マネジャーの休日余暇(ブログ版)

奈良の伝統行事や民俗、風習を採訪し紹介してます。
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魚輝水産住之江店で家族食

2016年04月30日 09時09分19秒 | 食事が主な周辺をお散歩
おふくろが希望する品々を買っておいた。

この日は住む町に出かけてお届け物。

第二阪奈道路を経て阪神高速道路。

住之江インターで降りたらすぐに着く。

送られてきたひ孫たちの写真を見て喜ぶおふくろ。

ついつい掃除も忘れて写真に目をやる。

久しぶりの家族3人。

昼食はといえばすぐ近くにある魚輝水産住之江店に決めていた。

入店時間は丁度12時。

昼時のお店はほぼ満席だ。

お昼のランチの一部は入店ドア付近に置いてあった。



でっかいサバが丸ごと一尾。

煮つけのサバを皿にもったメニューはホンモノ。

これで700円とは驚き価格。

美味そうだけど食べきれないと思って断念する。

おふくろが真っ先に美味しいマグロを食べたいと云いだした。

メニューには数種類のマグロ造りがある。

今日は特別でもないがどうせ食べるなら美味しいのはどうかと勧めて1080円の赤身本マグロ造りにした。

店員さんがにっこりとした顔になった。

それはともかくお昼のランチはどれにするか。

おふくろと私は780円の日替わり寿司ランチにした。

にぎり寿司は日替わりの10貫。

何が出てくるのか楽しみだ。

かーさんは780円の海鮮丼定食。

魚輝は魚が新鮮でとびきり美味い。

何度か入店して味は確認済みだ。



最初に運ばれたのは赤身本マグロ造り。

ぶつ切りのような分厚さ。

添えつけの本ワサビも大盛り。

つぶつぶ感があるワサビは箸で摘まんで食べてみた。

これが美味いのである。

甘味があって美味しいというおふくろ。

その通りだと思った。

とろーとした本マグロをワサビ醤油に浸けていただく。

これが食べたかったんよと云うおふくろは満足げだ。

そうこうしていたら日替わり寿司ランチが配膳された。



サーモン、イカ、マグロ、ハマチなどのにぎりは脂がのっていて美味しい。

卵焼きやエビは判るが他はなんなの。

軍艦巻きにのっているのは・・。

漬けのエビだった。

なんらかのカイもあれば青みの魚もある。

どれもこれも美味しくて箸が止まらない。

大きな椀は赤だし。

ブリの切り身も入っているが、なぜかイカゲソもある。

たぶんにヤリイカのゲソだと思う。

赤だしにゲソが入っていてもおかしくない味。

これもまた美味いのである。

さて、だ。

小皿に盛っている緑色の物体。

イクラが上にのっかっている。

一口で食べるわけにはいかない不思議な個体。

味が判らないし、食感も微妙だ。

レジ支払いの際に店員さんにその正体を聞いてみた。

答えはアボガド。

白身の魚をすり潰してカマボコのように仕立てたという。

日替わりだからいつも出るとは限らない品々に舌が唸る。



海鮮丼定食をいただいたかーさんも満足した魚輝水産の昼ランチ。

極上の味である。

なお、昼ランチにはドリンクサービスもある。

かーさんはコーラ、おふくろはオレンジジュース。

私はジンジャーエールだ。



食事を済ませていただく飲み物ですっきりする。

オレンジジュースを飲んだおふくろはとても美味しいという。

それもそのはず100%ジュースだった。

3人でよばれた魚輝水産の支払いは税込3694円。

くるくる寿司よりもお得に味わえたと思った。

(H27. 6.18 SB932SH撮影)

