マネジャーの休日余暇(ブログ版)

奈良の伝統行事や民俗、風習を採訪し紹介してます。
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再訪、榛原栗谷に春日神社探訪

2019年08月31日 07時41分10秒 | 宇陀市(旧榛原町)へ
2月に行われた涅槃会

宇陀市榛原栗谷にある日蓮宗大念寺だった。

行事があることは隣村の石田の人たちに聞いていた。

調べてみたらメディアネット宇陀に栗谷の涅槃会が紹介されていた。

そのことが頭の中に残っていて2月に訪れた。

その取材中に耳にした花まつり。

違っているかもしれないが、気になれば出かけてみたくなるのが性である。

再訪した大念寺は満開だった桜の花が境内一面に広がっていた。

本堂の扉が閉まっている。

時間帯が違ったのか、本日ではないのか。

ネットをくってみてもまったくヒットしない大念寺。

村の人に聞くしかないと思って付近を探してみる。

ぐるりと周囲を廻った地に鳥居が見える。

小高い丘のようなところに鎮座していたのは春日神社だった。

階段を登っていけば社殿があった。

あるブログで紹介していたので参考にするが、その内容は榛原町教育委員会が掲示した神社由緒解説にある。



春日神社は東から若宮(大将軍・大山祇神)に武甕槌命(たけみかずちのみこと)・経津主命(ふつのしのみこと)・天児屋根命(あめのこやねのみこと)・比売大神(ひめのおおみかみ)の四神を祀った四連棟型社殿形式である。

この形式は全国的にも、宇陀市というか、奈良県内においても極めて珍しい建造物である。

もう一つの棟札の写しによれば、元文二年(1737)に現在の形式で建之されたと伝わる。

もう一つの棟札写しより、元徳元年(1329)12月。

当時、土地の名主だったとする願主実盛が春日四神を祀って創建したようだ。



「栗谷守 享保壬子(享保十七年/1732)天 春日大明神 十一月吉日」の刻印が見られた春日神社の手水鉢。

元文二年の棟札の写しよりも5年前の記し。

再建かどうか断定できないが、祈念に寄進された可能性もある。

神社より下った処にあった出荷場に数人の女性たちがおられた。

涅槃会におられた人も居るし、当日は不参加だった人もいる。



涅槃会取材に撮らせてもらった十数枚の記録写真をもってお礼とする。

その場には区長の奥さんもおられたので話は通じやすいが、結局は村に花まつり行事はなかった。

代わりといえばなんだが、春日神社の年中行事を教えてもらう。

正月朔日の元日祭は鏡餅を供えるが、3月3日の節句は一般的な神饌になる。

田植え奉告祭もあるようだが、なんといっても秋のマツリである。

以前は10月20日がマツリだった。

特定日であれば、集まりにくくなった時代があった。

氏子の職がサラリーマン化していくにつれて平日開催がしにくくなった。

そういう理由で土曜、日曜、祝日に移行した地域は数多い。

秋のマツリは最たるものである。

栗谷もそうせざるを得なかった。

年中行事を一年間に亘って務める人がいる。

その人の役名はミヤド、である。

ミヤドを充てる漢字は何であるのか聞きそびれたが、毎月の1日、15日は神社境内を清掃しているというから、おそらく宮守の役であろう。

ただ、現在は1日、15日に縛られることなく、相前後する日でも構わないようだ。

その秋のマツリの本祭は特別なものはなく、ヨミヤに見られるという。

神饌御供は鏡餅もあるが、その他に栗、枝豆がある。

特徴があるのは大根である。

その大根は言いようのない細工をしているという。

具体的な形は想像できなかったので、実物を見てみる価値がありそうな特殊神饌であろう。

夕方(午後5時)に神事がある。

その後は直会。

神事が始まってから3時間後(午後8時)にモチマキがあるという。

(H30. 4. 8 EOS7D撮影)

榛原栗谷・大念寺の涅槃会

2019年08月30日 09時35分42秒 | 宇陀市(旧榛原町)へ
宇陀市榛原の栗谷(くりだに)を訪れるのは初めてだ。

ここ栗谷に涅槃会をしていると聞いたのは平成27年の2月11日に取材で訪れた栗谷からすぐ近くになる石田に住むMさんら講員と、県教委時代から存じているUさんの教えである。

話によれば、隣村の栗谷・大念寺に伝わる涅槃図があるという。

寛政八年(1797)作の涅槃図は平成17年に修復されたものの榛原町指定から宇陀市の有形文化財に指定に移ったようだ。

石田に残る涅槃図は宝暦九年(1759)に修復されているものの、栗谷より39年以上も前の作品。

修復記銘の年代が宝暦であれば製作した時代ももっと古いことになるが、指定はされていない。

その日に聞いた栗谷・大念寺の涅槃会は石田と同じ日程の2月11日。

時間帯はすでに終わっているらしく村の代表にお会いできなかった。

翌年の平成28年は病み上がりもあるが、心不全の関係から主治医から車の運転は許されなかった。

次の年の平成29年は通院日と重なりお預け状態。

この日になってようやく栗谷に行けるようになった。

栗谷につく前に見ておきたい石田の涅槃会。

公民館におられたMさんに尋ねた石田の涅槃会は、昨年の平成29年を最後に村行事としては幕を閉じたという。

村行事は中断することになったが、元々の3軒で営む涅槃講だけが当番家に集まった昨日に済ませたと、という。

涅槃講の営みにアマチャと呼ぶ花まつりをしているが、まさかの中断に愕然としたものだ。

前置きはここまで。

さて、栗谷大念寺の涅槃会である。

カーナビゲーションにセットした榛原栗谷。

番地は不明であるため主たる地にたどり着く。

ここはどこであるのかさっぱりわからぬ迷い道。

集落道を外した地に駐車していた数台の車。

数台の軽トラがあるからそこに違いない。

向かった先にお堂が建っていた。

駐車場といっても野地であった。

停めた広地に多数の桜木が植樹されていた。

春ともなれば、村の人たちが集まって花見をされそうな雰囲気のある広地である。

本堂におられた区長さんに取材主旨を伝えて許諾してくださった大念寺涅槃会。

峯奉(みねほ)、中(なか)、三角(みすみ)の3垣内からなる栗谷集落は43戸。

峯奉にはかつて薬師さんと呼んでいた寺があった。

その寺に安置していた本尊。

元は峯奉の不動寺の仏像だったようだ。

大念寺は今より下になる三角にあったそうだが古くなり壊れそうになっていた。

国営パイロット事業のおかげもあって、平成7年より始まった建て替えを経て翌年の8年9月に落慶法要を迎えた大念寺である。

大念寺の檀家は日蓮宗。

昔から真ん中に安置していたから、現在もなお中央に配した。

また、パイロット事業のあおりを受けて仏像をお宮さんの押し入れに納めていたら、後に村の人が怪我をした、という話もある。

涅槃会は前日からの作業がある。

3垣内43戸を、8軒ずつの5組にわけた廻り当番組がその年の行事を担う。

5年に一度の廻りであるが、組によっては仕掛かりに差異がみられた。

この年の御供は前日に多く搗いた餅である。

9枚のコウジブタに盛った白餅。

実は、御供は昨年まで団子だった、という。

今年から白餅に換えたが、団子。

団子であるなら米を挽いて作る米粉。

水か湯で練って作る団子である。

隣村の石田は団子だった。

平成29年に立ち寄った際に拝見した御供下げの餅は団子だった。

その団子を石田の人たちはネハンダンゴと呼んでいた。

ここ栗谷も同様のネハンダンゴであったのが、白餅に移った。

しかも、餅つきをしていたわけでなく、餅屋に作ってもらったコモチになった。

団子作りは作業が面倒。

餅つきもやめて餅屋の餅に移った。

そのこともあって今年は団子で作っていたヒトガタ(人形)や唯我独尊姿のお釈迦さん、その年の十二支を象って作る団子は中断した。

この年にあたった廻り当番の意向であるとトーヤのIさん、他当番組員が話す。

ネハンダンゴはともかく、特別にこしらえた感のあるヒトガタに十二支の形が気になる。

気になっても、実物を見ることはもうできない。

村にとっても、民俗にとっても貴重なあり方が、ここ栗谷からまた一つ消えた。

その形はどのようなものだったのだろうか。

実は動画で見ることができる。

今ではもう見ることのできない貴重な形つくりのネハンダンゴ映像は、宇陀チャンの愛称で呼ばれているメディアネット宇陀が平成25年2月に取材し、編集を経てネット公開している。

