マネジャーの休日余暇(ブログ版)

奈良の伝統行事や民俗、風習を採訪し紹介してます。
すべての写真、文は著作権がありますので無断転載はお断りします。

室生下笠間・F家お接待の行事食に精進料理

2020年06月19日 09時58分52秒 | 大和の郷土料理
植え初めのあり方を再現してくださった室生下笠間のF家。

どうぞ、フキダワラの豆ごはんを味わってくださいと、お接待をしてくださる。

話題は、植え初めに供えた貴重なフキダワラである。

フキダワラに包んでいたご飯は豆ごはん。

F家は黒豆であるが、姉のお家では白大豆だ、という。

蕗の葉を浮かべて供える米は洗米。

そして白大豆もそこに供える。

フキダワラの形態でなく、田に浮かべる形式である。

その話を聞いて思い出した地域がある。

山添村北野に住むI夫妻がその様相をしてくださった。

取材日は平成23年5月7日

最初に田植えをする一角におました植え初めのあり方。

自生する蕗の葉を田植えのすぐ傍。

それころ田植え機が入る場(畝)に広げる。



その枚数は12葉。

先に施したのがカヤ挿し。

下笠間のF家と同じように12本のカヤを泥田に挿す。

広げた蕗の葉にのせる御供は、「オセンマイ(洗米)」だったから、Fさんの姉さん家と同じように思えた。

村内は同じであっても家によってさまざまなあり方。

ある家では黒豆でもなく白大豆でもない青豆だとFさんは云う。

また、同村のOさんも同じように植え初めしているようだと云われたので、いつかは機会を設けて紹介してもらおうと思った。

行事食はもう一つある。

「現在は3月3日に行われることが一般的であるが、地区では旧暦に従い、菜の花や桃の花が咲き始めるころの4月3日に実施される桃の節句である。雛人形は、七段の雛飾り。よもぎ団子とひし形の団子餅を作る。よもぎは、家の傍の畑や裏山の土手から採取してくる。よもぎ団子は、手作りの餡子を包み、表に桜の塩漬けを飾ってご先祖さまや家中の神々さま、お雛さまにお供えをする。ひし形の団子餅も同様によもぎの葉で作ってお供えする」。

続いて『奈良県東部の伝統行事と暮らし(※下笠間)』に書いてあった「桃の節句が終わり、種もみを撒く時期になると、水戸祀り(※ミトマツリ)というものがある。オコナイで祈願したウルシの木にお札を付けて水戸口(※みとくち・田の水を引く入口)に立て、ユキヤナギやツバキを添えて飾る。このようにして豊作を祈り、育苗を始める」と、孫さんが執筆していた論文に、である。

