思議なことにこれまでこってり感丸出しだったのが、さっぱり感に大変身。

意外とこれがいけるくち。

スープ残さず完食してしまった。

食べきってからのお願い。

ラーメンの麺量は少ないが、スープの沼に溺れそうになったので、ラーメンもミニ版をお願いしたい。

(H31. 2.23 SB932SH撮影)

山城町椿井・夏越しの虫送り

2020年10月22日 11時34分04秒 | もっと遠くへ(京都編)
クマゼミが鳴いた

台風7号崩れが去ったこの日は白い雲に爽やかな青空が広がっていた。

気持ちいい正午前の時間帯。

我が家の庭木から一斉に鳴きだしたクマゼミ。

夏の訪れを告げるクマゼミは、これからガンガン。

毎日のように朝鳴き。

雨天の場合は、ばったり消え、雨があがったらまた鳴く。

この日は、京都府南部の木津川市山城町で行われる夏越しの虫送り取材がある。

10日ほど前、京都だけでなく滋賀県を主に、民俗行事の取材を重ねてきた写真家のKさんから、実施の連絡をいただいた。

隣村の鹿背山は、6月30日土曜日が実施日。

椿井は、7月7日の七夕明けの8日に行なわれる。

それぞれ区長の撮影取材の了解をいただいた虫送り、であるが、鹿背山は都合が合わず、翌年廻しとした。

椿井といえば、すぐに思い出す椿井大塚古墳がある。

3世紀後半の古墳時代前期の中でも最古に位置付けられる代表的な古墳。

今から66年前の昭和28年のことである。

工事中に偶然に発見された三角縁神獣鏡

私は未だ2歳のときである。

当時、奈良と京都を結ぶ南北に走る国鉄奈良線の法面拡張工事。

前方後円墳の後円部法面工事の際に発見された。

奈良線の敷設は遡ること明治29年。

そのときの工事によって古墳は、前方部と後円部に分断された。

当時の地元民の声によれば、後円部は、奈良時代の藤原百川(ももかわ)の墓だと、認識していた程度だったらしい。

重要な遺物などの発見はなかったようだ。

明治29年(1895)を経た昭和28年(1953)までの長い期間。

59年間も知られることなく古墳内に眠り続けた三角縁神獣鏡が、法面拡張工事によって、32枚(※他に内行花文鏡、方格規矩鏡、画文帯神獣鏡も)も発見されるとは、当時の考古学者は仰天したとか・・。

