マネジャーの休日余暇(ブログ版)

奈良の伝統行事や民俗、風習を採訪し紹介してます。
すべての写真、文は著作権がありますので無断転載はお断りします。

東京帰りの晩飯は近鉄西大寺駅エキナカ買いで賄う

2020年11月30日 09時30分56秒 | あれこれテイクアウト
東京から新幹線で戻ってきた。

乗り換えは京都駅。

近鉄京都駅構内に食事処の「麺ざんまい」があると知ったが、ここでは食事を摂らない。

美味そうなうどん麺も食べたいが、自宅に戻って、ひとっ風呂浴びてゆっくり落ち着く食事に酒も飲みたいのである。

東京に出かける前から買い出しを、と決めていた。

買い出しの場は近鉄西大寺駅構内にある駅ナカ

買い求める商品は今夜の飯とおかずの肴。

スイートは求めていない。

お腹を満たす食を求めて駅ナカの探索歩き。

ひと回りして決めたメインの食事は寿司。

天理のよろづ相談病院内ある売店にも出している梅守本店。

寿司のデザインが今どき。

さまざまな寿司商品を開発している梅守本店

駅ナカ店にも並べている。

時間帯は午後7時45分。

タイムサービスを知らせる黄色い札に書いてあった「タイムサービス500円」に目がいった。



これならと決めたかーさんは握り八貫の折り。



サービス前の提供価格は815円。

私が選んだ寿司は2種の山葵葉寿し。



海老とサバ乗せの山葵葉寿しにした。

いずれもタイムサービス価格が100円。

サービス前の提供価格は269円。

お安く買った寿司の味は期待できるだろうと思って購入した。

飯系だけでもお酒は進まない。

なにか酒の肴になるものはないかな・・・に目がいった蔵やの唐揚げ



タイムサービスになっていないのが残念であるが仕方ない。

食べたいときは買う。

ほぼほぼ100gで注文したら計量する店員さん。

唐揚げが326円で鶏南蛮は288円になった。

もう一品は野菜サラダ。

お店はベジタブルステーション21



選んだサラダは20%OFFで売っていた250円の欲張りポテトサラダ。

特に際立ったサラダでもないが、新鮮野菜が売り物のようだ。

自宅に着いて風呂を沸かす。

それからの入浴。

上がってから飲む発泡酒で喉を潤しながらいただく駅ナカの品々。



これといって特徴のない味であるが、不味くはない。

ただ、握り八貫を食べたかーさんの評価は低い。

見た目ばかりで味がないという。

その点、山葵葉寿しは美味かった。

山葵葉に包まれた酢飯が利いていたのだろう。

唐揚げの味は一般的。

どちらかといえば鶏南蛮の方に味がある。

サラダはほんまにこれといった特徴のない。

新鮮かどうかもわからないが、添え付けのドレッシングで救われているような気がする。

(H31. 3.24 SB932SH撮影)

築地場外市場・カキ小屋築地食堂の蒸し牡蠣

2020年11月29日 10時08分53秒 | 食事が主な周辺をお散歩
築地虎杖裏店にあった夜限定メニューの牡蠣フエアに心残り。

お店を出て通路に出た向こう側にあったカキ小屋築地食堂である。

店舗前で焼いている海鮮もんは食べたくてうずうずする2個で500円の蒸出牡蠣(蒸し牡蠣)の他に焼きたて、蒸したてが3品。

1個が700円、3個で1600円の生牡蠣や1個が500円の活扇貝黄油(ホタテバター焼き)に1個が2000円の活鮑魚黄油(あわびバター焼き)などが・・。



出来立ての蒸し牡蠣は店舗内でなくお外喰い。

ドラム缶で仕立てたテーブルに置いて立ち食い。

座る席などない。

どなたもこなたも美味しそうに立ち食い。



たまたま空いた場で食べるに熱々蒸し牡蠣がほくほく。

一気に口へ入れ込んだらえらいことになる。

半分ずつにして食べた蒸し牡蠣が美味い。

牡蠣汁は少ないが口の中に広がる牡蠣の旨味。

かーさんも満足する味にほくほくしていた。

(H31. 3.24 SB932SH撮影)

築地場外市場・築地虎杖裏店海鮮ひつま丼に舌が唸る

2020年11月28日 10時24分49秒 | 食事が主な周辺をお散歩
東京に出かけるならここは絶対に外せないと思っていた東京中央区にある築地場外市場。

市場は豊洲市場に移転したが、築地場外市場は移転後も賑わいが衰えないとテレビが伝えていた。

度々に紹介される食事処はいっぱいある。

どこに行っても美味しいと思うが、テレビが紹介したお店は流行る。

そういうお店は外しておきたい、といってもどこにどんなお店があるのかさっぱりわかっていない。

なんせ、豊洲市場も築地場外市場も行ったことのない憧れの地。

土地勘まったくないから行ってみなきゃわからない。

ここから向こう側にあるあの建物群がそうですと教えてくれた鮨処つきじやのチラシを配る若い女性。

裏面に築地場外市場の各店舗を示す地図がある。

行先がわかってないから行き当たりばったり。

ここぞと思ったお店に入る。

それだけを念頭に・・。

観光客でごったがえす築地場外市場の通路は狭い。

ここ入ったらどんな店が、と足を入れたら、ここ通路という人もおれば、通行不能なところもある。

迷路と思ったお店もあった築地場外市場のお店はどこもかしこも大賑わい。

入口付近にあったお店のメニュー。

なんの丼か見えなかったが、ワンコイン500円の値札にびっくり。

以降、どのお店も2000円台、3000円台で占有。

配っていた鮨処つきじやのメニューに千円台がない。

3000円台をわざとかどうか知らないが、わざわざ消込線を入れてすべて2000円台メニューを見て、千円台のメニューはないのかいな。

もっと安く、お手ごろ価格で食べられると思っていたが、見事に外れた。

ごった返す通路に立て看板。



目が点になった海鮮ひつまぶしに海鮮ひつま飯。

まぶしであるなら伊勢や名古屋のうな丼ひつまぶしを思い起こす。

お櫃にうなぎを散らし、混ぜていただく料理。

これが海鮮とくれば美味しいでしょ。

しかも、である。

海鮮ひつまぶしなら2380円。

海鮮ひつま飯の場合は上の1290円から極上の1990円。

ところが3桁の880円のひつま丼もある。

海鮮ひつまぶしに海鮮ひつま飯も手桶料理。

ひつま丼はまさに丼椀。

味見するくらいの感覚で食べてみようと思ったが、席に落ち着くことができなかった。

満席御礼である。

何人かがぞろぞろお店から出てきた。

これなら食べられるだろうと思って男性ウエイターに声かけ。

二人なら空いていますと案内された席の椅子は高め。

もちろんテーブルも高め。

雰囲気的に飲み屋だと思った築地虎杖裏店

さて、虎杖ってどう読むの?。

調べてみれば“いたどり”である。

自然に生えているイタドリはすっぱ味の、いわば山野草の一種である。

一通りメニューを見て伝えた食べ物は880円のひつま丼。

3分ほど待って配膳された。



そのときに案内された食べ方。

ラストに一口のご飯を残して声をかけてください、と。

何かの仕掛けがあるようだが、だいたいは想像できる食べ方である。

さて、ひつま丼のお味である。

小皿に盛ってあるのは練り山葵と甘酢生姜。

寿司と同じような食べ方でいくんや。

ならば、山葵は醤油で溶かして山葵醤油。

たっぷり盛った山葵すべてを溶かしたらえらいことになるからややの半分。

とろとろと丼に落としていただきます。

一口目でわかったとんでもない味。

むちゃ美味いのである。

ガツガツ食べるひつま丼。

食べれば食べるほどに味覚の海に溺れてしまう。

中央にのせた卵黄を潰してたべたらとびきり旨くなる味わい深い味覚。

盛った海鮮もんの種類が実に多い。

鮪、鰹、貝柱・・・。

生もあるがズケもある。

味が染みたズケが特に美味い。

海鮮丼にズケ味があるなんて初めてだ。

インゲンの食感を忘れるくらいに海鮮がコリコリ。

ぶつ切りした海鮮もんは大きいから旨味に堪能できる。

これってむちゃくちゃ美味しいよなとかーさんに伝えたら同意の頷き。

ご飯は多いように思ったが、なんのその。

混ぜた海鮮もんとぴったしカンカン。

古い言い回しだがそう思った。

さて、ラストの一口である。

一口の量がわからない。

適量が読めないのである。

残すのはご飯だけ。

それとも海鮮だけ。

それはないだろう。



適度に残した海鮮もんとご飯はこれくらいに。

申し出たら出汁を注いでくれた。

熱々の出汁に混ぜてどうぞ。



ただ、ほんまに熱いから注意して食べてくださいという。

その通りだった出汁入れの2度味。

東京ではこれが出汁になるのか、と思った薄味。

何か物足りなさを感じたが、ひつま丼は極上の味だった。

絶品の印象はおそらく忘れることのない味。

また来て食べたいが、次の機会はくるだろうか。

ところで店内に貼ってあったメニュー。

生牡蠣2個で500円。

牡蠣フエア限定メニューに「生牡蠣牡2ピースor広島産カキフライ3個+ハウスワインがフエア特別価格500円」とある。

えっ、こんな料理もあるなら食べてみたいとウエイターに伝えたら、それは夜だけのメニューだという。

それはとても残念なこと。

諦めるしかない。

が、諦めるにはまだ早かった・・・。

(H31. 3.24 SB932SH撮影)