この日は5月12日。

節句の日から1カ月以上も離れている。

今回のF家の再現ウエゾメ取材に誘ってくださった写真家Kさんとともに味わう行事食は、郷土食でもある。



そういうことだから口にした蓬のひし餅は雛段に供えたものではなく、味の体験にわざわざこの時期に作ってくださった大切な食。

たぶんに蓬の葉は冷蔵庫で保管していたのであろう。

話題は節句の粽に移った。

粽は粳米と餅米を混ぜて作る。

ほくほく炊きあがった粽は、ホオの葉(※高木の朴の木の葉)で包んで、カヤ(萱)の葉で結ぶ。

昔ながらの粽は、一般的に笹の葉に包んでイグサで縛って作るが、ここ下笠間では材料が異なる。

材がなければその土地、地域に根付く材を用いる地域性特徴をもつ郷土食である。

行事食も郷土食もそれくらいにして、家の精進料理も食べてや、と云われて聞き取りはちょっと小休止。

テーブルに置かれた精進料理に目を落とす。

長い目の皿に盛った料理もあれば、数々の小鉢にも。

盛り、盛りの料理はT家のもてなし。

これほど多い盛りを直に見るのは初めて。

まるで一流の料亭に寄せてもらったような感覚に陥る。

わが家の中庭にも植生している木の芽の葉を添えた採れたて筍。

薄味で煮た人参に煮しめの高野豆腐。

春に相応しい萌黄色の蕗の茎に揚げさんと煮込んだ蕨煮。

間に寄せた蒟蒻もまた煮しめ。

盛り付けの素晴らしい私の最も好物な春の味。

これだけの料理が一堂に並んで見ること滅多に接することもないので撮らせてもらった。



お味は、これもまた大好きな味。

京都に見られるような粋な小料理であればいくらになるだろうか、とひらめく下種(げす)な心の思い・・。

奥に列する小鉢。

三つ葉を浮かべた玉子とじ、でなく茶碗蒸し。

白大豆の煮豆。

ほうれん草のおひたし。

冷やっこ豆腐。

牛蒡と人参の金平煮。

胡瓜に塩昆布のあしらえ。

どれもこれもがとても美味しい心のこもった料理に舌鼓。

これだけの精進料理だけでも満足。

穀物系のご飯に餅。

黒豆の豆ごはんに蓬のひし餅。

お腹はパンパンの大満足状態になった。

食事をしながらもまた伝統的な民俗食。

話題はサシサバである。

サシサバはお盆の時季にしか登場しない加工品である。

奈良県中央卸売市場から仕入れて村の人らに提供しているお店が山添村北野にある。

平成23年8月13日に取材させてもらった大矢商店の棚にあったサシサバには驚いたものだ。

これって何なの、と思ったくらいの初めて見るサシサバの姿であった。

その後に出合った旧都祁村の白石で商売をされている辻村商店である。

店番してはった店主の奥さんが見せてくださった売り物のサシサバ

なんと店主が毎年に作っている、ときいてこれもまた驚いたものだった。

尤も、白石にあるショッピングセンター。

なんでもそろう♪のコマーシャルで有名な「ショッピングプラザたけよし」のスーパーたけよしも、時期がくれば販売している。

実際、F家でサシサバの作法をしていたのはおよそ30年前までのこと。

当時、サシサバの購入先は、在地下笠間の宮崎商店であった。

そのころサシサバを作って売っていたことが伺えるカケダイを拝見したことがある宮崎商店。

夏場と冬場。

鯖と鯛に塩漬け有無の違いはあるものの、魚の扱いは手慣れているからたぶんに売っていたのだろう。

お盆の8月13日。

先祖さんを迎える晩にしていたサシサバは両親が揃っている家であれば2尾だったという。

お供えをするときは、正月のイタダキと同じように作法をするが、正月は歳神さん。

お盆のときのサシサバは生き神さんの両親。

息子たち夫婦がする作法。

逆にその息子夫婦に子ども、Fさんから見れば孫であるが、その孫は息子ら夫婦が生神さん。

どちらかが片親になれば作法はしない。

このような習俗は、山添村辺りのごく一部の東山間地域くらいなものか、といえばそうでもない。

つい、先日に取材した箕輪の田植え中に聞いた隣県の三重県青山にもあったサシサバも。

私が聞き取りした範囲内では、奈良市の旧五ケ谷村辺りに大和郡山市の旧村一帯に天理も入っている。

ここ下笠間では30年前に途絶えているが、大和郡山調査地では、もっと前。

80歳以上の高齢女性が子どものころだったいうくらいだから、戦後の間もないころに途絶えたようだ。

途絶えたワケは販売していたお店がやめたとか、地区に売りに来ていた行商が、いつしか来なくなったことによる。

需要がなければ販売はない、ということだが前述したように、ごくごく一部の販売店があるだけだ。

ちなみにF家の正月のイタダキは、朝に三カ月の餅などを盛った膳を頭の上に掲げてイダダキの作法をしている、という。

また、ご近所さんのI家と同様にイノコのクルミモチもしているそうだ。

I家手作りのイノコ餅

美味しいと伝えたら、わざわざ作ってくれたこともあった。

今も継続している行事食・郷土食もあれば、粽、サシサバ、カケダイにとんど火に焼け残った竹炭を樽の上にのせて作るお味噌は中断。

時代の変遷とともに暮らしの文化も変化してきた現代。

今後も移り変わっていくことだろう。

(H30. 5.12 EOS7D撮影)