線路脇の斜面を緩やかにするための工事。

後円部を削ったら、竪穴式の石室が現れ、三角縁神獣鏡の他、大量の副葬品が発見された。

京都府教育委員会や京都大学による調査、測量をした結果は・・・。

線路東側の丘陵が後円部。

西側の住宅地が前方部。

つまり、前方後円墳と判明した。

その後の平成12年、「同笵鏡論をはじめ日本の古代国家形成の問題を考える際、きわめて重要な位置を占めている」と、国史跡指定と相成った。

古墳時代の遺物も大切だが、現在の私は民俗調査に奔走中。

思い出す1件がある。

隣町の上狛に住まいする女性。

大晦日に撒く砂撒き取材をしたO家の奥さんが話してくれた出里。

今はどうされているかわからないが、かつては逆さ文字の「十二月十二日」護符をしていたという件である。

椿井のどこであるのかまでは聞いていないから、所在地を探すには、機会を待つしかない。

平成29年2月2日に訪れていた椿井の氏神社。

松尾神社の所在地を確かめたくて訪れていた。



知人の情報によれば、椿井の夏越しの虫送りに先立ち、松尾神社に伺って神火を受ける神事があるそうだ。

虫送りの出発地は、大宝元年(701)が創建とされる松尾神社でなく、下ったところにある広地。

神社の鎮座地は存じているが、さて、出発地はどこであろうか。

知人が伝えていた場所、時間を頭に入れて車を走らせる。

念のためにと思って早めに着いた椿井の広地。

時間帯は、午後4時40分。

ピーカン照りのこの日の気温は高い。

風も吹かない日は、車から降りた途端に汗が噴き出す。

辺りを見渡して、えっ、と思った祭場。



四方に立てた青竹に、幣を取り付けた注連縄を張っていた。

まさに神事の場のように思えた囲いの中に太めの藁束を立てていた。

奉書に紅白の水引で括っている藁束もある。

その後ろにある藁束は数が多い。

ざっと測ったその幅は直径が1m。

高さも1m程度のようだ。

ロープで縛って倒れないようにしている。

その中央に御幣を取り付けた御幣がある。

中央に仕込んだ青竹に挿していた御幣。

祭場を拝見して想定するオヒカリ移し。

広地中央には太鼓を設営していた。

合図に打つ太鼓は想定できるが、オヒカリ移しの作法はわからない。

虫送りの松明に直接、神火を移すのか、それとも祭場の松明に一旦は火移し。

そのことがわかるのは、日暮れの時間帯。

2時間は待たなければならない。

祭場付近を散策してみたら作り置きの松明が見つかった。



参集地にあたると思われる小屋に立てていた松明の数は13本。

細めの竹に2束重ねの藁束をロープ縛り。

落下しないように強く縛っている。

長さはおよそ2mにもなる松明である。

広地でしばらく散策していた。

その場に来られた男性は村役の一人。

もうすぐ区長も来られるようだ。

始まる前に話してくださった椿井(※夏越し)の虫送り。

藁束で作る松明は子どもが作るという。

やましろ音頭も鳴るが音源はカセットテープ。

7月に入ってからは、外に出ている子どもたちが椿井に戻ってこれるよう土曜にしているが、その年度によって若干の変動がある虫送りの日程。

最終的に決定するのは区長の役目である。

オトメ(御灯明)をもうてきて、点火する火点けの場は米藁で作った。

椿井の豊作を願う虫送り。

区長に副区長と農業実行委員長の3人が、松尾神社に参って神火のオヒカリを授かる。

虫送りの行程は、木津川堤防まで。

広地を出発して南北を走る国道24号線に出る。

信号を渡って堤防に出る。

下流にとんど場を設けているからそこまでのコースに大勢の子どもたちがやってくる、という。

合流された区長のHさんに取材許可の申し出に、その件はすでに伺っている、という。

この日の取材許可は、先に伺っていた写真家Kさんが取っていた。

この日は、滋賀県教育委員会文化財保護課主査のY氏とともに朝から行動していた滋賀県日野町の民俗取材。

虫送りが始まるまでには到着するであろうと伝えた。

ちなみに隣村の北河原にも虫送りをしているようだ。

いつもなら同じ日程ではないそうで、今年はたまたまの同じ日になった、という。

椿井と北河原、かつては同じ日にしていた虫送り。

大川と呼ぶ木津川堤防に合流。

どちらが早く虫送りの火を送るのか、競い合っていたそうだ。

略式白衣を着用した待ち合わせの3人が向かう先は急坂を登りきった地に鎮座する松尾神社。

神社を目指して出発する3人。

その直前に合流した滋賀県民俗調査を終えた2人とともに坂道を行く。

どこからか現れたのか、存知しない複数のカメラマンもついていく。

松尾神社に着いた3人。

まずは朱塗りの鳥居にて拝礼。



それから境内入り。

そして先に来ていた宮司と宮総代にも取材の挨拶をする。

拝殿に上がっても構わないと許しをいただいてから登る。

その拝殿に数多くの祭具が見られる。

これより夏越しの神事が始まるだけに、諸々の祭具について教えを乞いたいが時間がない。

次の機会にまた尋ねてみたい松尾神社の祭具の筆頭はなんといっても大きな鉄釜であろう。



時代的にはそれほど古くはなさそうだが、御湯神事があった思えるほどの形態に見惚れていた。

白馬の手綱を曳く2人の童子姿を描いた絵馬も興味を惹かれる。

「奉 縣御寶前祈雨成就満願」。



祈雨満寄成就に寄進奉納した年代が判別し難い墨書。

「●政九丙戌龍集初穂吉辰」から判断した時代は、文政九年(1826)だった。

寄進村は上狛村、林村、椿井村の三村。

幕末の『旧高旧領取調帳』」記載によれば、上狛村は津藩領。林村(※明治9年に上狛に吸収合併)は皇室領・公家領・女官領・京都守護職役知。また、椿井村も公家領だった。

松尾神社鳥居傍に立てている由緒書きによれば、「拝殿棟木に墨書銘があり、現在の拝殿が慶長十五年(1610)に再建されたことともに、有力農民の代表である“十二番頭”や、南村(上狛)と北村(椿井)の宮座一老、松尾社、御霊社の神主などの名が記されている」、「宮座に残されていた遷宮神事を行うときの絵図にも、狛野荘の荘官である下司、公文トネの席や、有力名主によって構成されていた中老座、ばく老座の席、能や狂言を演ずる舞台や楽屋、はしがかりなどが描かれており、これら中世の村政をつかさどった組織と松尾神社とのかかわりがうかがえる・・・」とあった。