東京ソラマチ・宮武讃岐うどんの釜あげしらすおろし・かけうどん+築地銀だこ

2020年11月27日 09時41分25秒 | 食事が主な周辺をお散歩
東京都墨田区にある東京ソラマチは東京スカイツリーの併設施設。

宿泊地の淺草からここまで歩いて30分。

荷物もあるからしんどかった。

途中で見つけたラーメン店は目もくれず喫茶店を探して歩く。

宿泊は素泊まり。

ホテルに朝食はあったが価格帯が折り合わない。

卵料理にサラダステーションの朝食と案内にあったが価格は2160円。

そんだけえーもんが出てくるのか知らないが、モーニングなら喫茶店というかーさんの期待に探してみるが、見つかったのは焼きたてのベーカーリーだけだった。

とりあえず東京スカイツリーチケット場に行ってみたら大行列。

外国の方やお上りさんもいるのだろうか、本日は日曜だけに多くなったチケット売り場の行列にもういいや。

来月の4月1日に変更する展望台・天望デッキ利用の当日入場料は平日・大人で2100円。

休日なら2300円。

3月31日までの現行料金は2060円だから、平日・休日区別した値上げ。

別に展望もしたくないし、お腹も減っているから食事処がたくさんありそうな東京ソラマチをうろつく。

レストランにモーニングはないだろうと思って行先をフードコートに絞り込んだ。

ここフードコートは海鮮もんからエスニック、焼き肉、鶏肉・・ラーメン・ベーカリーなどなど。

目移りする店舗にこれならと決めた麺屋は宮武讃岐うどんである。



麺にこだわりがありそうだと思った宮武讃岐うどん

かーさんは490円の釜あげしらすおろし。

出汁は希望する温い麺。

私は290円のかけうどん。

ぶっかけうどんもあったが値段は480円。



麺屋の他店舗に見られない高額商品は遠慮して、かけうどんの冷たいのんを一杯。

麺をこしらえる人は台湾の人でしょうか。

それも若い女性が麺を湯がいていた。

麺は温い、冷たいのんと伝えたらキョトンとしていたから、もう一度。

それで通じないなら温かいに冷たい・・の標準語で。

トッピングに天ぷらやおにぎりはあるが、無料の天かす、刻みネギに生生姜で十分。



お腹がこれではもたないだろうと隣店舗にあった築地銀だこでたこ焼きを買い求める。



いろいろあるが、580円のレギュラーを味わいたい。

大和郡山にもある築地銀だこ。

近鉄郡山駅すぐ近くにJR郡山駅前にアピタ大和郡山店内にもある築地銀だこを好んで食べることはないが、焼きたてたこ焼きの匂いに釣られてもう一品を味わう。

かーさんが注文した釜あげしらすおろし。

本人曰く、期待していた味覚でなかったようだ。

しらすは生しらす、茹であげしらすでいただくことが主。

春の時季に相応しいしらすであるが、独特の臭みがある。

これを美味しそうに食べるタレントさん。

不味いといったタレントはだれも見当たらないテレビが放映する映像である。

不味くはないが、口に合わなかったというかーさん。

温かいうどん麺が柔らかすぎて美味しくないとも。

それにしてもおろしだいこんの食べ方がわからんかったとも・・。

私が注文した冷たいかけうどんは、他店舗で味わうぶっかけと同様に美味い。

コシのある麺に出汁が絡んで美味い。

天かすに海老天のカスもある。

これが味わいを深めてくれたのだろうか。

ちょっと味見をといって箸で摘まんだ冷たいかけうどんが美味しいという。

そうだろ。

私は温かいうどんはよほどのことがない限り注文はしない。

麺を味わうならぶっかけ。

それも冷たいのんである。

さて、午後は築地にでかけるのだが、行くまでに先に食べた東京ソラマチの築地銀だこ

熱々のたこ焼きに口が火傷しそうになる。



ほくほく熱々をちょっと覚まして口に入れる。

外はややカリカリ。

中身はジュワー。

しかもでっかいタコが入っている。

マヨネーズを落としたらさらに美味くなるたこ焼き。

帰ったらとっておきの100円サービス券を利用したくなった。

ちなみに私的には奈良に5店舗もあるラ・ムーのたこ焼きがお気に入り。

大きなかつお節が熱々で踊ってくれるソースたこ焼き。

マヨネーズはないが、とろとろ感がたまらなく美味い。

たこ焼きは小さくもない、やや大き目。

熱々なら半分切りでもしやんと食べられないほどのデキ。

6個で100円というお値打ち価格なのに美味しい。

蛸の大きさは比較しようのない小ささ。

でも、旨いんだな。

帰宅してから2日後の26日に立ち寄ったラ・ムー京終店売り場で買ったたこ焼きはできたてのほくほく。

食べ終わっても、また食べたくなるのが怖い。

(H31. 3.24 SB932SH撮影)
(H31. 3.26 SB932SH撮影)

