マネジャーの休日余暇(ブログ版)

奈良の伝統行事や民俗、風習を採訪し紹介してます。
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確定申告in奈良図書情報館

2014年08月31日 20時00分22秒 | メモしとこっ!(確定申告編)
今年も確定申告の日が迫ってきた。

もう何年もしているから相談窓口に行かなくてもいいだろうと云う人がいるが、そういうわけにはいかない。

毎年のことであるが、申告の事情が異なるのである。

昨年3月までの健康保険は任意継続だった。

任意継続は2年間有効であるが、3月で切れた。

継続することができなくなり、4月からは国民健康保険に切り替えた。

窓口は市役所だ。

支払い手続きに従って払い込んだ。

数回支払って銀行振り込みに切り替えた。

いちいち市役所に出向いて現金を納付する手間を省くためだ。

国民健康保険は税金納付である。

税金であれば確定申告で戻ってくる場合があるらしい。

所得が少ない我が家の家計にとってはありがたい。

そう思って申告することにした。

この部分が前年と大きな違いである。

支払った税を取り戻す確定申告。

これまで収入が少ないということから生命保険・損害保険などの保険料控除ができなかった。

引き去る税が無いということだ。

国民健康保険が税なら、可能性はあると思って申告の対象にあげた。

これまで支払った保険金は集計をしていなかった。

年間においてどれほど払っていたか、整理すればよく判る。

合計してみれば、あっと驚く金額になる。

早期定年で会社を辞めた51歳。

それ以降は年齢と生活を考えてずいぶんと保険の見直しをしてきたが、これほど払っていたとは・・・。

前年の医療費も集計している。

これは毎年、領収書を繰って整理している。

たいがいが10万円を越える医療費。

サラリーマン時代から必ず申告していた医療費控除。

その時代は少ない金額だったが必ず戻ってきた。

これもまた早期定年後は少額所得者になったことで取り戻す税がないと云われて申告するだけに終わっていた。

期待するのは税の国民健康保険。

正確な名称は「国民健康保険税」である。

数時間かけて整備した一式のメインは所得一覧表である。

前々年よりありがたくいただくことになった企業年金。

当初は月割りだったが、今回はまるまる一年分。

高額になったが、源泉徴収されている。

これは間違いなく戻ってくるだろう。

奈良税務署から送られた「H25年分確定申告のお知らせ」通知書に案内されていた確定申告の受付期間・相談窓口。

日程、時間を確かめて出かけた奈良図書情報館。

駐車場に入ろうと思ったときに気がついた立て看板。

「本日は休館日」とある。

休館であれば受付できない。

念のためと思って通知書を見たが、そのようなことは書いていない。

休館日であるが、なぜか自転車が館前にある。

駐車場にも数台の車がある。

この人たちはどこに行っているのだろうか。

もしやと思って駐車場のゲートを潜った。

そこにあった立て看板に「確定申告の場はこちら」」と書いてある。

館の奥だったのだ。

そこには十数台の車が停まっていた。

確定申告に来られた人たちであろう。

手招きされて歩く受付会場。

手渡された受付番号札の整理番号は443だ。

この日に確定申告の相談された人数と思われる整理番号。

私で443人目だ。

どうぞこちらへと案内された会場は図書情報館の地下一階。

図書館は休館だが、確定申告はそこでしていたのだった。

並んでいる人は誰もいない。数秒も待つことなくすんなりと受付する時間帯は14時50分。

午前中はごった返すぐらいの人でいっぱいになるが、この時間帯は少なくなると聞いていた。