前日にモチゴメで作るネハンダンゴは棒状にしてから細棒で切断し、手で丸めるダンゴ。

大多数が丸い形のネハンダンゴであるが、数個が、ヒトガタであり、十二支ダンゴである。

平成25年の十二支は“巳”年。

流れる映像にとぐろ巻きの巳さんや絡みつきにぐるぐる巻いた形もあれば、まさにヒトガタに見えるコミック的要素のある形に仏像を模したような形もある。

訪れた今年は見ることのできない貴重な映像をディアネット宇陀が残してくれた。

ありがたいことである。

奈良県内のさまざまな行事を取材してきたが、このような形態は初見である。

とても珍しいネハンダンゴ。

区長さん他、役員の方々にお伝えした願い。

できることなら復活されんと、期待を込めて待つしかない。



本堂正面に設えた壇に数々の座像、立像などの仏像を並べ、安置している。

中央に配した座像は日蓮宗のご本尊であろう。

彩色の違いもあるが、頭に紅白仕立ての綿帽子を被った日蓮聖人のお姿である。

その下に御供のコモチ。



コウジブタに盛ったコモチがいっぱいある。

本日は涅槃会。

有形文化財にしてされている涅槃図は、そこへ掲げるのではなく、右隣の壁面に、である。



天井、ぎりいっぱいの位置か下げた涅槃図。

榛原大念寺護持会が所有する涅槃図の大きさに圧倒される。

下に御供台を設えて花を立てる。



御供は餅に蜜柑の山。

神饌ものと中央に配した大御膳。

ローソクを灯して線香をくゆらす。

次々にやってくる村の人たち。

めいめいが手を合わせて席に就く。

当番の人たちも席について始まった涅槃会。

涅槃会や栗谷の涅槃図ついての説明は区長。

それから始まる涅槃会の読経は般若心経。



組当番の人が導師を務める心経は、木魚や拍子木で調子をとることもなく詠みあげる。

導師が発声する調子に合わせてプリントした般若心経を詠みあげる村の人たち。

この年は34人も集まり、ぎっしり埋まった本堂に響き渡った。

1巻の心経を終えたらゴクマキ。

餅の個数は半端じゃないほどにある。



大量に撒かれる餅に広がった歓喜の声。

老若男女、それぞれがありがたい御供を授かったら、解散。

手に入れた餅は袋などにごっそり。



笑顔で戻っていく。

会式を終えてから、じっくり拝見していた当番の女性たち。



一人、一人の表情の違う僧侶や動物、昆虫など、熱心に見ていた。

その涅槃図の裏面の墨書文字の記銘文がある。



「奉 開眼涅槃像 京都大光山本圀寺 祖卄六代貫首 了義院日達聖人在(渕)」、「来再興涅槃像副巻 和刕宇陀郡栗谷村住 寛政八丙辰歳 如意宝珠日 発起本願人生駒氏 其外志所施主 同行中面々 現當二世安楽」、「湖東敞人玉挐齊常辰謹書」、「本善山大念寺常什物」とある。

宇陀市・指定文化財リストによれば「本圀寺(ほんこくじ)26代貫主の日達によって開眼供養されたことがわかる。日達は、延享四年(1747)に没しているから、製作年代の下限がわかり、本図を江戸時代中期、18世紀前半の作と見ることは画風からも矛盾しない」とある。

若い当番女性。



ニノ膳とも呼んでいた大御膳の盛り付けも見ていた。

次に廻ってくる当番は5年後。

参考にしてきたい解散後の本堂で落ち着いてみることができる。

特に御膳は年長者の婦人が煮炊きした五品の調理御膳。



中央の椀に盛ったお豆さんは黒豆。

美味しそうに炊けた赤飯の椀。

右下は人参、子芋、椎茸、蒟蒻の煮しめ。

左下の椀は、蒟蒻や青菜に人参を混ぜて作った白和え。

その上の椀は汁椀。豆腐汁のおつゆです、と、担当した高齢の婦人が説明してくださったが、味付けはたぶんに家の味だろう。

もう一つの膳は神饌もの。

大根、人参、牛蒡、干し椎茸に高野豆腐を盛っていた。

(H30. 2.11 EOS40D撮影)

和民食事券の有効利用は坐・和民奈良三条通り店の一品4種持ち帰り

2019年08月29日 09時32分23秒 | あれこれテイクアウト
昨年の平成29年10月27日に届いた食事券は2枚。

一枚が千円分の食事券だから合わせて2千円も利用できる。

届け元はお酒販売の㈱やまや。

毎月の発泡酒にチューハイ、日本酒のオンパレード買い。

とは云ってもワイン系は一切買わない。

口に合わないので買うことはない。

奈良県内に数々あるやまや店舗。

我が家に一番近い大和郡山店がお得意さん。

店舗ができたときに契約したやまやカード。

毎月の20日はやまやデーと称して3%引き。

私の酒消費は1カ月間に一度で充分な量。

開業したときから併設する百均ショップのダイソーの品々も同時買い。

購買は両店舗合わせてポイントが付く。

いくら買っても今までは貯めたポイントは千ポイントに見たらず、流してばかり。

到達ポイント数にいつも満たないから、一年で流れてしまう。

ところが昨年の9月だったか、最小のポイント商品替えに相当した。

なんでそうなるのかさっぱりわからない。

毎月の購買金額はほぼ同じ。

年トータルしてもほぼ同額なのに、なぜ達成できたのか。

システム変更があったのか。

そのことでぎりぎり落ちていたポイント難民が救われたのか・・。

なんてことを考えてしまうが、貰えるものがあれば、なんでも嬉しいものだ。

ポイント交換に選ぶものは少ないが、そこにわったワタミの食事券。

これなら家計簿も助かるし、ワタミ独自の食事も愉しめる。

そう、思って指定したワタミの食事券。

利用できるのは夜しかないとわかって愕然とする。

かーさんが楽しみにした食事券利用は昼のランチである。

ところがおっとどっこいワタミが利用できる奈良店が限られている。

大阪であればあっちこちにありそうだが、探してみれば奈良の「坐・和民」奈良三条店しかない。

三条通りは、新大宮とも夜が華やかな街。

JR奈良駅前の信号を渡ってすぐ近くえあるが、午後5時が開店。

翌日の午前2時まで利用できる店。

若いころであれば、丁度いいと思うが、67歳になった現在では夜がしんどい。

家で飲んで食べている方が心地いい。

そう思ったのは50歳になったころだ。

サラリーマンのころは飲んで、飲んで、食べて、食べての毎夜。

深夜帰りに翌朝は跳び起きて出かけていたが・・・。

夜しかしか利用できないお店に乗り気が失せたかーさん。

食事券の有効期限が徐々に迫ってくる。

3月になってプッシュをしてみたが、素通り。

4月になれば焦ってきた有効期限は4月末日まで。

残された日数は指折り数えられるまで近づいた。

ネットで調べてみれば和民に一品料理がいっぱいある。

こんなのもあるでとかーさんにいえば、持ち帰りはできないの・・・。

なるほど、そういう手があったか。

持ち帰りの商品は限られているが、回転寿司がある。

他にもあるが、思い出すのは大和小泉にあるわらじ屋である。

居酒屋料理が美味いわらじ屋は別途注文で持ち帰りが可能である。

自宅でゆったりいただけるが、店の雰囲気は味わえない。

家族にとってもそんな雰囲気は不要。

我が家で団欒を囲めたらいいのである。

配達ピザなんてもんは最適だろ。

ネットであたってみたワタミの和民。

持ち帰り利用があるようなことが、どこのどなたかが発信していた情報は本物か。

17日の夜に直接電話をして確かめた和民。

返答は持ち帰り可能な商品になりますが・・、である。

その取扱いはワタミの食事券でも通用するのか。

それも確かめたらOKである。

そうとわかれば持ち帰り商品の選択だ。

ネット情報を基に選び出す商品。

数週間前に見ていた濃厚ソース焼きそばは・・次回廻しとしよう。

そして選び出す和民の逸品料理。

造りなど生ものは不可と聞いていたので、協議の結果、旨チキ、焼き鳥5本盛り(ねぎま・砂肝・鶏皮・ハツ・ぼんじり)&特製鶏つくね盛り、まんぷく大阪キャベちー焼き(卵入り)、出汁巻きめんたいチーズに決った。