上狛村、林村、椿井村に明確な宮座組織があった時代から、現体制に移った経緯はわからないが、他に、三村から寄進された武者絵の絵馬もある。



姿、形態から、たぶんに那須与一ではないだろうか。

神事前に急いで撮る絵馬。

慌ててシャッターを押した画像はぶれぶれだった。

本日の神事に参列される宮総代らも上狛10区と椿井1区を代表する氏子総代。

うち5人が宮総代に就くという。

なお、神社探訪された「旧木津川の地名を歩く会」が揚げている探訪記が詳しいので参照されたし。

他にも、柱に括りつけた大きな弓と矢がある。



奈良県・天理市の宮大工が納めた拝殿の上棟祭に奉った弓矢もある。

奈良県東部山間地に多くみられるゾーク(※社殿や拝殿、或いは社務所などを建て替える造営事業/上棟祭)に奉る弓矢と同じ形態。

地域によって形態が異なるのも調査対象だけに、ここ椿井の松尾神社の上棟祭もあらためて尋ねてみたい。

また、実物と思われる木製のプロペラも奉納されていた。



昭和五年三月吉日、上狛町 大井七造氏が寄進されたプロペラの機体を知りたくなる戦前の時代。

複葉機体の旧日本陸軍の九二式戦闘機が考えられる。

さて、神事である。

3人が持ってきたお神酒は本殿に2本。

もう1本は末社に供えてから始まる。

席に就いた4人。

目の前の祭壇に並べた神饌御供。



よく見れば、一つの三方に灯りが見える。

先に遷していた神火。

その前に置いた手持ち提灯である。

神事の始まり合図は太鼓打ち。

宮司自ら打つ太鼓の音色が拝殿に拡がった。

修祓に祓え詞。



夏越しの豊作願いに稔りをもたらせてくれる祝詞奏上。

参拝した3人の名を呼び、かしこみ、かしこみ申された。

祈願神事を終えたら手持ち提灯に神火移し。



決して消してはならない神火を調える区長の眼差しに映る。

揃って拝殿から降りてきた3人。



村に戻っていく道は、元々の参道である。

竹林に囲まれた石段の参道を下ってきた。

時間帯は午後6時45分。

広地に設えた祭場に丁度着く時間になろう。



たっぷり溜めた用水際の道を下っていけば、民家が建ち並ぶ狭い集落道に出る。

たまたま遭遇した家族さん。



おじいちゃんが作っていた松明がまた凄い。

藁束を4束重ねて作った長い松明。

途中で崩れないようにロープを締めていたところを撮らせていただいた笑顔のO家族。

後ほどの虫送りにまた出会う。

大勢の子どもたちで賑わっている祭場に着いた3役。



十分に間に合う余裕のある到着にしばらくは火点け待ち。

それにしても子供たちの人数がすごく多い。

何十人になるかわからないくらいの長蛇の列。

手にはみな手作りの松明を持っている。

役員さんが作った松明もあるが、ほとんどが自宅で作ってきた松明。

先ほどのご家庭のようにおじいちゃんとか、親が作るケースもあれば、なんと見習って作る子どもたちもいるとか。

心棒の竹は青竹もあれば枯れた竹とか、細めのススンボ竹もある。

近くに生えている竹といえば、ここ椿井は竹の生産地。

生業に素材の竹はいっぱいある。

火付けの時間はきっちり午後7時。

提灯に遷した神火。



消えないように持ってきた神火は奉書巻きにしていた松明に火移し。

すぐさま立ち上がった3役は、太く束ねた藁束に火移し。

手伝い役は、慌てて退避させる頂点に揚げていた榊の幣を取る。



火が移らないように退避させるとともに張っていたしめ縄も外す。

そして始まった松明の火移し。

危険のないように子供たちを安全誘導する手伝い役。

メラメラと燃え上がる松明。

火の確認ができたら、いざ出発。



一人、一人が順番待ちの子どもたち。

ざっと数えてみた松明の数は30本ほど。



子どもたちと一緒になって保護者も出発した。



わぁわぁいいながらの火付けに盛り上がる祭場。

小さいお子さんから高学年の小学生に中学生。



男の子も女の子も、みな嬉しそうな顔で出発していった。

温かい目で見送る3役や手伝い役も目を細めていた。



椿井の夏越しの虫送りは小雨決行。

