マネジャーの休日余暇(ブログ版)

奈良の伝統行事や民俗、風習を採訪し紹介してます。
すべての写真、文は著作権がありますので無断転載はお断りします。

箸中の地蔵さん巡り

2017年02月28日 09時12分05秒 | 桜井市へ
和菓子屋さんの北橋清月堂店主や南垣内の人たちに聞いた箸中の地蔵さん。

集落というか垣内単位にある地蔵さんの縁日に、それぞれが提灯を下げるという。

和菓子屋さんがある垣内は下垣内。

そこより南下すれば隣村の芝になる。

そこにも地蔵さんの行事をしているそうだ。

店主曰く、箸中には下垣内の他、中垣内に上の車谷垣内などにもある。

縁日は23日、若しくは24日。

それぞれの垣内単位で地蔵さんの祭りをしているという。

前日の23日に拝見させてもらったのは中垣内の南垣内。

中垣内には川垣内もあれば上垣内もあるという。

そこもしているようなことを話していたので散策してみた。

この日の調査の始めに足を伸ばした大字の芝。

纏向川向こうに地蔵さんがあった。

赤い提灯を立てていた。

和菓子屋さんが云っていた時間帯は午後4時。

再び通りがかった午後3時ころには当番の人が集まっていた。

地蔵さんの前に御供を並べていたから、しばらくすれば始まるのだろう。



そこより反対側には大神宮の石塔がある。

たぶんとするが、ダイジングサンの行事があるかもしれない。

調査地の箸中に戻そう。

入江泰吉さんも撮っていたとされる場に竹を組んで提灯を吊るしていた。

和菓子屋さんが云うには垣内の提灯。

たしかに「下垣内」の文字がある。

地蔵さんの左側は大神宮の石塔。

7月16日にはダイジングサンをしていると聞いている。

何回かシャッターを押していたら踏切の警報機が鳴った。

電車が通るようだ。

構図を構えて通る電車を待つ。

南から北へ走り去っていく電車をバックに連続シャッター。



入江泰吉さんがとらえた映像は煙をはいて力強い姿で走っていた蒸気機関車だ。

今はそんな情景を臨むことはできない電化路線である。

時代は変わっても三輪の山は毎日を楽しんでいるのだろうか。

このような景観を撮るカメラマンは多いと南垣内の人たちが前夜に話していた。

よく見ればそこより数十メートル離れた南垣内の提灯は消えていた。

涼しい時間帯に参って片づけると話していた通りであった。

ここより東に向かう。

JR桜井線の線路を跨いだら国津神社に着く。

境内に提灯を吊るした竹組みがある。

ここは前日にも提灯があった。



この日も同じ状況ではあるが、地蔵さんの前には箱入りの三輪素麺を二箱も置いてあった。

南垣内の人たちの話しによれば、ここの地蔵尊は中垣内の川垣内。

下垣内と同じように午後4時から始められるのだろうか。

ここよりさらに東へと向かう。

旧道を走って三叉路。

大字巻野内東の大字穴師と交差する処のようだが・・・。

ここは大字笠に向かう道。

対抗し難い狭い道。

手前にあった竹組みに提灯を架けていた。



左側は地蔵尊。

地蔵さんを祭るところには地蔵さんの提灯。

右手の提灯は青面金剛とあるから間違いなく庚申さんである。

近くにおられた若い男性の話しによればこの日の夕方に行われるらしい車谷垣内の地蔵さんだった。



道路向かい側にあった垣内の公民館にも提灯を飾っていたから間違いない。

場の雰囲気もよろしい車谷垣内の地蔵さんに庚申さん。

その右に大神宮の石塔があること。

ここも同じようにダイジングサン行事をされているのだろう。

(H28. 7.24 EOS40D撮影)