うづらのニンニクたまり漬けも食べてみたいが、次回廻しとしよう。

それにしてもだ。

和民のネット公開情報はあるが、逸品価格がまったくわからない。

甘味逸品はすべての価格は表示しているが、肝心かなめの酒の肴は、まったくない。

なんとかならんのかぁーい。

こうして注文前にワイワイしている時間が愉しかった。

味がまだわからないメニューにこれほど盛り上がるとは思わなんだ。

メニューを選んで心待ちにしていた21日。

まず、探すのはお店の近くにある駐車場である。

土曜夕方の開店時間は午後4時。

そんな早くに頼んで持ち帰っても冷めてしまうだけだ。

普段の開店時間の午後5時に合わせて家を出る。

わくわくする車異動。

駐車場はJR奈良駅前。

国道の向こう側に数か所あるうちの1番近い駐車場に停めた。



そこから3分もかからない所にあるお店が坐・和民奈良三条通り店。

階段を登ったレジ場に男性店員がおられた。

願いを伝えたら、すぐに受け入れてくれる。

注文はメモしていたので迷うことはなかったが、焼き鳥5本盛り&特製鶏つくね盛りはタレで食べるのか、それともお塩でいただくのか、選択を迫る。

そのセットに串一本がタレ、もう一本は塩、という具合にはできない。

セットすべてがタレか塩を決めなくちゃならない。

も一品頼むには多すぎる。

そこで協議した結果はタレ味の選択である。

ただ、鶏つくねに本来は卵黄が付いているのだが、持ち帰りは不可。

それでよろしいでしょうか、と云われたら、なし、しかない。

出来上がるまでまあまあの時間がかかる。



調理時間がかかるのはお客が多いか、手間がかかるか、であろう。

できあがりました、と袋に入れた4品は決して斜めにすることならず。

スープのような液体はないが、斜めにすれば厳重に包んだパックから毀れてしまうので、お気をつけてくださいと・・・。

2千円の食事券では足りない。

オーバーフローした分はクレジットカード支払い。

ほとんどが消費税の559円を支払ったら、次回から利用できる当店だけの優待サービスプレミアムカードの特典を説明してくださる。

利用できる曜日は祝日前日除く日曜日から木曜日までの限定期間。

サービスの一つは飲食代金が10%割引。

但し書きに他のクーポン券やサービス券の併用不可。

もう一つの特典は料理代金の20%割引。

但し、宴会コースや前菜、ドリンクは対象外で他のクーポン券やサービス券の併用不可。

面白いことに有効期限は“うりう店長の間”まで。

店長が替われば、その特典は、ないということだ。

こんな面白い有効期限が気にいった。

帰宅したから拝見したこのときのレシートに担当者が“店長”になっていた。

どおりで対応が素早いはずだ。

本日注文した持ち帰り料理は単品。

条件があてはまるから対象となる。

今回と同じ料理であれば2060円ぐらいになりそう。

再訪するか、しないかは、家で食べてから判断するが・・・。

持ち帰っても、まだ温もりがある。

別に電子レンジでチンする必要もなかろうと思って厳重に包まれた状態を解く。

持ち帰る車内に溢れる美味しい香り。

どの料理が主張しているのだろうか。

私の嗅覚は焼き鳥のタレ。

キャベツ焼きの香り豊かなソース味。

それだと云えば、かーさんは明太子だという。

なんでやねん、と云いたいところだが・・。

我が家の食卓に並べた4品の料理。



ついでといっちゃなんだが、貰ったタケノコを煮たものも並べる。

中央手前はだし巻き。

その上にどっさり垂らした赤いもの。

それは明太子マヨネーズソース。

確かに特別な香りを主張している。

箸で一刀両断。

と、いっても幅2cmぐらいが適量な一人前。

端っこであればだし巻きの味がするだろうと思っていたが、明太子に押され気味。

本来の味は、また別の機会があれば愉しみたい。

右手前はでっかい上にとっても分厚いキャベツ焼。

正式名称はまんぷく大阪キャベちー焼き。

本来、お店であれば、マヨネーズの波線があるのだが、持ち帰り包装によって綺麗な線は消えてソースが一面に広がっていた。

これもとにかく分厚いキャベツ焼き。

箸でちょいちょいと切断して一切れ。

おてしょの中皿に盛っていただく。

絡めたソースは好み味。

甘くもなく、辛くもない。

ただ、分厚いだけでキャベツの量は少ない。

サクサク、シャキシャキ感を味わいたかったが、これは中身的にチーズ味。

それも要らない、キャベツどっさり焼きを新作していただければありがたい。

右上の料理は旨チキ。

要はとても旨いチキン揚げというのだろう。

これにはラップに盛ったマヨネースが添えてある。

まずは、揚げチキンそのものの味をよばれる。

バリバリ・・・サク。

中身はジューシーでもないカラカラ揚げチキン。

スパイスが利いたいわゆる鶏の唐揚げであろう。

チキンの名を付けたのはなんでだろうー♪♪。

不味くはないが、物足りない。

そこで添えつけのマヨネーズたっぷり付けて食べてみる。

なんと、これが味の一大変化。

まったく違う代物になる。

唐揚げを越えたようにも思える旨さに驚く始末。

かーさんも同じように感じていた旨チキ。

マヨネーズなければ、ただの揚げチキン。

その変化具合が楽しめる一品であるが、どことなくマヨネーズの味が、今まで味わったことのない旨さをもっているのでは・・と思った。

一般家庭で使用しているマヨネーズは大手の会社が製造しているもの。

それとはまったく違う味に感動する。

これって、もしかしたら、坐・和民特製マヨネーズかも・・。

左横の皿盛りは品数多い焼き鳥盛&つくね盛。

左手に置いた鶏の串焼きは、上からぼんじり、ねぎま、鶏皮、ハツ。下に隠れている串は砂肝。

いち早くかーさんが口にしたので皿から消えた。

串のない鶏肉三つは特製鶏つくねである。

砂肝はゴク普通のあじだったという。

ハツは1個を串から外して食べたけど、そんなに・・という味。

ネタを替えたねぎまはペロペロペロリと消えた。

これこそ焼き鳥の味だと云ってパクパク食べていたかーさんであるが、特製鶏つくねも・・・不満。

1個でこれもまた箸が止まった。

味はコッテリタレ系で美味しい。

カツ、コツと歯ごたえのある食感。

細かく砕いた軟骨入りのつくねはジューシーさを求めていたらしく、ここで停止。

一方、私は残り物の串を食べる。

まずは、ぼんじり。

これが美味いんだなぁ。

脂がのっているし、噛めばじゅわぁ。

ぼんじり特有の骨の処理をしているから食べやすい。

タレも旨いからぺろぺろっとなくなる。

そんなに美味しいのなら、と箸が・・。

食べて、その通りと満足したが、脂はどうも、といって1個で止まった。

次いで鶏皮。

これがまた美味すぎる。

噛み応えはジュル。

その食感がたまらない。

ジュワジュワ・・・。

そして最後に食べる鶏つくね。

コリコリ感がえー刺激。

味は濃い。

つくねそのものが濃い品種ではなかろうか。

今度、注文するときは塩タレで食べてみよう。

こんなに美味しい坐・和民の持ち帰り商品。

ビールではなく、発泡酒がぐいぐい進んだ。

他にも試し喰いをしてみたいメニューがあるから愉しみ方が一つ増えたのが嬉しい。

(H29.11.20 SB932SH撮影)
(H30. 4.21 SB932SH撮影)

溜まったアピタポイント利用にファミリーマート和歌山里店の大盛明太子スパゲティ

2019年08月28日 10時03分20秒 | あれこれテイクアウト
今年も溜まったアピタポイント。

一年間のご褒美に届けてくれた千円のユニー・ファミリーマートグループ商品券。

いつ、どこで利用するのか。これもまた和歌山で開催された写真展の帰り道。

昨年、立ち寄ったファミリーマートはどこへ行ったのか。

実は閉店していたのだ。

和歌山の市民会館近くにあるのはどうかわからない。

帰路に走る国道沿いにあれば、そこに立ち寄ってみようと思って車を走らせる。

ところがルートにはまったく出現しないファミリーマート。

どちらかといえばローソンよりもセブンイレブンが目立っていたように思える。

ユニー・ファミリーマートグループ商品券は他店舗のコンビニ利用はできないから素通りだ。

市民会館を出発した時間帯は12時半。

そこより30分も車を走らせて見つかったファミリーマートは和歌山里店。

里にある店ではなく、地名・地番が和歌山市里53番1。

お腹が減っているのでデキアイの弁当か麺類で良い。

ただ、どこにでもあるような類は食べたくない。

贅沢をいっているわけでなく、ここでしか、ないというものを食べたいのだが・・。

思うようなものは商品棚にない。

何度も、何度も見比べて手に取った商品は大盛明太子スパゲティ。

最近、我が家のスパゲティソースで一番人気があるのが明太子。

特にS&Bからし明太子ソースが美味いんだな。

ソースだけでは足らないので、ほぐした生明太子もパラパラ落とす。

そのソースのベースはクリームソース。

まったり感が魅力のソースは旨い。

そう思って選択肢は、中央にどかんと大きく広げた明太子に決めた。

店員さんがこころを込めてしてくれた電子レンジでチン。

熱々になった大盛明太子スパゲティの支払いは、この日のために保管していたファミリーマートグループ商品券。

店員さんは、商品券をよくご存じのようで、ハイ、お釣りですね・・と云われてレジより現金渡されたお釣りは570円。

ということは税込み430円のスパゲティである。

この日は持ち帰ることなく車中食。

袋から取り出した瞬間に車内に充満した明太子の香り。

温めるとなおさらのようだが、まだ蓋も開けていない。

開けたとたんにどっと押し寄せる明太子の香り。

たまらん香りに卒倒しそうになる。



さて、一箸目の味である。

なんとも味気にないスパゲティ麺。

麺だけ食べたらどんな味がするのか試したかったが・・。

こりゃあかん、である。

大慌てでどっと盛ってあった明太子を崩して麺に絡ませる。

明太子の色が一番濃いところの麺を箸で摘まんで口に入れる。

これや、これやと云いたい明太子ソース。

美味いんだなぁ、と次の箸摘まみ。

なんどかしているうちに奇妙な感覚に陥る。

お味は明太子もあるが、喉の奥から唸った味覚。

たぶんにチーズだと思った嫌みな感覚である。

器の底には油に塗れた明太子がある。

それに麺を集中的に絡ませて食べる。

これが美味いんだな。

そう、この商品は明太子がなければ、嫌みのある味覚をもたらす。

専門家でないからチーズ味の正体はわからない。

ただ、食べ続けても、食事を終えてからも、喉の奥からひょういと刺激するその味・・・裏面表記を見たらからし明太子だった。

一般的にその味を好む人は多いかとおもうが・・。

私はもう買わない。

ちなみにこの日に食べた明太子スパゲティの塩分含有量は4.0g。

身体に優しい量だったのが嬉しい。

(H30. 4.21 SB932SH撮影)

