マネジャーの休日余暇(ブログ版)

奈良の伝統行事や民俗、風習を採訪し紹介してます。
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ラストになった私がとらえた大和の民俗写真展、当番日の訪問にありがとう

2024年10月10日 07時59分45秒 | 民俗を語る
今日も、県立民俗博物館併設大和民俗公園内施設の古民家を活用し、「私がとらえた大和の民俗」写真展を開催している。

県立民俗博物館の意向により、今回が最後になった、「私がとらえた大和の民俗」写真展

当番日以外もできる限り、立ち寄り、来訪者に解説をしていきたい、と思っている。

午後1時から午後4時までが当番枠だが、たいがいは蛍の光が流れるまで、ぎりぎり滞在してきた。



会場近くまで来たとき、学芸主任のYさんに出逢った。

定年後は再任用勤め。

今月いっぱいで退職される。

十数年前、初めて県立民俗博物館に来館した。

調べたい大和郡山市の地域に子供たちが主役の行事を教わりたく門を叩いた。

地区は、椎木町。

行事名はショウブデンボ


ショウブは植物の菖蒲。

漢字は、菖蒲であってもアヤメ。

ショウブとアヤメの違いは、わかり難い


尋ねた結果は、調査したが最後になった、という。

対象とする子どもが村にいない。

誕生の報せもなかった旧村地域。

場所だけでも見ておきたいと、思って訪れた平成19年の5月26日

そこでお逢いした椎木の住民。

ずいぶん昔になるが、子どものときに体験した詞章は、「ネーサン ネテルカ オキテルカ ショーブデンボデ イオタロケ」の囃子詞だった。

囃子の内容といい、節回しがさも似ている「わらべ歌」のような・・・

子どもの、今は・・に期待し、翌年の平成20年にも再訪した。

ショウブデンボは、6月6日にしていた、と資料にあったから、その日に合わせて出かけたが・・・

Yさんは、さまざまな民俗を教えてくれた一人。

逆に、学芸員でもわからないことがあり、その際に反応した行事は、私が取材、或いは見聞きした範囲内で協力していた。

DVD化に旧い映像を私に見せて、ここはどこ?何をしているのか・・・にも対応したことがある。

ところで、教えてほしいことが1件ある。

それは、令和4年の企画。

「博物館でひなまつり」に展示していた”陶器製の立ち雛”
である。

室生の毛原に住む知人のFさんが、FBにコメントしてくれた「京都・立雛の作り手の名前を揚げてほしい・・」、一件である。

展示上では「回答のできない明治期になっているが、実際は江戸期。たぶんに集団工房で造りこんだものと推定している」、という。

集団による工房造りであれば作者の名は表に出ない。

実は。展示した立雛はYさんが個人的にあるところから買ってきたもの。

大阪のある文化施設に展示していた立雛の出里は奈良橿原の豪商であったようだ。

その豪商がどのような形で入手したかは、謎であるが、どうやら当時は大量に買い付けて、なんらかの祝い事に配ったようだと推定されている。

大阪の展示でわかった大量にある同形の立雛。

つまり大量生産する工房があったからこそ、それが可能だったことと、配る風習があったことによる立雛の生い立ち・・・に、だから作者の名はわかりようなく、答えられないものであった。

そのことは、私はある程度、推定はしていたが、まさかの豪商が購入。

金持ちだからこそできる手段であり、それが配る風習も絡んでいたとは・・・民俗って奥深い。

謎解きが、博物館学芸員の役目。

さまざまなことを調べて推論をたて、立証する素晴らしい職業を失った3人の学芸員。

大波乱であるが、根にあるのは、すべて県予算。

民俗調査、報告、展示に予算が組み込めない事態。

組織というか、民俗に知見どころか、見識のない人たちの怠慢が問題の根であろう。

立ち話に、もっと時間は必要だが、今日の古民家写真展は私の当番日。

早速、訪問された数名の男性。

名前を告げられて、はっとした。

そう、FBに度々訪れ、民俗に関心を持たれている川西町結崎にある大念仏・融通念仏衆 萬福山超圓寺の執事・徳野良裕氏であった。

展示見学に、わざわざお越しいただいた人たち。

徳野良裕氏は、六斎念仏鉦を調べている私を先生と呼ぶ。

まさかの先生呼びであるが、論文を執筆しているワケでもない、あくまで肩書は民俗写真家。

あるていど、というか。

ひとさま(※他人さま)より、ほんのちょっとは知しっているというレベルの私に、なんと手土産持参で来られた。



過去、何度か、同様に手土産をいただいたことがある。

お返しは、民俗行事の解説に替えて・・・

写真家たちが、それぞれ展示されている作品に一つ、一つ、作者の思いも含めて、丁寧(※にしたつもり)にさせていただいた。

順に、解説したラスト映像は、動画も収録された安堵町・寺垣内で行われた最後の営み。

映像にかつて取材させていただいた東安堵の大寶寺六斎講

取材当時の代表のお顔もあった作品は「最後の営み」。

収録後に解散された念仏講の人たちの姿をとらえていた作品の出展者は、當麻武氏。

初の展示に、初の動画作品も写真展に華を飾った。

その解散話題から、話してくれた。

実は、私たちは川西町上吐田に住まいしているが、世話になっている寺院は、大念仏・融通念仏衆 萬福山超圓寺ですが、まったく別の組織である講が、今度の営みが最後、と伝えられた。