いただきもののイモモチに柚子・頭芋

2020年05月29日 09時36分00秒 | 大和の郷土料理
この日は、お家で作って食べるイモモチ取材。

大宇陀栗野に住むM家の作り方を拝見していた。

栗野に鎮座する氏神社。

岩神社で行われる亥の子祭りの日には、各家で作って食べていたが、今はずいぶんと減ったようだ。

取材を終えて帰ろうとした際、持って帰りと云われていただいた出来立てのイモモチ。

パックに詰めてくださった。

炊きたて、塗したて餡子がたっぷりのイモモチ。

自宅に戻ってすぐ口にしたかーさんも美味しいと云った。

サトイモの甘さがご飯に混ざったうえに餡子の甘さに包まれて、ほんまに美味しい。

サトイモの旨味を感じる行事食はここ栗野から南部の東吉野村の各地に見られる郷土料理でもある。

Mさんが自作した柚子もいっぱいもらった。



我が家ではたぶんに柚子風呂に供用されることだろう。

いただき物はもう一品ある。

サトイモの親分。

つまり親芋にあたるカシライモ。

充てる漢字は頭芋。



奈良県内の一部の地域で今も正月雑煮に見られるカシライモであるが、我が家ではザク切りして芋煮になるだろう。

美味しい郷土の味覚。

この場を借りて御礼申し上げる次第だ。

(H30.11.11 SB932SH撮影)
(H30.11.11 EOS7D撮影)