JNP和歌山第二支部第10回写真展in和歌山市民会館

2019年08月27日 09時40分52秒 | しゃしん
今年も出かける和歌山での写真展。

毎年のお楽しみに食事はどうするか、である。

その件については後述の“テイクアウト”コーナーでアップするが・・・

写真展を拝見して昼飯になるコース時間を設定した結果は自宅を午前9時に出発である。

走路コースは京奈和自動車道を第一義にする。

昨年にほぼ全線が開通した京奈和自動車道。

阪和道路に繋ぐ一部の路線は有料であるが、以外はすべてが無料。

こんなありがたい国道はあまりない、と思うのだがどうなんだろうか。

奈良県側の郡山下ツ道JCTに入るまでがケッコーな時間がかかる。

信号待ちに一部渋滞。

その日の状況、或いは時間帯によって10分ほどの差がつく。

郡山下ツ道JCTから橿原北ICを出るまでは実にスムーズ。

降り口直後の信号待ちで若干の遅れを生じる。

降り口直後に信号がある高速道路はいずこも大同小異の待ち時間。

構造的な問題を抱えているにも拘わらず見直し・検討もされない国交省。

なんとかならないものかと毎度の信号待ちにイライラ感がつのる。

橿原北ICから橿原高田IC間は事業化も未定の地道走行。

一挙に車両量が増えるわ、信号はあるわ。

しかも、橿原イオンモール来客も多いのでノロノロ。

これもなんとかならんのか、とつい愚痴りたくもなる。

橿原高田ICに入った時間帯は午前9時50分。

自宅を出て50分。

距離はまったく伸びていない。

橿原高田IC―御所IC―御所南IC/PA―五條北IC―五条西IC―橋本東IC―橋本IC―高野口IC―紀北かつらぎIC―かつらぎ西IC/PA―紀の川東IC―紀の川IC―岩出根来IC/TB―和歌山JCTの全線が開通しているが一部は有料道路になっている。

その一部とは岩出根来IC/TB―和歌山JCT間の6.3km。

阪和道に入ってしまうにはもったいないから岩出根来IC/TBで下りるに限る。

そこからは一般道路。

はじめに出会う一般国道交差点信号を右に折れて南下する。

目印といえば岩出寺だが、そこへは行かずに岩出市街に向けて走る。

岩出市・根来西の信号を右折れて一直線。

紀泉台西入口信号を左に折れてずっと南下。

しばらく走ればスーパー松源が目に入る。

目と鼻の先にある信号は目黒。

国道24号線との交差点。

そこを右に折れてひたすら西に向けて走る。

ここまで来たら記憶にある道。

ちょっとヤヤコシイ信号さえ間違えなければ間違いなく伝法橋南ノ丁7番地にある和歌山市民会館に着く。

到着した時間は午前11時20分。

我が家を出発してから2時間20分。

橿原高田ICからだったら1時間半。

地道でなく有料道路の阪奈道を利用すれば20分は短縮できるらしい。

着いたときは和歌山市語り部クラブの解説が始まっていた。

写した資料を提示して解説していたテーマは友が島砲台だった。

昨年の語り部とは違う人。

喋りは坦々としているのでまだ聞ける。

昨年の人はまったく頭に入らない独善的語り。

語り部の人であるが、語りはあまりにも酷かったことを覚えている。

語り部の会の人たちとともに友が島を美しくする清掃ボランテイア活動をしてきたJNP和歌山第二支部。

そのお付き合いから写真展で語るようになったようだ。

それはともかく今回拝見したJNP和歌山第二支部の作品群。

目が輝くくらいの景観情景写真に見惚れていた。

どれこれもかっしりした作品。

しっとりとした質感はデジタルでは味わえない。

すべての作品はフイルムと聞いて、なるほど、である。

憧れの作品が目白押し。

私なんぞの力量ではとてもじゃないが届かない素晴らしい作品。

ピンの甘さはどこにも見当たらない。

惹きつけられる写真は3度も廻った。

拝見していたら解説してくれた男性がいた。

支部長のNさんである。

遠くに出かけて撮ってきたが、やはり地元を忘れては・・・という。

私もそう思って知人が所属するクラブの写真展を見てきた。

どこを撮影地に選んでいるのか、である。

遠くに行かなくても、あった地元の景観。

灯台下暗しに気づいて今では近場に出かけているという。

なんやかやの会話に共通の知人がいたことを知った。

前日にお会いしていた第12回フォトサークルDAN選抜写真展代表の宮崎壽一郎さんも、前JNP奈良支部長のTさんも第二支部のYさんも話題に登場する。

尤も一番古くからのお付き合いはD夫妻である。

JNP和歌山市部を立ち上げる以前から存じている夫妻。

出会った場所は和歌山でもなく奈良県の野迫川村立里荒神。

その日は15年も前のこと。

平成15年1月2日だった。

当時の仲間で立ち上げたHPに公開していたフイルム作品。

たしかHPの名称は「CLUB-67」だった。

その名が示すようにカメラ67。

HPは閉鎖されたが、今でも続くネット公開は転じた平成20年7月に立ち上げた「風景写真~奮闘日記」がある。

時刻は12時を過ぎていた。

そろそろ戻る時間帯になったかな、と思っていたところにこの度、素晴らしい銀賞を取得したKさんのご出動。

おめでとうございます、の写真は優れもの。

またまた見惚れて今回の展示作品をまた見て廻る。

途中の食事時間もあったが、市民会館を出てから自宅まで。

戻りは行きよりも早くて1時間50分で着いた。

(H30. 4.21 SB932SH撮影)