箸中南垣内の地蔵さん

2017年02月27日 08時35分27秒 | 桜井市へ
この日の朝に通りがかった桜井市箸中。

いつも拝見する中垣内の地蔵さんに変わりはない。

大神宮の石塔も同じ姿だ。

そこよりさらに南の方角に赤い色があることに気がついた。



近寄ってみれば地蔵尊の祠の前に二本の忌竹を立てていることがわかった。

水平に括り付けた竹がある。

吊った提灯は6個。



白抜き文字で「南垣内」とある赤い提灯は地蔵さんの祭りがあることを示していた。

時間は朝の8時半だった。

周りにはどなたもおられない。

しばらくありとあらゆる方向から地蔵さんを撮っていた。

細い川の向こう側だ。

踏切を渡った婦人が堤防つたいに歩いてきた。

老婦人が云うには地蔵さんの祭りは夕方の陽が暮れるころ。

垣内の当番の人たちが参拝をする。

提灯架けは当番の役目。

どうなっているのかと気になって見に来たそうだ。



ここは中垣内の南垣内の地蔵さん。

中垣内は明日の24日にされるが、南垣内は今夕。

それまではずっとこのままにあるらしい。

そうであれば夕刻に再び訪れる。

そう判断してここを離れた。

戻ってきた時間帯は午後7時半。



夕闇のなかにぽっかりと浮かんだように映る提灯の灯りがある。

周りは水田。

育った稲の葉色が辺りを埋め尽くしている。

中垣内もそうだが南垣内の地蔵さんの廻りは緑一色に染まっている。

すべてが水田かと思えばそうでもない。

一部の地は稲作もしていない。

陽が落ちたら闇。

緑色も濃くなりやがては暗闇。

怪しげな感じに見えた灯りは夕闇に浮かぶ。



地蔵さんの前に座っていた人たちは南垣内の当番組。

まどろむ時間帯にときを過ごしていた。

当番の人たちの声をかけたら朝に出合ったおばあさんがこうして再び来ると伝えていたそうだ。

お話を伺っている数分間。

あっという間に闇が迫ってくる。

当番組は3年に一度の廻り。

夕方に集まって参拝。

線香をあげたと云う。



以前は弁当を作ってこの場で食べていたが、今はこうしてただ喋っているだけになったという。

赤い提灯は4年前に新調した。

おばあちゃんは新しく涎掛けをしてくれたなどと話していたころにやってきた垣内の子どもたち。

地蔵さんより少し離れた場で花火大会。



大会といっても二人の女の子。

きゃっきゃ云いながら夏の花火を楽しんでいた姿を見て、思わず花火女子会や、と呟いた。

やがて辺りは真っ暗。

そろそろ締める時間帯が迫った。

翌朝の24日は朝7時。

涼しい時間帯にお参りをすると伝えて当番組の人たちは解散した。

(H28. 7.23 EOS40D撮影)

念仏講を継ぐ越の地蔵さん

2017年02月26日 08時05分29秒 | 明日香村へ
明日香村の下平田で聞いた同村越(こし)の地蔵さん。

同じ日のほぼ同じ時間帯でしているらしいという。

大淀町の西増の場を見てきた帰りに立ち寄った。

午後6時半も過ぎていた。

お祭りはされているのか、それとも・・・。

下平田より近鉄電車線路を越えた西側にあると聞いて街道を急ぐ。

越といえばかつてトンド焼き弁天さんのイノコマツリを取材したことがある。

地域の位置はわかっている。

たぶんにあそこだろうと思って車を走らせたが、地蔵さんをしているようには見えない。

赤い提灯がどこにもない。

仕方なく駅がある方角に向けて走らせた。

前方に見えた赤い提灯。

ここだったのか。

その場におられた婦人に声をかけて撮らせてもらった越の地蔵さん。

かつては念仏講のおばあさんがしていた。

解散されたかどうか聞きそびれたが、若いご婦人たちが引き継いだという。

念仏講がしていたときは提灯に火も灯した。

参拝者もやってきて賑やかだったという。

地蔵さんの祠を建ててからは交通事故もなくなった。

クワを担いだ人が踏切事故に遭遇したこともあったが、地域の子どもたちをいつも守ってくれる先代からと云われて行事を継いでいる。

地蔵尊については詳しく継がなかったので、いつ、どのような理由で建之したのかわからないという。

年代を示すものがあるかも知れないと思って探してみる。

それは地蔵さんの台座にあった。

「大正十四年□月□七日(四七) 奉□□」に「三界万霊」の文字もあることから何らかのことがあって死者を弔って建之したのであろう。

(H28. 7.23 EOS40D撮影)