高原・月遅れの節句のデンガラ

2018年07月07日 09時43分40秒 | 大和の郷土料理
川上村の高原に月遅れの節句のデンガラがあると聞いたのは平成26年の6月10日だった。

ホオ(朴)の葉包みのアンツケダンゴを毎年作って食べていると話していた高原住民のI夫妻である。

旦那さんは昭和5年生まれ。

奥さんは10歳ほど下になる。

お会いする度にさまざまなことを話してくださる夫妻に電話を架けたのは今月の2日。

そのときの返答は、もう家ではしていないということだった。

代わりではないが、現在の在り方を話してくださった。

奥さんがいう昨年のデンガラのこと。

お家の上の方にある施設で作っていたという。

そこは高原の山菜加工施設であるぱくぱく館。

昨年は20個も作っていたというデンガラ。

何個か買って親戚中に贈ったそうだ。

今年はいろんなことがあって買う気もない日々の暮らし。

なんならデンガラ作りをしている人に連絡しておくから、あんたからも電話したら、と云われて紹介してくれる。

高原までは足が遠い。

度々出かけることも難しい遠方の地。

奥さんが伝えてくれた電話を架けてみるが、出る気配はない。

鳴るには鳴っている電話であるが、電話に出られないワケがあるのだろうとIさんに問い合わせたら昼間は出かけているということだった。

実は電話番号は加工施設の番号。

利用しているときは電話に出るが、利用しない日もある。

そのときであればどなたも電話に出ることはない。

結果的にわかったのは5日の午後から作り始めるということであった。

作るデンガラの個数は注文数である。

その量によって1日、或いは2日間で作るというデンガラ作りである。

この日までにネットで調べたデンガラがある。

ブログ発信者は川上村の「かわかみブログ」の“きむら@森と水の源流館“だった。

形がよくわかる映像で紹介していた。

源流館施設は14年前までは度々伺っていた施設である。

K学芸員が在職されていた6年間は民俗に教えを乞うていた。

着いた時間帯は午後2時半。

我が家を出発してからおよそ1時間半もかかる片道距離にある高原の地である。

氏神神社下に手書き絵で紹介する高原の史跡を配置した所在地図。

昭和34年9月26日に高原を襲った伊勢湾台風の通り道、というか、台風の目が移動した状態を描いている。

当時の高原住民数は112世帯/488人。

台風によって大規模な山津波(土石流)が発生した。

流失した軒数は1軒。全壊は22軒。

半壊は4軒に亡くなられた方は46人もおよぶ大災害。

未だに不明な人数は12人になる甚大な被害であった。

掲示板があるここより台地上になっている地に向かう。

ぐるっと廻ったところに昭和58年に廃校となった高原小学校跡地がある。

校庭はだだっ広い。

そこからぱくぱく館を探してみるが見つからない。

その筋道向こうに二人の男性がおられたので館のある場所を尋ねた。

うち一人は記憶のある男性だ。

平成22年9月30日に取材したモチツキの夜。

祭りの宵宮祭に動き回っていた村神主役を務めていた白装束姿のKさんだった。

館の場所はと聞けば、振り向いたそこに建っていた。

高原のデンガラ作りの会場は農林水産省の第三期山村振興農林魚業対策事業・山菜等加工施設の「ぱくぱく館」である。

対策事業は昭和54年から平成2年の期間で定住条件総合的整備を図る、特に山村に移住する若者の定住化目的のようだ。

全国1106市町村で計画策定されて4期、5期、6期を経て平成27年より新法に基づく定住促進・・・。

村々で定住している状況は掴めないが・・ぱくぱく館の設備は十分に整っているように思える。



そこから眺める高原の景観。

下方に火の見やぐらが見えるところに絵画的地図板がある場所だ。

この日のぱくぱく館におられた婦人は4人。

代表を務めるIさんに取材主旨を伝えて承諾を得てから撮影に入る。

旧暦のひと月遅れの節句のころにホオ(朴)の葉があるからデンガラ作りをしているというIさん。

4日はもっと早い。

5日でも早い。

葉に茎のあるホオの葉は昨日に採ってきたそうだ。

また、昨年に採っておいたホオの葉は冷蔵庫に入れて保存していた。

それらもあわせて6月7日の節句の前に作っている。

つまりはホオの葉は前日まで摘んでおくということ。

多めに摘んだら、温めの湯で湯掻いておいて、冷蔵庫で保存できるホオの葉である。

奈良東山間部でも今もなお地域で作って食べている「ホオの葉飯」の場合は若葉であれば美味くできる。

ところが、日にちが経過して固くなった古葉では味が落ちる。

産毛が立つ若葉だからこその香りを賞味するのが「ホオの葉飯」であるが、デンガラの場合は若葉でなく、古葉でも構わないそうだ。

ホオの葉は採らずにいると一葉が出ない。

毎年採ってこそ良い葉ができる。

ホオの葉は軸に5枚の葉を付ける。

枚数は固定でなく6枚、7枚、8枚に3枚ものの葉もある。

えーもんは5枚であるが、なかなか採れないホオの葉である。

ホオの葉に自家製の小豆餡を包んで解けないようにする。

その括りに使う紐はシュロの葉。

葉の真ん中を割いて紐にするようだ。

つい数年前までは笹の葉で包んだチマキも作っていた。

ところが鹿が笹の葉を食い荒らして消えてしまった。

そんなわけで作りたくても作れなくなったという。

旧暦ひと月遅れの4月3日の節句はヒシモチ。

かつてはそれぞれの家で作っていたが、今では私たちがこのぱくぱく館で三色のヒシモチを作っているという。

Iさんがいうには、この「ぱくぱく館」の名前は高原の美女が集まる場所ということだ。

デンガラ作りは午前に餡作り。

午後も再び集まって作っているという。



着いた時間が遅かったものだから、すでに20束ほどを作り終えていた。

1束に五つのデンガラを作っている。

これらは注文を受けて作ったデンガラ。

そのうち注文した人が代金支払いと引き換えに持ち帰るという。

後半も注文のデンガラ作りである。

はじめの作業は杵・木臼で搗く餅搗きである。



杵で搗く婦人は76歳のKさん。

餅のカエシをしているのは84歳のIさん。