フォトサークルDAN選抜写真展設営慰労会inトルコ料理店イスタンブールスルタン

2019年08月26日 10時01分01秒 | 食事が主な周辺をお散歩
今回で第12回目を迎えたフォトサークルDAN選抜写真展。

開催期日の前日に設営をする。

それが終わったら「食事会をします!!ぜひ参加くださいなり」の伝言付きで案内状が届いた。

えー、である。私はクラブに参加したこともないのに、なぜにクラブ員と会食を・・である。

であるが、気持ちは伝言を受け取ったときから“参加”予定を組んでいた。

ただ、何時にどこへ行けばいいのか、である。

設営日の四日前に代表主宰者の宮崎壽一郎さんに連絡した。

もちろん参加意思を伝えて、何時、どこへ、である。

時間帯は設営を終えてからクラブ員出展者が展示する作品について情報共有するそうだ。

展示日は交替で当番をする。

その際に観に来られた人が質問をされる。

写真に興味をもつ人は必ずといっていいほど、この作品はどうやって撮ったのですか、と質問される。

場所とか時間とか狙い目も・・。

展示された写真を拝見して同じものを撮りたいという欲が質問になる、ということであろう。

その共有化が終わってから会食に行く。

会場はどこだとか伝えてくれなかったが、カメラ持参と要請される。

なんでも会食中にベリーダンスが始まるようだ。

そのダンスを思い思いで捉えてほしい、ということである。

かーさんに、宮崎さんの頼みでベリーダンスを見てくると伝えた会食。

ベリーダンスは腰辺りにヒラヒラがあって煌びやかでエキゾチック。

しかも、セクシーなダンスやで、と云われた。

あー、そうか。

低い位置に竿と「いうか、棒があって、その下を、腰を振りながらダンスするあれか・・。ビンボーダンスやな」、といえば、そうじゃなくて、リンボーダンスと返された。

近鉄電車に4月から民営化された大阪メトロの地下鉄を乗り継いでやってきた大阪・本町。

写真展会場は本町通りに建つ旧大阪丸紅ビルの1階。

現在のオーナー所有が移った関係で、ビル名はメットライフ本町スクエアである。

地下鉄本町駅の1番出入り口から出て北へ向かった。

どことなく違和感をもって南に戻った。

そうそう、ここら辺りに違いない。

その通り道にあった食事処の立て看板に思わず足が止まった。

午後5時から7時までの2時間。

同店ではアーリータイムと称してお一人様500円のワンコイン飲み放題を売り物にしている。

2名以上でないと受け付けてくれないのがアカン。

なんで一人じゃダメなのか。



その点を問い正したい手造り居酒屋の「かっぽうぎ(大阪中央区安土町)」。

この日のお勧めに6品。

牛すじ豆腐、おでん、マグロユッケ、あさり酒蒸しなどなどを通りがかりの人たちに知らせているが、入店しないと値段がわからないのが難点である。

同店舗のお昼ランチの四品定食が650円。

いろいろ選べるらしいが、そこは素通り。

目的地はメットライフ本町スクエア1階にある写真展会場。



天を仰ぐ19階建て。

例外なく、いつもここへ来たら撮っておきたい建物姿であるが、隣のビルは威容を誇る大阪国際ビルディング

1973年に建ったときは大阪随一の超高層ビルだったようだ。

写真展会場に着いた時間帯は午後3時半。

扉は閉まっている。

本日は三つの展示の設営の日であるため、関係者以外は立ち入り不可だった。

ロックされたドア付近から設営中の会場を見ていたら宮崎さんが気づかれて開放してくださった。

展示するそれぞれの作品位置は決まった。

あとははめ込むだけだ。

一枚、一枚を作者が確認する。

ところが一枚に、これって上下が逆なのでは・・と疑問符がついた。

あれやこれやと喧々囂々とまではいかないが、落ち着く絵になった。

それが正しい。

しかも波間がある向きは自然界から見てもまったく問題なし。

こういうことは他の作者もあると云って隣のコーナーを案内する。

水面下に写りこんだ自然界。

岩に葉っぱである。

覗き込むように撮った写真は真逆の位置から見ても作品になる。

正方形の写真パネルであればなおさらである。

何十年も通い続けてフイルムに写し込んだ作品タイトルは「魅いられて 大台ケ原」。

作者が選んだ作品を見てくれと云われてじっと見る。

一枚、一枚に拘りのある写真を他人に見てもらいたくて突然の解説である。

作者は井上徳博氏。

交わす写真談に、ついこの前に写真展を開催した野本さんの名が出た。

えっ、である。

写真によって縁がまたまた繋がった。

て、いうか、先日拝見した王寺町主催の明神山フォとコンテストで最優秀賞を獲得した写真家だった。

そろそろ始まった情報共有化の場。

設営が遅れたわけでなく、前日まで開催していた写真展の撤去作業の遅延が原因にあったそうだ。

写真枚数を増やした今回の展示。

隙間の間隔は以前よりも短くして多くの作品が展示できるようにしたという。

そのことに難癖をつけるクラブ員以外の人。

他の写真展でのできごとだったが、ぶつぶつ言う人がおられた。

よほど、気に要らんかったようだ。



それはともかく、キャプショの札である。

本来なら写真下に掲示するのだが、今回は写真横においた。

そのため左右どちらかわからなくなってしまうので、⇒マークを付与した。

主宰者の話しによれば昨今の写真展の傾向にあるそうだ。

次の会場へ行く時間の待ち時間を利用して、他のコーナー展を拝見する会員たち。

熱心に話される井上徳博さんの作品に注目していた。

時間帯は午後5時。

会場設営が終わって宴の会場に移動する。

夕刻近い時間帯。



午後5時過ぎである。

向かいに建つビルの映像がガラス窓に写り込むビル(エース証券本社ビル)のガラス窓。

全面に写り込む映像は都会ならではの景観。

写真撮りの人たちはけっこー撮っているように思えるのだが・・。



ただ、少し移動するだけでずいぶんと雰囲気が替わる撮り位置である。

真っ赤な夕陽でもあれば、ぐっと雰囲気が違う。

その時間までは待てない。

先を急ぐのは宴会場である。

ところでベリーダンスがある会場はいったいどこなのだ。

お店は和風や中華店でないことは確かであるが・・。

先に歩いていたクラブ員が立ち止った。

そこか。

目の前に見えた高架は阪神高速道路。

ここは本町センター街があるところだ。

立ち止まっていたところは、700円の値段を付けた今週のサービスランチがある餃子の王将店。

まさか、そんなことはあり得ない。



その通りで、通り過ぎた地下に潜る階段を下った所の店だった。

本日の設営慰労会を催す会場はトルコ料理店のイスタンブールのスルタン。

毎週の金曜、土曜の夜がショータイム。



主宰者が電話で伝えたセクシーダンスことベリーダンスの写真が立て看板にあった。

10名以上の団体さんにダンスショーのプレゼントということはフロアーに他のお客さんがいない、ってことになる。

看板にあるショー写真。

ダンサーの顔は出さずにお客さんの顔がずらり。

宣伝用のお客さん一行であろうか。

世界三大料理の一つであるトルコ料理を売り物にしているイスタンブールのスルタン

三大料理はトルコ料理の他にフランス料理と中華料理である。

いずれも宮廷料理として発展した料理である。

日本の和食はユネスコ登録になったが、三大料理から外れている。

いつのころに、どなたが設定したのだろうか・・。

写真にあるようにシシケバブはあまりにも有名な料理。

串刺しで登場したら嬉しいが・・。

もう一つはのび~るアイス。

テレビで取り上げられることもあって、私でも知っているアイスであるが、食べたことはない。

こいつは愉しみだ。

専門のトルコ人シェフが作る料理は・・・。

テーブルに配膳される順に紹介する。

はじめに置かれた6種の前菜盛り合わせ。

これってどういう具合に食べたらいいの、である。

経験者の人たちに聞けば、次にでてくる焼きたてトルコパンに挟んだり、塗ったりして食べるという。

なるほど、であるが、パン挟みは結局できずに上乗せタイプにして食べた。



どれもこれもと云いたいが、ポテサラではなんとも・・。

他にも水っぽいのがある。

それらを除いた4種は旨い。



味も濃いからピッチャービルが進むくんになる。

トルコ風春巻きorチーズ入り春巻きはまるでお菓子のような色・形。



味はあるにはあるが、物足りなさを感じる。

シェフお奨め魚料理(※お奨めというが、盛りの料理が替わらなければお奨めでもなくその夜の定番では)は美味しい。

これもまたビールが進む味である。

本日のサラダって、これなぁに、である。

ぱっと見た目はスパゲティのように見えた。

かけていたドレッシング味は食をそそる。

トルコピラフ(※おにぎり風の形造りバターライス)は見た目が可笑しい。

何、これっていう感じ。

しかも、ご飯がこないに早ょう出さなくてもいいのに、とついつい愚痴ってしまう。

特製ソース漬け込み串焼きチキンのウスパナックルタヴクサルマも、同じく特製ソース漬け込んだ串焼きチキンのダヴックシシチキンケバブはとても旨い。

日本人が好む味付けがいいね!である。

特製マリネソースで寝かせたシシケバブは食べたっけ?。

仔羊の柔らかロースの串刺しグリルも旨い。

旨みを舌が一番に感じたのは、皮部分である。

あのトロッとした食感がおもろくて・・。

そしてMさんに大阪営業所のT所長(タムロンカメラ大阪営業所)も臭みがあるので、口にしなかったマッシュルームソテー包みのラム・牛合挽肉のトルコハンバーグ。

云われて見ればそうかもしれないが、私の舌では臭みを感じていない。

次から次へと出てくる料理にピッチャービルが何杯もいってしまう。

ピリ辛キョフテ乗せパンにトマト・ヨーグルトソースをかけたイスケンデルケバブ。

ここらへんにくるとほとんど記憶に残っていない。

店入口にあった伸びーるアイスで有名なトルコデザート。



店員さんは混ぜて、混ぜて、とにかく混ぜて柔らかくなったら伸びーるアイスになるよ、といわれて挑戦するがここまでだ。

早く味わいたいものだからここらで停止。

口に入れたアイスの旨さ。

ミルクが利いていたな。

どれもこれも美味しかったが、何かの料理か覚えてないが、自席に廻って来なかった皿もある。

なんであったのか、もうそれはどうでもいいやっ。

そうこうしているうちに始まった南本町イスタンブールスルタンの食事場で踊るベリーダンス。

何の前触れもなく、合図の鐘や太鼓が打たれることもなく、突然に始まった時間帯は午後7時を過ぎていた。

トイレで用足しを済ませて席に戻ろうとした、そのときである。



音楽スタートとどなたかが云ったのかもしれない。

登場したダンサーが音楽に合わせて腰を振っていた。



ベリーダンスを踊る女性は、イスタンブールスルタン雇われの日本人女性のようだ。

品のある踊りの美しさにみな大喜びの夜を過ごした。

※ 翌年の令和元年6月、同時期利用を目論んだイスタンブールスルタン。連絡とれずのお店は消滅したようだ。

(H30. 4.19 SB932SH撮影)
(H30. 4.19 EOS40D撮影)

