入院中、封書が自宅に届いた。
京都府立山城郷土資料館のA学芸員からの送りもの。
彼が担当する企画展示のタイトルは「躍る!南山城-おかげ踊り・花踊り・精霊踊り-」だ。
ほとんどが戦前に中断されて以来、途絶えた地域の行事もあれば、復活した行事もある。
その展示に加茂町岩船におかげ踊りがあると写友人のKさんより聞いていた。
何年か前にA学芸員が調査をして映像を記録していたと話していた。
学芸員の講演が8月1日と記されていたが手術の翌日。
とてもじゃないが聴講できない。
企画展は8月30日まで。
おそらくは退院していることだろうと思って案内状を保管していた。
案の定というか無事に退院もできてやや遠出も可能となった。
企画展は南山城地区。
奈良市を越えればそこが山城になる。
木津川市内の山城町・加茂町・上狛に和束町、笠置町、城陽市寺田、井手町、南山城村など広範囲に亘る。
だいたいの位置関係は車を走らせたこともありある程度は認知している。
展示物を通して現在の行事を知る。
見てから現地を訪れる。
それもありだと思って退院2週間後のこの日を選んだ。
午前中いっぱい拝観して午後には帰宅する予定で車を走らせる。
何度も来ている京都府立山城郷土資料館。
国道から入口を登って行こうとしたら右側になにやら看板があった。
ぱっと見いだったが、目に入ったのは入館無料の文字看板だ。
この日が該当するのか、入館の際に確かめてみたい。
車を走らせて資料館の駐車場に着く。
さくら祭りがある。そこで躍っている映像。見る限りではあるが、どことなくイベント的に行われたように思えた
いつもなら数台が停まっているだけなのにこの日は満車。
こんなことは始めてだ。
病み上がりの身、階段をのそりのそり登って駐車場を見ていた。
そのときだ。どこか見覚えのあるパジェロが登ってきた。
ナンバープレートは存じている写友人の愛車だ。
階段で待つことにした。
手を振って合図すれば驚いていた。
特に申し合わせたわけでもないのに二人は合流したのだ。
企画展資料を受け取って入館料を支払おうとすれば本日無料。
京都府の主な施設は節電キャンペーン。
7月8日から9月30日まではクールスポット期間中につき入館料不要の無料開放を実施していた。
節電施設は無料もあれば割引設定もある。
サービス品もある。
施設独自の対応である。
資料館は無料であるが、企画展室などは冷房もあるし電灯も点いている。
まさにクールスポットである。
明日までは夏休み期間中。
大勢の子供たちが入館されて宿題の課題解決にあたっているそうだ。
この日のA学芸員は仕事休み。
ところがだ、同館にはボランティアガイドによる無料解説もある。
展示物を見る、読むだけよりも解説を聞くほうが学習できてずっといい。
お願いしたのは言うまでもない。
案内人のガイドさんが順を追った展示物に沿って話される。
企画展のサブタイトルはおかげ踊り・花踊り・精霊踊り。
冒頭に「踊り」と「舞」は違う。
「踊りは足を揚げる」が「舞」にはそれがないすり足。
それが違いだという。
簡単にいえば、要するに「踊り」は跳躍運動であるが、「舞」は旋回運動なのだが、動きだけでは違いは語れない。
場、旋律、振りなどにも大きな違いがある。
今回の展示は「踊り」。
どちらかといえば神振り踊りである。
冒頭にも書いたがほとんどが中断され、僅かな地区で復活伝承されてきた。
その様相を展示しているが、主だったものはかつての様相をあらわす絵馬だった。
奈良県内においてもおかげ踊りなどの踊りの様相を表現した絵馬がたくさんある。
その踊り絵を拝見して違いを知るのも学習だ。
最初に拝見したのは笠置町の切山(きりやま)。
明治5年の花踊り図絵馬がある。
切山では雨乞いの願掛けに氏神さんの八幡宮へ「ヒヤケ踊り」を奉納していた。
願いが叶って雨が降る。
満願の願解きに躍った「花踊り」を奉納した。
