昨日の午前中は、読売新聞社記者による記事取材。
今日の午後は、FMヤマト放送局のインタビュー取材がある。
2日続けて2件も取材がはいった「私がとらえた大和の民俗」写真展。
ありがたいことだ。
県立大和民俗公園内にFMスタジオを設けた。
そのスタジオは移動車。
所有は、1年前に創業した中和地域を放送エリアとするアプリネットラジオ放送局(※簡単にいえばインターネットラジオ局、つまりはラジコか)。
今のところ、毎週の土曜、日曜イベントを中心にインタビュー取材を生放送の取材をする移動局はFMヤマトのラジオカー。
車体にマークがあるから、わかるようにFM周波数は、77.5Mhz。
FMヤマトの主局は、奈良県大和高田市大中南町にあるそうだ。
理解ができているか、どうかわからないが、移動局から発信し、主局の大和高田市からFMヤマトが放送するらしい。
ただ、電波は、まだ県立大和民俗公園内では、直接の電波が入らないらしい。
ここ県立大和民俗公園内で、現在公開中の「私がとらえた大和の民俗」写真展にインタビューがあるから、出展されている写真家を集めてほしい、と連絡が入った。
急な、お願いであるが、数人が集まってくれた。
インタビュー時間は、午後1時から3時と、聞いていたが、実質は午後2時から4時までだった。
それまでの時間帯に、ぶらりと見て回る。
残り数日後には、先に終わってしまう古民家でひなまつり。
すぐ近くに建つ隣の古民家が、写真展会場。
そこに行く途中の広場に食事を摂られる家族やグループ。
寒さは揺らぎ、長閑な空間に咲きはじめた白梅を愛でる人たちも・・
そして、写真展の会場は、旧萩原家住宅・旧赤土家離座敷。
一般的な写真展会場とは、まったく趣が異なる古民家活用の展示。
前回に続けての古民家写真展。
素晴らしき環境下で拝見する「私がとらえた大和の民俗」の展示写真が、古民家の雰囲気に馴染んでいた。
竈は、現役ではないが、週に一度は薪をくべて煙が天井まで届くよう・・。
いわゆる古民家の動態保存の手法である。
昔の暮らしが見えてくる古民家も案内したくなる写真展会場。
1時間の待機になったが、特に意識することなく、定刻時刻になれば、なにもなかったかのようにはじまったインタビュー。
インタビュアー・パーソナリテイは、元フリーアナウンサーの和田りつこさん一人の単独放送。
話によると、古民家利用に毎週のパーソナリティ放送を・・
エリア放送に地域を拡大し、大和高田の放送局を知ってもらうために、・・・したいと応募したら合格したそうだ。
トップインタビューは、県立民俗博物館・館長。
博物館ならびに、ここ県立大和民俗公園を紹介していた。
そして、順が回ってきた「私がとらえた大和の民俗」写真展に参加している写真家たち。
まずは、僭越ながら、代表の私、田中眞人が受けた初インタビュー。
質問に応えたのは、「私がとらえた大和の民俗」写真展の主旨。
今回で10回目になった「私がとらえた大和の民俗」写真展が最後に幕を下ろす。
その件については、会場入り口に掲げたご挨拶。
10年を振り返り、思うことをつらつら書いたメッセージ。
全文をつらつらしぇべりたくはないから、要所、要所をインタビュアーに伝えた。
なお、あいさつ文は、画像が小さく、判読し難いから、次に転記しておく
「ごあいさつ ご来場、ご高覧ありがとうございます わたしたち、8人の写真家がそれぞれの思いを込めて撮った、現代に生きる、暮らしの映像はいかがでしたでしょうか。 生活は、それぞれ。 生まれも、育ちもそれぞれ。 暮らした地域もそれぞれ。 生きてきた時代に、今の感性を思う存分、各々の写真家が器量を発揮した民俗映像です ご高覧いただいたみなさま方も、またそれぞれの暮らし、経歴を経ており、視点、思いは・・・ 一致するものもあれば、そんなことがあったのか、と驚くこともありましょう 民俗文化は、暮らしそのもの。 時代の変化、変遷は目まぐるしく・・・・ 生活文化の変わりように、昔も今も、人々は生きてきた それが民俗 奈良、大和のいっときをとらえた映像を、少しでも心に遺していただければ幸いです。 なお、10年間に亘り、奈良の暮らし、文化などを記録、そして後世に伝えたく、紹介してきましたが、今回の展示をもって役目を終えます 撮影地のみなさま方、県立民俗博物館のみなさま方。 ここまで続けてこられたこと、感謝の念に堪えません この場を借りて、厚く御礼申し上げます コロナ禍の時代、どうかお元気で、愉しく暮らせますよう、祈念し、ご挨拶に換えさせていただきます 奈良民俗写真の会 一同」、とした。
