マネジャーの休日余暇(ブログ版)

奈良の伝統行事や民俗、風習を採訪し紹介してます。
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新泉の宵宮参りの御渡り

2010年04月30日 08時59分21秒 | 天理市へ
通称一本木と呼ばれる氏神さんに参ってから大和神社に向かう新泉の御渡り。

明日の祭典に使われる頭屋預かりの道具を披露されている頭屋家に集まってくる。

頭屋は村の家並みの順で回る。

前年の頭屋は4月半ばまでに頭人児の装束を洗っておき、その年の頭屋へ門飾りや「翁の舞」の道具(竹製の円形笠、鋤、半切桶に太鼓)を持って行く。

頭人児は、大凡歩けるようになった幼児から中学生までを対象年齢としている。

年頃の子供がいない場合は親戚の子供であっても構わない。

今年は昨年の野神祭りでも活躍したM家のたっくんだ。

門飾りの基壇はクヌギの割木でできている。

四方は竹で編んだもの。

宮入で拝受した御幣の前は蝋燭が2本。

神饌は特になく、毎晩蝋燭に火を灯してきた頭屋は20年に一度回ってくる。

長い竹は御幣。

紙幣と米一合を取り付けている。

頭屋は紋付き袴、白装束姿の頭人児や随者は手水で清め門飾りに向かって拝礼する。



そろそろ時間だと言って一行は、新泉の幟を先頭に大和神社を目指す。

その姿を拝見しようと農作業の手をとめてケータイ写真で収める人もいる。



新泉の御渡りでは宮入、宵宮参りとも道中に鎮座する氏神さんに参拝される。



一本木さんとも呼ばれている氏神さんは素盞嗚神社。

毎年5月3日は野神まつりが行われている。

お参りを済ませたあと、幣を振って、ちゃんちゃん祭執行の無事を祈る。



一行は本殿に登り竹御幣の供え物を差し出し、代わりに産子幣と田楽幣を授かって戻っていく。

(H22. 3.31 EOS40D撮影)

大和神社ちゃんちゃん祭宵宮参り

2010年04月29日 07時28分19秒 | 天理市へ
一週間前に宮入りされた各大字の頭屋は玄関に大和神社の分霊とされる門神さん(門飾りとも)を祀っていた。

4月1日春祭りのちゃんちゃん祭が行われる。

その前日は明日のお渡りが無事に執行されるようにと再び神社へやってくる。

昼過ぎ、総代会でくじ引きされた順で各大字の一行がやってきた。

今年は三昧田、兵庫、萱生、成願寺、佐保庄、岸田、新泉、中山、名柄の9カ大字だ。

甲冑は成願寺と岸田、随身は中山と三昧田となった。

宵宮参りは頭人児(※)、頭人台(子守)、頭屋、随者ら全員が御渡りと同じ服装で、一の鳥居、二の鳥居をくぐってきた。



頭屋は紋付き袴姿、他の者は白装束で出仕する。

お参りする際に持参されるものも決まっている。

三昧田は竹御幣。

兵庫は竹御幣と酒2合の2本。

萱生は竹御幣。

成願寺は竹御幣。

佐保庄は竹御幣に粽と2本の酒銚子。

岸田は竹御幣と酒2合の1本。

新泉は竹御幣。

中山は百円玉が12枚。

名柄は竹御幣。

各大字の宵宮参りはおよそ20分刻みで進行される。



神社から明日のお渡りに持参する産子幣を拝受され持ち帰る。

ただ、新泉は産子幣に加えて田楽幣を、岸田は御神水をもらって帰る。

宵宮参りは太鼓の合図で終える。

その間、拝殿に上がる階段の両脇でじっと座っている弓矢を持つ二人の随身。

長時間に亘る神事の最中、その役目を立派に果たした。

(※) 成願寺と名柄には頭人児が存在しない。

(H22. 3.31 EOS40D撮影)

