マネジャーの休日余暇(ブログ版)

奈良の伝統行事や民俗、風習を採訪し紹介してます。
すべての写真、文は著作権がありますので無断転載はお断りします。

やっぱり旨い海鮮回転寿司さんきゅう柏木店の昼定食など

2024年02月29日 07時16分12秒 | 食事が主な周辺をお散歩
おふくろが実際に見学もしてくれた入所予定の施設ハッピーガーデンに提出するため、必要な医師の診断を仰ぐため外出した。

喀痰にレントゲン検査の結果に対する診断結果は後日に伺う。

天候は不順だが、気分は晴れやか。

お寿司、食べるかと尋ねたら、大きく、はっきり発音した「行く」。

食事処は、海鮮回転寿司さんきゅう柏木店。

かーさんともども、美味しいネタを提供してくれる店舗に向かう。

当初は、かけうどんもあったが、今は提供されなくなった。

そのことは残念だが、まぐろが大好きなおふくろは、そこでいい、という。

入店時間は午後12時半。

丁度いい時間帯に入店だが、いつも若干の待ち行列がある海鮮回転寿司さんきゅう柏木店。

なんせ寿司ネタが旨いもんやから口コミ数が多い店


席に案内された3人。

所定の席に座ってネタさがし。

おふくろの場合は、いつもの定番ネタにときおり、これ食べたいと希望するネタを要求してくれる。

いつもの、と願うおふくろのイチバンは155円のまぐろにぎり。



まぐろの造りも食べるが、寿司店ではまぐろにぎり。

なんせ、ここ海鮮回転寿司さんきゅう柏木店のまぐろネタは身が厚い。

食べ応えあるからうれしい。

ぺろっと食べて、今度はナニ?



時間をおいて注文した100円皿のいなり寿司に385円のかずのこのにぎり。



かーさんは、いつもの平日しか提供されないお昼のサービス。

提供されるネタは日替わり。



何を握るか、毎日来店しても飽きない仕組み。

それでも足らない場合は、単品ネタをタッチパネルで注文する。

尤も、ここ海鮮回転寿司さんきゅう柏木店は、注文にぎりもできるし、ぐるぐる廻ってくる寿司ネタもある。

会計は、食べたお皿の色、柄で判断されるから大丈夫。



と、いうことでもちろんこの日も1380円のしおさい盛り。

にぎりが7貫。

日替わりのにぎりだから、ある意味、特別な味を提供するにぎり寿司。

どでかい玉子焼きにうに・いくら・かにみその3種・北海盛り。



本日のにぎりはアカイカ、アカエビ、中とろまぐろ、サーモン、真いか、湯引きげそ。

配膳が到着したらすぐに店員さんが飛んできた。

実は、このセットは誤配。

正しくは、こちらでございますと配膳あいなった。



どこかが、何かがミスされたのか、それとも・・

いずれにしても、機敏な対応でござる。



茶碗蒸しに小椀の赤だし荒汁もセットになったしおさい盛り。

かーさんは、いつも大満足しているこのしおさい盛りに対して、私の注文は760円で提供する10貫盛りのサービスセット定食。



オニオンのせサーモン、真いか、こはだ、漬けさわら、海老、鯛、海鮮巻き、玉子焼き、かつおたたき。

幸せな気分にしてくれる10貫にぎり。



おまけに海鮮回転寿司さんきゅうが目玉にしている大椀の荒汁。

本日の中身はサーモンのアラに殻付きのベビー帆立赤だし。



物足りなさを感じて追加した100円売りの生ゲソがめっちゃ美味い。

3人とも大満足の海鮮回転寿司さんきゅう柏木店の昼定食など。

今日も、やっぱり旨いわ。

二人は、もう満腹。

じゃぁ、会計するよ、とタッチした「会計確認」。



なんと、店員さんが来るんや、と思っていたが、そうじゃなく、続いて表示されるメッセージは「呼び出しベルを押してください。」

そう、お客さんに押してくださいと促すメッセージなんだよな。

だからベルを押さない限り、店員さんはやってこない不思議な手段。

で、ベルは回転テーブル側にあり・・・。

本日もごちそうさまに、現金払い。

また、次回もお越しください、と手渡してくれた割引き券。



通常、一杯が150円の荒汁を無料にしてくれるサービス券。

また、寄せてもらいまっさ。

(R3.11.11 SB805SH 撮影)