東京漫遊食べ見て歩き②

2020年11月26日 11時13分51秒 | もっと遠くへ(東京編)
ぐっすり眠れた台東区雷門にあるザ・ゲートホテル雷門

目覚めはすっきり。

東側の窓にお日さんが当たってぬくぬく。

いつもなら前日の夕刊新聞に今朝に配達される朝刊新聞を読んで目を覚ます。

そのうちにもよおして洗顔、トイレから朝食に行きつくコースであるが、リズムに乗れない。

目覚めはすっきりしたが排便がスッキリしない。

チェックアウトは午前9時15分。

部屋の開閉とエレベータに乗るためのホテルカードを返却するだけだ。

朝の眺望が気持ち良い13階。

ロビーにはたくさんの泊り客がいた。



いずれも外国の方々。

そういえば、エレベータの途中に乗り込んできた人も外国人女性。

思わず「ハロー」が口に出た。

昨夜と同じ位置から撮った東京スカイツリー。



真っ青な大空に直立する快晴の日。

前夜に見た景観も素敵だが、晴々爽やかな朝も良い。

眼下は昨夜と同じインバウンドの人たちがぞろぞろ歩いている。

すでに雷門の前に群がる人たち。

記念の写真を撮っていることだろう。

本日の行程は・・・浅草から東京スカイツリー。

特定の何を見るつもりもない。

その場に来た、というだけでいい。

主たる目的地は築地場外市場巡り。

題して「お上りさん見て歩き」の行脚である。

9時20分、ホテルを出たすぐ近くに見た昨夜の行列店は浅草牛かつ



安くてボリューミーな肉が美味いらしい。

9時27分、朝ラーは諦めたが、念のためと思って地下街。

東京メトロ線具合がまったくわかってないから地下街はどこにあるやら・・。

ここを下ったら地下街に行けるやもと思って階段を下りかけた、そこにあった「銀座浅草駅」。



昔懐かしい風情を醸し出すこれは提灯飾り。

PIXTA画像サイトに見つかった。

Mサイズ版のプリペイド価格が1944円。

へっ、であるが、インバウンドの人たちも、ここを行き交う日本人も気づかないようだ。

地下行き階段をこのまま下っていけばどこに着くのか。

アテにした地下街はなさそうに思えて地上を歩く。

目指す目的地は東京スカイツリー。

先に見かけた隅田川の欄干。

駅からすぐ近くにある隅田川。

架かる吾妻橋を渡ろうとしたその直後に見た和船。

隅田川に浮かんでいた船宿あみ清屋形船である。



桜咲く季節なら昼間の周遊コース。

夜は飲食しながら都会の夜景を楽しむ人が多いだろうな。

乗船場の和船は停泊中。

そうこうしているうちに向こうの方から走ってきた洋船。

速度は速い。

もうすぐ吾妻橋の下を通り抜ける船も撮っておこうと思って橋中央を少し外れた位置で待った。

この船も観光船であるが速度は速い。

雰囲気をゆっくり味わいたい場合は和船だろうな。



ちなみにこの船は東京都観光汽船・東京湾クルーズの水上バス・竜馬。

乗船場は吾妻橋すぐ近くにあるらしい。

吾妻橋を渡り切ったところに建つアサヒ飲料グループ゚本社。



ネットで大評判になっていたオブジェの金のうんこ(※金運)を見上げたが、この角度ではうんこに見えない。

本社から2筋目辺りの辻を曲がって方角替え。

少し歩くだけで風景は一変する。

墨田区吾妻橋辺りは下町風景。



遠望する東京スカイツリーは歩けば歩くほどに近くなる。

少しずつ変化する下町風景を前景に取り込んで撮る東京スカイツリー。



見上げたお家は丁度洗濯物を干していた。

9時53分、ずっと近くに見えていた東京スカイツリーは遠かった。

荷物を抱えた30分歩き。

肩に腕がパンパンになった。

数カ月前に東京見物をしていたかーさんは東京スカイツリーの経験者。

別に眺めたくもないし、かかる料金もあるが、日曜日の長蛇の行列に並ぶだけでも時間がもったいないと判断してスカイツリー見物は外からだけに・・。

朝ラーを諦めて、朝うどんでも、と食事処を求めて東京ソラマチ内をうろうろ探す。

10時7分、見つかった食事処は東京ソラマチのフードコート。

蕎麦、焼肉、タイ料理、築地海鮮、たこ焼き、鶏料理、中華、うどん、ラーメン、ベーカリーにスイーツ。

一通り見て廻ってどれにするか。

決まった遅めの朝食はうどんにたこ焼き

朝ラー転じて、モーニングうどんである。

うどん店舗は宮武讃岐うどん

たこ焼き屋さんは築地銀だこ

食事を済ませてどこに行く。

その前に買っておいたいお土産の品定め。

東京ソラマチ1階の土産物コーナーで探す間に見た外のイベント。



すみだ春の街歩きイベント刀剣博物館の刀剣研師が実演していた。

11時23分、ついさっき食べたばかりなのにもう昼時間。

地下鉄に乗って下車。

歩いて築地場外市場のコースを考えたら丁度いい腹具合になりそうだ。

東京ソラマチから直接、築地場外市場へ行くにはどうするか。

予め調べていたかーさんがいう地下鉄は都営浅草線押上スカイツリー前駅。

少し離れた向こう側になる。

そこで見納めの東京スカイツリーを見上げて一枚。



東京ソラマチと東京スカイツリーの背比べを撮っていた。

地下鉄に乗車した時間は午前11時30分。



路線図を見て乗換駅、下車駅を確認する。

築地場外市場の最寄り駅は築地市場駅。

乗換駅は都営大江戸線の大門駅である。

慣れない地の乗り換えは迷ってしまうことになる。

時間を浪費する可能性は高い。

そう判断して下車駅は大門駅手前の東銀座駅。

そこからそれほど遠くないところに築地場外市場があるはずだ。

下車した東銀座駅からとぼとぼ歩いたら信号待ち。



そこでチラシを配る女性がいた。

鮨処つきじやを案内するチラシ配りに聞いた築地場外市場。

なんと、信号を渡ったそこです、という。

お店は多数ある。

築地市場は平成30年10月6日に幕を下ろして5日後の10月11日に豊洲市場に移転したが、食べ処の築地場外市場は旧地にまんまあるらしい。

今でもインバウンドのお客さんで賑わっているとニュースが伝えていた。

そこです、と言われてもその角だけでは・・。

チラシの裏面に詳しくお店の場所を案内する地図がある。

それを見ながら、歩いていってください、と言われるが・・・。

到着時間は12時ちょうど。

新大橋通りのもんぜき通りに並ぶ店。

食事をしているお客さんは多い。

ここからは散策がてらに見て歩きの場外市場巡りである。



立ち食いすし処おかめに鮪専門店又こい家。



寿司一番向かいにある越前かに職人甲羅組。



専用車で売る串鮪ステーキとんぼや。



ピンからキリまでいろいろある築地どんぶり市場。



ここもピンキリだが、いろいろありそうな海鮮問屋つきじかん乃。



奥にも食べ処があるつきじかん乃。



つきじかん乃を通り抜けた筋にあった喜代村まぐろ2号店。



次も鮪の頭があるマグロの多喜商店。



美味しそうに焼いていた100円焼売を売る関根商店。



店員さんが撮るなら蓋を取ってあげるよと言ってくれた。

たまご焼き丸武は2店舗。



いずれもテリー伊藤の顔写真を掲示。



片方のお店に行列ができていた超がつくくらいの有名店。



これより2カ月経った令和元年6月7日のニュース報道。

不法残留で就労資格のない中国人の男女2人を働かせていた、と警視庁荏原署はテリー伊藤の兄にあたる社長を、入管難民法違反(不法就労助長)容疑で書類送検した、と伝えていた。

カキ小屋築地食堂も実演販売。

焼きの匂いに釣られて買い食いする人で狭い通路を塞いでいる。

食事処はここと決めた虎杖別館にある築地虎杖裏店

表店もあるようだが、経営者が違うのではと思って避けて裏店に。

ここで食べた海鮮ひつま丼は感動もんの味だった。

時間は午後1時。

帰りの新幹線時間が気になるから築地場外市場を離れる。

目指す駅は東京メトロ日比谷線築地駅。

新大橋通りに沿って歩いたら大きな建物が目に入った。

浄土真宗派の築地本願寺である。



白い雲に真っ青な空が映える築地本願寺の建物。

寺院の造りはどことなく異国を感じる。

築地駅から東京駅。

午後1時40分、地上に出たらそこに鉄骨レンガ造りの東京駅丸の内駅舎があった。



大正3年12月15日に竣工、20日に開業した。

設計はかの有名な辰野金吾氏(大正8年3月64歳没)。

奈良県に今でも存在する建物に奈良ホテルがある。

平成15年に国指定の重要文化財に指定された鉄骨レンガ造りの東京駅丸の内駅舎

新幹線に乗車する時間までたっぷり楽しむ。



写真は北ドームから北ウイング。

しばらくしてから気づいたのだが、これを駅正面の中央口と勘違いしていた。

現在の姿は戦後の昭和22年に復興された丸の内駅舎であるが、恒久的保存・後世の修理に改造された部分を原型に戻すという復原工事に免振化構造を施した。

平成19年5月20日に起工式、復元工事に着手。

平成24年10月1日に復原工事が完了しグランドオープンした。

駅前の広場の整備はそれからで、歩行者空間の整備や交通広場などが全面供給となったのは平成29年12月7日。

つい最近のことである。



東京駅丸の内駅舎の向こう側に林立するビル群。

昼間の光景も素敵だが、夜景はもっと人気があるようだ。

天気が良いから駅前広場のベンチでうたた寝。

さらさら吹く風がとても気持ち良から建物内部まで気がいかない。

ずっとこのままで、と思っていたが、時間帯は午後2時半。

新幹線の出発時間まで残り2時間を有効的にと思って腰を上げた。

駅前広場からすぐ近く。

東京駅傍にある新しくできたJPタワーKITTEへ移動する。



建物内部に入って見上げた天井の鉄骨模様に1階フロアに一息つける人間模様を見る。



歩き疲れてへとへと。

ゆっくり身体を休める4階で一息つける。

座った処はリーデイングスタイルブック&カフェ。

お茶する店内は身動きしにくい満員状態。



座った席から見る外の景色と合わさる裸電球にサッシが織りなす陰影模様が面白い。



JPタワーKITTE屋上に登って東京駅を拝見する。



新幹線以外の線路にいろんな路線の列車がやってくる。

電車が好きな男の子。

母親に連れてもらって、あれは〇〇。



これは□□・・などと飽きることなく自慢していた。

線路から外れた道路に大型観光バスが停車中。

蛇腹屋根を広げたハトバス。



車内清掃を終えたらすぐに走っていった。

屋上から下りてきて拝見した東京旧郵便局長室。



再現された室内であるが、歴史を語ってくれそうな木造部屋の佇まいがなんとも素敵。



ラストの1枚は下りの新幹線車内からとらえた富士山の姿で漫遊記を〆る。



さて、本日の歩行距離は、午前9時~10時までが2631歩。

10時から1時間が1260歩。

以下、11時~1335歩。12時~845歩。13時~1163歩。14時~642歩。15時~851歩。

16時~1125歩の合計が10163歩だった。

(H31. 3.24 SB932SH撮影)
(H31. 3.24 EOS7D撮影)

