「ムカシヨミヤ」、「庵治」、「カスガ」のキーワードを知ったのはいつだったのか、どこであったのか覚えていない。
特に気になったのが「ムカシヨミヤ」だ。
そう呼ぶ行事は田原本町八田の伊勢降神社にあった。
境内社の道祖神社の祭りに里の女児巫女が舞う神楽があった。
その夜限りの祭りは県内事例に数カ所ある。
田原本町では八尾の鏡作若宮神社、唐古の神明社・八阪神社、八田の伊勢降神社。
大和郡山市では石川町の八坂神社、八条町の堂山子守神社、椎木町では東椎木の杵築神社、山田町の杵築神社、伊豆七条町の牛頭神社。
天理市では合場町の三十八神社で拝見したが、何故に一夜限りの祭りであるのか判っていない。
充てる漢字は「昔宵宮」もあれば「昔夜宮」も。
大和郡山市横田町の和爾下神社で行われる「十ニ夜宮」もある。
実施月はいずれも9月であって、10月にはマツリがある。
そう思って行事所在地を探していた。
この日は田原本町の阪手北の郷神さんの取材をしていた。
帰路の道中にある信号に「庵治町」があった。
田原本町八田から西側にあたる天理市の庵治町。
カーナビマップが示した神社があった。
伊勢降神社である。
境内社には八田と同様に道祖神社もある。
八田は男神で庵治は女神とされ両社を通ったという伝承があるらしいが、「カスガ」の地ではない。
鎮座地よりさらに西へ向かえば南北に走る下ツ道がある。
北に向かえば庵治町の集落であるが、南に向かえば大木に囲まれた小社があった。
そこに祀っていたのは地蔵石仏であった。
お参りをして格子窓から覗かせてもらった。
小社は地蔵堂。内部には二枚の絵馬が掲げられている。
武者絵のように見える絵馬である。
地蔵尊に絵馬を掲げることもあるのだと知った地蔵堂の常夜籠の一つに「行者講」が刻まれていた。
この地も「カスガ」ではない。
「カスガ」はどこにあるのだろうか。
もしかと思って北にある集落を抜ける街道を走った。
対抗できないほどの狭い道である。
通り抜けていた街道に婦人たちがおられた。
何かの集まりではないだろうか。
停める場所もなく、一旦は国道24号線に戻って廻り道。
車を停めて歩いた集落におられた婦人に聞いた。
この日はゴウシンサンの祭り。
行事を終えて解散したばかりだと云う。
ゴウシンサンの祭りは大神宮。
隣にある八王子の石塔にも参ったと云う。
翌週の23日、24日は朝の6時から地蔵尊を清掃していると云うが、地蔵盆でもないようだ。
話しは聞けなかったが、婦人たちは年齢からいっておそらくおばあさん講であろう。
「ムカシヨミヤ」なら「カスガ」さんでしているようだと云う。
地蔵尊から東へ向かって一直線。
石段があるからすぐに判ると聞いて足を伸ばした。
手前にあったヒモのようなものが垂れていた。
干されてから日にちが経過したのであろう。
色もついていた干しものはカンピョウだ。
棒のようなものに藁束を括りつけている。
おそらく、ずれないようにしているのであろう。
背景に見えるのが「カスガ」さんだ。
付近におられた若婦人に聞いたらそうであった。
この日の夕方は、ここの地区のゴウシンサン(御申さんであろうか)。
大神宮塔の前に斎壇を設えていた。
おそらく提灯を掲げるのであろう。
「カスガ」さんはハチが出没しているので、気をつけてくださいと教えてくださった。
本殿前にあった燈籠には「春日大明神」とある。
道を隔てた南側の小字は「春日前」。
間違いない。
庵治町には三つの神社がある。
もう一つは北方にある菅原神社。
大和川を越えた集落内にあるらしい。
行事の手掛かりはゴウシンサンであったが、「ムカシヨミヤ」は聞くことができなかった。
この日は葛城市まで向かわなくてはならないので、下見調査はこれまでだ。
(H26. 7.16 SB932SH撮影)