佐賀サンポー食品の九州熊本とんこつラーメン黒マー油仕上げ

2024年02月28日 07時18分18秒 | カンタンオリジナル
いつ食べようか、いつでも食べられるだろう。

そう思ってから半年以上も経過した。

やっと口にすることができた佐賀県に本社をおくサンポー食品が製造販売する九州熊本とんこつラーメン黒マー油仕上げ。

お値段格安で提供してくれる棒状ラーメン。

2人前入りの棒状ラーメン
は、地元にあるキリン堂で百円を切った額で売っていた。



なんとその額は88円だった。

九州、熊本ラーメンといえば、黒マー油仕上げ。

そのタレが同封されて百円を切るなんてすごくない。

いやいや棒状ラーメンなんてラーメンじゃないという食人もおられるが、まぁいっぺん食べとくなはれ。

茹で時間は2分間。

その間に用意する冷凍から揚げは電子レンジでチン。

スライス切りにしておく。

この日は拘って、残り物活用の野菜炒め。

キャベツにえのきの2本立て。

油を落としたフライパンで炒める。

少々の塩を振っておくと旨さが増す。

添え付けの粉スープは袋から取り出してラーメン鉢に。

茹で汁で溶くスープ。

そこに茹でた棒状ラーメンを盛る。

炒めたキャベツにえのきを盛って、反対側にスライスしたから揚げ2個分。

板海苔2枚を添えてから刻み葱。



そして中央にとろとろ落とした黒マー油。

仕上げが決まったところで胡椒を振る。

黒マー油をちょっと溶かし混ぜ。

一口食べたラーメンがむちゃ旨い。

やっぱり黒マー油の威力は凄い。

ずるずる、ずるずる・・・箸がとまらなくなったその旨さ。

から揚げの旨味ととも食べる。

野菜とともに食べる。

ごくごく飲みたいスープに絡めて食べる。

板海苔に巻いて食べる。

なにをしても旨い。

夢中で食べた黒マー油仕上げの九州熊本とんこつラーメン。

食べ終わってから気づいた。

黒マー油にもにんにくが入っているが、もっと美味くなるすりおろしにんにくを忘れていた。

九州熊本とんこつラーメン黒マー油仕上げは、2人前。

次に食べるときは、すりおろしにんにくをどっさり入れ、おまけに韓国産海苔をぱらぱら落として食べてみよう。

(R3. 3. 5 SB805SH 撮影)
(R3.11. 8 SB805SH 撮影)