浅草ときわ食堂の買い出し晩食

2020年11月25日 09時25分22秒 | あれこれテイクアウト
祝いの顔合わせを終えてほっとした長男の住まいする部屋を拝見。

なんと、40数年前に買ったヤマハのフォークギターが部屋にあった。

すっかり忘れていた青春の道具。

今の時代はアコースティックギターと呼ぶようだが・・。

収納するギターケースは埃まみれ。

弦は錆びついたまま。

捨ててもいいか、と言われて・・青春は終わったと思った。

東京・巣鴨の地蔵通り商店街に並ぶお店に元祖塩大福を売る「みずの」で買ってくれた塩大福がテーブルにある。

長男が買ってくれた塩大福を舌鼓。



えー塩梅の塩餡仕立ての塩大福が美味しい。

1時間前までは顔合わせの会席料理を食べたばかり。

お腹はいっぱいなのにぱくぱく。

あっという間に食べきった。

それが晩飯・・ではなく買い出しはこれからだ。

車で送ってくれた宿泊先は浅草にあるザ・ゲートホテル。

受付する13階からの展望が美しい。

宿泊は素泊まり。

お腹は空いていないが、数時間も経てばぐうぐう言い出すだろう。

そう思って少なめにしたい晩飯は浅草を賑わす食堂を探す。

事前にネットで調べていた買い食いできるお店

たくさんあるにはあったが、午後8時の時間帯では閉店ばかり。

雷門から連なる浅草新仲見世商店街をアテこんでいたが、すべて外した。

仕方なく戻ってこようとした雷門のすぐ近くにあった食事処。



棚に唐揚げや餃子があるなら持ち帰りはできるのでは・・。

お店の人に尋ねたら、可能だ、という。

お店のメニューから選んだ手ごろな晩飯は・・。

680円の鶏肉唐揚げに450円の自家製ぎっしり餃子。

なんとなく足らなさそうと思って550円の肉入り野菜炒めも注文する。

この時間帯に食事する若者たち。

道路隔てた向こう側にある「浅草牛かつ」が凄かった。

外国の人たちが並んででも食べたいと並ぶ牛かつ店。

SNSかなんかで紹介されているのだろう。

一方、入店して持ち帰りを頼んでいた浅草ときわ食堂・総本山。

行列はないが、店内の空き席がないくらいに繁盛していたが・・である。

入ってからしまったと思った自家製ぎっしり餃子。

なんと4個で450円。

1個が100円以上もする餃子ってよほど美味しいのだろうと期待をしてみたが・・。

ホテル部屋はたぶんに熱い。

喉が渇いて水分補給。

ホテルにも売っている飲み物は高いに決まっている。

そう思ってホテル横にあるスーパーOZEKIに売っているアルコールを探す。



買い出した飲料水はタカラレモンサワーに氷結を2本。

アルコールを呑みすぎたときの水分補給にキリン生茶も。

ここで長男を見送って部屋に入ってまずすることは入浴。

温泉でもないシャワー風呂。

調節して湯溜め。

洗いは困ったことにバスタブ浸かったままではできない。

かーさんが次に入るから、バスタブを出て頭や身体を洗ったらとんでもはっぷん。

部屋と続きのシャワー風呂に境目がない。

バシャバシャ洗った湯が飛んで、扉の下から流れ込んでいた。

えらいこっちゃの部屋にドタバタ劇。

事件はあったが乾きが早い。

乾燥しまくりの部屋によって喉がカラカラ。

室内温度調整がどこにあるのか、とうとう見つけられずにいた乾燥部屋であった。

あれやこれやあった本日の晩飯。

ようやく口にする浅草ときわ食堂の持ち帰り料理。



和食の店だが持ち帰りした料理は中華料理。

味付けは本格的な中華料理でなく甘めの和食的中華料理。

餃子は固いだけの味。

唐揚げやや大きめのぶつ切りサイズが2枚。

なんと1枚が340円もする唐揚げ。

揚げたてだから良しとするが、旨いとはいえない。

肉入り野菜炒めも同じようなものだが、かーさんは旨いという。

油っぽくなく、しつこくもなかったから食べられると言ってパクパク。

そうか、油が少ないから、旨味がないのだ。

安くて美味しいというが、インバウンド寄りの観光地価格。

これを安くて美味いという感覚はどこか違う・・。

尤も浅草ときわ食堂・総本山のHPにあげているメニュー価格。

何年前のか知らないが、本日価格よりも安い表記。

ぎっしり餃子は420円とあるから30円の差額。

肉入り野菜炒めは500円表記。

これもまた50円の差額。

鶏肉唐揚げの表記は550円。

130円も高いやん。

HP表記の価格帯に釣られてやってくるお客さん。

おかしいと気づかないのが不思議だ。

これならサワー系飲み物を買ったスーパーOZEKI浅草雷店に売っている総菜、弁当系でよかったかも・・。

(H31. 3.23 SB932SH撮影)

両家顔合わせ・気品の庭園に囲まれた木春堂会席

2020年11月24日 09時34分39秒 | 食事が主な周辺をお散歩
長男のフイアンセが決まれば人生初めて経験する両家の顔合わせ。

数カ月前までは、考えもしなかった家族のイベント。

二人にとって具体化し始めたのは昨年の夏ころであるらしいが、方向性が明確に決まったのは平成30年11月3日。

メールで知らせてきたとかーさんがいう。

彼女さんが我が家に来て初めて紹介された日は平成31年の3月2日

それから3週間後には両家の親がともに顔合わせ。

目出度い喜びの会場は東京都文京区にあるホテル椿山荘。

おふくろが当時勤めていた損害保険会社の表彰式に度々のごとく出かけていたという由緒ある椿山荘

ホテルが建つ周辺地域は台地。

南北朝時代から椿が自生する景勝の地であることから「つばきやま」と呼ばれていたそうだ。

江戸時代の初期、松尾芭蕉が深川の芭蕉庵に移るまでの4年間は隣接する関口竜隠庵(※のちに関口芭蕉庵)に住んでいた。

明治11年、山形有朋が私財を投じて「つばきやま」を手に入れ、庭や邸宅を整備して「椿山荘」と名付けた。

大正7年、関西財界の藤田組・二代目当主である藤田平太郎は、山形有朋の意思を受け継いだが、昭和20年の空襲によってほとんどが灰燼に帰した。

昭和27年11月、ガーデンレストランとしてオープンした「椿山荘」。

以来、結婚式場の名門としても利用されてきた。

昭和58年に椿山荘新館のオープン。

昭和62年には庭園内に数寄屋料亭「銀水」が、さらに翌年の63年に現チャペルのヴァンベール。

平成の時代も数々の施設を拡げてきた。(※椿山荘HP参照)