消えゆくビデオ

2010年04月28日 07時23分18秒 | つうしん
ついに来るべきことが来た。

VHSと8ミリビデオのダブルデッキがとうとう壊れた。

VHSは数年前からビデオが中に入ったままだ。

イジェクトができなくなっていた。

8ミリはヘッドが汚れてノイズが目立っていた。

イレーサーは何度も使っていたのでガタがきていた。

それがうんともすんとも動作しなくなった。

8ミリには家族の大切な記録が残されたままになった。

ビデオテープからDVDに変換する有料サービスがある。

昨年に試してみたらいいものだったが料金がかかる。

残された8ミリテープは百本をくだらないだろう。

これをすべて変換サービスに依頼したらとんでもない料金になる。

ダメもとで修理に出すことにした。

VHSはモーター、8ミリ側はリール台が廃れていた。

交換するらしい。

両方ともヘッドがすり減っている。

いつまでもつか判らないそうだ。

部品の在庫がないから今度故障したら復活は不能だ。

ビデオの修理代は22、780円。

予想通りの請求だった。

電気店にはビデオキャプチャーなるものが売っていた。

一旦、パソコンにコピーして、それを編集してDVDに書き込む。

買って試してみた。

数分も経過しない間にコピーが停止する。

どうやらノイズを拾ってしまうらしい。

何度もしたが同じ箇所で停止する。

ほったらかしにはできず、時間ばかりがかかる。

これはやってはられない。

VHS付きのDVDデッキでいけるだろうか。

試すには購入しなくてはならない。

VHSテープは600本以上もある。

1本に6時間録画。

ほとんどが映画や旅物語。

仮に2時間ずつDVDに変換したとしても単純計算で3600時間。

一日に2時間ずつ変換したら1800日。

5年間もかかってしまう。

残された家族の記録は復活できるのだろうか。

時間との勝負になってきた。

(H22. 3.29 SB912SH撮影)

ドロ田の足跡

2010年04月27日 07時24分21秒 | 自然観察会(番外編)
毎日の通勤に眺めている代官町の金魚の養魚池。

その傍を近鉄橿原線が通っている。

季節によって様々な表情を見せてくれる。

年初にすべての金魚が掬われたあとは泥田にしてある。

しばらくそうしてあった日々が続いた。

そして泥田はさらに泥田になってエブリで平らにされた。

まるで代掻きのように平面にしていく。

まったく水平でなく壇状になっている。

落としのくぼみであろうか。

おそらくその後は干して石灰が投入されるであろう。

養魚池は田んぼと同じ。

荒起こしをして水を張って代掻き。

畑は中和する。

それはともかく泥田を横目で走っていたら点々と続く足跡が目に入った。

水かきは明確にでていないが足跡の大きさからは大型の水鳥。

なんだろう。

途中まで行って戻ってきたような感じに見える。

向こうの方を見渡せば水鳥がいた。

アオサギがいた。が、それはカメさんの足跡だった。



行きは左からで途中からはUターンして戻ってきた八の字描き。

ここから北西を目指せば鴨池がある。

外堀の跡が池に転用されている。

この池には水鳥がやってくる。

マガモ、カルガモ、カイツブリ、ウが毎年やってくる。

ここ数年間はキンクロハジロが訪れている。

通勤のときは野鳥などの自然観察を兼ねている。が、詳しく見ている時間はない。

(H22. 3.25 SB912SH撮影)

引っ越し作業

2010年04月26日 08時48分43秒 | ぽつりと
一年以上暮らした賃貸マンション。

来週にはいよいよ東京へ旅立ちする長男。

荷物は少ないけれど仕事が忙しくてなにもできないだろうとかーさんが箱詰め作業に行きたいと申し出てやってきた。

関西は60ヘルツ。

関東は50ヘルツと周波数が異なる。

電気製品で引っかかったのは電子レンジだけだった。

作業に取りかかった頃、会社指定の引っ越し業者が見積もりにやってきた。

丸々会社もちだがそれはパック部分。

自家用車を運送するオプションは個人もちで、陸送にかかる費用は5万円を超えた。

予想の倍だったそうだ。

電気製品などはパック料金内だが工事を伴うのは別料金。

洗濯機の水漏れパンは引っ越し先の付帯になる。

こちらで買っていっても室内の形状が合わなければ無駄な費用になる。

それは電気屋まかせにして料金は3千円の追加。

食器や本、小物類を箱詰めする。

衣服はハンガー掛けのままでいいという。

ところがパソコンは引っ越しできないという。

精密機械は対象になっていないのだろう。

それはともかくインターネット電話回線は持っていけるのだろうか。

ずばり、ダメ。

西日本から東日本への転換はできないという。

回線は解約。

一年ちょっとなので、解約手数料は2万5千円もかかると返事がきたそうだ。

えらいまたふっかけだのう。

あらためて電話したら、4月1日に解約すれば千五百円だという。

担当者によってこれだけ差異があるとは信じられない。

(H22. 3.25 SB912SH撮影)