向こう側で見ている婦人はIさん。

一番若いUさんの4人が愛情込めてデンガラ作り。

原料は聞き取りする間がなかったのでわからないが、Iさんの話しによれば上新粉のようだ。

搗いた餅に艶があるから、たぶんそうだと思うが、粘りを要する餅粉も入っているようだ。

ただ、餅に味を出すために塩水をちょちょいとつけていた。



搗いた餅は木臼からヘラで掬ってコウジブタへ移す。

粘りがある餅に力強さを感じる。



搗いた餅は計量器に載せて測り、ホオの葉に包む餅を一定量にしておく。



計量した餅は手でヘソを作るような感じで押して平たくする。



餡はこし餡。

こだわりはなくつぶ餡でも構わない。

今では米の粉だけで餅を搗いているが、キビとかトウキビなどいろんな雑穀を混ぜて作っていたようだ。

こし餡は予め丸団子のように形作っていた。

これもまた餅と同様に一定量にしていた餡である。



こし餡は搗きたての餅で包む。

餅は搗いているときにわかったように粘りのある餅。

とても柔らかいのである。

こし餡を包んだ餅は俵型のおにぎりと同じような形にする。



餅はホオの葉にのせて包んでいく。



はじめに両側の葉で畳む。



その次は畳んだ葉が外れないように指で抑えながら、手前側にある葉を折りたたむ。

まるで蓋をするかのように閉じる。



折りたたんだら型崩れしないように、青いシュロの葉で解けないように括って1個作った。

なお、シュロの葉は堅い側の部分をはぎ取った中央の部分である。



ホオの葉はこの例で5枚葉。

枝付きのデンガラをぶら下げるとまるで鈴生りのような姿に見える。

軸から切り離さずにそのままの形で次の餅を包んで括る。

そして次の餅も・・。

合わせて5個のデンガラ餅ができあがる。

葉が3枚ものとか5枚より少ない場合でも作るし、5枚以上の多葉ももったいないから作る。

これは5枚葉であったが、汚い葉を千切って作ってくれた2枚もの。

味具合を試しに食べて、と云われてご相伴にいただく。

思っていた以上に香るホオの葉。

ホオの葉の香りがついた餡餅を口にほうばる。

甘さに香りが嬉しい。

かつてホオノハメシを食べたことはあるが、餡餅とはまた違う味。

どちらが良いとか比べるのも難しい。

要はどちらもホオ葉の香りが立っているのが嬉しい。

まるで和菓子屋さんが作った上等ものの餅のようなしっとり感が嬉しい。

それもそのはず上新粉であった。

つい数年前まではチマキ作りもしていた。



チマキの作り方は聞いていないが、2個並んだ間にチマキを並べたら・・の形になるという。

なるほどの形は男のシンボルである。

「セットで●ンタマ」と話してくれたけど・・。

この年の販売価格は1個が110円。

作っているときに予約注文者がやってくる。

手を止めて販売に移る。



注文者は顔のわかる村の人ばかり。

支払った注文者は笑顔で持ち帰った。

注文一覧を壁に貼っている。

注文者、個数、受け渡し/支払い済表示である。

話しによれば、注文してから翌日には追加の注文をする人が多いようだ。

親戚とか友人らに贈る連絡をした際に追加の注文が発生したような具合だ。

味を覚えた人はまた欲しくなるし、味を広めたくなるのでは、と思った。



注文数の多い順に200個、130個、100個、90個、80個、70個、60個、50個・・・。

少ない人でも15個、10個。

受取日を指定している注文者もいる。

5日、6日、7日・・それぞれお家の事情もある。

要望を受けてデンガラを作る。



明日もまた注文に合わせて作業をするデンガラ作り。

個数は少ないが、特別に私も買わせてもらってその場を離れた。

ちなみにその後の平成30年6月12日。

かわかみブログ」がアップしていたデンガラは川上小学校の給食に提供されたようだ。

余談であるが、粽参拝の呼び名もある端午の節句の行事にホオノキの葉を使って粽を作り、供えていたという地域があった。

東山間の桜井市瀧倉・瀧の蔵神社行事であった。

端午の節句であるが、瀧倉のその行事は6月13日だった。

前日の12日は村の各戸がそれぞれの家単位で粽を作っていた。

ホオノキが多く生えていたからこそ、そのホオノキで粽を作っていたということだ。

ホオノキをカシワと呼んでいた村がある。

奈良市の旧都祁村の南之庄である。

行事取材にたいへんお世話になったMさんは、田畑周辺に生えていたホオノキを採取してカシワメシを作っていた。

名称こそカシワであるが、ホオノキのことである。

ホオノキをカシワの木と呼ぶ地域は他にもあるようだ。

粽は柏の葉で作られるが、柏葉が生息しない土地であったろう。

その代用に粽はホオノキ(朴木)で作った。

そういうことであろう。

さて、瀧倉の粽である。

平成27年6月13日に訪れた瀧倉は本頭屋施主に当たっていた前三老のNさんが数日前に死去したというのだ。

Nさんはこれまでずっとしてきたが、継承する人もなく、前年が最後になったということだ。

貴重な在り方であったが、至極残念なことである。

(H29. 6. 5 EOS40D撮影)

鷲家のイモモチ

2014年04月13日 07時56分31秒 | 大和の郷土料理
下鷲家の山の神さん参りの際に話題になったイノコのモチ。

今朝作って食べたという八幡神社の宮総代のお一人がわざわざイモモチを持ってきてくださった。

ドロイモ(サトイモ)をさいの目切りに細かくしてお米と一緒に炊いたと云う。

できあがったイモモチは家で炊いたコシアンを塗して作ったそうだ。

作るところを拝見したかったのだが、上鷲家の山の神さんを拝見しなくてはならない。

そう思って諦めていた上鷲家の滞在時間。

お参りが始まるまでは時間があるだろうと思って届けてくださったのだ。

南天の葉を添えているイモモチ。



帰宅して小皿に盛った。

口にしたイモモチは甘くてとても美味しい。

イノコのクルミモチも美味しいが、これもまた味わい深い郷土の料理。

米も混ぜて作ったイモモチ(イノコのモチとも)は、その姿、形から考えて、東吉野村の他、下市町、天川村、野迫川村、下北山村などの吉野郡地方で云うイモボタではないだろうか。

