下鷲家の山の神参りを撮らせていただいて向かった先は上鷲家。
当地では2カ所ある山の神。
野見(のうみ)垣内と大西垣内である。
同時間帯に行われると宮総代長が案内してくださった大西垣内に着いた。
「今からネンギョ(年行)さんが御供しまんねん」と住民が話していた矢先に運びだした一升モチ。
桶に入れて山の神さんに供える。
お神酒に二段モチ、サバ、野菜などのお供えをするが、お参りはそれから3時間後の昼過ぎだ。
それを知らずに待つこと待つこと・・。
その間は付近を探索した。
山の神さんを祀っている道は昔からある伊勢街道の本街道。
紀州の殿さんが通っていたと話す。
上の道を行けば何軒かの集落がある。
そのうちの一軒は「ドッコイシヨ」と呼ばれている家。
話しによれば、なんでも殿さんが「どっこいしょ」と云って休憩に腰かけた家だそうだ。
その時代は不明だが、それから「ドッコイショ」の屋号を名乗るようになった。
「今でもそう云われてるんや」と話す村人たち。
それより向こうには天誅組の松本奎堂らの墓もあると云う。
墓掃除していた婦人が云うには「ふぅ、と十数人の侍が通る姿を目にした。今でも天誅組の人らが守ってくれてんや」と話す。
その婦人は信心深く、禊祓えに心経を唱えて山の神さんに登っていった。
大西垣内の山の神さんを祀る地には彩色された美しいお顔をもつ庚申石仏がある。
穏やかな姿に手を合わす。
この年は天誅組義挙150年祭。
観光ツアー団体が押し掛けて賑やかだったと云うが、山の神さんや庚申さんにはまったく関心を寄せなかったようだ。
待ち時間はたっぷりある。
山の神さんが鎮座する下の家にあった「花巻き」。
秋季大祭に奉納された花笠は行事を終えて一本ずつ氏子に配られる。
かつては競い合うように取っていたがそれは戦前のこと。
授かった一本の花笠は捻って輪にしたものを玄関に飾るのである。
同家もそうされていた花笠は食用の色粉を浸けて染めあげたもの。
御幣とともに飾っていた。
お参りする時間はまだまだ先。
空き時間を過ごしていたときのことだ。
頭上から垂れさがる樹木に気がつかれた婦人が指をさした。
朱色・黄色交じりの果実が美しく垂れ下がっている。
これまでまったく気がつかなかったが、この木はツルウメモドキだと云う。
山影から射し込む陽に照らされた色合いが映える。
さらに時間が経過した12時頃、何人かがテーブルなどを持ち込んできた。
村に移り住んだ別荘地の人たちである。
村の祭りにふるまいをと持ち込んだのは道具だけでなく、食材もある。
この日のために予め竹串に挿して作っておいたヤキトリである。
たまたま猟師さんが獲ったと云うシカ肉もヤキトリ串に挿して、暖をとっていたとんどの炭で焼いていく。
そうこうしているうちにやってきた導師。
山の神さんに心経を唱える婦人がいなければ始まらない。
山の神さんに上がる階段下に集まった村人たち。
手を合わせて心経を唱える。
かつては山の神さんの祠付近にある樹木に綱を掛けて杉材で作った山の仕事道具のヨキ、カマ、ノコギリを吊るしていたそうだ。
御供を下げるネンギョさん。
手伝いさんも忙しく手早く袋詰めしておく。
こうして山の神さん参りを済ませた住民はふるまいのご馳走をいただく。
炭火で焼く御供下げのサバは二尾。
大きなサバである。
表も裏も適度に焼いていく。
出来あがったサバは丸ごと一尾。
皿に盛って一人、一人に回していただく。
焼き加減が上手かったサバはほくほくして美味しい。
タレや塩・胡椒をふり掛けたヤキトリも美味いのである。
ボールに盛ったにぬき卵も配られる山の神のご馳走に村の歓談は盛りあがる。
およそ30分間のふるまい時間に温もりを感じる。
お腹もいっぱいなったからと始めたゴクマキ。
崖上に登ったネンギョさんや長老。
桶を担いでいく。
崖下の民家前に並んだ村人や移住者。
大きく手を振って放り投げたモチをキャッチする。
一升モチは相当な量。
拾いそこねた転げるモチを追いかけるゴクマキの様相はどことも同じの争奪戦である。
崖にあった鹿の糞。
食べることはできない。
大西垣内の住民の話しによれば、山の神さんは小栗栖(こぐるす)や中黒にもあるらしい。
