都祁針の稚児頭家の家では朝な夕なに春日神社のワケミタマ(分霊)を一年間祀っていた。
つつがなく分霊を毎日拝んで守ってきた神さんはお渡りをする一週間ほど前に軒先へと移る。
ヤカタとも呼ばれるその社はオカリヤ(お仮屋)の中に遷される。
オカリヤはヒバ(桧葉)で覆っている。
屋根を桧葉で葺いた建物のような形だ。
その前の祭壇にはお神酒や塩、米、頭付きの魚、野菜、果物を供えて宮司を待つ。
稚児頭家は2軒。
かつて子供が多くいた時代は4軒だった。
春日神社の宮司が小学生だったころはそうだったというから50年ほども前のことだ。
子供が少なくなって現在は2軒。
それぞれの家に宮司が向って榊立の神事が執り行われる。
1軒の頭家では風で倒れては申しわけないとススンボ竹で補強している。
お頭があれば魚は何でもいいのだがさすがにメザシというわけにはいかずタイと思っていたが売っていなかった。
それならばツバスにしたという1軒の稚児頭家。
そうこうしていると宮司が来られた。
いつもと同じように玉串を奉するのですと優しく稚児に伝える宮司。
毎日の拝礼に毎月次祭での神社で参拝していた稚児は行儀よく手を床に揃えて頭を下げる。
一年間の経験は大人も顔負けだと話す宮司。
稚児頭家の神事と言えば家人たちがオカリヤの前に並んで玉串奉奠のように榊を稚児が捧げることにある。
それをオカリヤ内にあるヤカタの前に入れる。
それだけの作法なのだが、これが何を意味しているのか未だに判らない。
推測するには榊、つまり家で祀っていた神さんを一旦、家の軒先の外に出すために霊力がある真榊(マサカキ)を使うのではないだろうかと話す。
さて、そのヤカタと言えばお渡りを終えた翌日の後宴祭の際にワケミタマを遷して次の稚児頭家に引き継がれ床の間などに置かれるのである。
こうして一年間を祀っていくのである。
その順といえば生まれた年齢順。
男の子が4人もいる家ではその度にオカリヤを作られている。
もう1軒の稚児頭家では雨が降ったら神さんに申しわけないと木で社を作られた。
軒下であるだけに雨が降ればヤカタも濡れる。
昨年の榊立ではそうだった。
そういうことから立派な社を作られた。
ここでの榊立が行われたあと、主役の稚児頭家たちは春日神社へ参ってウケミタマをオカリヤに遷したことを報告された。
(H23.10. 8 EOS40D撮影)
つつがなく分霊を毎日拝んで守ってきた神さんはお渡りをする一週間ほど前に軒先へと移る。
ヤカタとも呼ばれるその社はオカリヤ(お仮屋)の中に遷される。
オカリヤはヒバ(桧葉)で覆っている。
屋根を桧葉で葺いた建物のような形だ。
その前の祭壇にはお神酒や塩、米、頭付きの魚、野菜、果物を供えて宮司を待つ。
稚児頭家は2軒。
かつて子供が多くいた時代は4軒だった。
春日神社の宮司が小学生だったころはそうだったというから50年ほども前のことだ。
子供が少なくなって現在は2軒。
それぞれの家に宮司が向って榊立の神事が執り行われる。
1軒の頭家では風で倒れては申しわけないとススンボ竹で補強している。
お頭があれば魚は何でもいいのだがさすがにメザシというわけにはいかずタイと思っていたが売っていなかった。
それならばツバスにしたという1軒の稚児頭家。
そうこうしていると宮司が来られた。
いつもと同じように玉串を奉するのですと優しく稚児に伝える宮司。
毎日の拝礼に毎月次祭での神社で参拝していた稚児は行儀よく手を床に揃えて頭を下げる。
一年間の経験は大人も顔負けだと話す宮司。
稚児頭家の神事と言えば家人たちがオカリヤの前に並んで玉串奉奠のように榊を稚児が捧げることにある。
それをオカリヤ内にあるヤカタの前に入れる。
それだけの作法なのだが、これが何を意味しているのか未だに判らない。
推測するには榊、つまり家で祀っていた神さんを一旦、家の軒先の外に出すために霊力がある真榊(マサカキ)を使うのではないだろうかと話す。
さて、そのヤカタと言えばお渡りを終えた翌日の後宴祭の際にワケミタマを遷して次の稚児頭家に引き継がれ床の間などに置かれるのである。
こうして一年間を祀っていくのである。
その順といえば生まれた年齢順。
男の子が4人もいる家ではその度にオカリヤを作られている。
もう1軒の稚児頭家では雨が降ったら神さんに申しわけないと木で社を作られた。
軒下であるだけに雨が降ればヤカタも濡れる。
昨年の榊立ではそうだった。
そういうことから立派な社を作られた。
ここでの榊立が行われたあと、主役の稚児頭家たちは春日神社へ参ってウケミタマをオカリヤに遷したことを報告された。
(H23.10. 8 EOS40D撮影)