寺口本郷のダイジングサン

2016年04月29日 08時42分57秒 | 葛城市へ
葛城寺口の博西神社に十二振提灯を献燈する行事がある。

夏祭り秋祭りの2回であるが、大字ごとに行われる献燈もある。

大字二塚は7月16日であるが、本郷は6月16日。

他にも10月16日だという大字もある。

この夜は本郷。

大字は問屋組、北側に寶前組の3地区からなる。

太神宮の石塔は問屋組にある。

時間ともなれば各大字はそれぞれの十二振提灯を運んでくる。

この映像は北側地区。

当番の人らは太神宮の手前で降ろしてローソクに火を点けていた。

十数分後には集落を抜けてやってきた寶前組。



出発時に火を点けていたという十二振提灯を担いで運んできた。

心配していた雨も降らず、うっすらと焼けた葛城の山並み。

奥にある高い山は標高659mの岩橋山だと思う。

ダイジングサンの御供は当番組の問屋組の人たちが予め供えていた。



口開けをしたお神酒に米や塩。

御供はコーヤドーフにシイタケ、コンブなどなど。

住民がいうにはかつてお伊勢参りをしてお伊勢さんでケンサキのお札を授かって地元に戻ったそうだ。

その名残かどうか判らないが御供にケンサキスルメがあった。

かつては大勢の子供たちがいた。

ダイジングサンの場に大阪浪速区・太鼓正製の太鼓がある。



製造プレートで判るが胴の様相からみれば相当古いように思えた。

おそらく張り替えたのであろう。

ダイジングサンの道具はもう一つ。

伏し鉦もある。

裏を拝見したが刻印は見られない。

太鼓と鉦を打つのは子供の役目だった。

いつしか子供の姿は見えなくなった。

当番の人は打つこともないが、昨年に拝見した二塚では当番の人が打っていた。

二塚で聞いた太鼓と鉦。ダイジングサン以外の行事に使うことはないと話していた。

ここ本郷でも同じだった。



十二振提灯は太神宮の石塔下の指定場所に立てる。

大字の人たちは揃って参ることなくめいめいが自由に手を合わせる。



太神宮は石垣を組んだ高台にある。

後方に建つ民家は建て直したもようだ。

お参りされたことを確認した当番組の人は直ちにお神酒を下げる。



小袋に詰められた酒の肴を配ってお神酒をいただく。

しばらくはこの場で過ごす。



これもまた直会の在り方である。

男性は男性で、女性は女性で集まって歓談していた時間帯はとっぷりと日が暮れて提灯の灯りが増した。



氏神さんの博西神社のときも同じようだった。

直会時間はおよそ40分。

「そろそろ引き揚げましょか」と伝えた当番さんの指示で提灯を倒して火を消す。



解散されたら辺りは真っ暗。

「今年の夏祭りも来てくれんやろ」と云われたが、さてどうするか・・・。

(H27. 6.16 EOS40D撮影)