お逢いした講中のUさんの話しによれば、6軒で営みをしているそうだ。

その講は「センゲンサン」。

富士の山こと、浅間(※せんげん)さんを崇敬する講


同一名称のセンゲンサン。

奈良市古市の講の営みを取材した
ことがある。

いつからはじまったのか、わからないが、上吐田のセンゲンサン行事は、最後の営み。

二日後の3月13日に行われる。

集まる場は、講中のお家。

まわりの家にきてもらうが、所在地がわかり難いから上吐田の春日神社に来てもらいたい、といわれた。

春日神社の行事といえば、春祭りがある。

たまたまのご縁に、取材させていただいた平成25年の3月17日


また、上吐田のとんど行事も・・・

たぶんに、奈良ではいちばん遅いニノ正月のとんど。

春祭りの1カ月前の平成25年2月15日


雨天決行の情景が印象に残っているだけに、承諾を得て最後のセンゲンサン行事に伺うことにした。

ちなみに、本日ご一緒された、もう一人の方もご住職。

なんと、立地する場は存じている大和郡山市小泉町・融通念仏衆維摩寺(※ゆいまじ)のH住職。



ご縁が広がる当番日。

午後2時15分。

今、駐車場に着いた、と電話をかけてくれた方は、これまたなんと神社の宮司。

今から写真展を拝見するから、と伝えてくれた。

宮司は、父親の代からご縁繋がりの奈良市阪原町にお住いの太田和秀宮司。

平成30年3月4日、山添村大西で行われた稲荷神社の初午行事以来、しばらくご無沙汰している。

古民家写真展に合流することになったお二人。

正式衣装で並んだら僧侶と神職。

神仏混合のお二方が、同時に観てくださる。

こんな嬉しいことは二度もないでしょ、と伝えて、解説した私のテーマ「コロナ禍、そのときのT家は・・」。



それぞれの写真家たちがとらえた大和の民俗情景も、その撮影主旨や、見方のポイントを語った。

所用がある、と先に帰られた僧侶と講中にありがとうございました、と見送った。

ところで、と話し出した宮司は、撮影協力を願われた。

行事は、現在、コロナ禍で中断しているから、それではない。

撮影対象は、現在奈良県美術館に寄託保管していただいている五枚(※実際は六面であった)の古い能面(※文化財一覧によれば室町、桃山、江戸時代)である。

撮影は、当初、村の人が所有するデジタルカメラで収めようと、していたそうだ。

簡単に撮れると判断したが、素人では、えー写真にならん、と判断。

その代わりのお鉢に私の名前があがった。

指名したのは太田和秀宮司。

ありがたく受け止めたが、能面は極力移動させず、美術館内のある一角で撮影するらしい。

撮影は、本来ならスタジオ撮影。

影を出さないよう、細心の注意が要るどころか、ラインティングは少なくとも2台か、3台。

数台のストロボ装置に同期も要る。

なんせ、ちゃちゃっと撮れるものでもない。

しかも、撮った写真データは、村に寄託している奈良県美術館も提供。

保管され、展示する場合があれば、使用したい、という。

では、村ではどのように、である。

能面は、普段見ることはない。

ないが、手元(村および神社)に置いておかない、と代々が失念することも考えられる。

また、観光などで神社に来訪される人たちに、昭和30年に県指定された村の貴重な有形指定文化財の能面も伝えたい。

掲示する立て看板も新しくしたい、と・・・

撮影日も時間も、既に決まっていた有形指定文化財の撮影。

宮司は、2本のUSBを持参されるので、撮影後の当日預かり。

撮影すべてのデータと選択したデータをそれぞれのフォルダごとに収めて提出することにした。

とにかく、急ぐ撮影。

一日、一発でできあがるかどうか、心配はするが、美術館の学芸員とともにする作業だけに、ま、なんとかなるだろう。

なお、駐車場は、県警東側の駐車場に停めてください、とこれも指示があった。

(R4. 3.11 SB805SH 撮影)