さて、私どもが顔合わせに利用する施設は木春堂(もくしゅんどう)である。

会席の予定時間は午後3時。

15分前に到着したフロアーでまずは顔合わせ。

お会いしてすぐさま自己紹介にご挨拶にふっと思った。

昔から存じているような感覚に陥ったのである。

目と目が合った瞬間に打ち解けたと思った不思議な感覚である。

お話は木春堂でと和服姿の職員さんが案内してくださった椿山荘の庭園。

生憎の曇り空にしっとり落ち着いた感のある庭園が映えない。

林泉回遊式庭園に植生する桜樹はほぼ満開。

晴れておれば美しく撮れると思ったプリンセス雅(みやび)。



空が映えないから幹から直接的に咲く櫻花をとらえていたが、プリンセス雅の名に由来がある。

大島系山桜と緋寒桜との自然交配でできたとされるプリンセス雅。

新元号とともに天皇陛下になられる皇太子殿下と雅子様がご成婚されたのを記念に雅子様の名をいただいて命名されたようだ。

命名当時はプリンセス雅であったが、いつしか「雅」の一文字に移ったが、ここでは、私ども二人の新しき喜びの日にちなみ、祈念のプリンセス雅と呼ばせていただく。

すぐ傍に咲いていた櫻花は交雑種の陽光。

ホテル室内からガラス窓越しに拝見した櫻花は河津桜かなと思えるぐらいに輝いていた櫻花であるが、見込み違いをしていた。

さらに下ったところは赤い欄干が鮮やかな弁慶橋。

対岸から静々と歩く和装姿の新郎新婦が・・。



和服姿の女性職員がついているから新郎新婦の前撮り。

欠かせない番傘は後方につく男性職員が持っていた。

ラッキーチャンスととらえて撮らせてもらうハレの日の予行演習のようなものである。

さらに下ったところに数体の羅漢さんがある。



椿山荘HPによれば、江戸時代中期に京で活躍した絵師の伊藤若冲の羅漢さんのうち19体が、ここ椿山荘に寄せたようだ。

伊藤若冲が晩年に暮らした隠棲寺は京都伏見・深草にある禅宗黄檗宗石峰寺(おおばくしゅうせきほうじ)。

寛政年間(1789~1800)に同寺で伊藤若冲が描いた下絵をもとに石工が造立した五百羅漢像。

明治時代の廃仏毀釈の折りに同寺から散財、流出。

明治時代、山形有朋から譲り受けていた藤田平太郎の先代である藤田伝三郎に移り渡った19体の五百羅漢像。

一挙に椿山荘に移ったわけでなく大阪・都島区の網島屋敷に据えた。

やがて、長子平太郎のときの大正14年に椿山荘へ移設したようだ。

ここまで詳しい解説はしていなかった椿山荘の史跡巡りHP。

隣接する位置に、昔からこと地にあったとされる寛文九年(1869)作の庚申塔もある。



深い彫りで作られた青面金剛をじっくり見たいが、先を急ぐ。

古香井(ここうせい)もあるらしいが、会食の時間が迫ってきた。



時間もないから流水に着水した椿山荘に相応しい椿の花やシャガの花が咲き、熊笹から滴る秩父山系からの地下水が湧き出る湧水の流れを撮っていた。



二人の記念写真はご神木など数か所。

スマホに撮ってもらっていた。

午後3時ジャスト、入口に着いた木春堂(もくしゅんどう)。

木造の木春堂に対して、向かいに建つ茅葺造りの茶室長松亭の全景を撮りたかったが、時間はない。

遅れないように顔合わせの部屋に案内する女性職員の後を追うばかり。



木春堂は、昭和28年に神奈川県中津渓谷沿いに東急グループ創始者の五島慶太が所有していた田舎家を譲り受けて移設した建物である。

建物に風情を感じる趣のある木造階段を上がる。

床板もそうだが古びれた照りが素敵だ。

1階はフロアー。

全席がテーブル席のようだが2階にある“中庵”は個室。

明治から昭和の実業家である藤山雷太氏別荘の茶室。

昭和26年に移築した“中庵”は掘り炬燵だった。

お部屋は“中庵”でなく、個室“大椿”。

足元が温まって身も心もほぐれる掘り炬燵に祝いの会席。

椿山荘HPによれば15000円で贅沢に味わう大切な記念日にご利用をと案内していた映像はまさに同じ情景。

2カ所ある窓から眼下を覗けば桜の木に提灯が・・。



目白台2丁目町会に文京目白台二郵便局の銘があるから神田川堤にある桜トンネルの散歩道を照らす提灯吊りのようだ。

撮った映像は「冠木門入口」辺り。

実は冠木門入口から入った散歩道。

林泉回遊式庭園は無料だと・・。

会席に付くスパークリングの飲み物に生ビール。

向かいの席に座られたお母さんも生ビール。

他は烏龍茶だったかな。

木春堂(もくしゅんどう)会席料理のお品書きは次のとおりである。

始めに配膳されたのは何。



呑んでみてわかった塩漬けの桜花

いわゆる桜湯である。

この時季に相応しい桜湯に和ませる。

前菜は紅白膾(なます)、いくら、子持ち昆布、祝い黒豆、松笠慈姑、竹胡瓜、梅花人参、的場海老、青菜おひたし、合鴨味噌漬け。



どれから箸をつけてよいやら、迷い箸。

どれもこれも味わい深い会席料理に舌鼓。

生ビールがあっという間に2杯目のお代わり。

話題が弾む顔合わせ。

当初は何を話してよいやらと思案していたが、お母さんが上手く話題を引き出してくれる。

それに乗る私の話題提供。

帰り際に言った長男。

二人が話していた時間は9割だったと・・。

次の配膳は吸い物。



蛤真丈(はまぐりしんじょう)、寿人参、青味、茸である。

このころ確か生ビールは3本目だったような気がするが・・。

次はお造り。



本日の三種盛り合わせに妻一式である。

次は多喜(炊き)合わせ。



鶴長芋、亀人参、海老旨煮、茄子揚げ煮、青味である。

和食会席に4杯目。

次の焼き物は国産牛サーロイン。



焼き野菜、サラダも美味しくいただくころは切り替えて何かのチューハイだったような気がするが・・。

食べた料理はこうして撮っておいたからわかるものの、飲み物は撮るよりも口と喉が要求するから撮る気は起らない。

箸休めは茄子鴨炊き、糸賀喜、葱、唐辛子。



これがむちゃ美味かった。

先ほどのサーロイン肉は美味いに決まっているが、これはとても上品な味。

そういえばこれまでいただいた食事はすべてに亘ってお上品。

ホホホ、と言いたいが・・肌に合わない。



食事のご飯ものは赤飯。



お味がよろしいからそのまま食べてしまいそうだが、香の物も。

赤出汁はとうとう撮り損ねた。

ここと温まる話題に酔いしれて、ラストの甘味は本日のもの。



なお、「お米は国産米を使用しております」と書いてあったことを付記しておく。

会食時間は3時間。

お開きを催促されてバタバタした清算は二人が全額を支払ってくれた。



忘れ物はないですか・・。



椿山荘のロビーから撮った盛り花が美しい。

どうかこれからもよろしくお願いしますと挨拶し、椿山荘をでた。



(H31. 3.23 EOS7D撮影)