西増の地蔵さんを探す

2017年02月25日 09時12分38秒 | 大淀町へ
たまたま明日香村下平田の地蔵まつりに合流した二人の写真家。

今年も奈良県立民俗博物館で「私がとらえた大和の民俗」写真展に出典する。

今年の大テーマは「住」だ。

“みかん蔵”をテーマに挙げたSさんの話しによれば、8月24日に明日香村から山を越えた大淀町西増の地蔵さんに野菜造りの御供があるという。

これは必見になりそうだと思って現地を下見しておく。

大淀町には「増(まし)」の漢字を充てている大字が3カ所もある。

一つは紹介してくれた「西増」だ。

もう一つは「中増」。

三つ目が「増口」である。

元々の「増」はなんとなく・・・。

増に入る口は「増口」。

奥の奥にある「増」が「中増」。

そこより西寄りが「西増(にしまし)」と想定するのだが・・・。

入口と想定した「増口」から北上する。

本来ならばそうしたいが明日香村から当地にやってきた。

芦原トンネルを抜けて東西を走る旧街道を行く。

旧街道といっても現代に敷かれた車道である。

畑屋から比曽に馬佐を抜けたら「増」の「西増」。

実は誤ってというか、見逃して東へと向かっていた。

ここら辺りだと思った地は「増原」だった。

何故か住居表示に出てこない「増原」で彷徨う。

ここより西の方角にあると気づいて車を走らせる。

谷筋両側にある道を登る。

とても狭い道は里道を広げたのであろうか。

対抗車を避けるには多分に苦労するだろうと思った。

「西増」の地蔵さんは数か所あるとSさんが話していた。

そこがどこなのか詳しくは聞いていない。

狭い道を走らせる車の窓から覗いて場を確かめるが・・・。

ぐるっと回って下りかけの道にあった地蔵さんの祠。

ここにあったが果たしてそうなのかである。

近くの畑から出てこられた婦人の話しによれば間違いないという。

帰ってきたご主人は吉野山の桜守。

なにかと話をしてくださる。

ご夫婦の話しによれば村に6、7カ所の地蔵尊がある。



その一カ所がK家の地蔵尊である。

この村では隣組の家々が立御膳作って供えて祭りをしているという。

時間帯は夕方。

陽が落ちるころに村の子供らを随行した専念寺の僧侶が村の地蔵尊を巡って廻り法要をしているという。

野菜造りの御供はそれぞれになるらしい。

(H28. 7.23 EOS40D撮影)

下平田の地蔵まつり

2017年02月24日 08時48分23秒 | 明日香村へ
昭和62年7月に発刊された『季刊明日香風23号』の記事にこう書いてあった。

「7月23日に地蔵盆がある。その日は立て御膳が供えられる。当番の人は早朝からジャガイモを台に、トマト、ナス、キュウリ、トウガラシなどを串挿しにして作る。お参りに来る人はこれに御膳料を出してお供えをする」とある。

「立て御膳には、人の形を表現したユーモラスなものも見られる。この御膳に用いる野菜などは、他家の畑から盗んできても良いという」のもあった。

こうした祭りの状況は今でもそうなのか、確かめたくて訪れた。

場は前月の6月19日に訪れた明日香村大字平田の下平田。

地蔵まつりの会場は下平田の人たちが大切に守ってきた「参百年の伝統語る 耳なおし地蔵尊」だ。

下平田の「耳なおし地蔵尊」は耳がない。

そういうことから「耳なし地蔵」。

いつしか耳の病いにご利益があると云われるようになって「耳なおし地蔵」に名が転じたようだ。

この日は朝から集まった当番の組の人たちが境内どころか地蔵堂に拝殿と云われる会所などの大掃除。

朝9時から始まった作業は昼前に一旦は終える。

下平田は耳無地蔵尊がある地区を1区(地蔵垣内)。

その他に2区、3区、4区(寺垣内)の4組。

かつては5区もあったが現在は4区に統合された。

地蔵まつりはその4組が毎年交替しながら務めているから4年に一度の廻りである。

今年の当番組は2区が担っているという。

当番組の人たちは帰宅されて昼ご飯。

お腹を満たして再びやってくる時間帯は午後2時ころ。

拝殿と呼ばれる場に野菜が登場した。

その野菜を見て、さて、どうするか、である。

おもむろに手にした野菜はこうする、あーすると手が動く。

掴んだ野菜に竹串を挿す。



それを土台になるカボチャに挿して立てる。

何種類かの野菜を竹串にさしてはカボチャに挿す。

キュウリ、トマト、ミニトマト、ピーマン、トウガラシ、マンガンジ、長ナス、丸ナスにトウガンなど。

最近出たての新作カボチャもある。

何人かが作っていくから出来上がり具合はひとつとして同じものがない。

それぞれに表情がある野菜の造りもの。



できあがる都度、古くから使ってきた長机に並べていく。

今年の当番にあたっているおじいちゃんに混ざって孫息子に孫娘も作る。



出来あがればスマホで記念撮影。

友達らに送って見てもらうのだろう。

激写する二人の姿が可愛く見える。

野菜造りの御供は耳無地蔵尊や右隣の不動明王にも供えられて小休止。



しばらくの時間は一服されて一旦は帰宅する。

再びやってくるのは午後5時ころになる。

御供作りをしていた場は拝殿とも呼ぶ建物。

御供を並べることから御供所とか会所の名もあるようだが、確定的ではないようだ。

この場に置いてあった手作りの行燈。



「天に星」、「無病息災」、「商売繁盛」、「家内安全」、「水害息災」、「世界平和」、「交通安全」に「げんきでたいそうおわればべんきょうします 地蔵さま」とか「みんななかよくげんきであそべるようにまもってね」もある。

