東京行きが決まったのは今月初めの
3月2日。
長男がこの人だと顔を合わせてくださったフイアンセ。
東京から初めての奈良入り。
そして京都観光を楽しんだ2人が東京に戻った数日後に決まった日、時間、場所。
その日に親同士が初めて出会う顔合わせは本日であるが、以外の時間帯はフリー。
翌日の24日は帰路につくまでフリー。
東京観光巡りにはとバスでもと、考えてみたが、どうなんだろうか。
頭に描いた行先は築地場外市場。
例えばヒルナンデス!でも紹介される東京の美味しさを味わえる食事処は憧れ。
出かけることもないが、いつかはと思っていたテレビが放映する美味しい処に美味いものあり。
どことなく彷徨うわけにもいかないし、さりとて決め手に欠ける東京情報。
ネットでぐぐってみても目が廻るだけで、ポイントが定まらない。
築地市場は豊洲市場に移ったが、今でも食事処がいっぱいありそうな築地場外市場なら、その場で、ここだと決めることができそうだ。
メインは決まったが、さてさて両日はどこへ・・・。
自宅からの交通機関は近鉄橿原線から京都線。
JR東京行きの新幹線に乗車する発車時間は10時56分ののぞみ12号の6号車。
東京着時間は午後1時13分。
切符はネットで買ったわけでもなく、旅行代理店でもない。
近鉄郡山駅前にある金券ショップで買った割安券をもってJR大和小泉駅で交換した指定席券である。
乗車時間を決めたのは顔合わせの会場時間である午後3時を遡って調整した。
東京に着いてからは山手線に乗り換えて長男が住み替えた巣鴨に向かう。
巣鴨で少しの時間が確保できる。
そこ巣鴨に何があるのか、長男が教えてくれたとげぬき地蔵に決まった。
顔合わせは午後6時過ぎまでかかるだろう。
宿泊先も長男が手配してくれた。
そこは外国人がいっぱいの淺草。
夜ごはんもあるが、少しでも見ておきたい浅草の光景。
近くに東京スカイツリーがあるというから、いいね、である。
東京観光お上りさんコースはこうして決まった本日の漫遊先である。
朝に自宅を車で出発する。
行先は東京でなく近鉄九条駅西側にあるスパーク奈良九条駅前。
丸一日の駐車料金は400円。
丸々二日間なら600円。
一般的な計算では800円になろうが、ここは600円。
ありがたく利用できる前払い駐車場料金システムが嬉しい。
近鉄九条駅から乗車した列車は近鉄西大寺駅で京都行の快速急行に乗り換える。
近鉄京都駅の改札口からすぐ前にある新幹線改札口へ。
まずはトイレ休憩。
乗り降りする人たちでいっぱいになった構内。
トイレの数が少ないのか行列待ち。
どこでもそうだが、女性はたいへんだといつもそう思う。
車中で食べる弁当を買った京都駅グランドキヨスク。
ここも大勢の人たちでごったがえしていた。
早く行かないと、というかーさん。
そんなに慌てなくても指定席。
極端に云えば最後列であっても十分間に合うのに急ぎたいプラットホーム。
のぞみ12号がすーっと入ってきた。
それから2時間と少し。
東京駅に着いたら山手線に乗り換えする。
どこをどう行けばさっぱりわかっていないからかーさんが指図する通りに足を運ぶ。
巣鴨駅に着いた時間帯は午後1時45分ころ。
階段を登り切ったところにあるトイレに急行。
移動する度に見つけたトイレで用を足しておくのは利尿剤服用の関係。
旅先で服用する常備薬は本日の昼、夜に翌日の朝、昼の2日分。
どれもこれも大事な処方箋を忘れてしまえばとんでもないことが起こってしまう。
それはともかく改札口を出たところに長男が待っていた。
重たい荷物は貸金庫、でなく貸しロッカー・・でもなくタイムパーキングに停めた長男の車が置き場。
駅からすぐ近くにあった駐車場は15分利用で100円。
1時間で400円だからとてもお安いパーキング。