平尾の田休み植付奉告祭

2016年04月28日 07時38分57秒 | 宇陀市(旧大宇陀町)へ
この日の朝は「デアイ」と呼ぶ地区の草刈り日。

大宇陀平尾の住民はそれぞれ分担して宇陀川堤防を綺麗にしていた。

この日の午後は水分神社に参集する。

慶長四年(1599)に建てられた覆屋根。

桧皮葺、棟飾が見られる三棟の現社殿に貞享四年(1687)の棟札があるそうだが、覆屋根より古い時代に建てられたと考えられている。

80歳を超えた元区長がいうには、これまでゾーク(造営)はしたことがないという。

1月18日のオンダ祭で大当・小当を務めた二人はこの日の村行事に先だって境内を清掃していた。

それからミツバチに刺されないように恐る恐る神饌を供える。



中央社殿は水分大明神、左は白山大明神、右は天照皇大神であるが、そこには二つの御供がある。



明治四十年に合祀された八幡大菩薩にも供えていたのだ。

近年建て替えられた社務所に掛軸があった。



それには月読宮、春日大明神、天満宮、山神守、十二社権現、八王子権現など平尾の神々もある。

明治32年(1899)11月に文政十二年(1829)生まれの氏子筆による軸である。

平尾水分神社の田休み行事は村の田のすべてが終わったころを見計らって行われている。

この日の行事に神職は登場しない。

村にある妙福寺の住職によって行われるのだ。

妙福寺は日蓮宗派。

村人は檀家でもある。

社務所の扉を開ける。

神社に向かって一同が座る。



祈祷というかお念仏というか、拍子木を打ちながら唱える。

扉を開けておればミツバチが飛び込んできた。

刺されては困るから手で払ったり、座を移動する人もいる。

女王蜂を駆除したので2、3日もすればいなくなると退治した榛原笠間の男性が云っていたことを思いだした。



「なむようほうれんげきょー・・・」と法華経を唱えて神社の玉緒の鈴を振って終えた。

「田休み」は田植えを無事に終えたと神さんに報告する行事であるが、住職によって行われるのは珍しい。

妙福寺は神宮寺であった可能性がある。

いつの時代から、そうしてきたのか、村人には伝わっていない。

(H27. 6.14 EOS40D撮影)

榛原笠間桜実神社の杉の実

2016年04月27日 08時39分39秒 | 宇陀市(旧榛原町)へ
大宇陀平尾水分神社社殿にミツバチが住み着いた。

神事を行い難くミツバチは巣ごと除去することになった。

村の人が頼んだ人は隣村の榛原笠間の住民のSさん。

桜実神社の氏子だという。

3月半ばに行われる御田植祭がある。

「トーヤになれば杉の実を集める。何十個と集めて丸くする。酒屋さんが吊るす杉玉のような感じの杉苗は行事に奉る。奉った杉苗はハウスに立てる」と話してくれた。

笠間では苗代作りをすることがない。

ホウレンソウ栽培している男性はハウスに立てているという。

その話しを聞いて平成18年3月16日に訪れた以来、久しぶりに桜実神社に立ち寄った。

本社境内から見下ろした処に朱塗りの鳥居が見える。

平成18年3月16日に撮った写真に三つの房を垂らした注連縄がある。



訪問した日は木曜日だった。

それより数日前に3月11日の土曜日に架けたと云っていた。

できることなら注連縄、御田植祭ともあらためて取材してみたいものだ。

桜実神社は平成25年10月にゾーク(造営)の祭典をしたそうだ。

この日の社殿も美しくなっていた。

神社の社叢を拝見していたら杉の実が見つかった。

杉苗の大きさは聞かなかったのでどれぐらい集めるのか。

数量は判らない。

ちなみに笠間は東、中、西の3垣内。

それぞれに「オスヤ」と呼ぶ神さんを一年間もトーヤ家で祀っているそうだ。

トーヤ決めはコヨリ籤。

マツリのときに引くという。

(H27. 6.14 EOS40D撮影)