微笑ましい願掛けを書いた行燈の登場は夕刻の日暮れになれば灯りを点けるであろう。



下平田の地蔵まつりに僧侶は登場しない。

法要がないのである。



婦人会、子供会が催す縁日にその日限りの夜店売り場にわらびもちや串コンニャクがある。

一番先に完売したのは・・お好み焼きだったようだ。

夏場にぴったり最適なのは氷で冷やした飲み物。

手を入れた水槽はとても冷たい。

入れた瞬間にひやっとする。

イノコ祭りサンノンサン行事取材でお世話になった総代夫妻も会場にやってきた。

何年前かわからないが「昔は花火も上げていたが、神戸の震災で止めた。子供会などがこうして賑やかしをしてくれているが、かつては10店舗も並んでいた」という。

よくよく見れば耳なおし地蔵尊の前に石造りの何某があった。



蝋燭立てなどで埋もれている石に「春日講中」の刻印が見られる。

いつの時代に建てたのかわからない。

以前に総代が話していた講は行者講、大師講、こんぴら講であったが、春日講の名は出なかったように記憶する。

記録もないのか話題も出なかった下平田の春日講はどのような活動をしていたのであろうか。

奈良県庁文書の『昭和四年大和国神宮神社宮座調査』資料によれば、大字上平田に大宮講と春日講の講名記載があった。

下平田の氏神社は上平田に鎮座する八阪神社。

こことの関連性があるのでは、と思った。



当番の人が先にしておく御供は耳なおし地蔵尊だけでなく道路向こうに建つ「榎龍神」にも供える。

供えるのは神酒口に洗い米などだ。

ここでは野菜造りの御膳は見られない。

当番にあたっている

昼過ぎから始めた野菜造りの御膳は三段に組んだ棚にずらりと並ぶ。



そこにはそれぞれの御膳に名前を書いた札がある。

お参りに来た人たちは御供料を差し出せば受付が名を書く。

それを御膳下に挟むのである。

耳なおし地蔵さんのお参りは大字下平田の住民たち。

特に決まった時間はないが、だいたいが午後5時前後になるようだ。

夜店の出店時間がそうだから、合わせているのだろう。



お友達誘った子供連れもあれば、家族連れも・・・ぞくぞくと訪れる大字の人たち。

お爺ちゃん、お婆ちゃんに連れられた孫さんたちも多く見られる。



場合に寄れば身体事情で車いすに乗った人もやってくる。

まさに地域住民総勢がやってくるかのようなお祭り参拝である。

なかにはお孫さんたちが揃ったのか、夜店で買った冷たい飲料水を飲んでいた。



三人並んで飲んでいる顔がとても美味しそうに見える。

カメラ目線どころか視線を揃えてくれる女児たちが愛くるしい。

お参り前にしなければならないのが御膳料の奉納である。



それを受け取った当番の人はキンをひと打ち。

書いた名前札は野菜の造りものに表示。

名札は垂らして御膳奉納した人の名がわかるようにしている。

耳無地蔵尊や不動明王には燭台がある。

何列、何段かかぞえてはいないが100円払って購入したローソクに火を灯して燭台に立てる。

線香ももらえるが、バラバラにならないように紙で巻いていた。

小さなことであるが、村の心遣いがよくわかる。

大きな器のように決める金属製のキンに薄いというか幅の狭い処になにやら彫った刻印がある。

目を細めて見れば「元禄十四年辛巳(1701)暦三月十日 願主釋常智俗名□□」の刻印があった。

看板に偽りはなかった地元民が伝える三百年からの伝統がある耳無地蔵尊の歴史を語るキンの存在であるが、耳無地蔵尊との関係性を示すものはない。

参拝者は途切れることなく次々とやってくる。

最盛期の時間帯を見ることはできなかったが、夜8時ころまでのようだ。

(H28. 7.23 EOS40D撮影)

