先月の9月25日である。知人の写真家Kさんから電話があった。
電話の内容は
10月8日に行われる檪原(いちはら)のオハキ撮影である。
Kさんの都合がつかず、代わりに撮影協力をしていただけないか、というお願い電話だった。
行事のある日は特に決まったスケジュールは入っていない。
行事撮影地はよく存じている平群町檪原。
行事は、毎年の秋に行われる檪原のオハキである。
かつて撮影したことのある檪原のオハキ。
生駒山口神社から祭神をお家に迎える本当屋家を中止に据えて神社行事の一連を記録する撮影であるが、Kさんの代わりに撮影をするのは、神迎えの日である。
神遷しされた榊をもつ本当屋を先頭にお渡りをされる。
これを「オタビ」とも呼ぶ。
迎えた本当屋家は翌日の夜にもう1柱の神さんを迎える。
昼間に迎えた祭神は男神。
夜は女神を迎える。
オタビの日のすべてをスチル写真で撮っていただきたいという依頼である。
撮影は全行程を記録するビデオ収録がメインである。
映像は記録を経て編集される。
記録されたビデオ映像はDVD化される。
それを納めるパッケージにスチル映像が要るというわけだ。
つまりはメインのビデオ収録に補助する形で静止画も遺そうということである。
お役は代役といっても写真家Kさんのクオリテイと同等でなければならない。
平成17年9月25日に撮影したことのあるオハキツキと同年の
10月2日に撮ったオタビ撮影はまだ自信はあるが、不安は拭えない。
当時、撮影させていただいた本当屋家の造りは異なる。
オタビの行程ももちろん違う。
居住地が違えば、本当屋家に向かう行程の景観も変わる。
行き当たりばったりで臨むわけにはいかない。
Kさんの依頼に断る理由はないが、当時と違って年齢を重ね、しかも心不全の身だけに体力がもつかどうか懸念する。
なお、オハキとオタビの
スチル写真は
平成17年に撮らせてもらって、著書の『
奈良大和路の年中行事』に掲載している。
翌日の9月26日に元請けのビデオ撮影隊の代表から電話をもらった。
記録する民俗行事は奈良県指定無形民俗文化財の「櫟原のオハキツキ」である。
文化庁・文化遺産総合活用推進事業/奈良県教育委員会事務局文化財保存課がプロデユースするビデオ撮りの映像記録に、広報媒体に必要なスチル映像も要ることから、付随撮影にカメラマンも同行するということである。
記録製作事業の正式名称は「奈良の文化遺産を活かした総合地域活性化事業実行委員会」である。
村垣内6組を5組に分けた廻りにあたる今年の本当屋家は美之谷垣内(みのたにかいと)。
神社からのお渡りは坂道を登りきった最奥になるというから、お渡り一行をとらえるには、急ぎ足で駆け登って先に到着しなければならない。
坂道の勾配もあるから相当きつい行程になりそうだ。
この年のオハキツキは10月1日である。
その後の7日の早朝に行われる垢離取りがある。
その撮影が終わってからなら貴方を紹介しましょうと、いうことになった。
私にとっては下見の日でもある。
本当屋家のご挨拶も兼ねて伺った。
この日の早朝に禊ぎのお垢離取りを記録していた代表のMさんと写真家Kさんと落ち合う。
禊ぎの場は大きな御幣を線刻している御幣岩。
大岩の前を流れる檪原川に浸かって垢離取り(※こうりとり)と呼ばれる禊ぎの水行をされる。
禊ぎをするのは本当屋に補佐する敬用人(けいようにん)の二人。
かつては本当屋を兄当屋、敬用人は弟当屋と呼んでいた。
早朝といってもまだ暗がりの時間帯。
人目に触れることなく、密かに行われる禊ぎ姿にカメラを向けるのは憚れるが、記録班はその作法がオハキツキ(御はき築き)と呼ばれる一連の行事であるからには収録はやむを得ない。
かつて禊ぎをしていた場は、檪原川の御幣岩でなく、斑鳩町神南(じんなん)・三室山麓を流れる禊ぎの竜田川にある
御幣岩だった。
裸体になって禊ぎをしていた竜田川。
参っていた村の人の話しがそうであった時代は戦前までの在り方のようである。
竜田川の汚れから禊ぎの場を檪原川に移したという。
その際に檪原川の大岩に御幣を線刻したのか、それとも以前から刻まれてあったのか、記録は見当たらないようだ。
