思い立って行動した伊賀特有の馬型しめ縄調査。
正月二日に出かけて、訪れる地域の正月風情も伺えれば、と思っている。
お昼は、道中にあった餃子の王将天理インター。
ジャストサイズ餃子の王将ラーメンプラス鶏の唐揚げを食べて、再出発。
行先は三重県の名張。
地区ごとに行われていたイノコモチ行事を取材していた地域はごく一部。
そこの地域に見られるしめ縄は、めがねのカタチらしい。
安部田に住む知人が伝えていた形状であった。
前年の令和3年の12月8日にも出かけていた名張。
大屋戸杉谷神社でお会いした宮司さんから伺った近年の熟柿祭。
生活圏は広く、民俗行事の一部を紹介いただき走った布生(ふのう)地区。
余裕時間をさいて、場所を知った。
その入り口にあたるのか、どうかわからないが大通りを抜けていた。
今日も、その道を走ってきた。
ふと、目に入った大きな鳥居。
正月初詣の様相を見ていこう。
なんとか空いた宮さんの駐車場に留めた。
ここは、名張市の夏見に鎮座する積田(せきた)神社。
「全国春日連合会」の記事によれば「人皇48代称徳天皇の神護景雲元年(767)旧6月21日。鹿島大神(武甕槌命/たけみかづちのみこと)が常陸国鹿島より大和国春日社へ御遷幸の途次、留在された霊蹟で、古書に”伊賀の国名張郡夏見郷御成の宮、或は宇成神社”、とあるのはすなわち・・」夏見に鎮座する積田(せきた)神社は、積田(つむた)の宮とも称されている。
奈良の春日大社につながる一本の道は、到底わからないが、県民として参らずにおれない積田神社。
奥へ、奥へと参道をゆく。
正月二日にしては、参拝者は目立っていないようだ。
由緒によれば、「南都春日大社の奥の宮」とされる積田神社に、ありがたく参拝した。
詣でに向かう参道に、春日の神鹿像が迎えてくれる。
その数多く、この画角範囲内でも5頭の神鹿像がわかる。
さらに、奥へ詰めていくと、相当な高さの笠をかぶる石塔がある。
常夜燈にしては、背丈が異様に高い。
灯すに、梯子がいるような高さに妄想。
彫文字も判読できない石塔はなんだろうか。
それにしてもだ。
ここ夏見の積田神社にしめ縄が見られない。
鳥居にもかかっていないしめ縄。
正月二日であってもしめ縄をかけない神社もあるんだと、知った。
確認しておきたいしめ縄の件の件である。
それを見た12月8日は、大屋戸から布生の民俗調査していたときだ。
トイレも借用したザ・ビッグエクスプレス夏見橋店。
偶然、目に入った特徴あるしめ縄。
まぎれもない足がある馬型しめ縄。
売り場を担当されている店員さんなら、そのしめ縄についてご存じであるかもしれない。
ちょっとしたヒントでも伺えればと、思って声をかけたレジ打ちしていた若い女店員のNさんに、問い合わせた。
結果は、当然ながらの売り切れ。
もし、どのような方が、買われていたのか覚えておられたら、と思って尋ねた結果は、「購入する人が多く、レジ打ちしていたので覚えているのですが、お名前も聞いておりませんし、どこの地区の人なのかもわからない。
質問に答えられなくてごめんなさい、と返してくれたNさん。
おそらくではあるが、今年の年末商戦に、しめ縄をつくっておられた方や買われた方に、今日の問い合わせ話を伝えてくれるのでは、と期待したいものだ。
さて、馬型しめ縄は、ザ・ビッグエクスプレス夏見橋店に再訪する機会があれば、是非ともまた探してみるか。
見本は、手元に残した写真がある。
その馬型しめ縄を旧村集落に求めてみよう。
行先、目的地は手がかりなく、アテもなく流離う走行。
前方、左右に見える範囲内に、これはっと思われるしめ飾りがあるお家を散策調査。
名張市・百々(どど)集落をぐるりと、見て回るがなに一つもなく、であった。
奈良県内においてもそうだが、ここ近年において正月のしめ縄飾りを見てきたが、その数は減っているのでは、と思っている。
昨今は、大手スーパーから中小スーパー売りが目立っている時代。
かつては商店街に売っていた正月用品。
今や、コンビニエンスストアでも見られる民俗用品。
都会の動きは、拝見する機会がないが、激変ではなく、元から年神さんを迎える思考が少なくなっているのが要因であろう。
さて、昨年の令和3年12月8日に伺った名張市・布生(ふのう)地区を目指し、名張川(一ノ瀬川)を遡上する。
布生(ふのう)に百々(どど)、庵、吉原など含めた国津地区を散策する。
百地姓が多いといわれている百々(どど)集落はどうであったか、といえばそもそもしめ縄をかける風習は1軒だけだった。
たまたまお会いできた、鈴鹿ナンバー車の男性親子さんに、聞き取りした馬型しめ縄。
この歳になるまで、まったく見たことがない、と話してくれた。