あすか夢販売所の商品に民俗を味わう

2017年02月23日 09時11分20秒 | 民俗あれこれ(売る編)
トイレ休憩も兼ねて農作物販売所に立ち寄る。

そこはふんだんに盛られた採りたて野菜がいっぱいある。

でっかいトウガンはいつも驚くが買っては帰れない。

なんで、こんなに大きなものを買ってどうするのという言葉に返答が・・・つまる。

それはともかく最近のお気に入りが棚にあった。

食べられるホオズキである。

殻の中にあるホオズキはとっても美味しいフルーツ。

そう思う。

初めて口にしたのは天理市庵治町のゴウシンサン取材のときだ。

ヤド家の奥さんが参拝に来られていた婦人たちにご馳走をしていた。

あんたらも食べてやと云われて口にした。

とっても美味しいのである。

今まで味わったことのない味覚はまさにフルーツスイート。

独特の甘さに惚れこんだ。

婦人が教えてくださった作り方。

実成を食べるホオズキは放っておく。

放置でいいのだ。

そのうちに干からびる。

カラカラになれば枝から落ちる。

食べごろであるが、冷蔵庫などで冷やしておけばさらに美味しくなる。

そう話してくれた実成のホオズキを探していたが、一般的なスーパーでは売っていない。

地産地消の昨今。

そのようなお店であれば売っているかも・・・と思っていたら、アタリにあった「あすか夢販売所」の商品棚。



売り文句のPOPに「スイーツの素材として注目の集まる食用ほおづき。

フルーティーな独特の香りと味から、ジャムやパン、アイスクリーム、ケーキなどに利用されるようになってきています」とある。

間違いなくそうなっているように思えた食用ホオズキの商品名はキャンデイランタン。

「マンゴーのような味と香り」シールを貼っていた。

パックに詰めた莢付き食用ホオズキの個数はわからないが、税抜き価格の180円で売っていた。

隣に置いてあるケースは試供品。

食べてもらって味覚を感じてもらう。

莢の中身は青みがある実である。

一粒、一粒の莢をとってあるからすぐさま食べられる。

天理の庵治町でもらった食用ホオズキの色合いと同じだ。

庵治町の食用ホオズキはやや黄みがかった色であるが、一粒口にしたあすか夢販売所のキャンデイランタンも美味しい。

味に変わりはないようだ。

販売所の商品棚にはいろんなものが売っている。

ついつい手が伸びる地産地消の作物。

スーパーと同じようにカートがある。

白菜、キャベツにダイコンは重たい。

これなら便利なカートにどんどん積み込む人もいる。

あすか夢販売所で買った商品は手造りの小麦餅。

民俗を取材しているものにとっては「さなぶり餅」の呼び名で書いてあればなお嬉しい。

尤も買ったのは民俗を同行取材している写真家のKさんである。

奈良県だけでなく近畿、北陸、信州までも取材しているKさんは行き先々にある道の駅で収穫しているそうだ。

そういえば、ここあすか夢販売所に手作りカンピョウも売っていた。

販売者の名前があるシール。

そこに書いてあった大字名がある。

その地で栽培している生産者。

ぜひとも伺ってみたいものだ。

それはともかくよばれた手造りの小麦餅の味である。



小麦餅は出来あがったばかりではなく、やや時間が経過していたのだろう。

餅はパックの底面にへばりついているから取り外すのに難儀する。

一口食べた。

食感は堅めだ。

がっつり噛んで食べる。

跳ね返るまではいかないが、そこそこの歯ごたえがある。

ぷーんと口のなかで広がった小麦の香り。

塗したキナコの味が馴染んでいる。

小麦粉の味はこういうものか。

決して不味くはない。

キナコの甘さもあるが、餅に甘さがあるのでは・・と思うぐらいだ。

(H28. 7.23 SB932SH撮影)