裸体の禊ぎはいつしか下着パンツに、3年前からは浄衣の白衣を着るようにした。
かつては本当屋、敬用人だけが禊ぎをしていたが、現在は宮司のお祓いもする形式にしたそうだ。
禊ぎの記録を済ませた記録班とお会いして、これからの段取りを確かめる。
まずは、明日に行われるお渡り行程の確認である。
ビデオカメラはどこで構えてどうとらえるか。
まずは出発地の生駒山口神社である。
生駒山口神社の祭神は2柱。
男神の素盞嗚命に、姫宮の櫛稲田姫命。
遷しましをされた神さんの依り代にある榊を手にする本当屋たち一行を宮司さんが見送る場は落とせない。
鳥居前、檪原川に架かる神前橋を渡って坂道を登っていく。
標高差のある檪原では、この季節も美しく咲く彼岸花の色合いも見逃せないが、一行の姿が映えるちょっとしたタイミングが狙いであるが、その点、ビデオ撮りでは流す撮り方。
とらえ方はまったく違うだろうな。
さらに登っていく村の里道。
車であってもわかる急勾配にカーブ。
一行の姿をとらえる位置はここも狙い。
天候良ければ光る稲穂が美しく浮かぶだろう。
お渡りを想定してシャッターを押す場を決めておく。
下見に稲穂ばかりが目に入っていたが、帰宅してから画像を見たら郵便ポストがあった。
収集する郵便局員さんの姿が頭に浮かぶ。“移動”をテーマに撮っておきたい撮影地でもある。
その地にあった路傍の地蔵石仏は笠石をのせていた。
長年の風雪から耐えてきたものの彫りは薄くなったが、石仏の様相がよくわかる。
そこからも坂道はまだまだ続く。
一行をとらえて
シャッターを押す。
撮ったばかりの画像を見る間もなく先を急ぐ。
急勾配に心臓が爆発しそうな具合だ。
これ以上、無理はできないと思った所にやや平たんな道にでればほっとする。
足を停止させて、わが身の心拍数を感じ取る。
ぎりぎりいっぱいだった心拍数が落ち着く間もなく道を急ぐ。
とにかく一行の前に立つ。
ゆっくりと登ってこられたらありがたいが、明日のお渡り速度によっては途中で断念することも考えられる。
だが、請け負った以上はやり遂げないと・・わが身の心臓に祈りを込めて、明日はがんばれよと声をかけた。
三叉路からなおも登っていく急な坂道。
その辻に立てた生駒山口神社大祭の幟。
抜きの白字で文字を浮かばせる赤地の幟は沿道の旗印し。
ここもまた、檪原のマツリに相応しいから撮っておきたい場であるが、前に何を置くか、である。
狙うポジションはいずれもビデオ班と一致したのが嬉しい。
明日もまた撮影の呼吸が一致することだろう。
坂道を登りきった地が美之谷(みのたに)垣内。
近くに農小屋があった。
小屋の壁に掛けている農具に小屋内に収めている一輪車やトラクターもあるから、人の姿がなくとも農の営みに説明がつく。
平成17年に取材したことはあるが、今回の本当屋家とは垣内が異なるから情景も違ってくる。
ある程度の情景が頭の中に入ったし、撮り方もまた違ってくるだろう。
だいたいの撮影ポジションがほぼ決まったところで本当屋家に着いた。
ご挨拶をさせていただいて明日からの行事について教えを乞う。
昭和18年生まれのTさんの務める本当屋。
本当屋を補佐し、ミナライを務める敬用人(けいようにん)に、マジリコと呼ばれる手伝い支援を受けて年中行事を務める。
この年の本当屋は美之谷垣内を中心として隣垣内の中垣内の数軒を加えた「座」で営まれる。
本当屋家の中庭に巨大なオハキを建てている。
この年のオハキは、マジリコたちとともに先週、日曜日の10月1日に設えたそうだ。
夏の暑い盛り、である。
祭事のときに使用する御座(ござ)を編むための素材であるコモクサ(菰草)刈りをする。
大量に採取したコモクサは天日に干して乾燥して保管しておいた。
御座(ござ)は宮司が座る一枚の他2枚に仕立てるそうだ。
オハキを作る一週間前はオハキの骨組みにする木材の伐り出しもしていた。
材の種類は、特に決まりはないが、この年は樫、百日紅、桜、椚、椿、漆、楢の7種類を集材したという。
その日は砂揚げ作業もあった。
砂はオハキの内部に詰める川砂である。
土嚢袋に詰めて作業をしやすくする。