(H26. 7.16 EOS40D撮影)
特に気になったのが「ムカシヨミヤ」だ。
そう呼ぶ行事は田原本町八田の伊勢降神社にあった。
境内社の道祖神社の祭りに里の女児巫女が舞う神楽があった。
その夜限りの祭りは県内事例に数カ所ある。
田原本町では八尾の鏡作若宮神社、唐古の神明社・八阪神社、八田の伊勢降神社。
大和郡山市では石川町の八坂神社、八条町の堂山子守神社、椎木町では東椎木の杵築神社、山田町の杵築神社、伊豆七条町の牛頭神社。
天理市では合場町の三十八神社で拝見したが、何故に一夜限りの祭りであるのか判っていない。
充てる漢字は「昔宵宮」もあれば「昔夜宮」も。
大和郡山市横田町の和爾下神社で行われる「十ニ夜宮」もある。
実施月はいずれも9月であって、10月にはマツリがある。
そう思って行事所在地を探していた。
この日は田原本町の阪手北の郷神さんの取材をしていた。
帰路の道中にある信号に「庵治町」があった。
田原本町八田から西側にあたる天理市の庵治町。
カーナビマップが示した神社があった。
伊勢降神社である。
境内社には八田と同様に道祖神社もある。
八田は男神で庵治は女神とされ両社を通ったという伝承があるらしいが、「カスガ」の地ではない。
鎮座地よりさらに西へ向かえば南北に走る下ツ道がある。
北に向かえば庵治町の集落であるが、南に向かえば大木に囲まれた小社があった。
そこに祀っていたのは地蔵石仏であった。
お参りをして格子窓から覗かせてもらった。
小社は地蔵堂。内部には二枚の絵馬が掲げられている。
武者絵のように見える絵馬である。
地蔵尊に絵馬を掲げることもあるのだと知った地蔵堂の常夜籠の一つに「行者講」が刻まれていた。
この地も「カスガ」ではない。
「カスガ」はどこにあるのだろうか。
もしかと思って北にある集落を抜ける街道を走った。
対抗できないほどの狭い道である。
通り抜けていた街道に婦人たちがおられた。
何かの集まりではないだろうか。
停める場所もなく、一旦は国道24号線に戻って廻り道。
車を停めて歩いた集落におられた婦人に聞いた。
この日はゴウシンサンの祭り。
行事を終えて解散したばかりだと云う。
ゴウシンサンの祭りは大神宮。
隣にある八王子の石塔にも参ったと云う。
翌週の23日、24日は朝の6時から地蔵尊を清掃していると云うが、地蔵盆でもないようだ。
話しは聞けなかったが、婦人たちは年齢からいっておそらくおばあさん講であろう。
「ムカシヨミヤ」なら「カスガ」さんでしているようだと云う。
地蔵尊から東へ向かって一直線。
石段があるからすぐに判ると聞いて足を伸ばした。
手前にあったヒモのようなものが垂れていた。
干されてから日にちが経過したのであろう。
色もついていた干しものはカンピョウだ。
棒のようなものに藁束を括りつけている。
おそらく、ずれないようにしているのであろう。
背景に見えるのが「カスガ」さんだ。
付近におられた若婦人に聞いたらそうであった。
この日の夕方は、ここの地区のゴウシンサン(御申さんであろうか)。
大神宮塔の前に斎壇を設えていた。
おそらく提灯を掲げるのであろう。
「カスガ」さんはハチが出没しているので、気をつけてくださいと教えてくださった。
本殿前にあった燈籠には「春日大明神」とある。
道を隔てた南側の小字は「春日前」。
間違いない。
庵治町には三つの神社がある。
もう一つは北方にある菅原神社。
大和川を越えた集落内にあるらしい。
行事の手掛かりはゴウシンサンであったが、「ムカシヨミヤ」は聞くことができなかった。
この日は葛城市まで向かわなくてはならないので、下見調査はこれまでだ。
(H26. 7.16 SB932SH撮影)
(H26. 7.16 EOS40D撮影)