正解である。

受付は源泉徴収票、医療費領収書、保険料証明書などの各種種類の検査である。

これは不要ですと一枚はねつけられた写真借用料支払い書。

不審に思ったが、そういうものだと素直に認める。

医療費領収書は整備した一覧表とも袋に納める。

中身は一切確認されない。

仕事先の源泉徴収票を確認されて扶養家族の生年月日を求めるが、すぐには閃かない。

ついつい失念してしまう生年月日。

思い出すのに時間はかかるし、誤っているのかと思ってしまう。

突然の質問に頭がうごかない。

自宅の電話番号もそうだ。

脳の働きが落ちている証拠である。

書類の検査が終わればパソコン入力。

これもまた待つ時間が皆無。

e-Taxはトライしましたかと尋ねられる。

相談窓口のパソコンが指示する内容に応じてキーインするのは慣れた人が断然早い。

メニュー画面を判読するだけでも時間がかかるし、入力に失敗して戻る操作もやっかいなe-Tax。

そんなことを伝えたら、12時間もかかってやっと作成した人もいると話す担当者。

そりゃそうだろう。

入力は慣れた人が行うのが良いのである。

入力をお願いして、私はそれを確認する。

パスワードを尋ねられたが記憶にない。

何度も相談窓口に来ているが、思い出せない。

とりあえず、これだろうと思ったパスワードを入力してもはねつけられる。

それならばと、担当者が言った特別なパスワード。

こういうことは多々あると話して入力した特別パスワード。

次回は覚えておこう。

対応は実に早い担当者。

源泉徴収票のローマ字会社名も間違いなく入力される。

国民健康保険税を入力される際に問われた介護保険料。

払った記憶がない。

ぶっこみではないだろうかと思って次のメニューに進んだ。

帰宅してから市役所から送られた書類に目を通した。

介護保険料はないはずだ。

年齢がまだ到達していなかったのである。

医療費の総額は10万円を超している。

ずっとそう思っていた限度額は所得額によって8万円になるそうだ。

そのような会話ができるのが相談窓口対応。

e-Taxの場合であれば、そんなことには気がつかない。

フェースツゥフェースならではの対話があってこそ教わる話しである。

生命保険料控除の際もあった話題。

数年前に切り替えた生命保険は全国生活協同組合連合会の県民共済。

確定申告される人はけっこーあるそうだ。

配当割戻金がある県民共済は困窮生活者にとってはありがたいシステム。

もっと前からそうしておけばと思っている。

こうして全件を入力し終わって完了。

還付金額が自動的に出力される。

計算してみれば源泉徴収額にほぼ近い。

印刷された「申告書等送信票(兼送付書)―本人控用―を確認する。

収入金額から計算された所得金額。

所得から差し引いた金額より課税される所得金額は4千円。

それに対する税額は200円。

今まで表示のなかった見慣れない項目の金額である。

その金額より算出されたと思われる復興特別所得税額は4円であったが、結局のところ提出した源泉徴収額の合計額が還付されることになった。

所得が決まったこの年の確定申告。

6月に通知される市民税、県民税が気にかかる。

通知が来たのはそれから4カ月後の6月11日。

届きました。

(H26. 2.24 SB932SH撮影)

神が降りる

2014年08月30日 07時26分02秒 | 桜井市へ
陽が落ちる寸前に到着した桜井市の小夫嵩方・天照皇大神社。

10年ほど前に所在地を訪れていたが、真っ暗な中、神社へ行く道が判らない。

諦めて撮った雪原は望郷の地。

見渡す田は凍てつく大地。

夜の神が降りてくるようだ。

春はまだまだ遠い。

(H26. 2.23 EOS40D撮影)