大淀町大岩きまぐれや・世代を超えて伝統を受け継ぐ 火にまつわる民俗行事を語る会

2024年09月02日 07時37分06秒 | 民俗を語る
いよいよはじまった大淀町・大岩きまぐれや民俗を語る会の2回目。

大淀町教育委員会主任技師(学芸員)の松田度氏と対談形式で民俗を語る会。

テーマは、当月会場を借りて、展示していた私、民俗写真家の田中眞人が映し出す「火のまつり」。

その写真展を拝見した「NPO法人 おおいわ結の里」代表の小西正久氏。

お忙しい松田度氏の日程伺いに決まった本日の民俗対談は、題して「世代を超えて伝統を受け継ぐ 火にまつわる民俗行事を語る会」

コロナ対策に、参加者数は15名まで。

募集したらあっという間に埋まったそうだ。

テーマにそそられ、参加された人たちの大多数は、令和2年の2月24日に行われた1回目

会場の平日喫茶のきまぐれや。

畳座敷にあふれんばかりの聴衆に20人も集まってくださった。

松田度氏が語る「火」のテーマは、大淀町・大岩で継承されている大岩のとんどをお話しされる。

一方、私は奈良県内のとんど行事取材から、知った各地のとんどにまつわる話題を提供する。

どうしても参加したい、と希望された何人か・・

私、同様に奈良大和の伝統行事を取材してきた写真家のSさん。

都合がつけられたので、お願いにあがった大淀町にお住いのOさんは、キャンセル待ちに空きができて、ぎりぎりセーフ

そのほか、知り合いの方たちがたくさん集まってくださった。

隣村の高取町・丹生谷から参加したN氏に、かつて大岩の「雨たんもれ」取材を受けてくださったM氏。

同大岩在住のN氏。

また、ここ大岩がはじめてだと、いうA夫妻。

奈良をくまなく紹介してくださるAさんも“とんどにまつわる”話を聞きたかったそうだ。

大岩のとんどに、隣村の今木で行われているお家の習俗も紹介された松田度氏が語る「火」。

史料とスライドで解説された「三世代に受け継がれるお家の行事」。

是非とも取材をしてほしいと願われた。

対談後に、取材先の連絡番号を紹介してくださった。

写真家のSさんとともに取材許可をとって現地に向かったのは、その年の大晦日である。

で、私が語るテーマは「とんどにまつわるさまざまな民俗のよもやま話」。

語りをするために、取材記録の引き出しからセレクトしたキーワードは多種多彩。

天筆(てんぴつ)に小正月、二ノ正月、小とんど。

とんどのもらい火に餅掴みのハサンバリ。

小豆粥は、成木責めも「ナルカナランカ」にもおよぶ。

また、小豆粥は、枇杷の葉のせて供える。

苗代田の登場する穂付きのカヤススキ。

そのカヤススキは、小豆粥をいただく箸代わり。

小正月の苗代田に灰撒き・・・などなど民俗の一例を伝えたい。

年中行事にいろいろあるが、全国的にみられる、圧倒的に多い地域行事の“とんど” 。

とんどの名称は、地区によって変化する。

どんとにどんど。

左義長どころか、どんどや、さいと焼き、おんべなど
・・

日本全国のさまざまな地域がそれぞれの呼び名がある小正月行事のとんど・・・は、語るキーワードが、あまりにも多い。

語りに整理したレジメの構成は、

< 1. はじめに・・>とんどを未体験の人たちが騒動を起こす事例

< 2. とんどに燃やすのは

< 3. 小正月行事のとんど>

< 4. とんどの大きさ、形、飾りつけ>

< 5. 天まであがれ・・書初めの書>

< 6. モチ焼きの道具>

< 7. 無病息災のモチ>

< 8. ブトノクチ焼き

< 9. 服忌・不浄の小とんど>

< 10. もらい火の道具>

< 11. 小正月の小豆粥>

< 12. ナルカナランカの成木責め

< 13. 枇杷の葉載せ小豆粥御供>

< 14. とんど灰の畑撒き>

< 15. おわりに・・>火の用心に消防のある町・・・

ラストに質問タイム。

手をあげてくれた野菜ソムリエの宮坂敏史さんの質問は、「畑にぽつんとあった榊に白い?ものはなんでしょうか」・・である。

実際に、私が見ているのであれば、ある程度はわかるのですが、宮坂敏史さん自身が見た情景を思い浮かべて想像するに、「上流工程を調べないと、明確な答えはだせませんが、おそらく神社か寺院の年頭行事。例えば祈年祭(※としごいのまつり)神事の際に行われる御田植祭。或いは、寺院で行われる年初の初祈祷に村の安寧と豊作を願う行事に、されたものではないでしょうか。また、苗代田であれば、それら行事で授かったごーさん札でありましょう」と、答えた。

また、大阪教育大学大学院山本博子さんからの質問は、カヤススキを立てる意味合いは・・。

おそらく、カヤススキの穂は実りを表し、苗代に立てるのはその年の豊作の願い。

農家さんは、それを立てることによって豊作を願うもの。

今日の、本題に語った暮らしの民俗。

きまぐれやオーナーのMさん。

対談を終えてから、田中さんて、そんな人だったんだ。

見直したわ、と云ってくれた。

※ 当記事に際し、対談聴講に参加してくださった岡向正道さんが撮影した、当日の様相。

その一枚を届けてくれたのが嬉しくて、この場を借りて掲載。感謝申し上げます。

なお、この映像は、平成30年の1月15日の小正月に取材に撮影したもの。



奈良の地ではなく、奈良により近い南山城村北大河原渋久に住んでいるO家の女性。

奈良の民俗に、とても似ている同類事例として紹介した。

(R4. 2.21 SB805SH 撮影)

第2回民俗行事を語る会inきまぐれや~世代を超えて伝統を受け継ぐ 火にまつわる民俗行事を語る~

2024年08月20日 07時36分27秒 | 民俗を語る
とっておきの案内をつくってくださった。

再びお逢いする松田度氏

エリアは所在地の大淀町を主に据え、奈良女子大学大・紀伊半島学研究所協力研究員も兼ねる大淀町教育委員会主任技師(学芸員)の松田度氏。

民俗を語る対談の初回は、令和2年2月24日に



これまで語ることもなかったさまざまな分野のあれこれ民俗を伝えた。

翌年の令和3年の語りの場は、新型コロナウイルス拡散防止にお店を閉めていた関係上、やむを得ず中止の判断。

初回から2年後の令和4年は、コロナ対策は緩やかになったときを選び2月21日(月)に決まった。

民俗を語る会は、定員制限を設けて開催を予定してくださった。

制限を設けていたSNSで、参加を呼びかけたら、瞬く間に満員御礼。



知人の写真家のSさんも応募され、定員内に入ったそうだ。

今回で3回目になる写真展示は、テーマを” after-コロナに・・” に望みを込めて、希望の炎の作品を店内に広げる「きまぐれや写真展2022 💭リ・ビュー~もっぺん見たい大和の年中行事~。

“火”のテーマから、浮かんだ“とんど焼き行事”にまつわる民俗のよもやま話。

対談タイトルは「世代を越えて伝統を受け継ぐ ~ 火にまつわる民俗行事を語る会~」

よもやま話に語るキーワードは、天筆(てんぴつ)、小正月、二ノ正月、小とんど、もらい火、餅、ハサンバリ・・・

小豆粥・ナルカナランカ(※成木責め)・枇杷の葉・カヤススキ・苗代田、灰撒き・・などなど民俗の一例を。

年中行事にいろいろあるが、全国的にみられる、圧倒的に多い地域行事の“とんど”。

とんどの他に、どんと、どんど、左義長どころか、どんどや、さいと焼き、おんべ、など日本全国さまざまな地域が、それぞれの呼び名がある小正月行事の一つ・・・

当日用に、レジメも準備した。

< 1. はじめに・・>
・・・ とんどを見たこともない人たちが騒動を巻き起こす一例


< 2. とんどに燃やすのは >


< 3. 小正月行事のとんど~二の正月とんど >


< 4. とんどの大きさ、形、飾りつけ >


< 5. 天まであがれ・・天筆は書初めの書 >


< 6. モチ焼きの道具 >


< 7. 無病息災のモチ >


< 8. ブトノクチ焼き >


< 9. 服忌・不浄の小とんど >


< 10. もらい火の道具 >


< 11. 小正月の小豆粥 >


< 12. 小豆粥でナルカナランカ、成木責め >


< 13. 枇杷の葉載せ小豆粥 >


< 14. とんど灰の畑撒き >


< 15. おわりに・・>  ・・・・・ 火の用心 ・・・・で、締め

(R4. 2. 8 記)

大淀町大岩きまぐれや・松田度氏と初の対談に民俗行事を語らう

2021年11月11日 09時28分33秒 | 民俗を語る
大淀町大岩・「きまぐれや」の店内ギャラリーに、初の写真展を設営し終わったとき。

様子伺いに来てくださった区長のKさん。

4pw版写真が8枚。

プラスした2Lサイズも並べて展示した写真展。

その中の1枚に伝えたかった思いをKさんに語った民俗。

そのことがきっかけにすぐさま動いてくださった対談・講演会の案内。

行動力の素早さによろしくお願いされた案内は、地区はもちろん活動状況を逐一伝えているFBにも・・。

受付は、午前9時半。

遅れないように朝早くに自宅を出発したが、到着は受付の10分前だった。

喫茶きまぐれやの階段を登ったそこに案内を掲示していた。

「 「きまぐれや」の店内ギャラリーで「きまぐれや写真展2020 リ・ビュー」展を開いている民俗写真家の田中眞人さんと、大淀町教育委員会学芸員の松田度さんをお招きして、「民俗行事を語る会」を開催します。地域に残っている伝統的民俗行事を見つめ直す機会にできればと思います。どうぞお気軽に足を運んでください。 」に、気が引き締まる。