下平田の歴史を語る建造物を探訪

2017年02月22日 08時33分35秒 | 民俗あれこれ(民家集落編)
カンピョウ栽培している男性が指をさした先にある建物は「みかん蔵」である。

「みかん蔵」とはなんぞえ、である。

屋根の上に突きだすようにある構造がある。

なんとなく煙出しのような構造のように思えたそれは風通し。

蔵の内部は五つの部屋に細分化されている。

それぞれの室内にある煙出し、ではなく、風通し。

赤い屋根は赤い瓦で葺いている。

傷みはそれほどでもなく美観である「みかん蔵」は個人所有。

もう一カ所のみかん蔵は今でも現役。

I家が所有するみかん蔵は12月に収穫して5月ころまで収納、管理しているそうだ。

このみかん蔵の外観を拝見して、ここだったのかと思いだした。

この年の10月29日から県立民俗博物館で展示される「私がとらえた大和の民俗 ―住―」のひとつの事例として紹介される。

とらえたのはカメラマンのSさん。

蔵の内部の作業風景など三枚組で紹介されるのだ。

予め聞いていたので理解しやすかったのが嬉しい。

それはともかく下平田の歴史を残す史跡もある。

それらも拝見しておけば耳無地蔵尊の背景もわかるかも知れないと思って足を伸ばす。

この日は暑い夏のカンカン照り。

歩いているだけで汗が流れ落ちる。

なんど拭っても汗はとまらないが、次を目指す。

この日の夕方に始まる地蔵まつりの主会場は耳無地蔵尊が建つ処である。

お供えをするのは耳無地蔵尊の右隣にある不動明王である。

地蔵まつりの祭場はもう一つある。

耳無地蔵尊より高取川沿いに向かって南にいけばあるという榎木龍神を探してみた。

熱気が道路から湧き上がってくるように感じるこの日は夏真っ盛り。

歩くのも疲れる。



それほど遠くないところであるが、すぐ近くでもない処に「榎龍神」の文字を書いた提灯を立てていた。

石や樹木で囲まれた地にこれもまた「榎龍神」の文字がある石碑である。

ここは車の往来が激しい国道169号線。

昔はもっと狭かったと話す道路は随分前のようだ。

榎龍神のかつての地はここではなかったという。



そのときの話しぶりでは拡張工事だったのかよくわからないが、高取川の川縁にあった榎を切ったら祟りがあると云われて、現在の信号がある処にあった榎龍神はここへ移したという。

その信号がある地を右折れすれば川を跨ぐ橋がある。

橋の名は「豊年橋」。

道路拡張に伴って高取川も移動した。

拡張することによって西へ移動したのであろう。

豊年橋を渡ってさらに西に行けば大字の越(えつ)にでるが、その手前に建っていた道標に灯籠。



それに大きな石板がある。

道標は「えかう山えち」と読むのだろうか。

刻印文字はわからないが、建之年代がわかる。

「寛政八年丙辰(1796)九月橋成」である。

灯籠は天照大神宮。

「文化元年甲子(1804)十一月」に建之された。

榎龍神石碑にもっとも関係するのが左隣に建つ大きな石碑である。

それには「昭和三十二年十月建之 ほうねん橋の碑」とある。

その石碑の右下に「寛政八年丙辰(1796)」の年号が見られる。

何がいいたいか、である。

実はこの日に提灯を立てていた「榎龍神」の石碑は寛政八年に高取川に架かっていた石橋だったのだ。

この日に再確認にした昭和29年から始まった道路拡張工事にともなう流路変更工事。

橋も新しくなって「豊年橋」が現在の端であるが、かつての橋は石橋の「ほうねん橋」である。

その石橋を半分に割って一つは榎龍神に。

もう一片が昭和34年に架け替え記念に石碑として残されたのである。

豊年橋を渡って西に向かえば越に出る。

旧阪合村になるその方角を示す道標に「阪合村」の刻印があることも付記しておく。

榎龍神さんにある榎の木はご神木。

今は小枝になったがこれでもれっきとした枝分かれの榎木。

不動寺は78年前に建てたことを示す石碑にあった発起人は24人。

ずらりと並ぶ発起人名である。

(H28. 7.23 EOS40D撮影)