続いて、志岐利恵子さん、森川光章さんもみな、イヤフォンを装着し、インタビューに応じてくださった。
的場啓さんも来られたが、遠慮された。
しかし、滅多にないことだけに記念の一枚を撮ってくださった。
コロナ禍においてまん延感染防止対策に、全員がマスク着用中。
これも、また記録成り。
およそ30分間のFMラジオ出演。
そうそう、この日の拝観者は、正直、実に多い。
写真家、知人たちが時間差攻撃のごとく、次から次へと来訪してくださり、嬉しい悲鳴をあげていた。
午後1時半ころに来られたIさんに、久しぶりにお逢いしたHさん。
午後3時前、議会の仕事に空白ができた。
やっと拝見できると、満面の笑顔で来てくださったOさんは、近所の婦人を誘ってきてくれた。
とにかくお忙しく活動されているOさん。
無理しないでや・・・
また、中高年ご夫妻も。奥さんが熱心に見てくださっていたので、解説したらとても感動され、喜んでくれたので図録1冊を献本した。
興味をもっていただけるだけでも、幸せを感じる今回の私のテーマは「コロナ禍、そのときのT家・・」は、である。
介護のおふくろ、そしてコロナ禍であっても、なかっても・・・せざるを得ないお家や村の習俗・行事の記録した。
また、まだ30歳に満たない若夫婦の奥さんも熱心に見てくださっていた。
興味津々の奥さんに解説したら、「へー、そうだったんだ」と、とても感動してくれたので、またまた図録を1冊献本させていただいた。
(R4. 3. 5 SB805SH 撮影)
今日の午後は、FMヤマト放送局のインタビュー取材がある。
2日続けて2件も取材がはいった「私がとらえた大和の民俗」写真展。
ありがたいことだ。
県立大和民俗公園内にFMスタジオを設けた。
そのスタジオは移動車。
所有は、1年前に創業した中和地域を放送エリアとするアプリネットラジオ放送局(※簡単にいえばインターネットラジオ局、つまりはラジコか)。
今のところ、毎週の土曜、日曜イベントを中心にインタビュー取材を生放送の取材をする移動局はFMヤマトのラジオカー。
車体にマークがあるから、わかるようにFM周波数は、77.5Mhz。
FMヤマトの主局は、奈良県大和高田市大中南町にあるそうだ。
理解ができているか、どうかわからないが、移動局から発信し、主局の大和高田市からFMヤマトが放送するらしい。
ただ、電波は、まだ県立大和民俗公園内では、直接の電波が入らないらしい。
ここ県立大和民俗公園内で、現在公開中の「私がとらえた大和の民俗」写真展にインタビューがあるから、出展されている写真家を集めてほしい、と連絡が入った。
急な、お願いであるが、数人が集まってくれた。
インタビュー時間は、午後1時から3時と、聞いていたが、実質は午後2時から4時までだった。
それまでの時間帯に、ぶらりと見て回る。
残り数日後には、先に終わってしまう古民家でひなまつり。
すぐ近くに建つ隣の古民家が、写真展会場。
そこに行く途中の広場に食事を摂られる家族やグループ。
寒さは揺らぎ、長閑な空間に咲きはじめた白梅を愛でる人たちも・・
そして、写真展の会場は、旧萩原家住宅・旧赤土家離座敷。
一般的な写真展会場とは、まったく趣が異なる古民家活用の展示。
前回に続けての古民家写真展。
素晴らしき環境下で拝見する「私がとらえた大和の民俗」の展示写真が、古民家の雰囲気に馴染んでいた。
竈は、現役ではないが、週に一度は薪をくべて煙が天井まで届くよう・・。
いわゆる古民家の動態保存の手法である。