東京都23区内にこのようなお安いところがあるとは・・。
信号待ちに見た向こう側。
駅前北口から見た光景であるが、どことなく不思議さを感じた。
信号を渡り切るまでにわかったそれは太陽光パネル。
大通りは白山通りの名がある国道17号線(旧中山道/江戸時代の五街道のうち一つ)。
道に沿った町並みは商店街。
巣鴨駅前商店街ソーラーアーケード。
平成18年に全面設置された商店街整備事業に毎日発電。
地元では「
巣鴨駅前商店街太陽電池発電所」と呼んでいるようだ。
太陽光パネル下の通りを歩いて気がつく買い物客や地元民の姿。
若い人以上に多く見られた高齢者。
服装品や小物を売る店を見てわかった高齢者の行き交う町。
女性だけでなく男性も辻ごとにたむろする情景を見た。
ネットによれば別名に“おばあちゃんの原宿”と書いていたブログもあった。
都会の百均ショップに買い物する姿も見て取れる。
尤も、“おばあちゃんの原宿”と書いているのは私的なブログもあるが、公的機関の
豊島区役所がどうどうと発信しているから驚いた。
逆に、“
おばあちゃんの原宿”と揶揄する巣鴨の町に
若者が注目しているというブログ記事もある。
“おばあちゃんの原宿”をキーワードに検索してみれば現在を生き抜く“民俗”も垣間見る。
しばらく歩いたところで
辻立ち姿の托鉢僧侶を見かけたが・・・。
場所は真言宗豊山派の眞性寺(※豊山派総本山は奈良県桜井にある長谷寺)前の角地。
江戸六地蔵尊を示す石塔がある。
詳しくは巣鴨地蔵通り商店街HPの「
江戸六地蔵尊 眞性寺」を参照されたい。
そこより少し歩いたら巣鴨地蔵通商店街に着く。
目が行ったのは支柱に貼っていた「庚申塚」。
豊島区最古の史蹟という庚申塚は、安藤広重が描く浮世絵に名所として紹介しているようだ。
案内に「
昔懐かしいチンチン電車(※都電荒川線)も走っています。お帰りにご利用ください」とある。
にぎわい通りのような情景を見せる巣鴨地蔵通り商店街に有名な塩大福を売る店があると教えてくれる長男。
手前にあったお店は「開運 塩大福」を売っている「
東京すがも園」。
しばらく通りを歩いていると向かい側にも「塩大福」の文字が・・。
こちらのお店は「元祖 塩大福」を売る「
みずの」。
企業概要によれば、創業は昭和12年。
昭和38年に塩大福を発売したとある。
一方、東京すがも園のHPにある塩大福。
当初は“腹太餅”あるいは“うずら餅”の名称だった。
時代は元禄年間(1688~1704)、また、明和年間(1764~1772)。
辻商いの屋台売りが安永年間(1772~1781)のころとも「なれば名は“餅饅頭”に。その後の寛政年間(1789~1801)ころに名は“大福餅”へ。そのころの大福餅が、塩味のつぶし餡から砂糖のこし餡に移った」とあった。
歴史的な変遷を記す創業80有余年という「東京すがも園(
閉店)」に対して、「みずの」は先代の龍吉が“名物を作り、町起こしをしたい”と一念発起。
二代目の三郎が千葉県の九十九里浜で製塩をしていた経験を生かして龍吉の出身地に伝わる「塩あんびん餅」をヒントに、独自風味の大福餅を創りあげた三郎が名付けした、とある。
ちなみに塩大福を売る店はもう1店舗あるようだ。
創業が明治40年の「
伊勢屋」。
機会があれば、3店舗がそれぞれの味を生み出す塩大福の味比べをしてみたいものであるが、うち「みずの」の塩大福を長男が買ってくれた。
もっちゃり感ある塩大福の味は素朴な味でもなく、さすがの味。
ぺろりと食べてしまうほどに美味かった。
餅よりも海鮮寿司を提供する
回転寿司海鮮三崎港のネタが気になる。
老舗だろうと思える店構えの茶舗山年園を見ながら先に進んだところに明かりが灯っていた。
とげぬき地蔵尊高岩寺の信徒会館前に立ててあった
大型のこけしを模した行燈。