こんなんでてきました

2010年04月25日 07時29分01秒 | ぽつりと
とうとうVHSと8ミリのダブルビデオデッキが両方も動かなくなった。

VHSは数年前からテープが中に入ったままだ。

8ミリは画像が不安定だったがなんとか見ることができていた。

それがまったく動作しなくなった。

寿命で廃棄、なんてことはできない。

8ミリには子供たちの成長記録が残されている。

それが再生されなければ記録にはならないただの箱。

DVDに交換してくれるお店がある。

もちろん費用はかかる。

本数から計算すれば何台もDVDデッキが買えるほどだ。

ダメもとで修理依頼に出してみようとデッキを引き出したらタイトルが「完璧自己理解職業理解」と書かれた資料が現れた。

ペラペラとめくってみる。

私の文字が記されている。

思い出した。

ハローワークに通っていたころに受けた講習の資料であったことに気付いた。

平成14年11月29日に文化会館で受講していた。

7年半も前のことだ。

資料を読み返してみた。

面接で質問を受ける際には自分の知らない部分を応える。

成功体験や失敗体験を通じて自己分析する。

それは自己のピーアールになるから面接官の質問に応えられるちゅうことだ。

人生再設計シートを記入して自己分析をする。

転職する理由、成し遂げたい夢、選択の自由、10年後の自分、特技や趣味に長所短所、熱中したことや活躍したことにやり遂げ体験、困難な場面で克服したことなどなど自分の答えを整理して応えられるか。