東京漫遊食べ見て歩き①

2020年11月23日 13時11分46秒 | もっと遠くへ(東京編)
東京行きが決まったのは今月初めの3月2日

長男がこの人だと顔を合わせてくださったフイアンセ。

東京から初めての奈良入り。

そして京都観光を楽しんだ2人が東京に戻った数日後に決まった日、時間、場所。

その日に親同士が初めて出会う顔合わせは本日であるが、以外の時間帯はフリー。

翌日の24日は帰路につくまでフリー。

東京観光巡りにはとバスでもと、考えてみたが、どうなんだろうか。

頭に描いた行先は築地場外市場。

例えばヒルナンデス!でも紹介される東京の美味しさを味わえる食事処は憧れ。

出かけることもないが、いつかはと思っていたテレビが放映する美味しい処に美味いものあり。

どことなく彷徨うわけにもいかないし、さりとて決め手に欠ける東京情報。

ネットでぐぐってみても目が廻るだけで、ポイントが定まらない。

築地市場は豊洲市場に移ったが、今でも食事処がいっぱいありそうな築地場外市場なら、その場で、ここだと決めることができそうだ。

メインは決まったが、さてさて両日はどこへ・・・。

自宅からの交通機関は近鉄橿原線から京都線。

JR東京行きの新幹線に乗車する発車時間は10時56分ののぞみ12号の6号車。

東京着時間は午後1時13分。

切符はネットで買ったわけでもなく、旅行代理店でもない。



近鉄郡山駅前にある金券ショップで買った割安券をもってJR大和小泉駅で交換した指定席券である。



乗車時間を決めたのは顔合わせの会場時間である午後3時を遡って調整した。

東京に着いてからは山手線に乗り換えて長男が住み替えた巣鴨に向かう。

巣鴨で少しの時間が確保できる。

そこ巣鴨に何があるのか、長男が教えてくれたとげぬき地蔵に決まった。

顔合わせは午後6時過ぎまでかかるだろう。

宿泊先も長男が手配してくれた。

そこは外国人がいっぱいの淺草。

夜ごはんもあるが、少しでも見ておきたい浅草の光景。

近くに東京スカイツリーがあるというから、いいね、である。

東京観光お上りさんコースはこうして決まった本日の漫遊先である。

朝に自宅を車で出発する。

行先は東京でなく近鉄九条駅西側にあるスパーク奈良九条駅前。

丸一日の駐車料金は400円。

丸々二日間なら600円。

一般的な計算では800円になろうが、ここは600円。

ありがたく利用できる前払い駐車場料金システムが嬉しい。

近鉄九条駅から乗車した列車は近鉄西大寺駅で京都行の快速急行に乗り換える。

近鉄京都駅の改札口からすぐ前にある新幹線改札口へ。

まずはトイレ休憩。



乗り降りする人たちでいっぱいになった構内。

トイレの数が少ないのか行列待ち。

どこでもそうだが、女性はたいへんだといつもそう思う。

車中で食べる弁当を買った京都駅グランドキヨスク。

ここも大勢の人たちでごったがえしていた。

早く行かないと、というかーさん。

そんなに慌てなくても指定席。

極端に云えば最後列であっても十分間に合うのに急ぎたいプラットホーム。



のぞみ12号がすーっと入ってきた。

それから2時間と少し。

東京駅に着いたら山手線に乗り換えする。

どこをどう行けばさっぱりわかっていないからかーさんが指図する通りに足を運ぶ。

巣鴨駅に着いた時間帯は午後1時45分ころ。

階段を登り切ったところにあるトイレに急行。

移動する度に見つけたトイレで用を足しておくのは利尿剤服用の関係。

旅先で服用する常備薬は本日の昼、夜に翌日の朝、昼の2日分。

どれもこれも大事な処方箋を忘れてしまえばとんでもないことが起こってしまう。

それはともかく改札口を出たところに長男が待っていた。

重たい荷物は貸金庫、でなく貸しロッカー・・でもなくタイムパーキングに停めた長男の車が置き場。

駅からすぐ近くにあった駐車場は15分利用で100円。

1時間で400円だからとてもお安いパーキング。

東京都23区内にこのようなお安いところがあるとは・・。

信号待ちに見た向こう側。



駅前北口から見た光景であるが、どことなく不思議さを感じた。

信号を渡り切るまでにわかったそれは太陽光パネル。

大通りは白山通りの名がある国道17号線(旧中山道/江戸時代の五街道のうち一つ)。

道に沿った町並みは商店街。

巣鴨駅前商店街ソーラーアーケード

平成18年に全面設置された商店街整備事業に毎日発電。

地元では「巣鴨駅前商店街太陽電池発電所」と呼んでいるようだ。

太陽光パネル下の通りを歩いて気がつく買い物客や地元民の姿。

若い人以上に多く見られた高齢者。



服装品や小物を売る店を見てわかった高齢者の行き交う町。

女性だけでなく男性も辻ごとにたむろする情景を見た。

ネットによれば別名に“おばあちゃんの原宿”と書いていたブログもあった。

都会の百均ショップに買い物する姿も見て取れる。

尤も、“おばあちゃんの原宿”と書いているのは私的なブログもあるが、公的機関の豊島区役所がどうどうと発信しているから驚いた。

逆に、“おばあちゃんの原宿”と揶揄する巣鴨の町に若者が注目しているというブログ記事もある。

“おばあちゃんの原宿”をキーワードに検索してみれば現在を生き抜く“民俗”も垣間見る。

しばらく歩いたところで辻立ち姿の托鉢僧侶を見かけたが・・・。

場所は真言宗豊山派の眞性寺(※豊山派総本山は奈良県桜井にある長谷寺)前の角地。



江戸六地蔵尊を示す石塔がある。

詳しくは巣鴨地蔵通り商店街HPの「江戸六地蔵尊 眞性寺」を参照されたい。



そこより少し歩いたら巣鴨地蔵通商店街に着く。



目が行ったのは支柱に貼っていた「庚申塚」。



豊島区最古の史蹟という庚申塚は、安藤広重が描く浮世絵に名所として紹介しているようだ。

案内に「昔懐かしいチンチン電車(※都電荒川線)も走っています。お帰りにご利用ください」とある。

にぎわい通りのような情景を見せる巣鴨地蔵通り商店街に有名な塩大福を売る店があると教えてくれる長男。



手前にあったお店は「開運 塩大福」を売っている「東京すがも園」。

しばらく通りを歩いていると向かい側にも「塩大福」の文字が・・。



こちらのお店は「元祖 塩大福」を売る「みずの」。

企業概要によれば、創業は昭和12年。

昭和38年に塩大福を発売したとある。

一方、東京すがも園のHPにある塩大福。

当初は“腹太餅”あるいは“うずら餅”の名称だった。

時代は元禄年間(1688~1704)、また、明和年間(1764~1772)。

辻商いの屋台売りが安永年間(1772~1781)のころとも「なれば名は“餅饅頭”に。その後の寛政年間(1789~1801)ころに名は“大福餅”へ。そのころの大福餅が、塩味のつぶし餡から砂糖のこし餡に移った」とあった。

歴史的な変遷を記す創業80有余年という「東京すがも園(閉店)」に対して、「みずの」は先代の龍吉が“名物を作り、町起こしをしたい”と一念発起。

二代目の三郎が千葉県の九十九里浜で製塩をしていた経験を生かして龍吉の出身地に伝わる「塩あんびん餅」をヒントに、独自風味の大福餅を創りあげた三郎が名付けした、とある。

ちなみに塩大福を売る店はもう1店舗あるようだ。

創業が明治40年の「伊勢屋」。

機会があれば、3店舗がそれぞれの味を生み出す塩大福の味比べをしてみたいものであるが、うち「みずの」の塩大福を長男が買ってくれた。

もっちゃり感ある塩大福の味は素朴な味でもなく、さすがの味。

ぺろりと食べてしまうほどに美味かった。

餅よりも海鮮寿司を提供する回転寿司海鮮三崎港のネタが気になる。



老舗だろうと思える店構えの茶舗山年園を見ながら先に進んだところに明かりが灯っていた。



とげぬき地蔵尊高岩寺の信徒会館前に立ててあった大型のこけしを模した行燈

青森県津軽にお住いの森勇一さんが制作されたこけし灯籠とある。

会館内にこけしを展示していると案内しているが、興味あるのは巣鴨・高岩寺の様相を伝える「写真歳時記」。

時間があれば拝見したいが・・。

その先は、とげぬき地蔵尊で名高い慶長元年(1596)に創建された曹洞宗寺院の高岩寺(こうがんじ)

創建当時は江戸湯島であったが、明治24年(1891)に現在地の巣鴨に移った。

午後2時の参拝者。

活気溢れる巣鴨地蔵通り商店街のお店行きは参拝を済ませてからであろう。



山門を潜ったらまずは手水を取ってお清め。

1束50円のお線香を購入して火点け。

本堂正面にある大きな香炉に投入。



そして、線香の煙を患部は病気平癒の願掛け。

本堂左側の行列は洗い観音。

これもまた病気治癒を願う、自身が気にかける患部に水を流して洗えば治ると信ぜられた。

その右に建つ地蔵菩薩立像もあるが、とげぬき地蔵尊と呼ばれるのはご本尊である。



境内に屋台で露店売りをしている人がいる。

近くに寄ってわかった屋台売りはドライフルーツを売っている井原商店。

さんざし、マンゴパイン、マンゴー、ドライいちご、あんず、白いちじく、クランベリー、クコの実などなど。

とげぬき地蔵尊は本尊延命地蔵菩薩。

本堂に上って手を合わせる。



寺縁起略記によれば「江戸時代、武士の田付又四郎の妻が病に苦しみ、死に瀕していた。又四郎が、夢枕に立った地蔵菩薩のお告げにしたがい、地蔵の姿を印した紙1万枚を川に流すと、その効験あってか妻の病が回復したという。これが寺で配布している「御影(※みえい)」の始まりであるとされる。その後、毛利家の女中が針を誤飲した際、地蔵菩薩の御影を飲み込んだところ、針を吐き出すことができ、吐き出した御影に針が刺さっていたという伝承もあり、“とげぬき地蔵”の通称はこれに由来する」とある。