稀に大雨になることもあり、そのときは中止になる。

大川の木津川に注ぐ椿井の水路に沿って練り歩く虫送り。



かつてはこの辺りも田んぼだった。

信号のない新道渡りにも安全配慮。

手伝い役は子どもたちが安全に渡りきるまでは交通整理。

その辺りにくれば田園が拡がるアスファルト舗装。

上狛川に架かる橋を渡って西へ、西へと練り歩く。

交通往来の激しい国道24号線を渡る信号にも交通整理。

事情を知らない運転手さんも驚く、大勢の松明持ち。

火が点いて燃える松明を見て、これは何ぞえ、と思う人はたぶんに都会育ち。

農村に見られる虫送りの大切さは、生活環境が変わり文化的になっても継承してきた。

椿井の子どもたちも次世代を継いでいくことだろう。

信号を渡ったそこが木津川。

坂道を登りきったところが堤防。

その松明行列に付いていくには難しい身体状況。

諦めて国道に沿って舗道をいく私の足は低速。

ふと西の空を見たら空が焼けてきそうな気配。

半数の子どもたちはとんど場まで先に向かっていったが、何人かは慌てず騒がず。

うまい具合に歩いていた姉弟がもつ松明火をとらえた。



流れる手前の雲の向こうが焼けてきた。



早く流れる雲はすっかり消えて見事な夕景が現われた。

とんど場に松明を送った戻りの子どもたちと交差するシーンに思わず口ずさむ歌は・・・。



夕焼け小焼けに日が暮れて~♪の童謡。

それとも夕焼け小焼けの赤とんぼ♪・・でしょうか。



抒情的な歌もあれば、云十年前に流行ったゆうぅーやけー うみのゆうやけ~♪とか、先行発売していたゆうひあかぁーくぅ~♪などの青春グループサウンド音源も自然に口にするこの日の夕焼けである。

出発地からおよそ1km先に設営したとんど場で火の番をしていた地元自警の消防団。



火が消えるまでの安全管理は任しといて、と云った一人の消防団員が話してくれた他の地域で行われている虫送り情報。

ここからすぐ近くの北河原の虫送りも来ていた。



現在は、堤防まではいかず、国道も渡らない手前に拡がる北河原の田園地の一角に替えたそうだ。

また、椿井からずっと南。

奈良県境になる市坂も虫送りにとんどをしているという。

市坂といえば、この年の4月30日に見た田んぼの護符を見つけた地域だ。

京都府の最南部に4地区が行っているとわかった農村行事の虫送り。



機会を設けて早めに調査をしたいものだ。

虫送り情報を聞いている時間帯もやってくる松明火の虫送り。

子どもたちが大勢いるとわかった椿井の虫送り。

とんど場から戻っていくときに拝見した奇妙な動きに関心をもった。

燃える松明に鋏を入れている父親に尋ねた。



縛っていたロープをきって藁束に空気を入れる。

そうすることで沈火しかかっていた松明火が再び勢いを増すのだ。

その役目をするのが保護者だった。



勢いを戻した松明火は燃え上がり、ぼたぼたと落ちる。

なるほど、と思ったこれもまた民俗のあり方。

虫送りに随行した歩数は午後5時からは939歩。

6時からは1021歩。

7時の虫送りが2204歩。

合計が4164歩。

普段、運動しないだけに歩く機会をくださった。

祭場に戻った時間帯は、午後7時半。



3役は祭場の清掃。

火種が残っていないかどうか確かめて、用意していたバケツに汲んだ水路の水で消火していた。



最後に戻ってきた家族さん。

お家へ帰ろう♪~のコマシャールソングで聞くカレーの唄も聞こえてきた。



ちなみに区長や消防団が云っていた隣村の虫送り。

今年の平成30年2月18日に立ち寄った北河原に春日神社がある。



その日は涌出宮の居籠祭に訪れていた。

時間的に余裕があったので、通りすがりに拝見した北河原の春日神社は美しく清掃されていた。

極端な云い方をすれば、散りひとつも落ちていない境内だった。

(H30. 7. 8 SB932SH撮影)
(H30. 7. 8 EOS7D撮影)
(H30. 2. 2 SB932SH撮影)
(H30. 2.18 SB932SH撮影)