「民俗行事を語る会」は、二部構成。

はじめに松田度さんが語る「おおよど遺産に見る民俗行事」。

次が会談である。

聞き手の松田度さんがリードに、私は、存知する範囲の中から民俗を引き出して語らう。

進行は、区長のKさん。

新型コロナウイルス対策を施した喫茶きまぐれや。

急遽用意してくださった消毒液に消毒綿。



会場入りに、必ず手を綺麗に消毒していただく。

松田度さんが語るミニ講演に欠かせないプロジェクター設営。



パソコンデータから映し出す映像を調整されていた。

右横に座した男性は、大岩からすぐ近くの高取町丹生谷在住のNさん。

何かとお世話になっているNさんは、松田さんも小西さんとも親交があり、共に行動されることもある。

そして、もうひと方も来場された。

この年初めて県立民俗博物館事業の「私がとらえた大和の民俗」写真展に参加してくださったUさんの顔も。

Uさんもまた松田度さんをよく存じている知人関係にある。

続々と会場にやってきた近隣在住の人たち。

御所市、吉野町などなど。



たくさんの人たちが集まってくださった。

和やかな雰囲気に包まれた会場。

その様子を松田度さんが、Uさんが、そして講演終了後に名刺交換してくださったOさんも。

さまざまな視点でとらえてくれた投稿に感謝する。

松田度さんが揚げたFB投稿

「持続可能な地域づくりに欠かせないのが、守り伝えてきた地域の民俗行事の価値を、みんなでしっかりと理解しあえる集い。ワンドリンク制もお店に貢献できる。主催者の意図も明確。何よりも、民俗写真家・田中眞人さんの気持ちがあふれていた。誰もが楽しめるひととき。」をコメントしてくださった。

午後1時からの民博解説があるのに来てくれた奈良民俗写真の会のUさんは「大淀町教育委員会学芸員の松田度さんが大岩に残る地域遺産や民俗行事についてプロジェクターを活用しながら講演していただき、その後民俗写真家の田中眞人さんと松田さんの対談形式で県内の民俗行事について話していただきました。お二人の話す口調・ペースは対照的でしたが、二人の想いは会場に集まった方々に伝わったと思います。自分が住んでいる身近な地域にこんなのが残っているんだと知り、関心を高めるいいきっかけになったのではないかと思います。」をコメントされた

そして、地域活動されているOさんは「民俗写真家の田中眞人さんと大淀町教育委員会学芸員の松田度さんの話は興味深い内容でした。ロマン溢れる雰囲気の集いでした💕💕 このような企画が町内の各地区で実施できて、近隣の町村の皆さんとも自然な形で交流が拡がればいいですね。住民パワーで町を動かしましょう。」

みなさんのありがたいお言葉に益々精進していかねば・・と思った時間だった。

この場を借りて感謝申しあげる次第だ。

なお、語る会の催しが終ってからも民俗に関するさまざまな話題や情報を教えてくださった。

区長のKさんからは、「春になれば家族同士が弁当をもって山の尾根に出かけて花見をしていた」と。

そのときの行事名は、たぶんに“レンゾ”と呼んでいたのであろう。“レンゾ”は“レンド”が訛ったと推定し、漢字の“連道”を充てる学者さんもおられるが、花見に集まる状態からとらえた“連座(※れんざ)”から訛ったのでは、と伝えた。

また、「伊勢講の古文書が家にあり、先々代より古い小西ジンエモンの名が見みられる。地蔵尊がある地の小字はザトウ谷、近くにドウノマエがある」との情報も。

他所で拝見させてもらった講中記録は旅の行程とか費用面などを記した事例がある。

K家が保管する伊勢講古文書を精査しないとわからないが、とても貴重な史料になろう。

小字名は、仮に推定できる範囲内で漢字を充ててみると、その地が見えてくる場合もある。

ザトウ谷は、「座頭谷」が考えられる。

他所になるが、有馬温泉にからむ湯治者の座頭が迷い込んだから座頭谷を称するようになったとかいう地域例も参考になる。

小字ドウノマエは、「堂の前」。

たぶんにお堂が建っていたお寺さんの前の地。

他所の事例に「ドウニシ」が訛った「ドニシ」は、「堂の西」だった。

「ドノウエ」は「ドウノウエ」が訛ったもの。

だから「堂の上」が所在地である。

これらはわかりやすい。

Kさんの奥さんも話してくださった。

「円照寺近くの奈良市山町。地元では、山町を下山と上山があり、上山の行事に白の袴着用の六人衆が日の丸御幣をもち、お渡りする際に“トーリン トーリン ワッファーイ もうひとつ笑いましょう ワッハッハ-”を唱和する。」