(H25.12. 7 EOS40D撮影)
当地では2カ所ある山の神。
野見(のうみ)垣内と大西垣内である。
同時間帯に行われると宮総代長が案内してくださった大西垣内に着いた。
「今からネンギョ(年行)さんが御供しまんねん」と住民が話していた矢先に運びだした一升モチ。
桶に入れて山の神さんに供える。
お神酒に二段モチ、サバ、野菜などのお供えをするが、お参りはそれから3時間後の昼過ぎだ。
それを知らずに待つこと待つこと・・。
その間は付近を探索した。
山の神さんを祀っている道は昔からある伊勢街道の本街道。
紀州の殿さんが通っていたと話す。
上の道を行けば何軒かの集落がある。
そのうちの一軒は「ドッコイシヨ」と呼ばれている家。
話しによれば、なんでも殿さんが「どっこいしょ」と云って休憩に腰かけた家だそうだ。
その時代は不明だが、それから「ドッコイショ」の屋号を名乗るようになった。
「今でもそう云われてるんや」と話す村人たち。
それより向こうには天誅組の松本奎堂らの墓もあると云う。
墓掃除していた婦人が云うには「ふぅ、と十数人の侍が通る姿を目にした。今でも天誅組の人らが守ってくれてんや」と話す。
その婦人は信心深く、禊祓えに心経を唱えて山の神さんに登っていった。
大西垣内の山の神さんを祀る地には彩色された美しいお顔をもつ庚申石仏がある。
穏やかな姿に手を合わす。
この年は天誅組義挙150年祭。
観光ツアー団体が押し掛けて賑やかだったと云うが、山の神さんや庚申さんにはまったく関心を寄せなかったようだ。
待ち時間はたっぷりある。
山の神さんが鎮座する下の家にあった「花巻き」。
秋季大祭に奉納された花笠は行事を終えて一本ずつ氏子に配られる。
かつては競い合うように取っていたがそれは戦前のこと。
授かった一本の花笠は捻って輪にしたものを玄関に飾るのである。
同家もそうされていた花笠は食用の色粉を浸けて染めあげたもの。
御幣とともに飾っていた。
お参りする時間はまだまだ先。
空き時間を過ごしていたときのことだ。
頭上から垂れさがる樹木に気がつかれた婦人が指をさした。
朱色・黄色交じりの果実が美しく垂れ下がっている。
これまでまったく気がつかなかったが、この木はツルウメモドキだと云う。
山影から射し込む陽に照らされた色合いが映える。
さらに時間が経過した12時頃、何人かがテーブルなどを持ち込んできた。
村に移り住んだ別荘地の人たちである。
村の祭りにふるまいをと持ち込んだのは道具だけでなく、食材もある。
この日のために予め竹串に挿して作っておいたヤキトリである。
たまたま猟師さんが獲ったと云うシカ肉もヤキトリ串に挿して、暖をとっていたとんどの炭で焼いていく。
そうこうしているうちにやってきた導師。
山の神さんに心経を唱える婦人がいなければ始まらない。
山の神さんに上がる階段下に集まった村人たち。
手を合わせて心経を唱える。
かつては山の神さんの祠付近にある樹木に綱を掛けて杉材で作った山の仕事道具のヨキ、カマ、ノコギリを吊るしていたそうだ。
御供を下げるネンギョさん。
手伝いさんも忙しく手早く袋詰めしておく。
こうして山の神さん参りを済ませた住民はふるまいのご馳走をいただく。
炭火で焼く御供下げのサバは二尾。
大きなサバである。
表も裏も適度に焼いていく。
出来あがったサバは丸ごと一尾。
皿に盛って一人、一人に回していただく。
焼き加減が上手かったサバはほくほくして美味しい。
タレや塩・胡椒をふり掛けたヤキトリも美味いのである。
ボールに盛ったにぬき卵も配られる山の神のご馳走に村の歓談は盛りあがる。
およそ30分間のふるまい時間に温もりを感じる。
お腹もいっぱいなったからと始めたゴクマキ。
崖上に登ったネンギョさんや長老。
桶を担いでいく。
崖下の民家前に並んだ村人や移住者。
大きく手を振って放り投げたモチをキャッチする。
一升モチは相当な量。
拾いそこねた転げるモチを追いかけるゴクマキの様相はどことも同じの争奪戦である。
崖にあった鹿の糞。
食べることはできない。
大西垣内の住民の話しによれば、山の神さんは小栗栖(こぐるす)や中黒にもあるらしい。
(H25.12. 7 EOS40D撮影)