榛原戒場十五神社の祈年祭

2014年08月29日 09時01分32秒 | 宇陀市(旧榛原町)へ
2月14日に降った大雪。

その後は雨も降らず、気温も上がらない日々なので雪は溶けることもない榛原の戒場(かいば)は山の上の集落。

この日に祈年祭をされているのでは、と思って出かけた。

村に上がる道も、神社道に上がる道も雪除けされていたが、駐車場はたっぷりの雪だ。

方向転換もままならない凍った雪に往生する。

石段を登っていけば大木のお葉付きイチョウが迎えてくれた。

正月三日に掛けたご神木の注連縄が目に入る。

が、着いた時間は既に神事が始まっていた。



祈年祭は献饌中であった。

神社役員に杖をついて歩いてきた参拝者は二人の老婦人は席についていた。

社務所の神饌所から運ぶ作法は実に丁寧である。

渡すときに一礼、受け取るときも一礼して神饌を渡していく。

屋根がある拝所は雪がなかった。

流れて落ちた雪が積もって境内前は、大雪状態になっていた。

およそ40cmも積もったそうだ。

静かな口調でされる神職の祝詞奏上。

おそらく藤田良治宮司の代理を勤める婦人であろう。

祝詞奏上、玉串奉奠、撤饌、閉扉、宮司一拝、氏子一同一拝されて神事を終えた。

正月三日に戒長寺で行われる難除(なんじょ)がある。



今年もされたそうだが、この日は戒場神社こと十五神社の祈年祭。

本社下に建之されていた燈籠に「元禄十四年(1701)十月吉日」とある。

この日は、静岡県の富士山を見にくるハイカーが200人もやってくると話していた。

昨年の5月、大和富士で呼ばれる額井岳頂上から富士山が見えたとスーパーニュースアンカーで紹介された榛原戒場。

世界遺産に登録された富士山が榛原から見えると報道されて一躍有名になった。

大字額井に鎮座する十八神社を朝10時に出発、額井岳、戒場山・戒長寺、山部赤人墓、大和富士ホールの9kmのコースの「大和富士登山大会」らしい。

これだけの雪が積もった山々を登って、縦走して戒長寺にやってくるにはアイゼンもなければえらいことになると思ったが・・・結果は知らずである。

(H26. 2.23 EOS40D撮影)

桃の節句のヒシモチ

2014年08月28日 08時15分40秒 | 民俗を観る
2月22日から始まった奈良県立民俗博物館の季節展。

毎年好評の「ひなまつり~人形たちの宴~」の展示品は正倉院展と同じように毎年入れ替える。

メインは雛飾り。

それを楽しみにしている人たちは気づいてくれるだろうか。

館から依頼があって提供したヨモギのヒシモチが登場する桃の節句の行事写真。

一つは山添村の切幡

村の人が家で作ったヒシモチを神明神社に供える。

村神主が注ぐお神酒をいただいて持ち帰るヒシモチは他家が供えたもの。

包み紙を広げてみれば・・アタリ・・ではなく我が家とちょっと違うヒシモチの形。

それを家人が焼いて食べる。

もう一つは奈良市都祁の南之庄

村神主が作った大きなヒシモチをコンロで焼いて氏子たちが国津神社・社務所でいただく。

熱々のヒシモチを割ってキナコ・サトウをつけて食べる神社行事のひとコマである。

写真下にあった大きなヒシモチの型枠は、なんと南之庄旧家からの寄贈品だった。

その日より10日後のことだ。

西友前にバスロータリーがある。

奈良交通の切符販売所横に立っていた立て看板は奈良県立民俗博物館の催し案内の掲示板。



ここにあるとは何十年も住んでいて始めて知った。

期間展示の「ひなまつり~人形たちの宴~」が案内されていた。

掲示板はこの他にもあるが、矢田寺の駐車場、近鉄九条駅前。

天理駅付近にもあるらしい。

(H26. 2.23 SB932SH撮影)
(H26. 3. 4 SB932SH撮影)