無添くら寿司奈良古市店で食べなおし

2019年08月25日 10時48分31秒 | 食事が主な周辺をお散歩
今回の診察は3カ月前と同じく異常は認められなかった。

ありがたいことである。

喜び一塩、取材先にお礼参り。

撮らせてもらった写真は家族の記録。

診察が早く終われば、すぐにでも渡してあげたいと思って車を走らせる。

取材先は2カ所。

いずれも外来棟からそれほど遠くない。

1カ所は天理市別所町

逆のお礼に朝掘りの筍をくださった。

もう1カ所は同市中之庄町

喜んでもらってほっとする1年前の写真である。

お昼の時間までもう少しある。

近くに前々から行ってみたいスーパーがある。

㈱エーコープ近畿が展開するファーマーズ櫟本東。

商号はA-COOP。

会員ポイントカードを入手したのは宇陀榛原であったが、なぜか使えずにいた。

これまで余裕がなくてなかなか立ち寄れなかったファーマーズ櫟本東は幹線道路の国道169号線沿いにある。

たぶん地元産の新鮮野菜があるだろう。

そう思って入店。

あるある新鮮野菜。

コゴミにフキ、タラの芽、ウド・・。

また、天ぷらと云われそうなのでこれらは買わない。

買ったのはワケギに半額ナスビ。

ついでに買った生姜と玉ねぎのちぎり天。

朝食のおかず用である。

支払いは榛原と同じでクレジットカードが可能。

これがありがたい。

ついでに立ち寄った森本町。

再確認したかった立てた青竹のしめ飾りはあった。

時間もそこそこ。

さて、食事処はどこにするか。

頭に浮かんだのはくるくる寿司。

中でも一品がとても気に入っている。

魚介ユッケである。

じゅれポン酢が味の決め手。

とろとろの温泉玉子をぽんと乗せた海鮮魚介はたいがいマグロ。

これがむちゃ美味いのである。

そうと決まったら食事処は無添くら寿司。

ここからは天理庵治店であろう。

そう思って走らせたが、そこまで行かなくとももっと近い所にあった。

気が付いたらUターン。

目指す店舗は無添くら寿司奈良古市店。

着いた時間は午後12時20分。

お客さんは疎ら。

平日はこんなものだ。

店舗にドアを開けたら5、6人が並んでいた。

席取り専用の機械である。

テーブル若しくはカウンター。

それに人数を入れたら発券される。

呼び出しはなかなかしてくれない。

お客さんが帰ったあとの片づけが溜まっているのだろうか。

番号を呼び出されて案内されたカウンター席。

発券してから5分も経っていた。

流れるレーンの寿司に手は出さない。

前回に入店した店員さんに教えてもらったが、なんとなく操作に鰤かえりそうで・・遠慮する。

尤も流れるレーンの商品よりも希望をメニューする方が、握りたて、できたて、揚げたてになる。

そう方が絶対にいい。

そう思って、最初にロックオン、じゃなかったタッチパネルを押した商品は、もちろんの魚介ユッケ@石澤だ。

そのメニューボードにあった商品も@石澤マークがある。

それは海鮮細巻き。

巻いてある魚介はまぐろ。

寿司は一品でいい。

食べたいのは温かいうどん。

それも130円のかけうどんである。

前日に食べた浪速うどんにはまいった。

コシがない大阪の浪速うどん。

つるつる麺は旨いのだが、やはりコシが欲しい。

そう思って食べなおしのうどんがかけうどん。

出汁も旨いし、コシもある。つるつるというよりもちゅるちゅる感が嬉しい。

カウンター席に置いてある「とろVSのどぐろフェア」なんてものは目がいかない。

流れるレーンに竹に盛った竹姫寿司にも手が伸びない。

パネル注文は4分間も待つ。

そう表示するパネルである。

手を添えてカウンターに置いた細巻き。



どうやら中身はブリ、じゃなくハマチのように思えるが・・・。

お味が絶品の海鮮魚介ユッケ。



前回同様に美味しくいただく。

なんでこんなに旨いんだろうか。

たまらない魅力をもつユッケ。

食べていてこれは丼になるんじゃないのかな、と思った。

くら寿司にご飯だけのメニューがあれば、絶対そうしたいむちゃくちゃ旨い魚介ユッケ。

じゅれポン酢がご飯にもあるはずだ。

海鮮丼があるくらいなら、じゅれポン酢海鮮魚介ユッケのせ丼があってもいいんじゃない。

是非、検討していただきたいが、あくまで飯だけの追加である。

これを勘違いして、海鮮魚介ユッケを盛った丼で出てきたら、ごめんこうむる。

ネットをぐぐってみたらあるにはあったが、想定通りの海鮮ユッケ丼

私が望む丼はこれではない。

かけうどんは実にシンプル。



刻みネギに天かすがあるだけだ。

そういえばメニューにあった左隣の商品である。

2尾のえび天を盛ったえび天うどんは280円。

かけうどん一杯は130円。

そこへもってえび天皿はたったの100円。

揚げたてぷりぷりのえび天を注文して、かけうどんに乗せて食べてみたい。

旨さを比較するには二杯のうどんを食べることになるが、1皿が100円のえび天に130円のかけうどんなら230円で済む。

味に替わりなければ、そうしてみたい。

その方法は時間入店にするとして、もう少しお腹を満たしてあげたいと思って注文したいか下足天寿司。

生下足にぎり寿司はたいがいのくるくる寿司店にあるが、揚げたてのいか下足天はないだろう。

ここくら寿司だけなら今がチャンス。

そう思って注文したいか下足天寿司。



これがむちゃくちゃ旨いのである。

揚げたてのいか下足天ぷらの美味しいこと。

極上とまではいかないが、これもまた絶品の類。

タッチパネルのメニューは何度も繰り返して探してみるが、とうとう見つからなかった黒毛和牛の牛すじスリーミーコロッケ。

これがショックだった。

これもまた絶品。

あればパックに詰めてもらって持ち帰りたかったのに・・なぜだ。

ところで本日の会計は4品合計で税込464円。

無添くら寿司のどこかの店舗にある平日ワンコインランチよりもお安くいただける。

(H30. 4.17 SB932SH撮影)

今回も特に指摘のない診察結果

2019年08月24日 09時58分09秒 | むびょうそくさい
3カ月間って長い期間であるが、やってくるのは思った以上に早い。

週一ペースで予め分包しておくので、そのときにわかる、あと少し。

きっちりなくなるから、きっちり服用していること、他ならない。

ついこの前に診てもらったばかりと思うくらいの処方箋。

診察したときのその量は袋からはみだしそうだ。

少しずつ減っていっても初期のころは減り具合を感じない。

残り1カ月を切るくらいに感じる次の診察日である。

この日もどんよりとした天気である。

天候が悪いのではなく、西から流れてくる黄砂である。

昨日なんてものは相当な量が降り注いでいたと思われる。

なんせ、名阪国道を走って西の山々がまったく見えない。

黄砂のおかげで威容を誇る葛城山や金剛山がまったく見えない。

霞んで見えないどころではない。

その前日は東にそびえる龍王山も見えなかった。

かすかに青空が見えるからすぐにわかってしまう黄砂の空。

堪忍してくれって言いたくなる。

それはさておき、本日の診察時間はこれまで最も早い時間帯。

朝は8時半の血液検査に間に合うように家を出る。

予定出発時刻は午前7時半としていたが、10分も早く準備ができた。

お腹の調子が良ければそうなる。

途中でガソリンを入れる余裕もある。

ひたすら朝の道を走る。

この時間帯であれば小学生の登行時間と重なるが、国道になれば遭遇することもないし、安全パトロール隊にも・・。

外来棟駐車場に入庫した時間は午前8時6分。

ほぼ40分で着いた。

ガラガラ空きの駐車場の待ち時間は0分。

入庫したフロアーは1階。

そこもガラガラ空き。

スムーズに流れる朝一番は気持ちが良い。

はじめの受付は総合受付。

月も年度も替わっているから健康保険証の提示は必須。

その場は会計処理受けに待つ場でもある。

ひっそりとしているフロアー。

もちろん会計待ちは0番である。

次は採血するフロアーに移動する。

エスカレーターを上がってきたフロアーには患者さんがいっぱいいる。

溢れるくらいの患者数。

もちろん付き添いさんも入れてのことだが、採血受付番号は133番。

この時点で呼び出ししている番号は74番。

およそ60人待ちであった。

長椅子に座って待っていると機械的に順番が解けた番号を呼び出している。

きゅうじゅうはちばんのかたはおはいりください・・である。

きゅうじゅうきゅうばん・・から百の位。

ひゃくきゅうばんのかたはおはいりください・・ひゃくとうばんのかたはおはりください・・。

えっ、今なんて言ったの。

まさかここで「ひゃくとうばん」が登場するとは想像もしていなかった。

あり得ない呼び出しは、どうぞ「ひゃくじゅうばんの方はお入りください」と呼んであげていただくよう改訂していただきたいものだが、待ちの皆さんは、特に気にならなかったようだ。