室生・小原つちんど墓の二十三夜講供養石塔

2024年02月27日 07時06分24秒 | 宇陀市(旧室生村)へ
7日も訪れた宇陀市室生小原の八幡神社。

この日の行事は、亥の子座。

かつてはこの日に、亥の子餅を各家でつくって食べていたそうだ。

それはともかく、この日も参集されていた73歳のOさん。

前期に務めた大頭屋の役は終わったが、神社会計も担っている関係上、神社行事に参列される。

4日前、Oさんが教えてくださった小原の滝や長持石は、時間もなく探せなかったことを伝えた。

代わりではないが、滝ノ尾に二十三夜講供養石塔が見つかったと報告した。

すると・・・実はここ小原にも二十三夜月待塔がある、という。

場所は、山の神の場。

すぐ近くのつちんど墓にある。

”辻堂”が訛った”つちんど”。その場にかつて「辻堂」に「十三重の塔」が建っていたと伝わる。

小原の山の神を拝見した平成24年1月7日

山の神の丘場は、行者山。

大文字鏡山とも呼ばれる、そこに行者堂が建っていることから、行者山と呼んでいるのだろう。

さて、つちんど墓は、行者山の手前。

墓石群があるからすぐに見つかる。

山の神行事を撮りに行った際、帰り道に見た阿弥陀三尊石仏に笠塔婆の左隣にある、と教えてくださった。

八幡神社から北に数キロメートルの距離。

村の北方にあるつちんど墓。

阿弥陀三尊石仏に笠塔婆辺りと聞いていたが・・・。



右、左に視線を動かしたそのとき。

目に入ったつちんど墓の二十三夜講供養石塔。

墓地区画とは一線を引いているような場に建っていた。

左にも一体の石塔はあるが、二つの円形がある。



右は日。

左は円形の内部に三日月を描いており、現代の二十三夜の月を表している二十三夜講供養石塔。

刻印のうち、鮮明な文字は奉・・・以下は判読不能の二十三夜講供養石塔。

Oさんの話によれば、滝ノ尾の二十三夜講供養石塔よりも20年遅い時代に建てたようだと・・。

所在地がわかったところで、足を伸ばしたい山の神の地に向かう。

10年ぶりに拝見したい山の神の地。

記憶を辿って歩く行者山に登る細い道。

途中から急な山道になる。

そこら辺りから足が・・・。

足のというよりも、心臓が・・・。

異常にあがった心拍数に、敢えなく断念した登りの山道。



足元に気をつけながらふり向いたそこに、柿の色に包まれた集落が見える。

実りの柿が似合う風情ある集落にひととき見惚れていた。

ただ、その場は外部の者が侵入しないように囲いをしていた。

背高く設営していた場に、コッコッココ、と寄ってくる鶏。



雄に雌もいる、そこは鶏囲い。

逃げ出さないようにしている自然農法でしょうか。

鶏卵を産み落とす自然の地に放牧の鶏は、自由気ままに暮らしているようだ。

鶏と遊んでいるわけにはいかない。

そろそろ帰り時の午後3時半過ぎ。

向こうに見える家屋に軽トラックが停まった。



農作業を終えて戻ってこられたのだろうか。

近づいてわかった軽トラの運転手は、Oさんだった。

降車されたOさんは、つちんど墓前に停めていた私の車を覗いていた。

そう、私はOさんが教えてくださった小原の二十三夜月待塔を見つけていた。

顔を合わすなり、資料があるから・・・・ちょっと待ちや。



その前に手渡されたものは、本日行われた亥の子座行事の御供下げ。

持って帰り、といわれた御供下げは、お菓子に蜜柑。

どんこ椎茸も・・。

室内に上がったOさん。

たしかここらへんにあったはずや、と探し回る。



見つかった資料は平成14年11月10日の『ふれあい歩こう会』。

主宰は笠間公民館。下笠間でなく、上笠間の公民館であろう。

村の歴史を学ぶ歩こう会。

このときのふれあい会が向かう行先は、ここ小原に上笠間枝村の滝ノ尾、下笠間、深野などに存在する石造物を中心にガイド講師の大和郡山市文化財審議委員の清水俊明氏が解説されたそうだ。