再就職への決意は自己の将来を切り拓く道造り。

当時のワークシートの文字にはそのときの思いが残されている。

人生を振り返り、直近の4年間を抜き出している。

いつ、どこで、何をしていたかだ。

「勉強」には監査、ISO9001、プライバシーマーク、経営リスクとある。

「サークル」はHP製作。

「余暇」は写真撮影、「アルバイト」では補助員だ。

ワークシートには続きがあって「力をいれていたこと」にはそうしたら入選するか、コンテストの目的や審査員の考えが判明したと書いてある。

そんな程度で会社をよくまあ辞めたもんだと感心する。

ワークシートはさらにパーソナル編に続く。

「趣味特技」は写真で奈良の行事を残したい、自然観察は補助員として子供たちに自然の接し方を教えたいとある。

「始めたきっかけ」は写真で奈良の減風景を残したい、HPは自分の作品を一般公開して奈良への集客を拡大したいとある。

「エピソード」はぱーぷるや東京電通大のパンフレットに採用されたのがきっかけだとある。

「得たもの教訓」はHPを通じて情報交換をするなど交遊が増えたとある。

なんじゃこりゃっ、たいしたこと無いって感じで無謀だったそのころが恥ずかしい。

克服分析ワークシートには社会人能力の決意がある。

「長所」にはやり遂げる成果主義、ヒマしない、時間は会社のものとある。

ビジネスマンだったころは会社人間だった。

が、熱意は今でも冷めていない。

「短所」には接客と書いてある。

接することがトラブルのはじまり。

相手が一方的に、論理的に、高圧的に話されると仕事がイヤになるとある。

組織で動く会社は常に人と接する。

ビジネスマン時代、ある組織にいたときのことを思い出していたのだろう。

コテンパテンにやられた。

追いつめられた。

それまで生きてきた人生観を潰された。

そんな私を救ってくれ、立ち直らしてくれた職場もあったが、そのときの「接」にたまらなくなったのが辞めた理由の一つだった。

成功失敗体験ワークシートではプライバシーマークやISO9001導入における監査がある。

今でもそのときの思考は励みになっている。

では、セールスポイントとは何か。

人と同じことをしない。

ウイークポイント、他の人とはちょっと違うものは何か。

借り物の発言は説得できないと書いてある。

これは現在状況に繋がっている。

他の人には真似が出来ないくらいの素養を磨けちゅうことだ。

世界にただひとつのオンリーワンは到底無理だが、この人しかできないモノを目指せ。

借り物でなく、自分で取材したものには自分で語ることができる。

に、一歩、一歩と近づくことができた。

人生再設計ワークシートでは未来の自分はどうありたいか。

ガイドプランやライフプランを描き、自分の展望を語る。

会社はベストパートナーを求めている。

「今後の見通しは就職活動への決心である。」と、締めくくられていた。

その後の職務経歴書に活かしたのであった。

(H22. 3.22 記す)

桃香野善法寺彼岸座

2010年04月24日 07時15分02秒 | 奈良市(旧月ヶ瀬村)へ
月ヶ瀬桃香野八幡神社の祭礼には和服姿の大人衆が常に参列されている。

奈良の万成とも言われている梅寿会の長老衆だ。

神社の祭式を勤める三人の神社総代と共に祭典される。

その大人衆はお寺の行事にも参列される。

昼すぎ、善法寺に集まってきた大人衆は本堂に参ってから庫裏にあがる。

トーヤが差し出すお茶をいただいてみなが揃うのを待つ。

ではお堂にあがろうかと腰をあげた。

長老たちは平均年齢なら80歳を越えるのではないかといって、膝は悪るうなるし、お堂に上がるのも辛いのだと話される。

本尊の弘法大師の前に座って般若心経を唱えられる。

その間、一人ずつ焼香をする。



本来ならば住職が法要を唱えるのだが一年前から入院中。

寺総代がカセットテープのお経をながす。

法要を終えたら再び庫裡へ。

机を囲んで座ればトーヤが差し出すお茶とお菓子をいただく。

「本日はお疲れさま。彼岸の座に際してそしゅう、そしゅうですがゆっくりとご歓談ください」とトーヤの挨拶。

御供の披露のあとパック詰め料理が配られる。

住職代わりの寺総代が挨拶され、トーヤは忙しく酒を注いでいく。



サトイモ、ダイコン、ニンジン、エンドマメ、テンプラなどが煮込まれたにしめ料理の大皿をテーブルに回す。

一人ずつ皿によそって料理膳とよばれる。

酒はすすみお酌に忙しく回るトーヤ。

庫裏で行われている座は彼岸座と呼ばれている大人衆の行事で、お寺の年中行事には記されていない。

(H22. 3.21 EOS40D撮影)