採血会場でも待ち行列。

だいたいが10人待ちである。

採血は午前8時41分に終えたから、わりあい長い時間を待っていたわけだ。

次はレントゲン撮影。

2年ぶりどころか、それ以上の期間が空いたのではと思ったくらいのレントゲン撮影。

記録を辿れば平成28年11月29日以来であった。

レントゲン撮影待ちの患者さんはおよそ10数人が待っていた。

撮影が終わった時間帯は午前8時55分。

そこそこ待ちだった。

次は心電図検査。

終った時間帯は午前9時12分。

そして循環器内科の受付。

そこからが最も長い待ち時間になる。

いつもの待ち時間に読んでおきたい本を読む。

前回も読んだが、なかなか読み切れない本は、写真撮影もした森須磨子氏著の『しめかざり—新年の願いを結ぶかたち―』。

何度見てもワクワクするしめ飾りに惚れ惚れする。

診察の予定時刻は午前10時。

採血してから1時間半後に診察というのが通常であるが、たんまにむちゃ遅延する日もある。

予約以外の緊急患者が入った場合はそうなる。

ただ、この日は朝一番、でなく二番であるが、おそらく影響はないだろうと思っていた。

おっとどっこい、やはりである。

結局、呼び出し時間は午前10時半。

待つ時間が増えたこともあってもう一冊の本を持参していた。

その本は主にFBでおつきあいしていただいている知人の増田隆氏。

先々月の2月5日に京奈和情報教育出版㈱から発刊された『沈黙する伝承~川上村における南朝皇胤追慕~』。

先月の3月18日に出版記念の講話を聴かせてもらって、その場で購入した。

ご本人はカタイ本だと云われるが、柔らかい文章でとても読みやすい。

尤も人名、歴史はなかなか頭に入るものではないが・・。

さて、3カ月ぶりの診察である。

特にと設定してくださったレントゲン撮影の結果は異常なし。

ただ、昨日に発症した患部のチクチク痛み。

ピリピリという表現でもいいのかどうかわからないが、急に痛みを感じる患部は人工心肺置き換えて開胸手術した痕である。

大方の痕跡はずいぶんとマシになったが、一部は退院してからも赤く腫れて凸状態になったままだ。

痒みを感じることもときおりある。

その場合は常用している痒み止め薬で治る。

チクチク、ピリピリは痛み。

胸を抱えるような体制になることもある。

主治医曰く皮膚の神経・・のようだが、どうしようもないらしく、返答はない。

この日のレントゲンでは異常がない。

手術痕の皮膚患部のチクチク、ピリピリはあるものの、先の指示はなかった。

心電図検査に異状なし。

血液検査のBNPは100を越えているが、特に問題なしということだった。

浮腫みはありますかの問いに体重は退院以来ずっと同じ。

この3カ月間で心拍数が69以上になった日は飛び飛びの4日ほど。

晩飯後になるケースばかりである。

そういう場合は主治医から云われた通りにワソラン錠を服用する。

翌朝には平常に戻っているから、問題なし。

ということで次も3カ月後の診察を予定された。

今回も一連の重要検査値の経過状況を記しておく。

変化がないという結果の羅列である。

PT-INRの今回結果は2.16。

平成29年の2月の値は1.33。5月は1.43。

8月が1.41。

10月が1.69。

そして平成30年の1月は2.05。

多少は上方にあるが、特に問題なし。

BNPの今回結果は113.3。

平成29年の2月の値は75.48。

5月は92.5。

8月は102.3。

10月は78.9。

そして平成30年の1月は71.3。

やや上がりの100越えであるが、問題なしの判定である。

ヘモグロビン値の今回結果は12.4。

平成29年の5月16日の値は13.0。

8月が10.0。

10月は14.3。

そして平成30年の1月は13.2。

ここ3カ月間は大きな出血はなかった。

だから、やや下がりになったのが嬉しい。

γ-GTPの結果は68。

平成29年の2月は158。

5月が89。

8月は46。

10月は85。

そして平成30年の1月は55。

二桁台をキープしている。

毎夜の飲酒はほどほどにいているから好結果になっているが、決して飲み過ぎないように・・・。

(H30. 4.17 SB932SH撮影)

毛原・長久寺の子供涅槃

2019年08月23日 10時53分05秒 | 山添村へ
山添村毛原の長久寺で子供涅槃をされていると知ったのは何時だったのか。

ずいぶん前のことだけにすっかり忘れている。

尤も毛原の涅槃は平成5年11月に山添村教育委員会および同年中行事編集委員会が発刊した『山添双書』に書いてあった。涅槃会及び子供の涅槃講である。

「数え年、17歳までの男子が主体となって、講を営むことになっており、それを子供涅槃講と呼んでいる。釈迦の亡くなった2月15日に行うのが建て前であるが、当日は学校が休みでない場合は、休日に繰り上げて営むことにしている」とあった。

「当日の朝9時ごろ、講員の子どもたちが集まって、2班に分かれる。大スズメとなる大きい子は、米を入れる袋を肩に掛けて他の子スズメたちは大声で“ネハンノスズメ 米ナラ一升 銭ナラ百ヤ”、と連呼しながら各家々を巡り、米またはお金の喜捨(きしゃ)を受ける。“ネハンの雀(すずめ)”、と唱えているようだが、おそらくは“ネハンの勧め”、の意味であって、“勧め”が転訛(てんか)、“雀”、になったと考えられる」とあった。

長久寺では毎月のお勤めに村の東寺大師講の人たちが参られる。

東寺大師講のお勤めは21日であるが、都合によってはその日より前にする場合もあると聞いていた。

2月に行われる子ども涅槃のときもそうである。

初めて毛原を訪れた日は平成22年2月21日だった。

子供の涅槃など毛原の年中行事を教えてくださったのはFさんだった。

その年の4月1日。

毎月の月初めに八阪神社で行われる再拝(さへい)を拝見した。

翌年の平成23年は1月10日に訪れて長久寺のオコナイを拝見したかったが、すでに終わっていたと、当時区長だったOさんがいっていた。

子供の涅槃のことも聞いたと思うが、たぶんに日程が合わなかったように思う。

次の平成24年の1月7日

写真家3人を連れだって毛原の山の神の様相を撮りにきたことがあるが、他所の山の神を拝見したく、このときもまた子供の涅槃は聞かずじまいだった。

2年後の平成26年、意を決して車を走らせた2月16日

日曜日だったその日にしているのでは、と思って雪道をトコトコ走ってきたが、一週間前に済ました、と京都東寺から息子さんの住職とともに来ていた母親のHさんが話してくれた。

翌年の平成27年は2月15日が日曜日。

本来の日であるから、間違いなくその日にしていると判断して訪れたが、前日土曜日の14日に済ませたという。

まことにショックなことであったが、お寺さんの都合もあるので例年とも固定の曜日でもなかったわけだ。

翌年の平成28年の2月は身動きがとれない状況下にあった

平成27年7月に発症した心臓弁破損による手術。

同年の12月にはカテーテル処置にために再び入院。

退院したものの車を運転できる状態ではなかったから取材どころではない。

ほぼ復帰できたのは平成28年の3月半ばだった。

主治医の許可を得て再び民俗取材に立ち上がった。

毛原に再訪したのは、その後の5月21日

Kさんや村教育委員長になられたFさんの奥さんに聞いた年中行事をきっかけに、八阪神社の端午の節句、そして云十年ぶりに復活された田の虫送り、八阪神社のヨイミヤまでも取材させてもらった。

子供の涅槃は不定期日程。

村の長久寺・東寺大師講がお寺さんと日程調整されて決めているようだと思ってN区長に電話した平成29年2月11日。

時すでに遅しで、その年もまた終わっていたと知る結果に、平成30年は早めに電話を架けて確認することにした。

電話したのは2月7日。

実施日は2月11日であるが、檀家総代など関係者の確認を要するということで、今夜の集まりに確認しておくということであった。

子供の涅槃の件を聞いてから8年目のこの年になってようやく拝見することになった。

お聞きしていた時間帯は午前10時。

扉を閉めていた長久寺本堂。

堂内から洩れ聞こえるご詠歌。

毎月の例会に唱える西国三十三番のご詠歌である。

そろりと扉を開けさせてもらって入堂する。



実は東寺大師講の講員のうちお一人は存じている。

再拝に端午の節句。田の虫送りの祭にもお世話になった女性はN区長の母親だった。

よろしくお願いしますと頭を下げて取材に入る。

例月のご詠歌はいつも7番まで、だという。

左手におりんを持って鳴らし、右手は小型の鉦を打つ撞木(しゅもく)。

ご詠歌を唱えながらおりんに撞木。

穏やかに、そしてゆったりと流れる東寺大師講の所作にうっとりする。

観世音菩薩のご詠歌を願わくば・・とから始まる長調子のご詠歌。

導師に合わせて14人の講員が唱えるが、おりんに撞木を持っているのは前列の7人だけである。

後方に座った講員は詞章に合わせて唱えている。

導師はYさん。

伸び伸びと、そして優しく唱える調子がまた心地良い。

7番を唱え終えて、打ち止めの33番を唱える。

そして、「巡り来る人も願ひのかずあれば 慈悲もつもるや長久の寺」とある毛原長久寺本尊地蔵菩薩詠歌で締めくくり。

なーむだいし、かんぜんのんぼーさつ・・そくしんじょうぶつ・・なむだいしへんじょうこんごう・・ねがわくば・・と唱え、おりんを置いた。

およそ15分のご詠歌に引き続き唱える涅槃和讃もまた長調子で唱える講員たちであるが、掲げた大きな涅槃図に向かってである。



座布団ごと向きを少し移動して唱える涅槃和讃。

「くしなの森に夕日落ち 尼蓮の河水瀬をとどむ 天地静かに声なく 沙羅樹の花ぞ乱しく 時しも如月十五日の夜に 月も御空にかかる時 如来は涅槃の床に座し 最後の法門説き給う ・・・・」もまた、ゆったり和讃の長丁場におよそ10分もかけて唱えていた。

子供たちがそろそろやってくる時間帯であるが、来る前に拝見しておきたいお軸を収めている軸箱の墨書文字。



「大恩教主釋迦年尼如来涅槃像」とあった。

また、子供の涅槃を終わった際に拝見した涅槃図の裏打ち文字は「明治廿八年二月大吉祥辰長久寺現住寶山智龍代」であった。



寶山智龍とは・・・山添村の語り部にあった高僧智龍が詳しい。

明治2年に大和長谷寺に入門、修行された高僧智龍は、明治7年に無住荒廃していた長久寺の住職に就いた。

その後の明治13年、病に伏していた智龍は夢枕に現れた弘法大師のお告げを聞いた。

明治15年、裏山に霊場大師山を開き、山にあった自然石を利用するなど四国八十八カ所に倣って自力で造った大師石仏をはじめ、大師堂や大師夢想湯など数々の施設を調えたとあるから、さらに、その後の明治28年に涅槃図を新調したようである。