青森県津軽にお住いの森勇一さんが制作されたこけし灯籠とある。
会館内にこけしを展示していると案内しているが、興味あるのは巣鴨・高岩寺の様相を伝える「写真歳時記」。
時間があれば拝見したいが・・。
その先は、とげぬき地蔵尊で名高い慶長元年(1596)に創建された
曹洞宗寺院の高岩寺(こうがんじ)。
創建当時は江戸湯島であったが、明治24年(1891)に現在地の巣鴨に移った。
午後2時の参拝者。
活気溢れる巣鴨地蔵通り商店街のお店行きは参拝を済ませてからであろう。
山門を潜ったらまずは手水を取ってお清め。
1束50円のお線香を購入して火点け。
本堂正面にある大きな香炉に投入。
そして、線香の煙を患部は病気平癒の願掛け。
本堂左側の行列は洗い観音。
これもまた病気治癒を願う、自身が気にかける患部に水を流して洗えば治ると信ぜられた。
その右に建つ地蔵菩薩立像もあるが、とげぬき地蔵尊と呼ばれるのはご本尊である。
境内に屋台で露店売りをしている人がいる。
近くに寄ってわかった屋台売りはドライフルーツを売っている井原商店。
さんざし、マンゴパイン、マンゴー、ドライいちご、あんず、白いちじく、クランベリー、クコの実などなど。
とげぬき地蔵尊は本尊延命地蔵菩薩。
本堂に上って手を合わせる。
寺縁起略記によれば「江戸時代、武士の田付又四郎の妻が病に苦しみ、死に瀕していた。又四郎が、夢枕に立った地蔵菩薩のお告げにしたがい、地蔵の姿を印した紙1万枚を川に流すと、その効験あってか妻の病が回復したという。これが寺で配布している「御影(※みえい)」の始まりであるとされる。その後、毛利家の女中が針を誤飲した際、地蔵菩薩の御影を飲み込んだところ、針を吐き出すことができ、吐き出した御影に針が刺さっていたという伝承もあり、“とげぬき地蔵”の通称はこれに由来する」とある。
参拝を済ませて戻ってきた通りに待ち構えていた取材陣。
業務用録画機を肩に担いでいたカメラマンにマイクロフォンをもつインタビュアーにデイレクターも。
通りかかる人に突然取材しようとしていた取材クルーはNHKエンタープライズ。
腕章の色具合でわかってしまう。
実は、取材クルーは2月21日に参拝、金五万円を献納していた。
隣は「開運 塩大福」を売る「東京すがも園」だ。
NHKエンタープライズがインタビュー待ちする位置から数百メートルも歩かんうちに声をかけられた。
もう一つのテレビ局である。
こちらの取材陣は業務用録画機カメラマンが不在。
マイクロフォンをもつインタビュアーにデイレクターの2人組はBS朝日の取材クルー。
先に歩いてさっさと行ってしまった家人から離された私にインタビューを受ける時間がない。
申しわけないが、「奈良から来ました」と伝えたら驚いていた。
巣鴨地蔵通り商店街の途中に建つ小屋。
何やら白い物体がちらちら見える。
何があるのかと思って近づいたら、それはでっかいお尻だった。
「お尻を触れば結ばれる。優しく触れば世話いらん」とある「すがもんのおしり」って何なん。
なんでもお尻を触れば恋愛成就のご利益があるらしい「すがもんのおしり」は商店街の公式キャラクターだった。
午後2時半、駐車場に戻って出発する。
目的地は文京区関口にあるホテル椿山荘。
待ち合わせ時間ぎりぎりに到着した。
これより始まる
両家の顔合わせは
ホテル椿山荘内にある木春堂(もくしゅんどう)。
会席料理をいただきながら愉しく、そして陽気に歓談させてもらった。
場を離れて長男が住む巣鴨に戻ってきた。
夜の巣鴨に訪ねる居住地である。
午後6時半から1時間。
部屋でゆっくり寛がせてもらった次は、予約してくれた台東区雷門にあるザ・ゲートホテル雷門。
当初予定では電車を乗り換えて行くつもりにしていたが、ありがたく車で送ってもらった。
ザ・ゲートホテルに到着した時間帯は午後7時40分。