その資料にあった記事。



“民間信仰の記念碑、勢至菩薩の二十三夜講石碑”。

奈良市川之上突抜町に棲む辻本正則さんが発見したとある。

掲載は、昭和56年3月22日付けの朝日新聞。

41年前の記事だった。

辻本氏は、上笠間枝村の滝ノ原にあった二十三夜月待塔も発見していた功労者だった。



「石碑は、ともに県内で一、二を古さ。“旧暦の三月二十三日が縁日”と、される勢至菩薩”信仰に二十三夜講が存在していた証し。小原の月待塔は、江戸時代初期にあたる正保五年(1648)。滝ノ尾は、天和三年(1618)。辻本さんは、発見後に石造美術研究家の太田古札さんとともに、これまで50基の月待碑が確認されている伊賀、大和領域を総当たり調べ、いずれも宝永三年(1706)以後に造られた月待碑。つまり、小原、滝ノ尾とも、それ以前に造られた。二十三夜講は、毎年の旧三月二十三日のおぼろ月夜に美声の仏・勢至菩薩をまつる民間信仰。月待ち信仰に、中秋の名月に拝むだけの男が、旧八月十五日に寄りあう月待ちと、如意輪観音をまつる“十九夜さん”と呼ぶ女だけが旧八月十九日に寄りあう十九夜講に対して、男女とも寄りあう二十三夜講がある。伊賀地方では、室町時代からかなり流行った信仰であるが、大和では十九夜講が多く、特に美声を要求される“音頭とり”などの信仰が厚かった二十三夜講は流行しなかった。おそらく大和で発生し、伊賀で大流行した、とみるのが妥当のようだ。・・・(※元記事要約し整えた)」と書いてあった。

これほどの歴史・文化が、小原に上笠間にあったとは驚きである。

江戸時代初期から中期にかけて、当時暮らしていた講中の営みがどのような形であったのか。伝える古文書はたぶんにない、と思われるが、所在地など教えてくださったOさんの話によれば、つい数年前まで・・・。

おじいさんが生きていたころは、ご近所の男性4、5人が集まり、参っていたそうだ。

たぶんに講中の寄りあいと思われるが、お酒を飲むのが目的に飲み食いしていたようだ、という。

(R3.11. 7 SB805SH 撮影)

室生小原・八幡神社の亥の子座

2024年02月26日 07時49分32秒 | 宇陀市(旧室生村)へ
4日前に斎行された宇陀市室生の小原八幡神社。

当屋の座渡しを滞りなく終え、受け当屋に引き継ぎされた。

当屋渡しを終え、ほっとされた昭和17年生まれのOさんがいった「今週末の亥の子座行事。かつては青豆曳いてくるみを作っていた」と。

そのことは、83歳も今なお現棟梁のTさん、もそうだった、と相槌。

現在は、猪が荒らすから豆は栽培しなくなった。

主役の亥の子のくるみ餅は、つくることもできずに、今は白餅に替えた。

かつては、当月に「亥」が2回ある場合は初めの亥に、3回の場合は中の2番目が亥の子座行事の日だった。

さて、亥の子座に松本隆宮司が兼務する多田は、土曜日の昨日。

6日が宵宮に、本日7日が秋大祭だった。

その多田の祭りを終え、小原の行事は神事のみ。

氏子たちの参集。亥の子座神事のはじまりに太鼓打ち。



祓えの儀、祝詞奏上などの神事を終えて再び太鼓打ちで終えた。

年齢が70歳くらいの人たちの話によれば、子供のころであるが、そのころは青豆を石臼で挽いて、すり潰した”ずんだ“(※ずんだ餅)のような”くるみ“(※餅に挽いた大豆に砂糖をまぶした餡、餅を包むようにくるんだことからくるみの名がついた)を餅に塗して食べていたそうだ。