下狭川社日の水口まつり

2010年04月23日 08時09分36秒 | 奈良市(東部)へ
毎年2月17日におんだ祭が行われている下狭川の九頭神社。

神事で奉られた松苗は地区の人が貰って帰る。

その松苗は「社日(しゃにち)」の日に田んぼなどに挿して豊作を祈願するようにと分けられる。

今年の春の社日は19日。

神職を勤める前からそうしてきた元宮司のOさん。

当日は家の事情でできなくなったので彼岸の中日前の日となった。

下狭川には布目ダムから須川ダムを経由してトンネル水道が敷かれている。

昭和40年ころの渇水対策で埋設された水道だ。

かつて田んぼに水を引いていたのは山で蓄えられた地中水。

天水嶺から浸みた水は地中へと入っていく。

山の水はわき水となって田んぼに引いていた。

地層は西に向かって傾斜しているから渇水のときはこっちへはやってけーへんかったと話す。

渇水対策は井戸も掘って対応した。

奈良市内の富雄川流域の砂茶屋で井戸を掘った。

溜まっていた水はすぐに涸れた。

それは一時的な対応だったと元水道局に勤めていたOさんは何十年も前のことを思い出される。

大工事だったダムやトンネル隧道の建設を経て村々では水の恩恵に授かっている。

本来なら苗代ができた日に松苗を供えて豊作を祈願するのだが、下狭川は社日の日と決まっている。

理由は判らないがこうしているのは昔からの言い伝えを守っているのだという。

稲苗は籾から作っている家は多くない。

JAで苗を買うようになってからは苗代も見られなくなった。

松苗祀りは栽培している畑やハウスでも構わないからと神社はおふれをだしている。

Oさんは88歳現役農家。

4反も稲作を営んでいる。

おんだ祭でたばった松苗を供えるのは五穀豊穣への祈り。



植え付ける籾は彼岸が終わったころから始まる。

それまでは畑を耕して畝を作る。

水を張って柔らかくする。

今が丁度その時期だ。

そのあとは荒起こしして平坦にする。

籾はといえば月末のモミツケから始まる。

籾種は塩水に浸けておく。

そこに生タマゴを浮かべる。

水面スラスラまで浮き上がれば丁度いい塩梅(あんばい)の塩水。

モチゴメは軽いので生タマゴが底にあるぐらいでいい。

消毒して一週間ほど浸けて、電気で温め芽が出るまでハウスで育苗する。

4月の7日、8日辺り、土を塗したセイロに籾を蒔く。

上から被せの土を蒔いて1箱できる。

1反に25箱要るから4反なら100箱。

機械の籾蒔きはあるが手のほうが早いのだとセイロ箱を一日がかりで作っていく。

そのころの田んぼは代掻き。

平坦にした田んぼに水を入れて掻いていく。

そして、育苗した苗を田んぼに植えていく。

前日の気温は25.9度。まるで夏日だった。

強風が吹き荒れ春一番の様相は朝方まで続いた。

今朝はお日さんが朧(おぼろ)のような姿ですっきりしない。

黄砂が空を覆い尽くしてしまった。

毎年のことだが、収穫を迎えるまで自然に向き合って稲作に勤めていかねばならない。

(H22. 3.21 EOS40D撮影)

卒業制作写真展

2010年04月22日 08時41分37秒 | しゃしん
知人のKさんからメールがとどいた。

一年間、写真修行を続けてきた集大成に写真展が開かれるという案内だ。

展示されるのは一人でない。

写真を学習してきた総勢20数名の方々がそれぞれもテーマをもって展示する。

案内状はポエムっぽい。

画一的な写真展ではなさそうだ。

テーマ、作品、レイアウトはそれぞれの思い思いで表出するらしい。

仕事を終えて駆け付けた。

入室した瞬間、これって何の展示と感じた。

Kさんの案内で一人一人の作品に視線を注ぐ。

Kさんのテーマは友人。

モデルになってもらった友人の表情や仕草を捉えている。

演出したときよりも自然な仕草が良かったのでそれをレイアウトしたという。

写真数枚を1ページに凝縮したと感じた。

組写真とはいえない別世界がそこにある。

他の方々の作品も拝見した。

テーマに思いを込めたそれぞれの個性が伝わってくる。

フォトアルバムにしている作品もある。

このまま売れるんじゃないのと思える作品もあった。

写真歴が一年だという作者たち。

色合い、風情、レイアウトデザインはとてもじゃないが私には創出できない。

卒業制作写真展だったが、これは終わりじゃなくて始まりだ。

作者たちが歩みだした序章である。

考えさせられる作品群に圧倒された夜だった。

(H22. 3.20 SB912SH撮影)

入手困難

2010年04月21日 08時12分13秒 | しゃしん
フイルムが手に入りにくくなっている。

平成18年の秋だった。

使いやすかったトレビ400が生産打ち切りでやむなくトレビ100を使った。

行事撮影は堂内や室内、或いは境内、路面などで行われており、その内容によっては場所が様々である。

行事の展開によっては突如として堂内から室外へと移るケースも多々ある。

突然の対応にフイルムを切り替えるには2台のカメラを整えなくてはならない。

機敏な動きをとるためには1台のカメラで臨んでいる。

それに応えてくれるのが400である。

その後はプロビア400に替えて撮影してきた。

ところがそれも購入できなくなってきた。

品切れの札を見て呆然とする。

デジタル化の波はフイルムを追い込んでいく。

仕方なくお店に発注した。

1週間ほどで届いたがあっという間に使い切った。

それならばと倍の本数を発注した。

今度は一週間以上もかかって手にした。

それもすぐに使い切るであろうから、再発注しておいた。

生産体制は4月半ば過ぎでないと確定しないそうだ。

今まで入手したフイルムは他店から取り寄せたもの。

今回も生産停止になれば100オンリーになってしまいそうだ。

(H22. 3.20 記す)