午後8時までにチェックインしてくださいと言われていたから、無事に着いてほっとする。
ホテルのフロントは13階。
このフロアーから見る浅草界隈。
東京お上りさんの憧れは東京スカイツリー。
室内照明が映ったガラス窓から見える東京スカイツリー。
左眼下に見えるのが浅草・浅草寺の雷門。
雷門通りと思われる地に見えるレトロビルヂングもある。
方角を90度移したら浅草寺に五重塔が見えた。
今夜も明日も拝観する時間がない浅草寺は13階から拝ませてもらうことになった。
ホテル宿泊代は前払い。
ネットで申し込みしたら1割引であるが、全額を負担してくれたのは長男。
ありがたく受け入れる。
支払いを済ませたら雷門へ出かける。
今夜に食べる買い出し作戦。
浅草
新仲見世商店街に好みのメニューを見つけていた。
そこに行けば何かが見つかると思って下りた浅草寺の雷門前。
午後8時ころであっても賑やかさは少しも衰えていないように思えた。
インバウンドにやってくるさまざまな外国の人たち。
テレビ報道で見ることはあっても実情を見ることはない。
テレビ映像は切り取り。
その一部分を紹介して放映する。
尤も、私どものようなカメラマンも同じ部類。
全体像を撮ることはあるが、作品的に紹介するのは切り取り映像。
周囲に本来の姿が見え隠れする。
夜8時の淺草観光に日本人の姿はない。
隅から隅まで見ているわけでないから見落としていることもあるが、その大勢さに圧倒される。
雷門をバックに撮る人たち。
夜8時はすべての商店がシャッターを下ろした浅草新仲見世商店街を歩く。
何を求めているのだろうか、白けた照明にたむろ歩きをする
インバウンド。
不思議地帯に迷い込んだ錯覚感に陥る。
ちなみにどなたも背景に撮っている雷門は、10年に一度は貼り替え、新調されて吊り替える。
大きな提灯を製作している会社は京都・四条にある創業が享保十五年の
高橋提燈㈱。
昭和35年、松下電器産業(
現パナソニック㈱)の生みの親である
松下幸之助氏が、雷門を寄進奉納したことがはじまり。
当時の貫主にお願いされて実現した雷門の復興事業である。
その空気感を避けて大通りに出てシュッとした東京スカイツリーにワクワクする1泊2日のお上りさんになっていた。
来年の
2020年は東京オリンピックが開催される。
東京スカイツリーのLEDライテイングもまた
愉し、である。
お上りさん気分に満喫していて、すっかり忘れていた今夜の買い出し。
長男がスマホで探してくれたが、直接お店の人に尋ねた方が早い。
そう思ってそこにあった
お店に飛び込み営業・・ではなく聞き取り調査。
「持ち帰りはできますか」である。
「汁もの以外なら」の回答に口にした「唐揚げ」・・。
どうぞ、お店に入ってもらって注文ということで、メニュー探し。
その間にも続々と入店する観光客。
お店を開店しているだけで入店する人多し、である。
一方、SNSなどに紹介されている食事処は行列ができていた。
ちなみに朝ラー、である。
ホテルの予約に朝食は組まれていなかった。
尤もホテルの朝食は卵料理にサラダ付きで2160円。
バイキング料理かどうか知らないが、食べたくなったのは朝ラー。
つまり、朝からラーメン。
ホテルの部屋で探そうと思っていた近くのラーメン屋。
なんと持ち帰り食を注文していたときわ食堂の左隣にラーメン屋が・・。
らぁめん花月嵐は手ごろなメニュー。
そこにしようと思ってはみたものの、開店時間が午前11時。
こりゃダメだが、
らーめん弁慶は朝7時からしているようだ。
ちなみにこの日の歩行数は6116歩。
距離はそんなになかったということだ。
(H31. 3. 8 SB932SH撮影)
(H31. 3.23 SB932SH撮影)
(H31. 3.23 EOS7D撮影)