大太鼓、紙垂振り、団扇、背中に飾ったシナイなどなど多数の男性が躍る姿は帽子を被った武将らしき人もおれば裃姿や奴のような人も。
明治5年は江戸時代最後の慶應を終えて5年後。
まだまだ江戸時代文化の様相が残っているのだろうか。
ちなみに切山は木材を伐りだしていた地域。
山を伐るのは木を伐るということだ。
同じ漢字を充てていた奈良県内の地名に山添村桐山がある。
今では桐山の漢字を充てているが、かつては笠置町の切山と同じ切山だった。
その証拠は永正十一年造りの湯釜に「切山」の刻印文字で確認できる。
山添の切山は石切場があったことから「切山」だった。
参考までに付記しておく。
中央に配置した場には白むく姿に躍る再現人形がある。
お盆のときに行われる精霊(しょうらい)踊りは山城町の上狛(かみこま)だ。
地区の自治会ごとに集まる集団は揃って新盆の家の庭(たぶんにカド)で躍るという。
一部の地域では唱えていた念仏をオープンリールのテープに収録されていた。
そのことを伝える昭和56年1月17日付けの新聞記事も展示していた。
34年前の新聞記事も大切な記録だ。
懐かしいオープンリールテープ、私も3~40年前のものがある。
テープデッキは壊れて回転することがなくなったオープンリールテープ。
たとえ機械があったとしてもテープ自身がくっついて読み取ることはできないだろう。
当時、苦心して記録された音声は物理的なテープだけが残った。
今回の展示には個人所有物も展示されている。
展示物のなかには太鼓踊唄写本などがある。
ところが原本が見つからない。
写本は原本より転記されたもの。
原本はどこへ行ったのか。
個人所有物は代替わりで消滅することが多々ある。
私が調査した範囲内の聞取りで判ったことは家屋の建て替えだ。
旧家には保存していた蔵もあった。
建替えによって新しくなった家屋に相応しくない残されていた過去の物品は、重要性は関係なく不要と判断されて消滅するのである。
解説される展示物を食い入るように拝見する。
明治六年の湧出宮の居籠祭(いごもりまつり)。
加茂大野のかっこ踊りも興味深い。
お茶栽培で名高い和束におかげ踊りがある。
昭和大典に躍ったあとの記念写真。
昭和3年の旧白栖村のおかげ踊りだ。
旧白栖村は皇室領。
藩領どころではない鼻高々の皇室領だという。
大典記念に撮られた集合写真は旧白栖村の他、精華町東畑・北稲八間もある。
加茂町の高田にはおかげ踊りの絵馬がある。
加茂町高田は大正五年。
昭和3年の大典3枚ある。
天皇大典はどこの村とも記念事業が行われたようやに聞く。
私が聞いたのは奈良県大和郡山市額田部町だ。
当時の写真を見せてもらったことがある。
城陽市寺田の水度神社。
文政十三年(1830)に奉納されたおかげ踊り絵馬がある。
同町の中での天満神社にも奉納されたおかげ踊り絵馬があるが、これは江戸末期の慶応三年(1867)だ。
写友人が教えてくださっていた加茂町岩船のおかげ踊りがある。
岩船は当尾(とうの)の里。
随分昔に自転車で来たことがある。
奈良市内を抜けてからは登りばかりの道。
途中で何度も休憩したことがある。
巡拝できる石仏がある。
ここへくれば訪れたい浄瑠璃寺や岩船寺がる。
いずれも訪れたが境内社は存じていなかった。
岩船寺に鎮座する境内社は白山神社。
ここで10月のマツリにおかげ踊りを奉納される。
最近の記録写真で動画もある。
再興された踊りはシデや幣を振る姿もある。
記録日は平成24年10月16日の火曜日。
平日なので固定日であるかも知れない。
復活現存しているおかげ踊りは岩船以外に、神社舞殿周囲を囲むように躍る城陽市富野荒見田・荒見神社や桜が咲く井出町のさくら祭りがある。
そこで躍っている映像。
見る限りではあるが、どことなくイベント的に行われたように思えた。
井出町多賀のおかげ踊り絵図はユニークな巻物様式。
稀にこういう様式を拝見することがある。
伊勢のおかげ参りに「ええじゃないか」がある。
日本全国爆発的に発生した「ええじゃないか」。