ここで話してくれた”ずんだ“餅とは、宮城県の郷土料理。

昨今はテレビ番組で紹介されることが多く、東北の郷土料理のカタチ。

”ずんだ“文化が広く知れ渡る時代に、”ずんだ“餅も一般的に浸透した
のであろう。

ただ、”ずんだ“のようなカタチの亥の子のくるみ餅は、神社行事に供えた記憶がない、という。

そう、近隣、例えば下笠間でも同じように、神社に献供するのではなく、お家でつくり、亥の日に食べていたものだ。

ところがだ。小原の亥の子座神事に唱えた祝詞に「いのこの餅をあまねく・・氏子にささげ・・心おだやかに・・いや栄に・・まつられ・・かしこみ申す」と聞こえていた。

なるほど、と思える亥の子座神事の祝詞。

松本宮司の話によれば、かつて亥の日の行事は多産系の猪、亥の子は子だくさん、五穀豊穣に祈念する行事であったろう、と・・・

行事を終えた数週間後。

11月22日に発刊された産経新聞に月一連載していた㈱虎屋の執筆による記事があった。

『季節の和菓子に、11月は亥の子餅』

「旧暦十月(※亥の月)の亥の日には、無病息災、子孫繁栄を願って、亥の子餅を食べる行事があり、亥の子の祝、玄猪(※げんちょ)、厳重(※げんじゅう)などと呼ばれた。 『源氏物語』に亥の子餅の名が見られるように、歴史は古く、平安時代には行われていた行事。 江戸時代には、宮中や幕府のほか、民間にも広まった行事。 特に幕府では盛んであり、初亥の日に大かがり火が夜中までたかれ、将軍から亥の子餅を賜るため、諸大名が江戸城に登城した。 農村は、収穫儀礼に結びつき、亥の子餅をつくって収穫を祝った。 子どもたちが地面を藁や石でたたく“亥の子突き”行事もある。 猪は、火伏の神、京都愛宕神社の使いとも知られ、この日から火鉢や炬燵を出す習わしもあったようだ」 (※若干補正・補完した)

(R3.11. 7 SB805SH/EOS7D 撮影)

サラダチキンを加えて作るダイショーの狼煙監修濃厚魚介豚骨スープで食べるつけ麺

2024年02月25日 07時41分50秒 | カンタンオリジナル
ずいぶん前。

所用に出かけた大阪・住之江。

いつも立ち寄るセブンイレブン。

時季が外れた商品や賞味期限が近くなった商品の棚卸に格安の値段をつけた美味しいものが並ぶこともあり、ついつい入店する。

今から5カ月前の6月7日。

これは美味いだろう、と思って買ったダイショーの狼煙監修濃厚魚介豚骨スープ

スープそのものとしての商品価値であるが、レシピにあるようにつけ麺も可とあった。

この日、同時購入の同じくダイショーの伊吹監修濃厚煮干しスープもあったが、この味には・・・まいった。

まったく美味くない伊吹監修濃厚煮干しスープは、ガチガチの煮干し味


ただただ魚臭いばかりのスープだっただけに、狼煙監修濃厚魚介豚骨スープも同じように、不味いと判断した。

それからまったく手を出さなくなった買い置きの狼煙監修濃厚魚介豚骨スープ。

実は、美味しいだろうと期待してもう1袋買っていた


不味いものであっても捨てるわけにはいかない。



いよいよ覚悟を決めて買い置き棚から取り出した。

つけ麺は藤本食品の生ラーメン。

残り物の一玉利用に選んだ狼煙監修濃厚魚介豚骨スープ。

生ラーメンを茹でている間に電子レンジでチンする狼煙監修濃厚魚介豚骨スープ。

器に盛って買い置き残り物の煮たまごもいれる。

見た目を考えて煮たまごは縦に半割り。

スープに沈めて刻み葱。



茹で生ラーメンも器に盛って、さぁいただき、まっする。

箸で一掴みした生ラーメンをスープに浸けて食べる。

ずずっと吸って食べたつけ麺。

これ、絶対旨いヤツや、と思わず、商品は違うがCMソング風台詞が口に出た。

そう、これ、ほんまに絶対旨いヤツや。



次から次へと投入するつけ麺。

前回に食べた伊吹監修濃厚煮干しスープとはエラエラ違い。

美味しいスープに飽きることがない。

つけ麺なくともゴクゴク飲める美味しいスープ。

まだある、1袋。

次に食べるときは、なにかアレンジしたくなってきた。

ダイショー推奨のサラダチキンシリーズいろいろあるが、別にサラダチキンでなくともいいんじゃない。

オリジナル的といえば、唐揚げ。

冷凍唐揚げを入れるだけで香りがぐんとよくなる。

また、とろけるチーズを入れてチンしたら、味も食感もコクのある味が愉しめるはずだ・・・

(R3. 6. 7 SB805SH 撮影)
(R3.11. 4 SB805SH 撮影)