八田で懐かしのポン菓子

2014年08月27日 07時22分27秒 | 民俗あれこれ(売る編)
田原本町八田の伊勢降神社で行われる御田植祭の日程を聞いていたものの不安定だった。

元々は21日に行われていた御田植祭はいつしか28日になったと云う人もおれば、26日若しくは27日だと話す人もいた。

日付けが固定されていないようである。

念のために確認しておかねばと思って立ち寄った八田の村。

マツリであればお神酒を準備する。

お酒が日程のキーワードと判断して伺おう思って酒屋さんに向かっていた。

街道を挟んだ向かい側に集落センターがある。

そこに停まっていた車は青いテントを張っていた。

何やら作業をされている。



手前に並べていた品物に目がいった。

懐かしいポン菓子である。

店主が忙しそうに作業をされている。

ポン菓子を求める村の婦人たちがあちらこちらからやってくる。

手にはお米と砂糖だ。

注文していたポン菓子ができあがれば貰って帰る。



五合のお米でできあがった量はこれぐらいにも膨れ上がると云って見せてくれた。

婦人の話しによれば村で喜寿(77歳)や米寿(88歳)の祝いにたくさんいただいたと云う砂糖。

何軒もあったから大量になった砂糖。

息子も孫も食べたいというポン菓子を求めて注文していたそうだ。

もう一人の婦人は幾度となくできあがり時間を気にされてやってくる。

店主の答えは1時間待ち。



多い家では2升半も持ってきた人もいるらしく、注文した品が順番待ち。

朝10時から販売しているが終わるのは夜になりそうだと話す。

店主は桜井市の粟殿がお住まい。

販売先は当地八田だけでなく、天理市、奈良市、広陵町、香芝市など、広範囲に出かけると云う。

頼まれてマツリに出店する場合もある。

繁盛することが多く一人作業に休む間もない。

この日もお昼ご飯はパン2個。

作業しながら食べたそうだ。

尿意をもよおすこともあるがそれどころではない。

緊急を要する場合に供えてし尿瓶も持ってきている。

そろそろ出来あがると云った瞬間にボンと爆発音。



煙がもうもうと立ち上がる。

これで完成ではなく鍋で炊いた飴を入れて掻き混ぜる。

飴はとろみが出るまで煮込む。

黄金色でなればできあがり。

それ以上に熱してしまえば焦げてしまうから時間との勝負だ。

ポン菓子製品は型に詰める。



ヘラで素早く平らにする。

ヘラさばきが実に早いのである。

定規を水平、直角に当ててヘラで切る。

熱いうちにしなければならない作業である。

切り込みを入れればヘラの角でさらに深く切断する。

長方形になったポン菓子を袋詰め。

零れた一粒、二粒も集めて袋に入れて機械で密封する。

バラ売りもしているがこの形態で注文される人が多い。

お米だけでなく豆で注文される人もいる。

試供品を食べさせてもらった。

お米のポン菓子は懐かしい味。

スーパーで売っているような堅いものではなくふっくらさんだ。

豆は舌さわりが堅いが美味いのである。

黒豆で注文する人もいる。

お米を持ってこなくても販売されているポン菓子。

香り、味どころか店主の温かみ・心意気が感じられて買った。

30歳のときに始めたポン菓子売り。



釜は大阪の八尾で買ったそうだ。

釜を作っているのは九州らしい。

今では奈良県内で販売しているのはもう1軒ぐらいしかないと云う。

子供会や幼稚園のイベントに依頼されることも多いと話す。

小学校では呼ばれることもない昔懐かしのポン菓子のボン音は大阪市内にも来ていた。

零れたお米のポンを手で拾ったことを覚えている。

ボンの音が聞こえてきたら子供たちが集まってきた。

昨今ではそのような様子は見られなくなったと溢す店主。

かつては売り場にたくさんの子供たちが遊びにふけっていた。

紙芝居もあった時代だ。

キリヌキで難しかったのはひょうたん。

最後の最後にとっくり口が割れる。

話題はつきない同年代が暮らしてきた子供時代である。

雨天であれば出かけないと話す店主。