(H25.12. 7 EOS40D撮影)

節句のヨモギダンゴ・シロダンゴ

2013年07月11日 06時54分54秒 | 大和の郷土料理
3月節句にはヨモギ(ヨゴミとも)ダンゴを作っていると話していた矢田中村のⅠさん。

大昔は石臼で挽いていた米粉。

今は餅屋で米を挽いてもらう。

米粉はダンゴに搗いて、包丁で切ったヒシ型。

サクラモチと共に供えた節句のごちそうだ。

今年の1月23日に搗いた寒のモチは7臼。

4臼はネコにしてカキモチにする。

残りをエビ・アオノリ・ドヤモチにする。

年末に拝見した正月のモチと同じである。

この日にいただいたヨモギダンゴとシロダンゴはオーブントーストかレンジで温める。

ヨモギダンゴはほんのりヨモギの香り。

シロダンゴは砂糖醤油で食べると話していた。

Ⅰさんの話しによれば「センギョ」やいうておばあさんがいたころはセンギョをしていた。

1月6日の寒の入りにアブラゲメシを作って竹の皮に包んで施していた。

家の裏山にいた狐は夜に食べるから夕方に供えた。

コンコンと鳴いていたと話す。

県内各地であった狐の施行(セギョウ、或いは訛ってセンギョ)は家の風習でもあった。

(H25. 3.26 SB932SH撮影)

下笠間のカキモチ

2013年04月19日 08時34分52秒 | 大和の郷土料理
寒の入りになってからカンノモチを搗くという室生下笠間のⅠ婦人。

この日訪れたのは美味しくいただいたイノコのクルミモチのお礼である。

寒中に搗くカンノモチは2升。

コジュウタに伸ばして柔らかいうちに押し切りで切る。

薄く2枚に切っては座敷に広げる。

切るたびに広げる繰り返し。

大量にこしらえたモチは屋内で干す。

そのうちにそり返ってくるので裏返しする。

それを繰り返す数カ月。

5月まで作業が続くと云う。

できあがったモチはカキモチ。

米蔵で貯蔵する。

食べたくなった都度に蔵から出したカキモチは天ぷらを揚げるようにして作る。

揚げるフライパンは2枚。

たっぷりの油を投入したフライパン。

一つはトロトロ火。

ホタル火のような火で揚げる。

もう一つはそれより高温の天ぷら揚げ。

カキモチは高い温度で揚げれば焦げてしまう。

しかも膨らまない。

じっくりことことではないが「始めは弱火で揚げないとあかん」と云う。

一旦はトロ火で揚げて取り出すカキモチ。

少し強めの火にしたフライパンに移す。

二度揚げである。

そうすればぱぁーっと大きくなってカリっと揚がる。

こうしてできあがったカキモチは数種類。

なかでも特に美味しかったのはムラサキイモのカキモチ。

他にもサトイモのカキモチも。

それらはモチ米を蒸すときに潰したイモを入れて混ぜる。

杵搗きでなくモチ搗きの器械で搗く。

親戚中に配るほど作るので必需品の器械だ。

甘くて美味しいカキモチに何度も手が伸びる。

砂糖を入れたような甘さと思えばそうではなかった。

味はイモ本来の甘さなのである。

(H25. 1.11 SB932SH撮影)