上笠間滝ノ尾の民俗探訪に二十三夜月待供養塔

2024年02月24日 08時00分10秒 | 宇陀市(旧室生村)へ
この日は、宇陀市室生小原の秋祭り

コロナ禍中に神輿巡行は中止。

役員たちだけで行われた神事ごと。

一年に一度の当屋渡しもされるが、例年と違って最小限に絞り込まれた作法。

普段と違って酒盃の儀を取りやめ、シャンシャン手打ち締めをもって引き継がれた。

神事に際して参拝された男性が話してくれた隣村の民俗。

男性は、大当屋として、この一年を務めた73歳のOさん。

先ほど、引継ぎを終えてほっとされたOさんが伝えてくれた隣村。

私の耳に聞こえたそれは「たきのおう」。

室生の地域に「たきのお」は聞き始め。

その地に行けば、高さが100mもある不動滝が見られるという。

手前の地には長持石もあるから是非見に行ってください、という。

時間帯は午後4時を過ぎていた。

さて、「たきのおう」の地はどこ・・。

橋から向こうに流れる川(※笠間川)がある。

そこを覗いてみれば、あるから、と云われていたが・・午後4時半の森は暗い。

橋のすぐそばに花を植えたからわかるはずだと、いっていたが、不動滝の所在地は、道路横に指標があるだけで、進入口が見つからない。

川を渡った向こう岸。

そこから歩く、といわれてもこの時間では無理だと判断し、行先を「たきのおう」と呼んでいた「滝ノ尾」にハンドルをきった。



四叉路に架かる橋を渡らず、右手から流れる支流の際を登ったそこにある滝ノ尾集落を目指す。

気になった滝ノ尾の三つの有形民俗文化財。

Oさんが話していた「長者の長持石」に「笠塔婆」と「二十三夜月待塔」に目が点になった。

まさかの、「二十三夜月待塔」が、上笠間滝ノ尾に存在していたとは・・・。

集落に入ったところに住民がおられたので尋ねた所在地。

「二十三夜月待塔」の場は、どこですか。



振りむいたそこにある。

石仏がずらっと並んでいる、そこだ、という。

許可を得て車を停めたそこは滝ノ尾の共同墓地であろう。



迎える六地蔵に右並びに建っていた「二十三夜月待塔」。

時間帯は午後4時40分。

ますます暗くなる時間帯に判読できる刻印文字は「奉」くらいであるが、その上にある円形内部に描かれた三日月が特徴の「二十三夜月待塔」。

かつて有形文化財にも詳しい知人と話していたことがある。

奈良には、十九夜講に関する講並びに本尊とする如意輪観音像はあるが、二十三夜講に二十三夜月待塔は見たことがないな、と話していた。

奈良にはなくとも、三重県名張市・矢川の春日神社境内に見たことがある。



令和3年の3月14日に立ち寄った春日神社に、正平八年(1353)建之の史蹟、南北朝時代の石燈籠がある。

その奥に建っていた石碑にあった刻印は「宝永三戌天(1706) 二世?」。

「奉 供養月待三(※夜)」とある。

おそらく三夜講若しくは二十三夜講であろう。

また、京都・南山城村の高尾に「二十三夜講」・「月待供養塔板碑」があるとネットが伝えていた。

「二十三夜月待塔」に解説板書がある。



「江戸時代初期からこの瀧之尾では、勢至菩薩をまつる二十三夜月待信仰が盛んに行われていた。全国的には、江戸時代中期以降に、声がよくなるといわれて、月待信仰が爆発的に大流行となるが、それよりも百年も前に、この村で月待信仰が熱心に行われていたことを物語っている。この二基の月待塔は、全国でも一、二の古さとされる立派な御遺品なのである。銘文は、元和三(1617)年奉廿三夜月待供養講中□月吉日)と刻名されている。」と、あった。