サンクシティ榛原店の讃岐うどん寿司セット

2016年04月26日 09時03分36秒 | あれこれテイクアウト
平尾水分神社の田休みは午後と判り昼食を摂る。

この日はカップ麺も弁当も持ってこなかった。

なんとかなるだろうと思ったのだ。

大宇陀は榛原の隣接地。

それほど遠くない処にスーパーがある。

これまで何度か弁当の買い出しをしていたので馴染みがある。

スーパーの名はサンクシティ榛原店。

専門店もあるからそういう名であるがスーパーはオークワだ。

専門店に寿司屋さんもあったが懐具合と一致しない。

美味しそうだが諦めてオークワの弁当売り場を見る。

寿司屋の寿司は無理だがオークワの寿司なら廉価なのだ。

味は当然ながら寿司屋が勝つに決まっているがお腹を満たすのは少々でよかろう。

そう思って選んだのは讃岐うどん寿司セット。

税込価格で429円。

クレジットカードで支払う。

サンクシティ榛原には簡易的に食事ができる場所がある。

四人掛けや二人掛けのテーブルにイスが常備しているありがたい処である。

何組かの夫婦連れやお友達連れが利用していた。

子供連れの団体さんも利用している。

買った讃岐うどん寿司セットはワサビ抜き。

どのオークワ店も同じだ。

商品陳列場にワサビ、甘酢ショウガに醤油の袋パックが置いてある。

ありがたく寿司セットとともにレジを通す。

品物袋はいらないので2円引き。

これもありがたい。

小皿はないので醤油を垂らしてワサビを落とす。

始めに食べるのはサラダ海苔巻だ。

ワサビ醤油を浸けていただく。

フツーに美味しい巻寿司。

タマゴやエビのにぎり寿司も美味しい。

引き立てるのは甘酢ショウガだ。

これがなければ寿司の味にインパクトを感じない。

いなり寿司はしっかり味がついている。

サーモンのにぎり寿司もまぁまぁ。

どちらかと云えば子供向きの味である。

〆は讃岐うどん。

添えつけのめんつゆをたっぷり落とす。

ネギや天かすを混ぜてめんつゆを馴染ませる。

やや大阪うどんのような柔らか目のうどん麺。

讃岐の名はあるがコシはない。

カツオ出汁が利いためんつゆが美味かった。

ひとこというならおろし生姜が欲しかった。

これがあればもっと美味しくなるのだが・・・。

(H27. 6.14 SB932SH撮影)