下笠間のイノコのクルミモチ

2013年01月30日 06時52分09秒 | 大和の郷土料理
前夜に2時間もかけて作ったイノコのクルミモチ。

アオマメをすり潰して作る。

昔は石臼に少しずつ入れて挽いていた。

力が要るマメ挽きは高齢者にとっては困難。

いつしかミキサーで挽くようにしたという下笠間のI婦人。

一升八合もの大量のアオマメ挽きはミキサーであってもそれぐらいの時間がかかる。

多く入れ過ぎるとミキサーが動かない。

少量であればマメが弾けて挽くことができないから適量にする。

何度も何度も挽くから2時間もかかったという。

アオマメのクルミで包むのは搗きたてのモチ。

2升5合も搗いたという。

それほどの量を作ったのは親戚や知人らに送るため。

毎年こうしているという。

下笠間では翌日の23日に九頭神社でイノコの籠りが行われる新穀感謝祭を終えてから集まる氏子たちはパック詰め料理をいただいて過ごす籠りの日。

ご飯は家から持ち寄る人も多いようだ。

神社のイノコの祭礼ではクルミモチは登場しない。

この年に収穫された豊作の米に感謝する祭祀なのである。

新嘗祭と一般的に呼ばれている祭祀は県内各地で営まれるが、室生、東吉野辺りではイノコと呼ぶ地域が少なくない。

イノコの日には新穀で搗いたモチがつきもの。

それにアオマメを潰したクルミを塗す。

砂糖を振り掛けて食べる家のご馳走である。

亥の日にはイノコのクルミモチを食べるということだ。

東北地方ではずんだもちと呼ばれる同じような形式のモチがある。

仙台地域では有名なブランドモチ。

一度は食べてみたいと申し出た家人。

ネットで注文した。

届いたずんだもちを食べたが下笠間のクルミモチとは大きな違いがあった。

潰したのはアオマメと思うのだが舌触りがまったく異なる。

ザラザラしている餡だった。

一口食べてこれは違うと云ったのは私。

同じ感触をもった家人。

イノコのクルミモチをもっぺん食べたいと常々伝えていたかーさん。

望みを叶えてあげたくて下笠間の婦人に頼んでいたクルミモチはナンテンの葉を添えてパックに詰めていた。

お支払いはと云っても受け取ってくれないご婦人。

行事の撮影でもお世話になっている方は「お金で買うてもらうもんではない」と仰ったクルミモチをお皿に盛ってくれた。



砂糖をぶっかけて食べた。

これが美味いんだなぁ。

持ち帰ったクルミモチは蓋を開けるなり口に放り込むかーさんも美味しいと唸る。

(H24.11.22 EOS40D撮影)

初体験のホオノハベントウ作り

2012年08月12日 07時59分37秒 | 大和の郷土料理
漢字で書けば「ホオの葉弁当」。

今でも毎日の朝、夕飯にこれを作ってたべているという誓多林のご夫婦。

4月末辺りから5月末までの一ヶ月間、山で採ってきた若い芽の「ホオ」の葉を摘み取ってホオノハベントウを作っている。

わざわざ山に行ってまで採りに行ってくれたホオの葉。

時期は遅いほうだという。

隣近所にも分けてあげたらと多めに採ってくれた。

自然界で植生している生葉のホオの葉。

若葉はもっと柔らかな緑色になる。

採ったその日も朝な夕なに作って食べていると云う誓多林のN家。

ありがたくいただいて持ち帰ったホオの葉は隣近所におすそ分けした。

以前に田原や南之庄で作り方、食べ方を聞いていたので、ものは試しだと始めて作るホオノハベントウ。

2枚のホオの葉を表面にして十字に置く。

そこにアツアツの炊きたてご飯をホオの葉に載せる。

ご飯は茶碗一杯ぐらいの量でよい。

ご飯のトモを好きなだけそこに載せる。

この日にしたのは醤油をたらした(ハナ)カツオ、ジャコ、シオコンブ、海苔の佃煮などだ。

海苔は山葵入り。

これもいただきものである。

ほんまはキナコだけでえーのだと南之庄の男性は云っていた。

外側から一枚ずつ折って四角い形にする。

特にワラのヒモで十字に縛らなくても構わない。

逆さにして積みあげたらそれで十分である。

本来なら田畑にもっていって農作業の合間のケンズイ時に食べるのだが、家では不要なのでひっくり返しておくだけ。

裏側の見立てはまるで春キャベツ。

黒っぽい状態になればできあがり。

それが食べごろのサインである。



およそ1時間弱で食べごろになる。

今夜の夕飯によばれる。

ホオの葉の香りは少なかったけどあっという間に胃袋行き。

ハシがすすむというのはこういうことだ。



食べたあとのホオの葉はこの通りのまっ黒け。

見た目は不味そうだが、なんの、なんのの格別の味。

ほんわかホオの葉の香りが漂う。

かーさんも美味いと云って食べている。

隣近所も好評だったホオノハベントウ。

ホオの葉寿司を作るのは多少手間もかかるが、これなら私もできる簡単料理である。

ちなみに多く採れた若葉を摘み取れば、一枚ずつにして水を入れたカップにいれておくと誓多林夫婦が話していた。

お花と同じで水を吸う。

それで数日はもつ。

すぐに使わないときであれば新聞紙に包んで冷蔵庫で保存する。

そうしておけばいつでも使える。

食べたいときに取り出してアツアツご飯を置く。

そしてご飯のトモを上に置いて作り上げると話していた。

(H24. 5.29 EOS40D撮影)