上山は、奈良市山村町。神社は、平成20年、21年の9月1日に取材した八朔祭が行われた御霊神社。唱和されるのは秋祭りのお渡りのようだ。

隣村になる下山の八坂神社で行われた行事に当家祭がある

平成18年、21年の10月取材したお渡りに「トーニン、トーニン、ワッハッハーイ」があった。

奈良県内の盆地、平たんにある地域行事に度々耳にする唱和の詞章は、まったく同じというケースは見当たらない。

是非とも取材させていただきたい山村御霊神社の秋まつりであるが、新型コロナ対策にやきもきする今年はたぶんに中止されるだろう。

以前、おふくろが私に話していたサンキラを伝えたら、なんと、奥さんが出里の帯解界隈でも白い餅の”団子”をサンキラに挟んで食べていた、という。

サンキラは、山野に自生するつる性のサルトリイバラ科の植物名。

充てる漢字は、「山帰来(※さんきらい)」。

秋には青や真っ赤な実がつく。

甘い団子を塩漬けしておいたサンキラの葉に挟んで食べる。

香りの食文化に和菓子屋さんが提供する「山帰来(さんきらい)」が、94歳のおふくろの故郷、大阪南河内郡滝谷不動と奈良の帯解を線で結んでくれた。

話してくれた奥さん。

今ではそのサンキラこと“サルトリイバラ”の赤、青などの実を絵に描いている、という。

久しぶりに顔を合わせた高取町丹生谷に住むNさん。

奥さんの実家は宇陀水分神社前通りにある民家。

座敷にある神棚は特殊な構造。

提供してくれた張りだし神棚映像は、中山町のとんど行事に出会った男性の家と同じ形式だったことから掲載許可を得て、民俗の一例として紹介させてもらった。

住まいする地元で議員活動されているOさんが、話しかけてくれたそれは長距離サイクリング。

Oさんは、自宅から十津川村までサイクリングした経験がある。

私も若干であるが長距離サイクリングは体験したことがある。

民俗ではないが、共通する体験は話が弾む。

また、大日さんの雨ごいの泥水地発見者でもあるMさんもおられる。

橿考研や唐古などのボランテイア活動に大淀文化調査会の活動も・・。

大日さんの雨ごい井戸に案内してくださったMさん

特別に参加させてもらった「ふるさと大岩の歴史を語る会」に、Mさんは元売薬家だったことから保存していた携行用簡易天秤、薬箱、薬製造道具(薬研)、看板、台帳文書、売薬を詰めて販売していた柳行李など薬の民俗を見せてくださった。

そのMさん。

本日、解説したオツキヨウカの黄色い花。

「それはヤマブキや・・」で、と指摘してくださった。

かつて大岩にもあったオツキヨウカの民俗を体験していた方だった。

他にもわざわざ自己紹介してくださった天川村議員のZさん、FBリンクをお願いされた町役場勤めのNさんらも・・。

また、今回行われた大岩きまぐれやに民俗行事を語らう会を新聞記事に取り上げてくださったN記者からは、屋根の民俗の質問を受けた。



「茅葺き替えに取材した新庄の家では葺き替えた屋根に藁を挿した・・・しばらくして切ったという習俗は神が降りる依り代と思っている・・・がどうか。」である。

私が、これまで見聞きした民俗に聞いたことのないあり方である。

県内事例にまだまだ知らない習俗は、制限のないくらいに多いと思う。

されている人の信仰にも左右されるケースも考えられる。

鯉のぼりの支柱に神が降りるという考えをもつ人もおられようが、はじまりは無病息災を祈願するものだった。

江戸時代になれば、誕生した男児を神さんに知らせる意味が付加された。

県内事例に、葉付きの支柱を立てるお家が、少なからずある

伝統を紡いできた家長が祝う子孫繁栄。

家長を継ぐ長男が生まれたときに立てる支柱は、檜とか杉の葉を付けた一本木。

所有地に植生する木材を用途に支柱を立てる。

翌年には伐り落として矢車に取り換える習俗事例は、数は少なくなったが、今も継承しているお家もある。

天頂に残した檜の葉、杉の葉に神が降りる依り代のような・・・と考えてもよさそうだが・・・新庄の一例だけでは判断し難く、なんともいえないと回答した。

対談後に来店された桜井在住の若夫婦。

8カ月目に入った乳児を抱えるご夫婦には簡単に解説を加えた。

喫茶きまぐれやの閉店時間までは、まだ十分に余裕がある。

オーナーに注文したスペシャルランチができあがるまではまだ時間がある。

その時間を活用し、展示した行事写真の一部、特徴のある行事を中心にお話した。

そして、松田度さん、KさんにNさんは、予定していた索道調査に向かわれた。

直近になって発見された大岩の索道。

鉱石を運んでいたと推測される遺跡候補であるが、その場はパークゴルフ場内にあるらしく、許可取りが難しかった、という。

3人はあたかもゴルフをしているように見せかけるため、それなりの恰好に身を構え、ゴルフカートに乗って現場に行くそうだ。



「民俗行事を語らう」に、直接関係する大岩の行事ではなかったが、興味をもってくださった方、多数。

ありがたい評価をいただき、この場を借りて感謝申し上げます。

(R2. 2.24 SB805SH撮影)

大岩・きまぐれや写真展2020 💭リ・ビューin喫茶きまぐれや

2020年02月11日 10時00分35秒 | 民俗を語る
1月31日の午前中に取材インタビューがきやはったという奈良県大淀町大岩にある喫茶「きまぐれや」。

営業時間は午前8時~午後1時まで。

食事はモーニングだけ、という「きまぐれや」さん。

インタビューアは、奈良テレビ放送局の福本愛菜さん(奈良県橿原市出身、元NMB48、現在吉本興業所属)。

令和2年27日金曜の夜9時から放送される「フライデー9」に公開されることになったという喫茶「きまぐれや」。

放送内容はどうなるかわからないが、その喫茶「きまぐれや」で「田中眞人 きまぐれや写真展2020 💭リ・ビュー - もっぺん見たい大和の年中行事 ―」写真展を開催することになった。

開催期間は、「きまぐれや」の営業日に合わせた2月3日(月)から2月28日(金)まで ・・終了しました・・

「きまぐれや」の定休日は、土曜と日曜。ただし、祝祭日は営業日

時間も「きまぐれや」の営業時間に合わせた午前8時~午後1時まで

場所の「きまぐれや」は、奈良県吉野郡大淀町大岩472

ただ、喫茶「きまぐれや」へ行くには自動車が望ましい。

なぜか。

最寄りの近鉄電車吉野線・吉野口駅から歩いておよそ1時間もかかる「きまぐれや」の地。

健康的ハイカーで来られるのも良し。

バス運行路線はないが、駅前からのタクシー利用は可。片道料金は1500円くらい。

映像は、本日の日替わりメニュー「スペシャルモーニング」。

ワンコイン500円のサンドイッチ、春雨サラダ、コーンスープにドリンク付き

5年前、名古屋からここ大岩に移ってこられた店主が提供するモーニングは“名古屋モーニング”。

何度か食べたイチバンのお気に入りはピザトースト。

これが美味いんだな。



ちなみにこの日に選んだドリンクは“ヒマラヤに咲く赤い花”。

香りを飲み干した。

ところで、設営後に急遽決まったふるさと大岩の歴史を語る会(代表小西正久さん)が主催する「民俗行事を語る会」。

「民俗行事を語る会inきまぐれや」

松田度氏(大淀町教育委員会学芸員)と対談の場


会場は、写真展会場の喫茶「きまぐれや」 奈良県吉野郡大淀町大岩472

開催日時、令和2年2月24日(月・祝日) 9時半受付 午前10時から11時半閉会 ・・終了しました・・

参加費:無料ですが、ワンドリンクオーダー要

プログラム
① ミニ講演「おおよど遺産に見る民俗行事」(大淀町教育委員会学芸員・松田度さん)
② 田中眞人の「民俗行事に魅せられて」(聞き手・松田度さん)