歴史、文化を伝える解説文、板書は滝ノ尾住民の手によって建てられた、と思うが、相当詳しい専門家による判読、分析が行われたのであろう。

「長者の長持石」の場所はどこになるのか。

探す時間はもうないから、諦めて春日神社境内に建っていた「笠塔婆」を拝見する。

一般的に笠塔婆といえば、大きな笠石があるはずなんだが・・。

どこを、どう探しても見つからない。

わかったのはその横に建ててあった解説文である。



「この笠塔婆は、奈良県内では最も古いとされている鎌倉前期に造られた貴重な石塔である。塔身は、安山岩製で、高さ八十八センチ・奥行き二十二・五センチで、昔は塔身の上に笠があったが、余りの古さと石室のもろさで現在は失われている。鎌倉時代の立派な笠塔婆は、ひょっとして瀧之尾長者の一族に、関係があるかも?」



また、「石柱梵字の下、四面に次の刻印がある」

「梵 為妙□□□是大□□□ 以衆生後生安楽成物道 梵 諸法従本来常自寂滅相  以衆生後生安楽成物道 梵 □□□□□□□□□□ □□□□□□□□□□ 梵 □□□□□□□□衆生 浄入□□□迎□成仏□」

よくぞ判読されたものだと感服する次第だ。

「二十三夜月待塔」、「笠塔婆」の所在地を教えてくださった住民。

令和5年1月8日に再会した79歳のN氏によれば、この塔婆の並びに△石があり、それが西暦1500年代に上流に住んでいた滝の長者の遺物らしく、お盆のころに参るとも。



つい、さっきに収穫したばかりだ、という落花生干しをしていた。

広げた新聞を敷いた、その上に干していた落花生。

これも撮らせてください、と許可をもらって撮った滝ノ尾の生活民俗。

夕暮れ近い時間帯に、抜いた落花生の枝や葉を燃やす煙が・・



お家の向こうの煙は刈り込んだ雑草を燃やす煙。

再訪したくなる滝ノ尾住民にもっと聞きたくなる民俗がありそうだ。

(R3. 3.14 SB805SH 撮影)
(R3.11. 3 SB805SH 撮影)

室生小原・八幡神社秋の大祭にコロナ禍対策をとった当屋の座渡し

2024年02月23日 08時08分03秒 | 宇陀市(旧室生村)へ
室生小原八幡神社上笠間在住の松本宮司が兼務する地域は染田、無山・多田・小原・毛原・深野・上笠間・下笠間に青葉。