京都市の「中」には当時躍られた「豊年踊り」がある。
化粧をして乱舞する姿を描いた豊年踊りに躍動感を見た宇治田原町内の民家で発見されたそうだ。
城陽市歴史民俗資料館寄託の文政十二年・十三年に奉納された豊年踊りもある。
なかには文字を書いた日記がある。
日記といえども躍る姿を彩色豊かに表現したものある。
線画で描いた踊り図もある。
じっくり見ればでかい顔の人がいた。
キツネ面を被る人もいる。
もしかとすればだが、でかい顔の人はでかい顔の面だったかも知れない。
田山の花踊りは聞いたことがある。
たしか奈良市の月ヶ瀬からすぐ近くだと聞いていたが未だ現地入りはしていない。
田山は南山城村。
月ヶ瀬人口湖の東部山間になる。
11月3日に行われる花踊りは諏訪神社に奉納される。
集合・出発地は旧田山小学校グラウンド。
そこから神社に向けて行列行進するそうだ。
花踊りは記録した動画もあった。
踊りや衣装・シナイ飾りを見ていてなんとなく奈良市大柳生や月ヶ瀬石打の太鼓踊りを思い出す。
石打は大正13年に途絶えたが、昭和63に復活。
同じように田山の花踊りも大正13年の奉納を最後に途絶え昭和38年に復興、保存会を立ち上げた。
太鼓に乗った子供が雨乞い願掛けを口上するのも石打と同じ。
行列に棒(ハライ棒)のようなものを持つのも同じ。
天狗・ひょっとこも。
復活した石打の太鼓踊りは大柳生から習ったようやに聞くが、様式を見る限り田山を見習ったと思われるのだ。
田山にしか見れらない特徴的なものといえば、顔を金箔の笠で覆った黒い紋付衣装を着る「唄付け」だ。
踊り子の傍について貝吹きをする修験の人たち(神夫知か)。
案内ガイドの話しによれば踊り子の指導者であるようだ。
展示会場をぐるりと回って上狛の精霊踊りに辿り着く。
ひときわ目立つ白装束も展示してある。
大きな太鼓もあるし打ち鉦もある。
躍る姿を表現したイラストがある。
イラストの主はよろずでざいんの中川未子さん。
どこかでお会いしたような名前が気にかかる。
しばらくして思いだした。
この年の3月31日、4月1日の両日。
天理市のちゃんちゃん祭りだ。
大字成願寺の北垣内で調査されていたイラストレータだった。
特徴ある描き方で思いだした。
精霊踊りはナモデ踊り、ジンヤク踊りがあるようだ。
上狛は環濠集落。
8月14日、新盆のタナマツリは地区の人たちが新盆の家を訪問して供養の踊りを披露する精霊踊りをする。
家中に入ることなくカドで躍るように思えた。
振りは小さいが、次の新盆家に向かう道中でも躍っている映像があった。
上狛は泉、野日代(のびだい)、小仲小路(こなしょうじ)、五つ郷(角・城・御堂・磯・殿前垣内?か)、林からなる。
かつては隣村椿井の椿井南、椿井北、神童子(じんどうじ)、北河原や平尾の北平尾、東平尾、大平尾および鹿背山にもあった精霊踊り。
神童子、椿井は大正期、上狛は昭和21年、平尾は昭和28年に発生した南山城水害を最後に途絶えた。
ただ五つ郷だけは踊りを復活されて現在に至っている。
当時の精霊踊りは踊り子のカンコ打ち、シンボウ打ち、音頭取り、太鼓打ち、鉦叩き、シカ持ち、ガワなどで構成されていたが、奈良県内でみられる念仏は踊りでもなく六斎鉦を打ちならし念仏を唱える様式だ。
違いがあることが判った上狛の精霊踊り。
できる限り拝見したいものだ。
ガイドが最後に案内した場。
昭和初期から30年代にかけて製造された製茶機械が保存されている。
製茶製造に活躍した機械を通じて製法が理解できる仕組みだ。
これもまたガイトがなければただたんに見て回るだけ。
熱心に解説してくださりこの場を借りて御礼申し上げる。
なお、この日の満杯駐車場の理由は古文書手習い教室の参加者だった。
毎回、参加人数が多くなっているそうで、レベルが高い人もおれば初心者も。
そのようなことで、レベルを分けた二グループに分けたそうだ。
(H27. 8.29 SB932SH撮影)