※ 読売新聞社さんの取材がありました
取材記事は令和2年2月25日(火)読売新聞大阪本社発行・奈良版に収録されています

(R2. 1.31 SB805SH撮影)
(R2. 2.25 記)

地域行事の解説-まだある郡山の年中行事-地蔵盆を中心に(地蔵尊は動く)-

2019年11月15日 09時53分46秒 | 民俗を語る
地元自治会から頼まれて講演をする。

大和郡山市の伝統行事を紹介する講演は今回で5回目。

テーマは「まだまだある大和郡山の年中行事 ~ 地蔵盆を中心に ~ 」である。

1回目は平成23年5月の「正月行事から春祭り」。

2回目の24年は「夏祭り」。

25年の3回目は「秋祭りから年末まで」。

大和郡山の年中行事を紹介する4回目は平成26年10月の「元藩医家の年中行事」だった。

翌年の27年7月に病いに伏して大手術。

そして長期間に亘ったリハビリ運動。

まる3年間も経ってようやく自治会の要請に応えられる身体になってきた。

大和郡山の年中行事は私の知る範囲内だけでも455行事。

取材した数は320行事。

まだまだあるけど、どう纏めてお伝えすればいいのか、実に悩ましい。

悩みに悩んで決めたテーマは地元にある地蔵盆の様相である。

特に紹介したい地蔵盆は主水山自治会が所有する地蔵尊である。

奈良県立病院が移転する工事に伴って構築された病院への進入口にあたる道路である。

奈良/石木-大和郡山/城線道路の拡幅工事である。

その工事期間中はお隠れになっていた地蔵尊が新しくなった地蔵堂に戻られる。

大和郡山市内の重要な道路の拡幅工事はもう1カ所ある。

城廻り線である。

近鉄奈良線の踏切の地下を潜る道路になる。

こちらにある木屋ノ口地蔵尊も移転の対象。

工事が完了すればまた元の地辺りに戻るだろう。

もう1点の地蔵さんは移動する地域を紹介するなど町内付近の地蔵さんの祭りを中心とした民俗解説は地域の講の営みも。

お釈迦さんの涅槃から誕生仏の祭りから転じて初宮参りの紐銭の習俗に。

まず、紹介されることのない燈明の当番から芋名月に番条町のお大師さん。

そして地域を守る火の用心で締めくくった。

いきいきサロンの会、高友会の他、地区の人たちも来てくださって30人も。

これだけの行事が、今でも続けておられることを知って、とっても良かったという。

その言葉はありがたく受け賜わりこれからも精進したく存じます。

(H30. 5.18 SB932SH撮影)
(H30. 6. 4 記)

大和郡山市社会福祉協議会講演・大和郡山の伝統行事~城下町と周辺地域における地蔵盆とトンドの様相~

2015年11月18日 08時00分36秒 | 民俗を語る
大和郡山市社会福祉協議会主催の講演会を無事に終えてほっとした。

講演会の依頼があったのはほぼ1年前。

在住地区の自治会長から頼まれた。

正式に頼まれたのは前年の12月2日だった。

講演会の具体的な進め方は会場となる大和郡山市社会福祉協議会。

担当の社会福祉士とは以前にお会いしたことがある。

平成25年7月18日だ。

名刺交換をして大和郡山市を中心に行事取材をしていることを伝えた。

何かのお役に立てるようであれば・・と云っておいた。

それから1年半後。

自治会長は市社協保健生活部会の責任者でもあった。

自治会集会所で度々の講演会を実施していた私の実績をもっと多くの人に伝えてもらいたく白羽の矢を打たれたのだ。

前年の12月11日は事前打合せ。

講演内容は参加者が市内城下町の北西、西(主水山・冠山)、南(JR郡山)の人たちということを聞いていたので、城下町とその周辺地域で行われている民俗行事を紹介して市内全域を城下町、周辺における文化の差異を知ってもらおうと思って演題を市民向けに「大和郡山の伝統行事~城下町と周辺地域における地蔵盆とトンドの様相~」とした。