下平田のカンピョウ干しから広がる話題

2017年02月21日 07時39分50秒 | 民俗あれこれ(干す編)
明日香村平田の地蔵まつりを拝見したく訪問した。

場所は大字平田の下平田。

大字平田は上に上平田。

国道169号線に近い方が下平田になる。

みみなおし地蔵尊があるのは、その国道169号線沿いである。

早朝に集まった村の人らは揃って作業をしていた。

会所とも思える建物や地蔵尊も綺麗にする。

数時間もかけて清掃されたら境内もすっかり美しくなった。

午後は地蔵まつりの設営であるが、その場にいた男性がおられたのでお声をかけた。

その人は家が隣にあるから留守番をしているという。

この日の行事についてざっと教えてくださる男性は自宅でカンピョウ干しをしていると云う。

カンピョウはユウガオの実。

畑で栽培しているからついておいでと云われて案内される。

畑はどこにあるかと云えば国道を越えてまだ先のところである。

その先の畑は近鉄電車の線路を越えたところにある。

うちの畑やからついておいでと云われて後を追いかける。

その場は雑草も生い茂る地。

カボチャもあればカンピョウもだ。

カボチャは葉っぱも花も実も知っているが、カンピョウは未だかって実物を拝見したことがない。

カボチャではない大きな葉がある。



そこに咲いていた大きな白い花がある。

それがカンピョウ・・・ではなくユウガオである。

ユウガオの花は夕方に咲いて翌朝に萎む。

案内された時間帯は午前11時半。

ほとんどの花が萎れていたが、ほんの少しだけマシな花があった。

葉っぱと花の形を撮っておけば今後の役に立つ。

カンピョウを干している地が判れば栽培している畑を探す。

それがわかるようになれば今後に役立つ。



そう思って撮らせてもらった。

さて、ユウガオの実である。

生い茂ったユウガオの葉っぱで畑地が見えない。

そこら辺りにずっしりした実があるかもわからんから探してやといわれて付近を探し回る。



覆っていた葉をどかせると中から出てきたユウガオの実はでかい。

我が手で測った長さはおよそ35cm。

いちばん太っている部分の幅は直径20cm。

重さは計測器がないからわからないが、そうとうな重さに違いない。



ご主人はユウガオの実を抱えて持ち帰るが、ヘタは切取っているようだ。

ところである。

ユウガオの花には雌雄があるという。

花が咲いても実にならないのは雄。



カンピョウになる実は雌花であるという。

それも探して辺りを・・・。

あった。

なるほど、授精した雌花は徐々に膨らんでぴっとしたこういう形になる。

下部は実であるが、上部は萎れた花部分。

やがては消えて下部の実が成長する。

そうなると思うが、今回はここまでだ。



親切丁寧にわざわざ畑まで出向いて案内してくれた男性は畑にいっぱい育っていたツルクサをカマで刈った。

特に新葉が美味しいツルクサはこうして摘み取る。

これを2、3分茹でてマヨネーズ和えで食べる。

これがほんまに美味しいのである。

男性は自宅に戻って干す道具を見せてくださる。

大きな銀杏が植生する崖山。

そのすぐ傍に立てているカンピョウ干しの道具はそうとうな長さだ。

上部を見上げてみれば滑車。



そこに布紐を架けた水平棒がある。

垂直に立てた支柱は木製。

水平にしている平行棒も木製であるが、布を巻き付けている。

こうしておかないと干したカンピョウが木材にくっついて剥がれなくなるのだ。

天理市の庵治町で拝見した水平棒は稲藁でくるんでいた。

材は違うが、これもくっつき防止である。

今年は4回も干したというから豊作なんであろう。

ちなみにこのカンピョウ干し道具には名前がない。

どこで聞いてもそういうことだ。

さて、あれほど大きくなったユウガオの実はどのようにして細く剥いていくのだろうか。

それには道具が要る。



一つはナタのような大きな刃をもつ包丁である。

もう一つはご主人が作ったハンドメイドのカミソリである。

画面でわかると思うが、小刀を木製の道具に括り付けている。

その大きさ、刃の長さは手に馴染んで使いやすいように加工している。

始めに使う道具は包丁だ。

ラグビーボールのような形のユウガオの実を幅数センチに輪切りにする。

その幅は感覚的でいい。

厚さが数センチの円盤ができる。

何枚かに輪切りする。

ヘタは不要なので切り落とす。

円盤は皮付き。

その皮を剥ぐのが自家製のカミソリである。

皮を剥いでいけば真っ白な肌をみせるユウガオの実。

これを厚さが均等になるようにカミソリで剥いていく。

タネがある中心部までは剥かない。

その手前ぐらいで終える。

長くなったひも状の姿になればカンピョウである。

そろっとそれを水平棒に架ける。

何本も、何本も剥いては架ける。

手間がかかる作業は水平棒を揚げて終わる。

紐を引っ張れば滑車がくるくる回って水平棒が揚がっていく。

青空に広がる白いカンピョウはまるで夏の簾。

美しい姿をみせてくれる。

ご主人が動いた。

何をするかといえば、ギンナンの殻割りだ。

家にある銀杏は毎年のようにおやつを落としてくれる。

ポタポタ落ちるギンナンの実を拾って干しておく。

はっきりいってギンナンの実の匂いは独特で臭い。

実の廻りのぬるぬるしている部分が臭いから作業は手袋が必須。

それも臭気が漏れないような手袋である。

水で流して綺麗にしたら干す。

保存は新聞紙に包んで冷蔵庫。

カラカラに乾いたら炒らなければならない。

電子レンジでチンして食べているというご家族。

性能にもよるが3~5分。

弾ける音が数回聞こえたら出来上がり。



ペンチでも構わないから殻を割って黄色い実を食べる。

乙な味に惚れるが割れていない殻はどうもアカンようだ

(H28. 7.23 EOS40D撮影)