移動販売店をあとにして向かった本来の尋ね人は酒屋で聞取り。

祝いの喜寿や米寿が10軒もあったと云う。

砂糖袋でお店がいっぱいになったそうだ。

さて、御田植祭といえば数日後の28日。

毎年そうであるらしい。

酒屋の奥さんが云った。

「あんた富士講のこと尋ねてたんやね」と云われるが、私ではない。

八田にはかつて富士講があったらしく、ある男性がその所在を確かめたくて訪れたそうだ。

奈良県内では僅かに残る富士講の名残がある。

数か所で拝見したことがある。

作法をされる地域もあった。

ここではどのような形式であったのか判らない。

伊勢講もあるらしく関係する家を紹介したそうだ。

そういう講中もある八田では大晦日に大とんどを燃やす。

大晦日のことである。

夕方直前に組みあげたとんどは除夜の鐘が鳴る前に火点けをするそうだ。

村人が参る初詣でに灯される大とんどはとてつもなく大きいと云う。

迎えた正月明けには砂モチもしているようだ。

砂モチと云っても神社ではない。

村北側に流れる川の土手の修復である。買った砂を山盛りにする。

それを若衆が穴の開いた土手に埋め込む。

砂モチと呼ばれる慣習に川の存在があったのだ。

婦人が云った。

その日は集会センター。

大鍋で作る肉ご飯は肉メシとも呼ぶようだ。

それを作るのは年寄り。

砂モチを終えてよばれるらしい肉ご飯はとても美味しいと笑顔で話す。

(H26. 2.22 EOS40D撮影)
(H26. 2.22 SB932SH撮影)

下高家のツナカケ場

2014年08月26日 07時12分34秒 | 楽しみにしておこうっと
見誤って侵入した高家(たいえ)からすぐ近くに今井谷(いまいだに)があると標識にあった。

どこでどう間違ったのか下った処に掛けてあったカンジョウツナ。

下高家のツナカケ行事で掛けられたカンジョウナワのようだ。

旧暦の1月11日であったが、今は第二日曜日と聞く。

この地が上高家との境界だとすれば、カンジョ場が何故にここなのか皆目判らない。

県内各地で行われるカンジョ場は集落の下である。

そこにはたぶんに川がある。

疫病が川を遡ってやってこないようにとするカンジョウカケ。

通例でない場に掛けられた下高家の在り方に不思議さを感じる。

(H26. 2.22 EOS40D撮影)

高家の地蔵石仏群

2014年08月25日 07時21分14秒 | 桜井市へ
明日香村に行くつもりが道を間違っていった先は桜井市の高家(たいえ)。

露出した横穴式ヒラノ古墳から道を挟んで並んでいた十体の石仏群。

地蔵石仏も数体あるが、判断できない彫り仏像もある。

一部の石仏に刻まれていた年代は文化□年(1804~)だった。



向こう側に見える本堂はおそらく一乗寺(元観音堂)だろう。

この辺りに住んでおられるZさんの話しによれば、石仏群は六地蔵だと云う。

そうであれば、右四体の石仏は六地蔵に寄せたのではないだろうか。

(H26. 2.22 EOS40D撮影)

エースコック柳麺屋野菜タンメン

2014年08月24日 08時14分03秒 | あれこれインスタント
山中麓になる榛原角柄や桜井吉隠の行事の聞き取りを終えてほっとする。

冷たい風が頬を撫でる。

温かい昼食にしたいと思って持ってきたラーメンはエースコックの柳麺屋野菜タンメン

柳のようなしなやかな麺は五目野菜盛り。

キュベツのシャシャキ感が嬉しい。

赤いニンジンに黄色いコーンとネギもたっぷりだ。

固形肉はそぼろ肉。

味は染みていないが、なんとなく感じるそぼろ肉はなんだろうか。

すっきり塩味スープで美味しくいただける濃い目だ。

麺はノンフライだから待つこと4分間。



やや硬めに感じるが、コシある麺が嬉しい。

キクラゲが歯にあたる。

これも決めてなのだろうか謳い文句の五目野菜。

二品はどこにあるのか探しても見つからない。

カップラーメンはとんこつ、醤油、味噌などあるが、タンメンはあまり見かけたことがないだけに嬉しい存在である。

(H26. 2.22 SB932SH撮影)