なお、本日はお寺さんの都合もあってやむなく欠席された住職。

実は、と聞いたのはこの日のお勤めである。

日が重なった長久寺住職は、この日に隣村の勝原に三カ谷へ出向いて先祖供養の回向をしていたそうだ。

午後11時のころ。

次々と本堂に集まってきた子供たち。



これより始まるのが子供の涅槃であるが、現在は涅槃図に向かって手を合わせ、そして東寺大師講のみなさんとともに般若心経を唱えるだけになっている。



かつては前述したあり方であったが、実に簡素化されたのである。

この日に親ヤド家を務めるのは昭和47年生まれのFさん。

子供さんの女子中学生がオヤ。以前は男子が務めるオヤであったが、現在は緩和されて女子も務めるようにしたそうだ。

父親のFさんが子供のころ。お米貰いに中学3年生のオヤとともに村各戸を巡っていたという。



米を集めることはなくなったが、今でも継承しているのは涅槃図の前に供えるきな粉ご飯である。

お茶碗一杯に詰めたご飯にきな粉を塗して供えたきな粉ご飯。

めいめい一人一人が賽銭をあげて手を合わせる。



偉大な徳に感謝、心からご加護を願って祈っていた。

熱心な姿で祈る子供たちの作法を見守る東寺大師講のみなさん方。



お詣りを済ませたら、お下がりのお菓子をもらう。

順番に廻ってくる参拝の列。

今年は17人であったが、少ない方だという。

前年が25人だった、というから毛原の子供が実に多いとわかる。

今日はいい機会だから、と講員たちは子供たちとともに般若心経を唱えることにした。

導師は涅槃図の前に座って申した。



最初にご真言を唱えて、般若心経を一巻。

そして、なーむだいし~ぼさつ。

神妙な面持ちで手を合わせる子供たち。

落ち着きのない子もみな手を合わせていた。

「この涅槃図に一匹だけ動物が多いって知っていますか。知っていることだけ、知っていたらええんよ」と伝えたら、一人の子どもが、声をあげて「猫」と云った。

十二支にならんかった猫のことも知っているとは、たいしたものだ。

ちなみにヤド家を務めたFさんの父親は、端午の節句などの神社行事で世話になったFさんだった。

その節はたいへんお世話になった、と息子さんにもお礼を述べた。

心経を唱えたら場は解散。

子どもたちは寺下にある構造改善センターに集まって涅槃の食事。

現在はカレーライスになっているが、かつては五品の煮物が主。

大根と里芋の煮付にコンニャクもコーヤドーフも煮付け。

その他にネギの酢和えやホウレン草のおひたしに油揚げ飯であった。

構造改善センターを利用するようになったのは平成元年から。

その数年後には会食の材料である豆腐粉が入手困難になったことから、この一品は廃止したとある。

献立のあり方を簡略化。

カレーライスに移っていったのは何も毛原だけでなく、奈良市東部も同じような傾向にあった。

カレーライスを味わっていた子どもたち。



部屋中で遊ぶよりも外の方がいいようだ。

(H30. 2.11 EOS40D撮影)

住之江安立食事処・瀧徳のうどんまたはそば定食

2019年08月22日 10時32分40秒 | 食事が主な周辺をお散歩
大阪・住之江にある護国神社前のお店はどうかな、と思って立て看板メニューを確かめにわざわざ出かけた。

尤も畠中医院の診察待ち時間を利用しただけのことだが・・。

看板にはどこをどう見ても麺類は見当たらない。

主に海鮮丼が主役、じゃなかった主食のように思った「目利きの銀次」。

とても美味そうに見える丼類は・・・

おふくろは麺を食べたいと云い出すだろうから、昼飯処の選択から外さざるを得ない。

悲しいかな、他の用事のときに立ち寄ってみたいので、記憶に残しておこう。

診察を終えた時間は昼の時間に入っていた。

予約診察の患者さんが3人。

こっちは突然の薬もらいの診察である。

長引いたらしく昼すぎにようやく会計支払いを終えて院を出てきたおふくろとかーさんを乗せて北島薬局を目指す。

処方箋は2カ月分の分包依頼。

作業をしてもらうのに時間はかかる。

出来上がりは午後の1時半くらいになりそうだ。

その間にお腹を満たしておきたい食事処はどこにする。

以前から気になっていたお店がある。

先々月に自宅に戻ったおふくろが利用していた通所サービス施設がある建物のすぐ近く。

目と鼻の先にあるお店である。

建物は3階建てだが、店構えは庶民的和風。

懐かしい店構えに美味しいうどん・そばを提供してくれるのでは、と思って、これもまた通りがてらに拝見するメニュー。

うどん・そば(あげ入り)かやくご飯付定食が650円。

お値段も庶民的だと思った。

そこでよろしいかと家人に尋ねたら、そこで良いという瀧徳(たきとく)。

店構えから見て老舗のような風格がある瀧徳(たきとく)である。

ここはたったの2台しか停めることのできないお店の駐車場がある。

おふくろが通所していたときに見ていたので、まずは行ってみよう、である。

空きは1台あった。

近くにタイムパーキングはあるが、やや高額。

ちょっと離れたところなら少し安い。

離れておればおふくろの足では堪える。

そうならないように祈っていあたら、空きが1台。

ありがたく停めさせてもらった、そこからも入店できる裏口。

暖簾が揚がっているから、そこからも入店可能であるが、初めて入るお店に失礼してしまうことになるから、やはり表玄関から。



ここは安立(あんりゅう)商店街も貫く紀州街道である。

南へ下っていけば大和川にぶちあたる。

橋を渡れば堺市になる。

紀州街道は大坂と和歌山を結ぶ紀州徳川家の参勤交代路として整備された街道である。

北の住吉大社から堺市・宿院の頓宮(※お旅所)間の神輿巡行路でもある。

さて、瀧徳(たきとく)のサービス定食である。

揚げ入りのうどん・そばはいずれかを選んで、かやくご飯が付いているうどん定食は650円。

これがざる盛りになれば700円のざる定食。

さらに定食はもう一つ。

本日のサービスとあったセットもんは、親子丼にうどん若しくはそばが付いて750円。

我が家の注文は三人三様。

私はうどん定食にすればおふくろはうどんでなくてそば。

かーさんは親子丼のサービス定食に決った。

ところがテーブルから厨房を見たおふくろは他のお客さんが頼まれたざるそばを見て、それに替えたいというのだ。

なんとか間に合ってざるそば定食に替えてもらった。

おふくろはざるそばであればごきげんさんだ。

たいがいどこのお店に入っても注文するざるそばがあってほっとする。

この日のお店はほぼ満席。

近くの会社員が多いのだろう。

午後1時ころになればぐっと寂しくなったが、それでもそこそこいらっしゃる。

どうやら昼の休み時間を交替調整しているように思えた。

ネームプレートを見れば懐かしい関西スーパーの店員さんもいらっしゃる。

中学生のころだったか、高校生だったか覚えてないが、買い物かごを下げて大ばあさんが出かけていた関西スーパーマーケットの住之江店

会社情報によれば設立・創業が昭和34年。

私はまだ、6、7歳のころだ。

比較的、早い段階で開業していたが、住之江・安立の店舗はいつだったんだろうな。

注文してからおよそ5分後。



注文したうどん定食が配膳された。

うどんは揚さんに蒲鉾一枚が浮かんでいる。

かやくご飯は見るからに美味しそう。

牛蒡、人参、エノキに鶏肉。

出汁と醤油味で炊き上げたと思われるかやくご飯は美味しい。

味付けは濃くもないが、薄くもない。

やや甘いという感じであろうか。

モリモリガツガツ食べてしまう。

ときには漬物もほうばって味替えのかやくご飯。

うん、これは漬物で食べるのが一番かもしれない。

キュウリのQちゃんかどうかしらないが、かやくご飯にとても合う。

白菜漬けも美味しい。

揚げ入りうどんはツユ出汁いっぱい。

小皿に盛った刻みネギをパラパラ落としていただく。

麺はやわらか麺。

浪速うどんのような食感である。

喉越しよろしくつるつる入るこの食感は良いのだが、昨今はシコシコのコシがある麺に慣れているせいか、気持ちが前向きになれない。

決して不味くはないのだが、讃岐うどん系に口になっているためだろう。

出汁はたぶんに昆布だと思う。

出汁は飲んだらあかんと云われるが、どうしても欲してしまう旨みのある味。

こりゃ止まりません。



ざるそばに替えたおふくろも喜んで食べている。

出汁は濃い。

そば麺はカタイと云いつつも完食する。

畠中医院の先生にも伝えた、いつもの食べ具合。

とにかくいつも完食する胃袋。

通所サービス施設に行って、そこの食事をしているときも完食である。

さらに驚いたのは、丼に盛り盛りのかやくご飯も平らげてしまったのだ。

かーさんが食べた親子丼である。



これもまた美味い、旨いといってぱくついていた。

丼タレの味は甘いというが、コクはそれほどでもないように思えた。

また、うどんは揚さんでなく、とろろ昆布。

味を引き上げるだろうな。

ゆっくり寛がせてもらった瀧徳のお休み日は毎週の日曜と水曜日。

営業時間は昼前から始まって午後2時半まで。

以前は夜10時まで営業していたが、現在は昼間の営業に絞られたようだ。

(H30. 4.16 SB932SH撮影)