マネジャーの休日余暇(ブログ版)

奈良の伝統行事や民俗、風習を採訪し紹介してます。
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団地に出現した雲海

2023年07月02日 07時34分51秒 | 望郷
介護の関係で出かけた大阪・住之江。

戦後まもないころに建築された木造バラック住宅から近代的な鉄筋コンクリート構造になった大和川団地も、早や48年。

外壁は塗り替えしてからも、ずいぶん経った。

そんな団地にふわふわ・・。

綿毛のような真っ白な植物はチガヤ(千萱)の穂。

まるでふわふわ綿の絨毯のような情景に、き・も・ち・えーわぁ・・・

ちなみに時期はもっと前だが、生まれたばかりの花穂を噛んで舐めるとほのかに甘さを感じる。

そう、チガヤに蜜がある。

ですが、間違っても綿毛状態のチガヤを舐めると、口の中がたいへんなことになりますから・・・。

(R3. 6. 7 SB805SH撮影)

ふるさと住之江は夏祭りがいっぱい

2020年01月09日 10時03分33秒 | 望郷
生まれ故郷の大阪・住之江北島に高砂神社がある。

昔は青年団がおって勇壮に神輿を担いでいたとか・・。

今はどうなのだろうか。

7月16日、17日は夏祭り。



団地に神輿が巡行するが、今は子供が曳航する神輿。

人のような形に切り抜いたモノが届いたが、どうしていいのかわからないから放置していると話していたが、それは夏越の祓い。

夏越祓にヒトガタはつきもの。

名前と年齢を記入して神社に渡すこともできない介護の身のおふくろ向きかも。

北島商店街に夏祭りの印。



注連縄を張って結界を告げているかのように思えた年に一度の景観。



南加賀屋にある神社は高崎神社。

距離はそれほど遠くない地にある神社でも同じような夏祭り。

北加賀屋にも神社がある。

加賀屋天満宮だ。

そこも同じく夏越の祓いがある夏祭り。

近距離にある住吉大社も夏祭り。



自治会掲示板に祭りの案内を貼っていた「すみよっさんのおはらいまつり」。

近くだけに、一つくらいは拝見したいものだが・・・。

(H30. 7.13 SB932SH撮影)

故郷・住之江北島の子安地蔵尊

2018年10月30日 10時37分55秒 | 望郷
毎年、盆踊りがあると話すおふくろ。

居住地の掲示板に貼ってあった敷津浦地区の盆踊り案内。

子どもだったころ記憶に盆踊りはまったくない。

覚えているのは地蔵盆である。

ここでも盆踊りをしていると話すおふくろ。

私の記憶にあるのは北島地蔵尊。



毎年の8月23日が地蔵盆だったと覚えていたが、そうではなかった。

24日もあったのだ。

ご詠歌も法要もまったく覚えてないが、お菓子をもらったことだけは記憶にある。

その北島地蔵尊は子守地蔵さんだった。



団地化したときに児童公園に移された地蔵さん。



そのときに建てられた地蔵堂建立は昭和56年3月29日。

私が30歳のときである。

北側にお風呂屋さんがあったが、廃業されて、今では新興住宅地。



団地化前の住居は一階建て木造住宅。

戦時中罹災した人たちのために建築された市営住宅の様相は、この「シリーズ望郷」の「生まれも育ちも―1―」で紹介した。

(H29. 8.17 SB932SH撮影)