吉隠の行事

2014年08月23日 08時30分50秒 | 楽しみにしておこうっと
桜井市の大字和田で桑山宮司からお聞きした吉隠の行事。

かつて山の上に住んでいた5軒が山を降りたが、今でも正月初めに鎮座する春日神社に参って籾撒きや松苗植えの所作をすると話していた。

今月に下見をしたのは天満神社と極楽寺の所在だったが、春日神社はどこにあるのか判らなかった。

そのときに見つけた旧暦閏年に行われていたのであろう竹製のゴクダイ、花立ても確認したくて立ち寄った。

村人が見つからず、ある一軒の家を訪ねた。

ご主人が案内してくださった春日神社は谷間を歩いて20分ほど。

同神社の氏子ではないから、あの人に聞けばと紹介してくださった。

その人が云うには同じように籾を撒いて松で模した苗を植えル所作をすると云う。

ケイチンを所作する弓は梅の木の枝で作る。

矢はススンボである。

昔は神社で作っていたが今では当番が予め作っておく。

的は鬼だ。

それを神社に持ってきて所作をすると云う。

神官は小夫でも行事を勤めている神官。

おじいちゃん、親父さんのあとを継いだ神官である。

そのおじいちゃんは歩いてここまで来た。

角柄の神社行事に出仕されていたおじいちゃんは神官の先々代だったのだ。

ちなみに最初に聞き取りした男性は天満神社の氏子総代。

春日神社の氏子ではない。

下層に鎮座する狭井神社がある。

一部は天満神社の氏子と同じであるが、行事は別にあると云う。

下見の際に見つけた極楽寺の旧暦閏年のゴクダイを尋ねたが、お二人とも存知しない。

昔は天満神社・極楽寺を守っていたのは12軒の家。

今では村氏子になったが、その人たちがしているのだろうかと話す。

(H26. 2.22 記)

角柄の行事2

2014年08月22日 07時21分22秒 | 楽しみにしておこうっと
この年の1月初めに訪れた宇陀市榛原角柄(つのがら)。

2月には正言祭の呼び名もある祈年祭があると聞いた。

もしやこの日ではないだろうかと思って再訪した。

史料によれば氏神さんを祀る神社は高おかみ神社。

それには清水山を充てている。

その所在を知りたくて再訪したのであるが、母親も奥さんも存知しない。

それはともかく正言祭は既に終わっていた。

神官は墨坂神社の宮司。

都合に合わせて行われたそうだ。

正言祭は御戸(おと)渡し。

その日までの一年間、分霊を祀ったヤカタを家で守っていた。

ヤカタを持っていって神社で次の頭屋に受け渡したそうだ。

ヤカタを家で祀っておれば良いことがある。

ある頭屋が云うには、その年に子供を授かったこともあると話す。

行政区割りはかつて桜井市だった角柄。

いつしか神官は榛原の墨坂神社になった。

それまでは上之郷から歩いて来られたと云う。

上之郷であれば瀧ノ蔵か笠。

おじいちゃんだったそうだ。

ちなみに角柄は長谷寺に参る三社権現がある。

今年も出かけたそうだが当たりの村は国道向かい側の柳の地。

昨年は角柄であったが、今年は柳。

来年には吉隠(よなばり)になる三村の廻りである。

おじいさん、旦那さん、息子、孫のそれぞれの長男が任につく。

かつては村一軒ごとに素襖を持っていた。

徐々に勤める家も減った。

廻りは早くなるが素襖は各家にあった。

頭屋に当たればカニノモチを作った。

タチと呼ばれる長いモチもある。

それは半分に切った竹に盛ったそうだ。

1月末には頭屋座の御田植祭がある。

かつて杉葉の苗を植える所作もあった簡略化されたと云う。

角柄を訪問したのはもぅ一つの行事である。

旧暦閏年に行われる庚申講だ。

今年はそれに当たる年。

何時頃されるのか知りたかった。

奥さんが云うには今年の大の月は9月。

そのころになれば日程が確定するらしい。

竹で作ったゴクダイにはトーフを乗せる。

どういう理由があってのトーフか判らないと話す。

(H26. 2.22 記)