送迎患者の一人にKさんがいる。
現在は白土町に住む人であるが、生まれも育ちも宇陀の地。
宇陀水分神社の氏子でもある。
家庭の事情から息子さんが住む町に住まいすることになったと話す。
そのKさんは毎月21日には天理市の櫟本に自転車で出かけていく。
そこは櫟本不動(ふどうさん;不動山)と呼ばれる小高い山裾で高塚公園(遺跡公園)の東の端。
かつて不動寺があったが現在は廃寺。
バケツにその名が残されている。
弘法大師の碑があって、傍らには大師を讃える和讃の文字がうっすらと読める。
その奥は竹やぶで石仏がたくさんある。
話によればこの地で四国八十八か所巡りができる八十八の石仏だそうだ。
Kさんは数年前からそこの世話人をかってでた人で、毎月21日には朝から清掃されている。
役の行者像や不動明王(明治七年建之であろう)もある櫟本廃寺の不動寺。
東方の天理街道辺りにこの地を示す石標がある。
いわゆる立石(たていし)の道標であるが、「右不動山大師云々」に、上半分は看板で隠れて読めない「・・龍講」の文字が。
4月か5月には大峰行者(洞川)修験者が護摩焚きをされ弓矢を打つそうだ。
雨天でも決行するらしい。
いつかはその講中と不動山とどのような関係なのか尋ねなくてはならない。
(H23.11.24 SB932SH撮影)
現在は白土町に住む人であるが、生まれも育ちも宇陀の地。
宇陀水分神社の氏子でもある。
家庭の事情から息子さんが住む町に住まいすることになったと話す。
そのKさんは毎月21日には天理市の櫟本に自転車で出かけていく。
そこは櫟本不動(ふどうさん;不動山)と呼ばれる小高い山裾で高塚公園(遺跡公園)の東の端。
かつて不動寺があったが現在は廃寺。
バケツにその名が残されている。
弘法大師の碑があって、傍らには大師を讃える和讃の文字がうっすらと読める。
その奥は竹やぶで石仏がたくさんある。
話によればこの地で四国八十八か所巡りができる八十八の石仏だそうだ。
Kさんは数年前からそこの世話人をかってでた人で、毎月21日には朝から清掃されている。
役の行者像や不動明王(明治七年建之であろう)もある櫟本廃寺の不動寺。
東方の天理街道辺りにこの地を示す石標がある。
いわゆる立石(たていし)の道標であるが、「右不動山大師云々」に、上半分は看板で隠れて読めない「・・龍講」の文字が。
4月か5月には大峰行者(洞川)修験者が護摩焚きをされ弓矢を打つそうだ。
雨天でも決行するらしい。
いつかはその講中と不動山とどのような関係なのか尋ねなくてはならない。
(H23.11.24 SB932SH撮影)