故郷・住之江の精霊流しに記憶を語る

2018年10月29日 08時59分57秒 | 望郷
モノクロでもなく、過去形でもない、現在形の我が故郷。

「精霊流し」の御供受け、取り扱いについて書いた自治連合会連絡が掲示板に貼ってあった。

その件に至るまでのおふくろの体験談を聞いていた。

おふくろが思い出す地区は大阪・富田林の錦織。

終戦の日であった。

ゴロゴロの地響き音とともに大八車が動いていた。

一台ではなかったのだろう。

母屋に居てもその音が聞こえてきたというから台数は多かったようだ。

その音を聞いてアメリカ兵がやってきたと誰かが云いだした。

大慌てで家財道具いっぱいの荷物を積んで親類が住んでいる加納に逃げようとしたら、日本軍の缶詰を運んでいるとわかった。

残った軍の缶詰を配給することになったらしい。

終戦末期に飛来する米軍大型戦略爆撃機のB29の轟音が怖かった。

次々と低空飛行する艦船機に追いやられた。

B29が飛んでいった後には必ずといっていいほど艦船機が飛んできたという。

二十歳のころのおふくろの体験談は随分前にも聞いていたが、その場は錦織ではなく、加納だった。

畑にいたら機銃掃射。

恐ろしくて立てなかったその両袖にバリバリ音が激しく聞こえた機銃掃射は今でも鮮明に覚えている。

生まれ育った錦織の母屋の中庭には誰が掘ったか聞いていない防空壕があったという。

空襲警報のサイレンが鳴ったらその穴に隠れていた。

終戦の日は8月15日。

母屋のお盆は話題に出なかったが、その後の居住地の住之江の昔は先祖さんを迎えたお盆の御供は大和川に流していた。

堤防が草むらだった時代だから私が子どものころだ。

今は環境面に配慮されて、堤防に何台も待つトラックに捨てるようになった。

(H29. 8.17 SB932SH撮影)

生まれも育ちも―7―

2018年10月28日 09時24分19秒 | 望郷
正面は私だ。

右横のぼっちゃんは1番目の実弟。

2歳違い。

父方の祖母の膝に抱かれている。

左端は祖母の母親。

兄弟は大祖母をおおばあちゃんと呼んでいた。

このときに撮られた写真はなんだろう。

何の日だったのか、絞り出すようにして思いだす。

両祖母の姿、年齢から考えて、おおばあちゃんの米寿祝いだったと思われる。

おおばあちゃんが亡くなったときの年齢は90歳だったか覚えていない。

92歳で大往生した祖母は明治生まれだった。

写真の姿は60歳前半だったように思える。

二人とも今では見ることのない着物姿。

呉服屋の娘で育った二人だけに生涯ずっと着物で暮らしてきた。

(H27. 9.11 SCAN/記)

生まれも育ちも―6―

2018年10月27日 09時29分47秒 | 望郷
近所の兄ちゃんが運転する単車(ホンダスポーツカブC110-1960/10製)の後ろに乗った2番目の実弟。

嬉しそうな顔をして兄ちゃんにしがみついている。

これがきっかけかどうか判らないが、二人の弟は大きくなってホンダに勤めた。

後方に建つ家はバラック小屋と称した戦後間もないころに建てられた市営住宅。

左に立つ円柱木材はおそらく電信柱。

まだコンクリ製ではなかった。

その左横の垣根も木材。

土中に埋める部分は茶色い防腐剤を刷毛で塗っていた。

特有の匂いは鼻が覚えている。

(H27. 9.10 SCAN/記)

生まれも育ちも―5―

2018年10月26日 10時30分45秒 | 望郷
シリーズ―2―で紹介したバラック小屋。

5歳違いの2番目の実弟が立つ写真。

木板の壁の寸法幅が不揃いだったことに気付く。

樹木の葉が多くなっている状況から考えて、成長した2年後ぐらいかもしれない。

実弟も成長、顔つきはお兄さんになっていた。

玄関口に立てているのは庭箒、ではなくて捕虫網のように見える。

夏休みだろうか、宿題の虫捕りをしていたかもしれない。

この記事をFBに挙げたら、1番目の実弟の友人からメッセージが届いた。

20代半ばまで暮らした懐かしい家を知っている、と伝えてくれたⅠさんのコメントが嬉しい。

「東日本大震災で被害を受けた康っちゃんは元気。定年後の再就職先でがんばっています」と伝えた。

(H27. 9. 9 SCAN/記)