ただ、その父親が知る限りの話であるが、三重県の鈴鹿地方は、めがね型のしめ縄が多く見られるそうだ。
やや、高地的集落では、と思えた神屋集落は、そもそもしめ縄を飾っていないようだ。
尤も、門扉辺りの周辺散策。見える範囲は限られる。
一軒、一軒を訪ねるには、不審がられる。
ここでも、たまたまお会いできた車体洗車中の男性。
「青蓮寺川を遡った比奈知(ひなち)集落にあるかも・・」と、教えてくれた。
布生集落も、そもそもしめ縄はしないらいようで、国津地区を離れて、ハンドルは比奈知に向けた。
比奈知(ひなち)集落は、街道沿いに並ぶ家並び。
車窓越しに見えたしめ縄は玄関とか・・
一般的なしめ縄をかける門扉や、玄関屋根柱などにめがね型しめ縄をしていたお家が数軒見つかった。
そこから若干離れた家にもあったし、ある農家さんは反り返り型のしめ縄飾りが見つかったが、馬型しめ縄は見つからなかった。
また道歩きの若い母親子にも尋ねた。
その結果は、「馬ではなかったですが、嫁入り先の愛知県のしめ縄は、今まで見たことない形に驚いた」、と話してくれた。
また、大阪から名張へ、そして10年前に比奈知に転居した男性はこれまでしめ縄を飾ったことがない、という。
場を変えて見つかった8の字型に結ったしめ縄。
いわゆるめがね型のしめ縄と呼ばれている形であるが、そうともいえないカタチのしめ縄も見つかった。
しめ縄探訪に全国をくまなく調査された森須磨子氏。
執筆された著書『新年を願う結ぶかたち しめかざり』にも搭載されていないのでは、と思たったしめ縄がある。
また、FB知人のMさんが教えてくれた青森県の事例。
尤も取材、報道されたのは弘前経済新聞社であるが・・・
青森津軽に知られる七ツ八幡宮。
鳥居に飾ったしめ縄の名が”じゃんばらしめ縄」。
いわゆる縄のれんの一例であるが、独特の文様で編まれているようだ。
なお、”じゃんばら”は”邪祓い(じゃばらい)”が語源だという。
芸術性のあるのれん縄もいいが、牛の角のようにも見える装飾的しめ縄を調える滋賀県犬上郡多賀町川相赤渕神社の事例も侮れない。
是非とも実物を拝見したい希少なしめ縄事例Gネットに見つかった。
さらにネットをぐぐっていけば、なんと写真家Kさんも取材、京都新聞にも紹介していたとは・・・
(R4. 1. 2 SB805SH/EOS7D 撮影)
正月二日に出かけて、訪れる地域の正月風情も伺えれば、と思っている。
お昼は、道中にあった餃子の王将天理インター。
ジャストサイズ餃子の王将ラーメンプラス鶏の唐揚げを食べて、再出発。
行先は三重県の名張。
地区ごとに行われていたイノコモチ行事を取材していた地域はごく一部。
そこの地域に見られるしめ縄は、めがねのカタチらしい。
安部田に住む知人が伝えていた形状であった。
前年の令和3年の12月8日にも出かけていた名張。
大屋戸杉谷神社でお会いした宮司さんから伺った近年の熟柿祭。
生活圏は広く、民俗行事の一部を紹介いただき走った布生(ふのう)地区。
余裕時間をさいて、場所を知った。
その入り口にあたるのか、どうかわからないが大通りを抜けていた。
今日も、その道を走ってきた。
ふと、目に入った大きな鳥居。
正月初詣の様相を見ていこう。
なんとか空いた宮さんの駐車場に留めた。
ここは、名張市の夏見に鎮座する積田(せきた)神社。
「全国春日連合会」の記事によれば「人皇48代称徳天皇の神護景雲元年(767)旧6月21日。鹿島大神(武甕槌命/たけみかづちのみこと)が常陸国鹿島より大和国春日社へ御遷幸の途次、留在された霊蹟で、古書に”伊賀の国名張郡夏見郷御成の宮、或は宇成神社”、とあるのはすなわち・・」夏見に鎮座する積田(せきた)神社は、積田(つむた)の宮とも称されている。
奈良の春日大社につながる一本の道は、到底わからないが、県民として参らずにおれない積田神社。
奥へ、奥へと参道をゆく。
正月二日にしては、参拝者は目立っていないようだ。
由緒によれば、「南都春日大社の奥の宮」とされる積田神社に、ありがたく参拝した。
詣でに向かう参道に、春日の神鹿像が迎えてくれる。
その数多く、この画角範囲内でも5頭の神鹿像がわかる。
さらに、奥へ詰めていくと、相当な高さの笠をかぶる石塔がある。
常夜燈にしては、背丈が異様に高い。
灯すに、梯子がいるような高さに妄想。
彫文字も判読できない石塔はなんだろうか。
それにしてもだ。
ここ夏見の積田神社にしめ縄が見られない。
鳥居にもかかっていないしめ縄。
正月二日であってもしめ縄をかけない神社もあるんだと、知った。
確認しておきたいしめ縄の件の件である。
それを見た12月8日は、大屋戸から布生の民俗調査していたときだ。