急変する瀧倉の端午の節句

2016年04月25日 09時14分59秒 | 桜井市へ
この日の昼前に本頭屋施主が家で作った粽を瀧の蔵神社に供えて六人衆が般若心経を三巻唱える。

そう、聞いていた桜井市瀧倉を訪れた。

時間になっても村人は現れない。

どうしたものかと思って前宮司を務めていた一老のI家を訪ねる。

明日から三日間に亘ってアマヨロコビ、毛掛ヨロコビ、虫祈祷をするにはするが服忌の関係で六人衆は4人しか集まれないという。

端午の節句はこの行事の前日に行われるはずだった。

かつて三老を務めていたNさんが亡くなって葬儀をだした。

そのN家は本頭屋施主であるN家。

家で作った粽を神さんに供える役目であった。

服忌であれば行事もチマキも中断せざるを得ない。

権現桜付近に咲いていたササユリ。

すぐ傍にはヤマアジサイも咲いていた。

故人を偲んでいるように思えた。

事情を聞いて二老のO家を訪ねる。

家の畑におられた二老は元気な姿。



奥さんが云うには「えらいことになって死にかけていた」という。

吐血もした病いに大きな手術をした。

体重は7kgも減ったという。

N家は瀧の蔵神社の分霊を一年間守っていた本頭屋。

死去された家で神さんを祀るわけにいかずヤカタごと預かっているという二老さん。

一時的に預かる期間は服忌が明ける百カ日後になるという。

かつては一老家も二老家も粽を作って供えていた。

二老家の話しによれば粽は家に生えているホオノキの葉を使っていたという。

今でもあるはずだと畑の向こう。



竹林の向こう側にあると案内してくださるがそこは藪の中。

ここからは歩くこともできなくなった。

竹を伐採するにもこの身体では無理がある。

村各戸が供えていた粽の葉を求めて二老家を訪ねてきたことがあった。

たしか六老のF家にもあったようだという。

ある家は瀧倉を離れて平坦に下りた。

主を失った家屋にホオノキがあったがすぐに枯れた。

主がいなくなったことを察知したのかどうか判らないが枯れてしまったという。

県内事例で見聞きした粽の餅は茅の葉で包んで、イグサで縛っていた。

奈良市都祁南之庄ではそうだった。

一方、天理市南六条北方や荒蒔ではカシワの葉に包んでいたと聞く。

大和郡山市下三橋ではコモの葉、川西町下永では笹の葉であった。

桜井市瀧倉はホオノキだった。

植生する地域によってチマキの餅を包む葉はそれぞれであることを知った。

身体を壊してからは無理をせずに活きていくことにした二老。



畑に咲いているカキツバタがいいだろという。

これもまた記念の写真。



我が家にもあったミヤコワスレも撮っていた畑にカラスビシャクが出ていた。



いつ植えたのか記憶にないというカラスビシャクは数年前から出始めたようだ。

二老家の畑の際に杉林が林立する。



一本の木に「尾和山」の文字を書いてあった。

誰が見ても判るような大きな文字。

ここは持ち主との境界線。

本家の名を記しているという。

ちなみに同家にはホオノキはあってもホオノハメシのことはご存じでなかった。

若葉を二枚重ねてあつあつご飯にキナコを塗して・・・。

というような話をしたがここら辺りには食べる風習はない。

上之郷辺りすべてではないだろうか。

上之郷より北東部は旧都祁村になる。

そのうちの大字である南之庄では今でもホオノハメシを食べている。

そこからさらに足を伸ばした東山間の茗荷や誓多林でも食べている。

東部の山添村の北野や大塩でもあると聞いている。

植生によって食事の在り方に違いがある。

(H27. 6.13 EOS40D撮影)

亀畑佐紀神社の御膳箱

2016年04月24日 07時50分25秒 | 奈良市へ
隆光大僧正のカラバカを拝見して通りがかった亀畑佐紀神社。

氏子圏は二条町である。

耳を澄ませば境内を箒で掃く音が聞こえた。

おそらく年番さんが清掃をしているのだろうと思って訪れる。

二人の若い男性が小休止していた。

親父さんは年番。

若い男性は息子さん。

親父さんの手伝いに境内を清掃していたという。

そこへ戻ってきた親父さんは年番当役の一人。

年番当役は3人。

6月から9月、10月から1月、2月から5月の期間を分担して月並祭とする神社の清掃にきたと云う。

座小屋の前に置いてあった箱は二つ。

参考までに拝見した箱は「御膳箱」。

神饌を運ぶ用具である。

蓋の裏に墨書で「明治十一年寅(1878)一月日調之 御膳箱 超昇寺村」と書かれてあった。

138年前に調之された御膳箱は今でも現役。

超昇寺村は現在の二条町になる。

亀畑佐紀神社の年中行事は数々ある。

なかでも年に4回はヒトギと呼ぶ神饌を供えている。

ヒトギは生米を砕いて粉にする。

それを水で溶いて形にする。

ヒトギは訛ったようで一般的にいえば「シトギ」。

充てる漢字は「粢」である。

そのシトギはバランの葉に載せて供えるらしい。

亀畑佐紀神社の略歴を参照して書き記しておく。

元禄十三年(1700)の『大和国郷帳』によれば、村高が二十八万石もあった超昇寺村。

寛永十六年(1639)、村を解体し、超昇寺村(現二条町)、山陵村、歌姫村、横領村、門外村、常福寺村、西畑村(古超昇寺村)、山上村(新超昇寺村)の八カ村に村高を分け合ってそれぞれが独立したそうだ。

亀畑の佐紀神社は現二条町の超昇寺村、西畑の佐紀神社は現佐紀西町・西畑の古超昇寺村の鎮守社。

亀畑佐紀神社より分神された西畑佐紀神社の創建は元禄十三年(1700)を想定されている。

なお、超昇寺村は古来より大和郡山藩の所領だった。

明治九年に地租改正。

大和は堺県の管轄になった。

その時代に常福寺村、門外村、山上村(新超昇寺村)、西畑村(古超昇寺村)、超昇寺村が合併されて佐紀村になったとある。

(H27. 6. 7 EOS40D撮影)