飛鳥弥勒探しにひび割れ土用干しをみる

2017年02月20日 09時45分56秒 | 民俗あれこれ(干す編)
今年の土用入りは7月19日。

それから数週間後にはカラカラ天気。

暑い盛りの真夏に干す民俗がある。

一つは衣服や書籍の土用干し。

いわゆる虫干しであるが食用の土用干しは梅干しである。

もう一つは稲作に欠かせない田の土用干しであるが、「土用干し」をネットで検索すれば圧倒的に引っかかるのが「梅干し」である。

田の土用干しはメジャーではない、ということだが、私にとっては農作における大事なことだと思っている。

水耕栽培に欠かせない田の土用干し。

この時期になればついつい稲穂がすくすく育っている水田を見て回る。

水田に水はつきものだが、カラカラに乾いているところはあるのか、ないのか。

明日香村にある弥勒石を探しにやってきた地である。

なんと、ここにあったのだ。



水田の水は堰を外して溜まっていた水を流す。

日照りが強い日が続けば乾くのも早い。

曇天どころか雨でも降れば田はなかなか乾かない。

何日もかけて田の天日干し。

カラカラに乾けばひび割れが発生する。

割れた文様は複雑。

この形が面白い。

割れた状態が写真的によくなければ他を探す。

あっちこっちの田んぼを見て回る。

畦地に入るのは田主の許可がいる。

たまたま近くにおられた田主さんに断って撮らせてもらった。

ここまでくるのに水を抜いてから一週間、いや十日もかかると云う。

探しているのは弥勒さんの行事日である。

土用干しのひび割れを拝見した田主は大字岡の人。

弥勒石がある在所は岡であるが、行事をしているのは大字飛鳥の人たちだという。

この場で大字飛鳥の人を探すのは難しい。

稲穂の水田がこの辺り一面にあるが、人の姿がまったく見えない。

仕方がないと諦めて近くにあった農小屋を目指す。



そこにあった干しもの。

カンピョウでもなく、水田でもなく、豆である。

農小屋の処に枝からもぎ取った豆がある。



カラカラに乾いて莢から豆が飛び出していた。

そんな状態の豆を撮っていたら単車で人がやってきた。

その男性は大字飛鳥。

ここら辺りは岡と飛鳥の境界線になるようだ。

ご主人曰くこの豆はトラマメ(虎豆)だという。

トラマメは蔓性のインゲンマメ。

文様の入り具合が虎に似ているからその名がついたそうだ。



莢から飛び出したトラマメはやや粗い網目のトーシでゴミなどを落とす。

綺麗に選別して煮豆にするという。

ちなみに農小屋の庇に置いてあった豆は昨年に採取した大豆で品種はツルマメ。

豆を取った残りの枝は焚き付けにする。

いろいろ教えてもらうご主人は大字の飛鳥。

弥勒さんの行事もしている役員さんだった。

おかげさんで農家二人の出会いがあったことから旧暦8月5日に行われている弥勒さんの行事日と時間などがわかった。

ありがたいことである。

(H28. 7.23 EOS40D撮影)

山田のカンピョウ干し

2017年02月19日 09時55分16秒 | 民俗あれこれ(干す編)
風景写真家のYさんが今では少なくなったカンピョウ干しの情景をFBで紹介していた。

その映像を見た私はここだと思った。

Yさんがとらえた映像に交通標識の「止まれ」がある。

電柱に取り付けられた赤地の逆三角形。

白抜き文字の「止まれ」がある映像でわかった桜井市山田の地である。

この日の午前9時。

明日香村に向かう道すがらに拝見したかった当地のカンピョウ干しは幾たびか撮らせてもらっている。

ご主人は近くに住むFさん。

平成26年4月6日に行われた東茶ノ前垣内の旧暦閏年の「モウシアゲ」を取材させてもらった代表者である。

Fさんとはその行事以前から存知している。

それが夏の風物詩でもあるカンピョウ干しである。

平成26年の6月、7月に取材させてもらったF家の在り方をブログで公開させてもらった。

干してあることから在居されているに違いないが、挨拶をと思うが、先を急がねばならないのでご無礼した。

(H28. 7.23 EOS40D撮影)