参加者の対象は地区の自治会員。

130自治会からなる地区自治会向けの講演につき、一般の人は受け付けない。

講演案内は2月初旬頃に地区(1地区~6地区)の自治会に回覧で通知される。

講演会場は大和郡山市社会福祉協議会2階の大研修室だ。

かなりの人数を収容することができる広い会場だ。

講演はパソコンスライドーショーを活用してプロジェクター投影する。

時間があれば解説シートも配布したいと申し出た。

正式な依頼を受けてストーリー構成を練る。

地蔵盆、トンドの写真はどこにするかはストーリーの流れで選ぶ。

それより重要なのは行事の分布をどうするか、である。

市全域を俯瞰するマップに印を落とすのは編集ソフトを使う。

白地図はどれにするか。

無料で配布されている白地図は市町村サイズがない。

さて、どうするかである。

一つ手がある白地図。

市の環境調査があった。

それをベースに地区を六つに分けて歴史・文化を伝える史料ができあがった。

その中に白地図がある。

当時、行政担当者から白地図は大いに利用してくださいと云われていた。

その地図は大まか。

幹線道路に川、鉄道網に若干薄めで地区割をした地図だ。

これは使えると思って利用させていただく。

さて、分布をどう表現するか。

印は○にするが、塗りつぶしの色で分布分け。

どの地域方面に集中している様相を考えてもらいたくマップ製作する。

この作業が最も手間や時間がかかった。

試行錯誤しなから制作したマップだけでは頭のなかに記憶が残るだけだ。

もう一つの資料を準備することにした。

地蔵盆なら地区区分け、所在地町名、神社・寺院、地蔵尊仏、実施月だ。

トンドも実施月。

精査もしたくてこれまで調査したデータより情報化した。

特に強調したい地区区分けは外堀に囲まれているか、それ以外かである。

城下町を考える場合、どこで区切りをつけるかである。

外堀内と外の違いが判るように整備した。

なぜにこのような整備をするのか。

参加者はほぼ城下町内とそこから北・西の一部の地域。

北部城下町に近い人にとって話題を提供することだ。

そうすることで地域文化を知る。

逆に外堀以外の地区にも目を向けてもらう。

城下町ができあがったのは400年前。

外堀の外の地域は平城京もあれば室町時代など戦国時代に形成された地域もある。

尤も、古代史でいえば弥生時代の遺跡もある。

今回の講演はそこまでいかない。

村落と町屋の違いである。

そういうことだ。

資料ができたらストーリー。

始めの掴みは何を選ぶ。

自治会長はともかく私を知る人は少ないだろう。

多くの人は存じていない私を何もんや・・・ということになる。

司会者に紹介してもらうプロフィールをこの際、整備してみた。

経歴、著書、寄稿・調査誌、講演・解説、写真展、写真提供誌などだ。

自己紹介のトップスライドは大和郡山市市制50周年史料。

市職員が自ら調べて地区ごとに地域文化を案内・紹介する「こおりやま町おこし50町ウォーク」を挙げた。

なぜにこれかと云えば、今年度は市制60周年。

いろんなイベントや企画ものが行われている。

10年前はこういものもあったのだと再認識してもらうために挙げた。

本題は城下町とその周辺における大和郡山の伝統行事を伝えることである。

それにはうってつけのマップがある。

郡山城外堀跡コースをぐるっと一周して歴史文化を知るマップは完成度が高い。

製作者は観光ボランティアガイドクラブもされている一部の方が「みちしるべの会」を立ち上げて製作した。

マップは観光案内所にも置いている。

外堀を認識していただいて整備した手造りマップを写しだす。

整備したデータ情報は配っておいた。

両方を見て説明する。

先にも書いたが、今回の講演の主題は「大和郡山の伝統行事~城下町と周辺地域における地蔵盆とトンドの様相~」だ。



特に強調したかったのは七月地蔵盆・八月地蔵盆をされている地域の在り方である。



何故に7月と8月に分かれているのか。

江戸時代は旧暦で行われていた。

新暦が導入されて地域が分かれた。

地域によってどういう考えがあって旧暦、新暦になったか。

それはまったく判らないが、色塗りマーキングをしたマップを見れば一目瞭然。

ほぼ、であるが、佐保川を境に分かれているのである。

こういうことは誰も知らない。

気がつかないというよりも、他の地域の地蔵盆がどのような形態でされているのか、調べることがないのだ。

次に紹介するのが取材してきた地蔵盆の様相。

特徴ある地域を挙げて解説する。

次はトンドだ。

トンドをしている地域は明白だ。

城下町は町屋。

外堀の向こう側は旧村。

火を焚ける用地があるか、ないかである。

町屋がひしめく外堀に囲まれた地域にはトンドという考え方がない。

一歩離れた旧村は田園が広がる農村地域。

尤も環濠集落がある旧村は土豪の武士の存在もあったが、である。

大和郡山のトンドは実施日に特徴がある。



一般的には1月14日、15日の小正月であるが、圧倒的に多いのは1月30日から2月1日にかけてだ。

地区によっては2日、6日の場合もある。

二度目の正月を迎える行事とする風習があった。

これをニノ正月、或は旧暦正月と称することから判りやすく二ノ正月のトンドと云った。

トンド行事も地区によってそれぞれ特徴がある。

これもまたスライドショーで紹介して終えた。

大和郡山を俯瞰して眺めてみれば各地域の状況が少しでも判っていただけると考えて製作した手造りマップ。



地蔵盆、トンド以外に市内に鎮座する神社や寺院の所在地も色塗りマップで紹介した。



頭のなかでぼやっとしていたものが、マップに落とすことで、より一層明確になった。

(H27. 2.14 SB932SH撮影)

4回目も地域行事を語る

2015年05月12日 08時53分53秒 | 民俗を語る
平成23年から始まった大和郡山市内の行事を語る講演会。

1回目のテーマは「大和郡山の祭りと行事写真展~豊作を願う春の祭り~」だった。

2回目は「大和郡山の祭りと行事写真展~夏祭りを中心に~」。

3回目は「大和郡山の祭りと行事写真展~秋祭りから正月迎え~」を語った。

3年間をかけて市内の年中行事を紹介してきた。

いずれも会場は在住する地元の集会所である。

今回も自治会長からお願いされた地域の行事を紹介するテーマは何にするかである。

市内で行われている行事はこれまで290行事を取材・記録してきた。

さまざまな行事は多方面に亘っている。

これまで紹介できなかった行事を二巡目の続編ということも考えたが、がらりとテーマを替えて「城下町・元藩医家の年中行事」とした。

郡山・城下町は城主、成立、形成、箱本十三町、外堀など広く知られており、多くの観光客が訪れているが、商い・町屋・医者などについてほとんど知られていない。

そう思って、今までに紹介されることもなかった元藩医家で行われている年中行事とした。

平成26年9月19日、20日の両日に亘って郡山城天守台発掘調査現地説明会が行われた。

調査によってこれまで幻とも思われていた「天守」の存在が明らかになった。

今後も、益々城下町に訪れる観光客が増えていくことになると思われるが、代々の殿さんや武家・町民を支えてきた医者の存在が表に出ることはないのでは・・・と考えて、今回のテーマに設定した。

元藩医家の歴史など、詳しく述べることはできないが、これまで取材させていただいた、「神農さん」、「三宝飾り」、「正月の膳」、「サンニンサン」、「先祖さん迎え」の5題。

家の行事の「お供え」を中心にスライドショーを用いて紹介する。

前回までは写真展を併設したが、今回はスライドショー「語り」とした。



この場に聴講してくださった若い男性がおられた。

例年には見られない若い男性が持ってこられた本。

なんと著書である『奈良大和路の年中行事』である。

回覧案内を見られた男性は当ブログを拝見されていた。

住まい近くにこんな人がおられたと思われてわざわざ啓林堂に足を運ばれて買ってきたと話す。

ありがたいことである。

さらにありがたい聴講者の特別参加。

なんと、である。

数々の家の行事を取材させていただいた元藩医家の婦人も来てくださった。

語る内容に誤りはないのか、それを心配されてこられたと思っていたがそうではなかった。

第三者的立場で客観的に我が家の行事を見て・聞いておられたのだ。

婦人が資料化していたお供えの祭り方。

始めて拝見させてもらったときに、これは役立つと思ったのだ。

おばあさんや旦那さんが主に行われている家の祭り方。

跡を継いでいくのが婦人の役目。

そう考えられて資料化されていた。

地元民も興味をもたれた後世に伝える資料にあらためて感服した。

(H26. 9.24 SB932SH撮影)
(H26.10. 7 SB932SH撮影)