参拝を済ませて戻ってきた通りに待ち構えていた取材陣。



業務用録画機を肩に担いでいたカメラマンにマイクロフォンをもつインタビュアーにデイレクターも。

通りかかる人に突然取材しようとしていた取材クルーはNHKエンタープライズ。

腕章の色具合でわかってしまう。

実は、取材クルーは2月21日に参拝、金五万円を献納していた。



隣は「開運 塩大福」を売る「東京すがも園」だ。

NHKエンタープライズがインタビュー待ちする位置から数百メートルも歩かんうちに声をかけられた。

もう一つのテレビ局である。

こちらの取材陣は業務用録画機カメラマンが不在。

マイクロフォンをもつインタビュアーにデイレクターの2人組はBS朝日の取材クルー。

先に歩いてさっさと行ってしまった家人から離された私にインタビューを受ける時間がない。

申しわけないが、「奈良から来ました」と伝えたら驚いていた。

巣鴨地蔵通り商店街の途中に建つ小屋。

何やら白い物体がちらちら見える。



何があるのかと思って近づいたら、それはでっかいお尻だった。

「お尻を触れば結ばれる。優しく触れば世話いらん」とある「すがもんのおしり」って何なん。

なんでもお尻を触れば恋愛成就のご利益があるらしい「すがもんのおしり」は商店街の公式キャラクターだった。

午後2時半、駐車場に戻って出発する。

目的地は文京区関口にあるホテル椿山荘。

待ち合わせ時間ぎりぎりに到着した。

これより始まる両家の顔合わせホテル椿山荘内にある木春堂(もくしゅんどう)。

会席料理をいただきながら愉しく、そして陽気に歓談させてもらった。

場を離れて長男が住む巣鴨に戻ってきた。

夜の巣鴨に訪ねる居住地である。

午後6時半から1時間。

部屋でゆっくり寛がせてもらった次は、予約してくれた台東区雷門にあるザ・ゲートホテル雷門。



当初予定では電車を乗り換えて行くつもりにしていたが、ありがたく車で送ってもらった。

ザ・ゲートホテルに到着した時間帯は午後7時40分。

午後8時までにチェックインしてくださいと言われていたから、無事に着いてほっとする。

ホテルのフロントは13階。



このフロアーから見る浅草界隈。

東京お上りさんの憧れは東京スカイツリー。



室内照明が映ったガラス窓から見える東京スカイツリー。

左眼下に見えるのが浅草・浅草寺の雷門。

雷門通りと思われる地に見えるレトロビルヂングもある。

方角を90度移したら浅草寺に五重塔が見えた。

今夜も明日も拝観する時間がない浅草寺は13階から拝ませてもらうことになった。

ホテル宿泊代は前払い。

ネットで申し込みしたら1割引であるが、全額を負担してくれたのは長男。

ありがたく受け入れる。

支払いを済ませたら雷門へ出かける。

今夜に食べる買い出し作戦。

浅草新仲見世商店街に好みのメニューを見つけていた。

そこに行けば何かが見つかると思って下りた浅草寺の雷門前。



午後8時ころであっても賑やかさは少しも衰えていないように思えた。

インバウンドにやってくるさまざまな外国の人たち。

テレビ報道で見ることはあっても実情を見ることはない。

テレビ映像は切り取り。

その一部分を紹介して放映する。

尤も、私どものようなカメラマンも同じ部類。

全体像を撮ることはあるが、作品的に紹介するのは切り取り映像。

周囲に本来の姿が見え隠れする。

夜8時の淺草観光に日本人の姿はない。

隅から隅まで見ているわけでないから見落としていることもあるが、その大勢さに圧倒される。

雷門をバックに撮る人たち。



夜8時はすべての商店がシャッターを下ろした浅草新仲見世商店街を歩く。

何を求めているのだろうか、白けた照明にたむろ歩きをするインバウンド

不思議地帯に迷い込んだ錯覚感に陥る。

ちなみにどなたも背景に撮っている雷門は、10年に一度は貼り替え、新調されて吊り替える。

大きな提灯を製作している会社は京都・四条にある創業が享保十五年の高橋提燈㈱。

昭和35年、松下電器産業(現パナソニック㈱)の生みの親である松下幸之助氏が、雷門を寄進奉納したことがはじまり。

当時の貫主にお願いされて実現した雷門の復興事業である。



その空気感を避けて大通りに出てシュッとした東京スカイツリーにワクワクする1泊2日のお上りさんになっていた。

来年の2020年は東京オリンピックが開催される。



東京スカイツリーのLEDライテイングもまた愉し、である。

お上りさん気分に満喫していて、すっかり忘れていた今夜の買い出し。

長男がスマホで探してくれたが、直接お店の人に尋ねた方が早い。

そう思ってそこにあったお店に飛び込み営業・・ではなく聞き取り調査。

「持ち帰りはできますか」である。

「汁もの以外なら」の回答に口にした「唐揚げ」・・。

どうぞ、お店に入ってもらって注文ということで、メニュー探し。

その間にも続々と入店する観光客。



お店を開店しているだけで入店する人多し、である。

一方、SNSなどに紹介されている食事処は行列ができていた。

ちなみに朝ラー、である。

ホテルの予約に朝食は組まれていなかった。

尤もホテルの朝食は卵料理にサラダ付きで2160円。

バイキング料理かどうか知らないが、食べたくなったのは朝ラー。

つまり、朝からラーメン。

ホテルの部屋で探そうと思っていた近くのラーメン屋。

なんと持ち帰り食を注文していたときわ食堂の左隣にラーメン屋が・・。

らぁめん花月嵐は手ごろなメニュー。

そこにしようと思ってはみたものの、開店時間が午前11時。

こりゃダメだが、らーめん弁慶は朝7時からしているようだ。

ちなみにこの日の歩行数は6116歩。

距離はそんなになかったということだ。

(H31. 3. 8 SB932SH撮影)
(H31. 3.23 SB932SH撮影)
(H31. 3.23 EOS7D撮影)

新幹線京都駅グランドキヨスクの鶏照焼き重

2020年11月22日 10時24分02秒 | あれこれテイクアウト
午後3時より始まる会席である。

会合はおそらく3時間。

晩飯はそれであるが、さて昼食はどうするか。

朝食はいつも通りにいただいた午前8時。

逆算しても中途半端な時間に昼食はおにぎり、或いは小さめのサンドイッチを想定していたが、京都駅に着いたころにはもうお腹が合図を打っていた。

新幹線京都駅構内にさまざまなお土産売り場がある。

食事処も数多くあるが腰を下ろすわけにはいかない。

ここならお目当ての何かが見つかるだろうと思って新幹線京都駅グランドキヨスクの棚を見て廻り。

これだと決めた昼食は弁当。

550円の鶏照焼き重がお手頃。



走り出した新幹線車内で食べる鶏照焼き重の美味しいこと。

一口食べて、これは美味いと唸ったが・・・。

鶏肉が固い。

固くても食べられる鶏照だが、しまったと思った。

ときすでに遅しである。

気づいても新幹線車内に電子レンジがない。

列車が来るからの催促にレジ支払いを慌てていた。

残念なことであるが、味がしっかりしているから旨味抜群である。

照り焼きのタレは濃いめ。

たしかに美味い。

皮もしっかりしてぷるるんも美味いが、もっと旨かったのは鶏団子である。

味がしゅんでいる鶏団子の旨いこと。

その下にいっぱいあった鶏そぼろは極上の味。

煮込み汁がご飯に馴染んでこれまた旨い。

底の底まで旨味がたっぷり。

さらに美味しいスクランブル玉子焼きはそぼろ作り。

美味い味付けは感動もん。

紅生姜がさらに引き締める味具合。

どこか目立たない味だったのがインゲンマメの天ぷら。

あっさりした具合はこれ以上の濃さは求めない。

ガツガツ食べるご飯の友は2品。

コウコに桜漬けでばんばん食べてしまう。

そうそう、表面には見え難いちょっとしたもの。

隠れていたキンピラゴボウも乙な味。

最後の締めに口にした一品は松前漬け。

鶏、鶏、鶏ときた鶏照焼き重に異種的と思える松前漬け。

日本酒が飲みたくなる一品だった。

(H31. 3.23 SB932SH撮影)