トイレも借用したザ・ビッグエクスプレス夏見橋店。
偶然、目に入った特徴あるしめ縄。
まぎれもない足がある馬型しめ縄。
売り場を担当されている店員さんなら、そのしめ縄についてご存じであるかもしれない。
ちょっとしたヒントでも伺えればと、思って声をかけたレジ打ちしていた若い女店員のNさんに、問い合わせた。
結果は、当然ながらの売り切れ。
もし、どのような方が、買われていたのか覚えておられたら、と思って尋ねた結果は、「購入する人が多く、レジ打ちしていたので覚えているのですが、お名前も聞いておりませんし、どこの地区の人なのかもわからない。
質問に答えられなくてごめんなさい、と返してくれたNさん。
おそらくではあるが、今年の年末商戦に、しめ縄をつくっておられた方や買われた方に、今日の問い合わせ話を伝えてくれるのでは、と期待したいものだ。
さて、馬型しめ縄は、ザ・ビッグエクスプレス夏見橋店に再訪する機会があれば、是非ともまた探してみるか。
見本は、手元に残した写真がある。
その馬型しめ縄を旧村集落に求めてみよう。
行先、目的地は手がかりなく、アテもなく流離う走行。
前方、左右に見える範囲内に、これはっと思われるしめ飾りがあるお家を散策調査。
名張市・百々(どど)集落をぐるりと、見て回るがなに一つもなく、であった。
奈良県内においてもそうだが、ここ近年において正月のしめ縄飾りを見てきたが、その数は減っているのでは、と思っている。
昨今は、大手スーパーから中小スーパー売りが目立っている時代。
かつては商店街に売っていた正月用品。
今や、コンビニエンスストアでも見られる民俗用品。
都会の動きは、拝見する機会がないが、激変ではなく、元から年神さんを迎える思考が少なくなっているのが要因であろう。
さて、昨年の令和3年12月8日に伺った名張市・布生(ふのう)地区を目指し、名張川(一ノ瀬川)を遡上する。
布生(ふのう)に百々(どど)、庵、吉原など含めた国津地区を散策する。
百地姓が多いといわれている百々(どど)集落はどうであったか、といえばそもそもしめ縄をかける風習は1軒だけだった。
たまたまお会いできた、鈴鹿ナンバー車の男性親子さんに、聞き取りした馬型しめ縄。
この歳になるまで、まったく見たことがない、と話してくれた。
ただ、その父親が知る限りの話であるが、三重県の鈴鹿地方は、めがね型のしめ縄が多く見られるそうだ。
やや、高地的集落では、と思えた神屋集落は、そもそもしめ縄を飾っていないようだ。
尤も、門扉辺りの周辺散策。見える範囲は限られる。
一軒、一軒を訪ねるには、不審がられる。
ここでも、たまたまお会いできた車体洗車中の男性。
「青蓮寺川を遡った比奈知(ひなち)集落にあるかも・・」と、教えてくれた。
布生集落も、そもそもしめ縄はしないらいようで、国津地区を離れて、ハンドルは比奈知に向けた。
比奈知(ひなち)集落は、街道沿いに並ぶ家並び。
車窓越しに見えたしめ縄は玄関とか・・
一般的なしめ縄をかける門扉や、玄関屋根柱などにめがね型しめ縄をしていたお家が数軒見つかった。
そこから若干離れた家にもあったし、ある農家さんは反り返り型のしめ縄飾りが見つかったが、馬型しめ縄は見つからなかった。
また道歩きの若い母親子にも尋ねた。
その結果は、「馬ではなかったですが、嫁入り先の愛知県のしめ縄は、今まで見たことない形に驚いた」、と話してくれた。
また、大阪から名張へ、そして10年前に比奈知に転居した男性はこれまでしめ縄を飾ったことがない、という。
場を変えて見つかった8の字型に結ったしめ縄。
いわゆるめがね型のしめ縄と呼ばれている形であるが、そうともいえないカタチのしめ縄も見つかった。
しめ縄探訪に全国をくまなく調査された森須磨子氏。
執筆された著書『新年を願う結ぶかたち しめかざり』にも搭載されていないのでは、と思たったしめ縄がある。
また、FB知人のMさんが教えてくれた青森県の事例。
尤も取材、報道されたのは弘前経済新聞社であるが・・・
青森津軽に知られる七ツ八幡宮。
鳥居に飾ったしめ縄の名が”じゃんばらしめ縄」。
いわゆる縄のれんの一例であるが、独特の文様で編まれているようだ。
なお、”じゃんばら”は”邪祓い(じゃばらい)”が語源だという。
芸術性のあるのれん縄もいいが、牛の角のようにも見える装飾的しめ縄を調える滋賀県犬上郡多賀町川相赤渕神社の事例も侮れない。
是非とも実物を拝見したい希少なしめ縄事例Gネットに見つかった。
さらにネットをぐぐっていけば、なんと写真家Kさんも取材、京都新聞にも紹介していたとは・・・
(R4. 1. 2 SB805SH/EOS7D 撮影)