生まれも育ちも―4―

2018年10月25日 09時40分12秒 | 望郷
この写真は同一日に撮られたのであろう。

赤ちゃんを見ているのは2歳の私だ。

三輪車でここまで来たようだが記憶にない。

向こうに見える橋脚は大和川大橋。

車は多くなかった時代だ。

堤防のかさ上げ前のころだと思う。

この堤防から大阪天王寺の新世界のシンボルタワーが見えた。

シンボルタワーは通天閣。

今でもそうだが「日立」の文字も判別できた。

それほど空気が汚れていない時代だった。

座っている周りの植物はヨモギ。

とにかく多かった。

摘み取ったヨモギを持ち帰り、ヨモギモチにしてもらって食べたことを覚えている。

ここはクローバーも多かった。

四つ葉のクローバーなんてざらにあった。

探しているうちに五つ葉、六つ葉までもと思いきや、七つ葉、八つ葉も見つかった。

突然変異であるが、今思い起こせば何がしかの刺激物があったかも知れない。

それで思いだす酸素ボンベ中毒騒ぎ。

土手に放置された酸素を吸入した私たち子供は一時的に呼吸困難に陥った。

捨てた業者を探して怒りをぶちまけたおふくろら。

なんら返答もなかったと先日も話していた。

(H27. 9. 8 SCAN/記)

生まれも育ちも―3―

2018年10月24日 09時58分20秒 | 望郷
おふくろが抱いている赤ちゃんは1番目の実弟。

2歳違いである。

1953年に撮られた写真であろう。

我が家はカメラを持ち合わせていない。

この時代はカメラを首からぶら下げた自称写真撮りがおった。

撮ったプリントを見せて、買わせていた。

そんな時代だった。

撮影地は護岸工事の進んでいない当時の大和川。

土手下は草ぼうぼうだった。

小学生のときはここが遊び場だった。

草を結んでひっかけのいたずらをしたこともあるし、砂地だった川堤に穴を掘って遊んだ。

砂地だったので崩れやすく危険と判って中断したこともある。

川はシジミもあれば、ウナギの稚魚も泳いでいた。

とにかく多かったのはゴリハゼだ。

網で掬って捕っていた。

小・中学生が集まって川の砂場で三角野球をして遊んだ。

どこからか探してきた畳を何枚か合わせて筏にして動かした。

割合、浅瀬だったので危険性は感じなかった。

とにかく遊びに熱中していた。

川の向こう側は堺市。

堤防向こう側に工場の煙突が見える。

(H27. 9. 7 SCAN/記)

生まれも育ちも―2―

2018年10月23日 10時16分56秒 | 望郷
玄関口のコンクリ台を飛んで駆けているのは2番目の実弟。

5歳違いである。

家壁に沿った下。

庭とも思えないような場にひ弱な樹木を植えてあった。

牛乳ポストは明治牛乳の名が見える。

バラック小屋と称していた家屋は地上げ前かもしれない。

数十cmも地上げをする理由は大和川の氾濫だ。

すぐ近くにある大和川は大雨にもなれば土手近くまでになる。

上流の奈良県側が大雨のときはいつもそうだった。

万が一の場合、堤防が決壊したらひとたまりもない。

祖母やおふくろが話していた。

何年か前は一部が決壊して住吉公園まで大水になったという。

地上げ工事は家一軒丸ごとジャッキで上げてコンクリ土台を高くする。

玄関先のコンクリ台の高さがまあまああったことを覚えている。

その高さなら、大水になった場合は床下浸水ぐらいで済むだろうと思っていた。

この記事をFBに挙げたら、FB知人のMさんからメッセージが届いた。

坊ちゃん刈りで思い出すのが4コマ漫画の「かりあげクン」。

決して「カラアゲくん」ではない。

それはともかく、坊ちゃん刈りって昔の子供時代に流行ったものだ、と思っていたが、そうでもなさそうである。

今では芸能人・コメンテーターも・・。

ファッションのようである。

(H27. 9. 6 SCAN/記)