コーナー展のまつりの用具を語る

2014年06月08日 08時12分01秒 | 民俗を語る
県内行事を取材した際に村人からいただいた「祭りの用具」のすべてを奈良県立民俗博物館に寄贈したことがある。

その数、およそ60点だった。

新収蔵品の紹介として、今回、その一部がコーナー展で展示されることになった。

主な展示品は「天理市藤井町の鬼打ちの矢」、「天理市兵庫町の将軍祭の矢・チンマキ・ネコヤナギ」「天理市長滝町の正月ドーヤの矢」、「桜井市萱森の御田植祭の鬼的・弓・矢」、「天理市三昧田のちゃんちゃん祭のカザグルマ」、「大和郡山市伊豆七条町のフクマル迎えの青竹」である。



なお、6月8日には展示された関連講演で「まつりの用具」を語ることになった。行事に纏わる話しをしたいと思っている。
なお、5月17日放送の「県政フラッシュ」のお知らせで「祭りの用具」が案内された。


展示場所 奈良県大和郡山市矢田町545 奈良県立民俗博物館 (一般入館 200円)
開館時間 9時~17時 (入館受付は16時半まで)
展示日程 平成26年 5月 3日(土)~平成26年 6月29日(日) 終了しました
関連講演 平成26年 6月 8日(日) 奈良県立民俗博物館 2階講義室 終了しました
 <「まつりの用具」を語る 話者 民俗写真家 田中眞人 13時半~15時半>
※ 聴講料は無料ですが、入館時観覧料が要ります。



当イベントに関して、「ならドットFM 78.4Mhz」の「ひるラジ!784」の番組中、電話生出演で紹介した
 放送日・時 平成26年 6月 3日(火) 11時15分<なら街角スケッチ> 終了しました

6月26日の10時半、県立民俗博物館から電話があった。なんでも奈良テレビがコーナー企画展の「祭りの用具」を取材しているとのことである。話しを伺いたいとのことで急遽に急行した。取材陣は県政フラッシュだった。活動に関してインタビューを受けた。その夜の放送であろうと思っていたら、夕方の「ゆうドキッ!」のニュースで報道されていた。緊張した顔で6秒間もしゃべっている姿は記念に録画することにした。なお、ニュースでは字幕があったが、その夜に放映された「県政フラッシュ」では見られなかった。



テレビが伝えたアナウンスは次のとおりであった。
『地域のまつりや民俗行事などで使われる道具を紹介した展示が、県立民俗博物館で行われています。 地域のまつりなどで使われた道具は、まつりの後に燃やされるなどして、残る事がまれだといわれています。 この展示は、民俗写真家の田中眞人さんが収集したこれらの貴重な道具をまつりの写真と共に紹介しています。 これは天理市長滝町の「正月ドーヤ」の行事で使われる弓や矢、そして鬼の文字が書かれた的です。 実際の道具とともに矢が的を射る一瞬を見事にとらえた写真も並んでいます。 地域の祭りや民俗行事は、今、後継者不足で途絶えてしまうことが多いため、田中さんは後世に伝える活動も続けています』と伝えられた。
私が伝統的な民俗行事を取材する目的の後世に伝える「思い」をうまく伝えてくださった。ありがたいことである。

(H26. 5.10 SB932SH撮影)
(H26. 6.26 記)

3回目の地域行事写真展

2013年06月04日 19時30分12秒 | 民俗を語る
平成23年から始まった地域の行事を紹介する写真展。

1回目は「大和郡山の祭りと行事写真展~豊作を願う春の祭り~」を開催してくださった旭ケ丘自治会。

私が住む地元地域である。

開催場所は旭ケ丘自治会集会所だ。

初回の狙いは新しくなった集会所の利用促進である。

好評だったことから平成24年も開催してくださった。

そのときのテーマは「大和郡山の祭りと行事写真展~夏祭りを中心に~」である。

いずれも数日間の開催であった展示会は地域住民向けに、見て、聞いて、知っていただく地域の行事の紹介である。

今回も自治会長からお願いされた展示会。

ここまでくれば大和郡山の年中行事の続編と考えて「大和郡山の祭りと行事写真展~秋祭りから正月迎え~」にした。

3年間かけて展示する大和郡山の年中行事。

さてさて今回は・・・。

地域住民を対象としている写真展ですがが、地域外(市外)の一般の方々にもご欄できるように自治会長の了承も得ています。ご遠慮なくお越しいたでければ幸いです。

日程・時間  平成25年6月2日(日)13時 ~6月4日(火)11時半まで (終了しました)

※ 6月4日(火)10時から11時頃まで 『大和郡山の秋祭りから正月迎え』をスライドショーで解説・紹介します(終了しました)
 
場所  旭ケ丘自治会集会所  奈良県大和郡山市九条町1043-72 (17時閉所)
主催  旭ケ丘いきいきサロンの会
共催  旭ケ丘高友会

なお、旭ケ丘自治会集会所には駐車場がありません。奈良交通バス或いは近鉄電車でお越しください。
バス 近鉄郡山駅下車 西友前バスロータリー「3番」乗り場より若草台行き 旭ケ丘下車北東徒歩5分
電車 近鉄九条駅下車 西へ徒歩25分

(H25. 5.17 SB932SH撮影)

展示した45枚の解説シート。地域を巡って民俗行事を取材した資料である。

前回から1年間もかけて記録した行事はすべてが新作である。

講演を終えた数日後のことである。

奈良西大和を中心に地域文化を伝えるNPO法人「うぶすな企画」編集者から電話があった。

自己紹介のような感じで記事を書いてほしいという。

地域を紹介するならこれだと思ったのが3年間に亘って大和郡山の民俗行事や習俗を話した集会所の在り方を伝えようと思って記事を寄せた。

地域行事、住民、暮らし、集会所をキーワードに寄せた文である。

7月初めにアップされたタウン誌「うぶすな7月号」は県内の生駒郡、北葛城群、一部の大和郡山市に配布されている。

県内の図書館や公民館など公共施設に配っていると聞く。

毎号、愛読している人も多いそうだ。

配布された『うぶすな』7月号はこちらだ

(H25. 7. 1 記)