川砂だけでなく、重しに手で抱えるほどの大きな石も調整する。
また、オハキ作りの日に到達する大量の竹もあった。
建てたオハキの上に漆で作った鳥居や榊を立てる竹筒もある。
オハキ全体を覆うようにした材は杉の葉。
一本、一本の杉の葉を編んだ竹に差し込んでいる。
杉の葉が緑色の間は神さんが宿っていると話してくれたのは本当屋のTさんだ。
そして、オハキを囲むように四方に注連縄を張る。
四隅に立てた忌み竹に注連縄張り。
オハキに結界を設ける。
注連縄の材はモチワラ。
お祝いに七・五・三のヒゲを端に付けた注連縄である。
結界内に砂利石を敷き詰めて参道を調え、周囲に砂を敷く。
最後にシデを注連縄に挟んで完成したところで宮司による地鎮祭が行われる。
そのときに祓った榊もある。
氏神さんの依り代となるオハキはその形、巨大さから奈良県の無形文化財に指定されている。
オハキの向こうにある植栽は桃色の花を咲かせた百日紅。
大きな樹は真っ赤な実を付けた柘榴である。
縁側下に干してあった草鞋は2足。
本当屋と敬用人が履く草鞋はオハキ作りの日に編んだ。
藁髭は綺麗さっぱり刈り込んで肌がチクチクしないように手入れをしている。
たぶんに束子などで擦っていたのだと思うくらいに綺麗にした草鞋に心遣いがわかる。
もう一つ干していた道具は祝いの年月を記入した手桶。
何に使うのだろうか。
後日にわかった手桶の役目。
本日、暁の時間帯に執り行われた禊ぎの垢離取りに使われた。
禊ぎの水を手桶に汲んでは身にかけて流す。
手水作法を繰り返す手桶であった。
禊ぎの水は身体に浴びるだけでなく、頭から被ることもあるようだ。
網籠に入れた小石は、これから七日間に用いる清めの石。
七日間のオハキ膳に供える石は7個。
清めの水バケツも七日間であるが、一日3個になるから21個。
12日の餅搗きにも石が登場する。
ズボンのポケットに1個の石を入れて餅を搗く。
餅搗きを終えるまでポケットに入れておく。
また、ハガタメ(歯固め)の石としても使う。
人生初のお食い初めのときに、である。
生まれて百日目に宮司に祓っていただくお食い初めに添えるハガタメの石もあれば、産前、産後の女性もハガタメ石。
たくさん要るからとこの年は70数個も寄せたそうだ。
ちなみに70数個のバラス石は垢離取りの際に檪原川に浸けておくそうだ。
と、いうのも檪原川は渓流であるが、小石は見当たらない。
禊ぎ、清めに用いる小石は予め準備しておくのだ。
なお、オハキツキ・神幸祭(しんこうさい)の日からの七日間。
祭神の姫宮を迎えてからの毎日は朝7時になれば宮司が参ってくれるという。
一週間後の還幸祭までの期間は、村の人や一般の人も参ることができる。
オハキツキに纏わる様々なことを教えてくださる本当屋。
行事の記録に大切な必要事項だから、と云って話してくださる。
お渡りに用いられる軸木の御幣は2本。
写真ではわかりにくいが、床の間に安置している御幣は、長い方が素盞嗚命で、短い方が姫宮の櫛稲田姫命であるという。
その御幣は晒し布を巻いておく。
同じく床の間に置いた木桶は一対。
ゴクモチ(御供餅)などを収めて運ぶ御供箱である。
晒し一反の袋に詰めるのはフクロモチ。
一反布を縫い合わせて作ったフクロモチ入れの晒しを広げて、その大きさを見せてくださる。
その横に並べてくれた正方形の板にフトコロモチを並べる。
一枚の板に4個×4個の16個を並べた板は本当屋に。
3個×4個の12個のフトコロモチは敬用人に。
神幸祭の際に本殿に供えるフトコロモチは、すぐに持ち帰って神棚に供える。
腹痛を起こしたときにフトコロモチを食べると治るという。
数十本も積んでいる白木の棒は漆材の皮を剥いで作った箸。
神さんに供える膳に添える箸である。
輪っかに編んだ縄は栗の実を盛る膳。
45組も作るようだ。
本年の3月に行われた「当屋渡し」をもって本当屋家に継がれた道具箱がある。
本当屋と敬用人が着用する衣装や烏帽子に『生駒山口神社御氏神当座規程』と『生駒山口神社当屋名簿』の持ち回り文書である。
(H29.10. 7 EOS40D撮影)
(H29.10. 8 SB932SH撮影)