昔の暮らしが見えてくる古民家も案内したくなる写真展会場。
1時間の待機になったが、特に意識することなく、定刻時刻になれば、なにもなかったかのようにはじまったインタビュー。
インタビュアー・パーソナリテイは、元フリーアナウンサーの和田りつこさん一人の単独放送。
話によると、古民家利用に毎週のパーソナリティ放送を・・
エリア放送に地域を拡大し、大和高田の放送局を知ってもらうために、・・・したいと応募したら合格したそうだ。
トップインタビューは、県立民俗博物館・館長。
博物館ならびに、ここ県立大和民俗公園を紹介していた。
そして、順が回ってきた「私がとらえた大和の民俗」写真展に参加している写真家たち。
まずは、僭越ながら、代表の私、田中眞人が受けた初インタビュー。
質問に応えたのは、「私がとらえた大和の民俗」写真展の主旨。
今回で10回目になった「私がとらえた大和の民俗」写真展が最後に幕を下ろす。
その件については、会場入り口に掲げたご挨拶。
10年を振り返り、思うことをつらつら書いたメッセージ。
全文をつらつらしぇべりたくはないから、要所、要所をインタビュアーに伝えた。
なお、あいさつ文は、画像が小さく、判読し難いから、次に転記しておく
「ごあいさつ ご来場、ご高覧ありがとうございます わたしたち、8人の写真家がそれぞれの思いを込めて撮った、現代に生きる、暮らしの映像はいかがでしたでしょうか。 生活は、それぞれ。 生まれも、育ちもそれぞれ。 暮らした地域もそれぞれ。 生きてきた時代に、今の感性を思う存分、各々の写真家が器量を発揮した民俗映像です ご高覧いただいたみなさま方も、またそれぞれの暮らし、経歴を経ており、視点、思いは・・・ 一致するものもあれば、そんなことがあったのか、と驚くこともありましょう 民俗文化は、暮らしそのもの。 時代の変化、変遷は目まぐるしく・・・・ 生活文化の変わりように、昔も今も、人々は生きてきた それが民俗 奈良、大和のいっときをとらえた映像を、少しでも心に遺していただければ幸いです。 なお、10年間に亘り、奈良の暮らし、文化などを記録、そして後世に伝えたく、紹介してきましたが、今回の展示をもって役目を終えます 撮影地のみなさま方、県立民俗博物館のみなさま方。 ここまで続けてこられたこと、感謝の念に堪えません この場を借りて、厚く御礼申し上げます コロナ禍の時代、どうかお元気で、愉しく暮らせますよう、祈念し、ご挨拶に換えさせていただきます 奈良民俗写真の会 一同」、とした。
続いて、志岐利恵子さん、森川光章さんもみな、イヤフォンを装着し、インタビューに応じてくださった。
的場啓さんも来られたが、遠慮された。
しかし、滅多にないことだけに記念の一枚を撮ってくださった。
コロナ禍においてまん延感染防止対策に、全員がマスク着用中。
これも、また記録成り。
およそ30分間のFMラジオ出演。
そうそう、この日の拝観者は、正直、実に多い。
写真家、知人たちが時間差攻撃のごとく、次から次へと来訪してくださり、嬉しい悲鳴をあげていた。
午後1時半ころに来られたIさんに、久しぶりにお逢いしたHさん。
午後3時前、議会の仕事に空白ができた。
やっと拝見できると、満面の笑顔で来てくださったOさんは、近所の婦人を誘ってきてくれた。
とにかくお忙しく活動されているOさん。
無理しないでや・・・
また、中高年ご夫妻も。奥さんが熱心に見てくださっていたので、解説したらとても感動され、喜んでくれたので図録1冊を献本した。
興味をもっていただけるだけでも、幸せを感じる今回の私のテーマは「コロナ禍、そのときのT家・・」は、である。
介護のおふくろ、そしてコロナ禍であっても、なかっても・・・せざるを得ないお家や村の習俗・行事の記録した。
また、まだ30歳に満たない若夫婦の奥さんも熱心に見てくださっていた。
興味津々の奥さんに解説したら、「へー、そうだったんだ」と、とても感動してくれたので、またまた図録を1冊献本させていただいた。
(R4. 3. 5 SB805SH 撮影)