旧都祁村白石町・刺しさばの天日干し

2020年11月21日 09時24分56秒 | 民俗あれこれ(干す編)
明日香村の大字岡や飛鳥、甘樫丘を巡っていた。

取材したかった地域行事のすべてを外した。

日程も時間も外した。

空いた時間は有効的活用したい。

そう思って車を走らせた。

目指す地域は大和高原の一角。

旧都祁村である。

目的地は大字白石であるが、通り道に選んだ地区は南之庄

旧道を東に向かう。

信号白石手前にあるお店が目的地。

先に見ておきたいのは商店の駐車場である。

もしかとすればあるのでは、と思って停車したら、そこにあった。

広場のような駐車場の一角。

それこそ、広地の隅にしていた刺し鯖の天日干しである。

1カ月前の6月17日にも立ち寄った奈良市旧都祁の白石町・辻村商店である。

その日に聞いていた刺しさばの天日干し。

想像した情景とは違っていた。

女将さんの話しから想像していた情景は駐車場いっぱいに広がる天日干しの景観だった。

停めた駐車場にあった天日干しの台はビール瓶のケースだった。



黄色に緑色、赤色、クリーム色などのビール瓶ケース。

その上に金網を敷いて開き姿の鯖を並べていた。

塩塗れの鯖は樽漬け。

今回は拝見していないが、黄色い漬物樽に塩たっぷり振りかけて押していた。

何層にも積み重ねる背開きの鯖の塩漬けである。

何日間も漬けて晴れ間が続く日を迎えたら天日干し。

7月に入ってからの梅雨明けにすると聞いていたから、まさにその通りの日程であった。

天日干しの鯖は供えものでもあるし、食べ物でもある。

狙っている動物から守る道具がある。

道具は黒色の寒冷紗。

カラスや猫除けに黒い紗を被せていたが、辺りは僅かであるが生臭い匂いが漂う。

この日も、前日も上昇する気温。

35度から37度にも達する勢いに塩漬けしていた刺し鯖は焼けた色。

店主はこの色をべっ甲色と云っていた。

確かにそう思ったべっ甲色は美味しそうな色具合。

カラカラに乾いた塩の塊もたっぷりある。

沙を被った状態で撮っていた炎天下。

しょっぱい汗が滴り落ちる。

お店に入って声をかけた女将さんが私の顔を見て・・。

村の人の服忌が連日続いていて仕出し料理で忙しくしていた、と逆に詫びられる。

それは仕方のないこと。

私が撮る写真のために商売をしているわけではない。

拝見した天日干しの鯖はざっと数えて63枚。

次の鯖も準備している塩漬け。

そろそろ引き上げる日になった、と店主は動いた。



連日、朝から夕方近くまでの天日干し。

夕方になればすべての干し鯖を回収して、翌朝にまた並べて干す。

その作業の繰り返しで日増しに濃くなる鯖の色である。

たっぷり浴びた天の恵みで色焼けした鯖は両親が揃っている家庭では、二枚重ねで盆に供える。

供える鯖は二尾。頭に頭から突っ込んで挿すから挿し鯖であるが、ここ辻村商店では刺しさばと呼んでいた。

その表記で売っていたのを見つけたときは小躍りしたものだ。

沙を少しずつ捲ってくれる店主。

こうすればえー写真が撮れるだろうと云って捲ってくれる。

鯖の向きが並んでいる。

鯖の顔、顔、顔に焼けたべっ甲色。

白い塊が塩である。

海辺で魚を干す地域は数多く見られるが、ここは奈良県。

海はないが、こうして天日干しをする景観をとらえるのは初めてだ。

心が躍るのを抑えながら撮っていた。

毎年に百枚を干す。



一回当たりの天日干しの枚数である。

昨年は売れ行き予想の変化もあって20枚減らしたら売り切れてしまった。

それからも注文が途絶えなかったから、大慌てて追加の天日干しをしたそうだ。

盆に供えなくとも刺しさばだけを購入する人も多い。

明日は早速、売り出しにかかる。

店前に掲げる売り出し表示を見た人たちが買いに来る。

今年は宇陀市榛原に住む人が予約していた。

枚数は少ないが、どこかで人づてに聞いた刺しさばの売り出し店。

宣伝もしないのに来てくれる口コミがありがたい、と云う。



ちなみに店主は、「このままでもえーが、ちょっと箸で摘まんでお茶漬けで食べるのがイチバンだ」と云う。

うち、一枚をもらって帰って、今夜に食した刺しさばのしょっぱいこと。



付着していた塩の塊を流水で落として冷蔵庫に数日間入れておけばカチカチ手前。

その状態が美味しいらしいが、早くも今夜の料理の一品足し。

箸で突っついて解した肉を皿にとる。

今夜のメシに茶漬けが美味いといっていた刺し鯖。

とってもしょっぱいが、発泡酒のアテにちょびっとだけを摘まんで口に入れたら・・・・。

思わず口に出た「しょっぱっ」。

以前も食べたことがあるサシサバは、もっと辛かった。

そのときの味わいをつらつら綴ったコラムを書くことになった。

発刊された刺しさば喰い体験記コラムは、この年の3月に山と渓谷社が発刊した『サバが好き!』に掲載されている。



コラムタイトルは「刺鯖は塩辛い」である。

また、以前、山添村で取材したサシサバ風習をとらえた写真も掲載している。

取材先は大字北野・津越のOさんが経営する大矢商店。

奇しくもここ辻村商店と同業者。

二人の店主は奈良食品衛生組合員でもある。


つい先日も大阪のホテルで組合員の会合があって同席していたという。

私にとっては、刺しさばで縁を繋いでもらったようなものだ。

白石町の店主は大字神社の国津神社の座中。

座は上の六人衆と下の六人衆からなる。

昨年のマツリの頭屋を務めたお家は、かつてだるま瓦作りをしていたお家のFさんだったと云う。

ちなみに店主のTさんは、控えになる下の六人衆の頭。

上から年齢順にくだった下の六人衆の筆頭頭であるが、頭屋家が注文するマツリの日は11月2日、3日の両日にもてなす料理の一切をしなくてはならない。

座の料理の一例を拝見したが、それはそれなりの豪華な盛りの特別な料理である。

また、白石町には庚申講や伊勢講があるという。

庚申講は2カ月に一度はヤド家に寄り合う営みがある。

夜7時に始まって3時間。

飲んで食べての3時間もあれば、2年に一度は他府県に旅行もする。

伊勢講も年に3回の営み。

これらは現在敬神講の呼び名になっているらしい。

また、この年の4月8日にたまたま拝見した白石行者の大祭

尤も大祭行事そのものを拝見したわけでなく幟をしている場付近まで近寄っただけだが・・。

白石行者は徳のある人だったそうだ。

江戸時代末期に成立した天理教の場合は教祖さんが中山みき。

仕えていた人たちの力があったから今日に至るが、白石行者も同じ時期に活動していた。

周囲に人の居ない独り活動だったそうだ。

大祭に奈良市内の清水町にある監督する寺僧侶が来られて法要を営んでいるという。

さまざまな白石町の行事を教えてくださった店主の六代前は、実は東隣にある室生の多田。

多田で思い出すのが多田源氏である。

大阪・摂津より室生に移り住んだ多田経実(つねざね)が祖。

摂津源氏の嫡流にあった多田経実は源満仲(多田満仲)の8代孫にあたるらしい。

鎌倉時代の建保年間(1213~1218)に当地に移り住んで土着した。

多田氏家の末裔になるT家は融通念仏宗派。

興善寺で行われる先祖供養に「多田屋敷云々・・」と回向されると話していた。

ちなみに刺しさば(鯖)でなく、干物のトビウオ(飛魚)を供え、食する地域がある。

今でも食べていると話してくれた山添村の大西に住むFさん。

8月14日のお盆にするイタダキの作法である。

両親が揃っている場合は、用意したお盆にホントビを2尾並べる。

形態は、サシサバと同じような具合だろう。

仮に片親であれば、ホントビが1尾。

両親二人ともが死去している場合は買うこともないし、作法もない。

両親(もしくは片親)はイキガミ(※生神)さん。

お盆にイキガミサンを祝ったら、奉ったホントビを食べる。

一同、家族がホントビの身を分け合って食べる、と話していた。

ホントビの購入先は、三重県伊賀市の治田にある魚屋さん。

大西から名阪国道を東に走った地に治田がある。

山添ICから5kmも走ったところの治田。山添村など奈良東山間部は距離的に近い三重県寄り。

文化流通は奈良県よりも、三重県側が濃密な関係にあった。

平成2年11月に発刊された『月ケ瀬村史』によれば、大西の隣村になる菅生(すごう)や、今は奈良市に属している旧月ケ瀬村では、婚家から里方へ中元贈りにトビウオがあった。

お盆のとき、その中元贈りのトビウオをドロイモ(※里芋)の葉の上にのせ、両手で抱えてイタダキの作法をするとあった。

山添村の桐山でも聞いたサシサバ習俗

ある人はサバでなく、トビウオだったという。

同村の箕輪で若奥さんが話してくれた岩屋もまたトビウオだった。

嫁入りした箕輪にその習俗はなかったが、生まれ育った岩屋でしていた、という。

両親が揃っていたら、2尾トビウオ。

片親であれば1尾のトビウオ。

塩辛いトビウオを供えて食べていた、という。

岩屋は、トビウオを売りにくる行商から買っていた。

また、東山間部でなく、桜井市箸中にもサシサバがある。

お盆の習俗でなく、箸中で行われている「ノグチ」と呼ばれる村行事に供える事例である。

名称はサシサバであるが、一枚の背開きの鯖である。

開きといっても生干しの白身魚でなく色はこげ茶。

サシサバ同様に塩たっぷり詰めて干した鯖。

サシサバは日焼けに焦げて色がつく。

箸中の史料によれば、かつては鯖でもなく飛魚であった。

ここ箸中にもあったトビウオの形態。

探してみればどこかにまだまだあるかもしれない。

(H30. 7.14 EOS7D撮影)
(H30. 7.14 SB932SH撮影)