下笠間I家のモチ行事

2009年12月14日 08時20分06秒 | 大和の郷土料理
下笠間のI家では年中に亘り餅を搗いているという。

三宝荒神さんは三段餅、恵比寿大黒さんの餅は小判型で二個、稲荷さんは中小の二段重ね餅、神棚、先祖さんも同じく中小の二段重ね餅。

年末の28日辺りに搗いて正月に供える。

荒神さんは慌てる神さんやから一番先に供えるという。

1月7日は山の神さん。

小判型の餅を男の人数分だけ供える。

二房の太い藁棒の中にモチを入れた。

モチの端っこを二つほど切り取って七草粥に入れた。

雑煮と一緒で取り出してキナコをつけて食べる。

綿を作っている時代やった、今はしてないと断って話されたのはナリバナの餅。

ちぎってヒラドの枝に取り付けた。

その木は手で触るとモチっとした木のツツジやったという。

おそらく五月に花が咲くモチツツジであろう。

旧暦の1月3日や十三夜、十五夜、二十三夜、二十六夜は月の数だけのモチを供える。

閏年は月数が13なので丸い餅数は13個にする。

それは中央に突き出したヘソのような形のモチだ。

その中には一つだけ形が違うモチがある。

三日月型だ。これにもヘソがある。

これをミカヅキサンと呼ぶ。

なお中央のヘソはホシサンと呼んでいる。

3月3日はお雛さんの節句。

大きな一対のヒシモチを作っていた。

お嫁さんの親元などに配った。

春のお彼岸はクサモチ。

ヨモギ団子だったといって餡をくるんでいた。

これは実家の毛原でしていたそうだ。

5月5日は男の節句。

軍配型のチマキを作った。

萱の葉を巻いて茎で締めた。

先っぽに竹の串を中まで差し込んだ。

男児が生まれた家はモチを搗いてチマキを親元に配っていた。

チマキは五本。五本で1束、それを2束で1組。

息子に子供ができたときは10組ほど作っていた。

チマキを食べるには釜で茹でてゴマシオをふりかける。えー味やったという。

ハゲッショウ(半夏至)、ハガタメ(歯固め)のモチはしていない。

お盆のときもない。

秋の彼岸もモチを供える。

セキハン(赤飯)も作っている。

九頭神社の秋祭りもモチを搗く。

昨年まではキョウをしていた。

17歳以上の男の子の数だけ作る。

昔はトーヤさんの家で作っていた。

トーヤさんは本トーヤにアイトーヤさんがあった。

朝6時ごろにモチをもらいに行く。

カマス、のっぺ汁にモチになる。これを受け膳と呼ぶ。

今年は10月18日の日曜日やった。

カマスは不都合のないように長さを測る物さしがある。

享保二年(1717)の銘記があるというからおよそ三百年も使っている秤だという。

その物さしで測って、長ければカマスの尾っぽを切るそうだ。

11月は亥の子の日のイノコモチ。

一年の締めくくりというか、正月にかけて供えるモチがある。

ミズのモチという押しモチ。薄く伸ばす。

それは若水さんのモチ。

元日の朝、主人が井戸の水を汲みに行って、バケツに括り付けるモチ。

長い箸にモチを挿す。先っぽは葉付きのコウジミカンを挿す。

こうしてその年も一年が始まる。

モチは家人の健康や豊作を年中祈る大切なハレの食べ物であろう。

(H21.11.22 SB912SH撮影)

下笠間Y家のイノコモチ

2009年12月13日 06時19分56秒 | 大和の郷土料理
Y家では今年も隣家の奥さん4人と一緒にコメ三升、青豆二升半でイノコモチを作っていく。

現役石臼が活躍する。



水切りしたしゃもじで掬って入れる青豆。

この量加減がドロドロにしていく。

今年はオロシダイコンになったイノコモチも作られた。

これが絶妙な味だ。お汁は摺りおろしたダイコン汁。

冬場のダイコンは妙に甘辛い。

ヒノナ漬けと白ダイコンの漬け物が美味すぎる。

作業中の話題はイノコモチから鏡餅へ。

一週間も経った鏡餅はひび割れする。

隣家の奥さんの話によると、割れ具合でその年の豊作を占うという。

一度拝見したいものだ。

(H21.11.22 Kiss Digtal N撮影)