佐紀町隆光大僧正のカラバカ

2016年04月23日 09時20分32秒 | 奈良市へ
昨年、お会いした奈良市二条町の歓喜寺住職が教えてくださった隆光大僧正の命日供養。

閉園になった佐紀幼稚園南裏にある「カラバカ」で法要をすると話していた。

聞いていた日時に訪れたがどなたもおられない。

花を飾っていた墓域に塔婆があった。



「平成27年6月4日 護持院大僧正隆光榮春大和尚貮百九拾壹年忌菩提也 顕彰会」とある。

本来なら命日の七日に行われるのだが、法要に参列される僧侶らの都合で今年は早めたと住職は云う。

隆光大僧正は佐紀村の出身。

慶安二年(1649)、超昇寺郷の河邊家に生まれ二男の河邊隆長(のちに隆光)。

元禄元年(1688)に江戸神田橋外に護持院を興した。

五代将軍綱吉・生母の桂昌院尼に帰依のもと東大寺大仏殿を再興した。

享保九年(1724)六月七日にこの地で没した。

昭和53年11月、遺徳を偲んだ有縁者の人たちによって墓域を整備し顕彰碑を建之した。



その年からであろうと思われる命日の日

毎年、供養をされてきたようだ。

(H27. 6. 7 EOS40D撮影)

マルちゃん黒い豚カレー焼そば

2016年04月22日 09時50分16秒 | あれこれインスタント
マルちゃんのマークですぐわかる東洋水産のカップ麺。

焼きそばシリーズに黒い豚カレーがある。

黒い豚カレーうどんはお気に入りの味。

たんまに食べたくなるカレーうどんだ。

麺は66gだが、カレー焼きそばの麺量は90gになる。

最近になって新発売されたのかスーパーで売っていた。

うどんも美味しいのだから焼きそばもと思って買っておいた。

出番はこの日。瀧倉取材で昼間になる。

食事処まで行くには時間がかかる。

そう思ってもってきた。

お湯を注いで3分間待つ。

その間にかーさんが握ってくれたおにぎりをほうばる。

3分待ってお湯を捨てる。

添えつけのカレー粉を振りかける。

香りがふんわりあがって鼻に入った。

胡椒はそれほどでもないからくしゃみはしない。



コクのあるスパイシーソースの液体スープはトロトロのどろりだ。

具材は味付け豚肉に細切れニンジン。

キャベツがない焼きそばは珍しい。

さっそくいただく黒い豚カレー焼そば。

焼きそばでなくて「焼そば」だ。

これは美味い。



うどんも美味いがこれも美味い。

美味いが麺はたよんないと思う。

どちらかといえばツルツル麺だったらなぁと思ってみたりするが、コクでカバーしていると感じた。

黒い豚カレー焼そばには「とろつゆ」版もあるらしい。

お目にかかったら買ってみよう。

細切れの紅ショウガを入れてね。

(H27. 6.13 SB932SH撮影)

マルちゃん昔ながらの油そば

2016年04月22日 09時45分47秒 | あれこれインスタント
およそ20年前に流行ったと思う「油そば」。

「油そば」で思い出すお店はらーめん亀王。

今でも開店しているが・・なぜか家族は食べに行こうとも言わない。

ときおり新聞チラシに割引券が掲載されるので久しぶりに味わいたいと思っていたある日のこと。

イオンだったか思い出せないが東洋水産が発売したマルちゃんの昔ながらの油そばが売っていた。

お湯を注いで4分間。

お湯捨てしてタレを入れる。

ほのかに香る懐かしい味が頭のなかで唸り声をあげる。

2個買ったうちの一つは自宅で食べた。

懐かしいうえに美味しい油そばに感動してから数週間後。

アウトドアの際に持っていこうと思っていた残りの1個はこの日の自然観察会に持ち込んだカップ麺。

お湯捨て型カップは焼きそばと同じだ。

昔ながらの油そばは東京味自慢につやもち麺とある。

亀王の油そばは関東風かどうか知らないが彷彿させる味だ。

タレが絡んだ麺はコシもある。



小さいチャーシューにメンマ、なると、ネギとともにずずっと箸が進む油そば。

勢いがついてあっという間に完食。

満足する味に感動した。

焼きそばと比較する気はないが味は最高峰。

もっぺん特価で出してほしい。

(H27. 6. 7 SB932SH撮影)