今朝は、はじめに上笠間。

終わりに小原の7地域に出仕していた。

11月3日のこの日の私は忙し、駆けずり回る一日だった。

朝に自宅を出発し、午前11時半まで滞在していた京都府精華町北稲八間・武内神社のコロナ禍の秋の大祭の取材。

奈良入り前に見た京都・山城町上狛のハザカケ

そして走った奈良県内入り。

奈良市の川上町から須川を経て誓多林町に茗荷町。

峠越えを繰り返す山行きロード。

上杣ノ川町から旧都祁馬場を経て白石町。

東の街道にハンドルをきり、宇陀市の旧室生、多田、染田を経て小原入り。

到着した時間帯は午後2時半。

午後3時から秋の大祭が行われるが、コロナ禍に決断し大祭は、各集落とも行事のすべてが神事のみに・・

小原の大祭は神輿巡行しないため、宮司他総代、当屋たちがともに榊・ヒモロギを手にして集落を巡っていたそうだ。

西日が差し込み、参拝者の影が長くなった午後3時。

はじめに太鼓が打たれる。



社殿下の境内に拡がる参拝者が首を垂れる。

宮司は祓社に移動して祓の詞。



そして氏子たち全員に祓われる。

本殿に移り、祝詞を奏上された神事はおよそ20分。

神事を終え、これよりはじめられる儀式は当屋の座。



この日まで一年間の当屋の任に就いた人たちは、次の一年を受け継ぐあたらしき任に就く受け当屋たち。

本来の儀式を簡略化した当屋の座渡しの儀に移る。

昨年同様、当屋の座渡しの儀は手締め。

「祝ぉうてシャンシャン 打ーちましょ シャン」に手拍子が1回。

「もひとつ シャン シャン」の手拍子が2回。



「祝ぉうて シャン シャン シャン」に手拍子は3回。

一本締めでなく、三々七拍子でもない“大阪手締め”の作法である。

コロナ禍の当屋渡しに、酒盃の儀はできない。

2カ月前の9月に決めた当屋の座渡しの儀であった。

平成19年の11月3日に拝見していた座渡しの儀は、酒を飲み廻す儀式をされていたが、コロナ禍では認めがたい。

詳しくは、当時取材していたブログ記事を参照
していただきたい。

こうして秋の大祭は、短時間で終え、氏子たちは解散された。

この日の参集に、当時お世話になった大工棟梁と出会えた。

83歳になられたTさんは、今も現役の棟梁。

小原の八幡神社の宮大工。

60年前は社務所。

40年前は拝殿を。

20年前が、初の仕事の塗りを担ってきた。

ベンガラ塗りは難しい。

塗る部分のすべての汚れを落として綺麗にしないと、せっかくの色調合も台無しになるだけに、相当な気を遣って完成した。



是非とも、正面から見る塗りを見て欲しい、と云われて祭礼中に撮っておいた。

大当屋を務めた最後の日、当屋渡しを終えてほっとされた昭和17年生まれのOさんが、話してくれた。

今週末の亥の子座に、かつては青豆を曳いてくるみを作っていたそうだ。

そのくるみは、棟梁のTさんも、同じ証言。

ともに体験していた亥の子座のくるみ。

現在は、猪が荒らすから、大豆の栽培はしなくなった。

そんなことで、この亥の子のくるみ餅は、今では白餅。

当時の亥の子座。

月に「亥」が2回ある場合は、初めの「亥」の日に。

3回の場合は、中の2番目が亥の子座行事の日だった、と話してくれた。

また、今年の極楽寺の拾夜は、14日に予定されていた。

その日の午後2時からは、八幡神社のゾーク(※造営事業)のリハーサルがある。

そして、21日の午前9時に行う、と聞いていた令和3年度事業のゾーク(※造営式典)」は。私の都合で拝見できなかった。

20年に一度、行われる八幡神社のゾーク(※造営事業)。

次回は、20年後。取材するには、年齢的に間にあわないだろうな。

(R3.11. 3 SB805SH/EOS7D 撮影)

都祁馬場農産物直売所・老婆の休日

2024年02月22日 08時00分32秒 | 民俗あれこれ(売る編)
奈良市の川上町から山越え。

須川を経て誓多林町に茗荷町。

まさに山越え、峠越えを繰り返す山行きロード。

小さなカーブ繰り返す山道に峠を越えてきた。

もうすぐ幹道に出る。

そのとき開けた地に集落があった。

小豆を干すお家もあればズイキも干していた民家に、思わず車を停めてシャッターを押した。

その地は上杣ノ川。

そこから幹道に出て、右折れした直後に出くわした道端の売り場。

さて、ここはどこなんだ。

売り子さんに伺った、ここは旧都祁村の都祁馬場。

年の4月にオープンした、というお店は”老婆の休日”。

売り子さんたちの年齢を考えた上でのネーミングが素晴らしい

この道は、過去何度も走行していた幹線道路。

まさかの道端店舗売りに、どのような商品を売っておられるのか、興味津々の入店。

あるある、食べたい野菜がいっぱい。

どれを選ぶか、迷うばかりの好みの野菜たち。

決めた買いの野菜は、3個で100円のハヤトウリ。

これ、めっちゃ美味いんやで。

スライスしたハヤトウリは天ぷら、炒めてチーズやピザソースかけ。

漬けもんもいいが、ハヤトウリの食感がイチバン。

もうひとつは甘くて美味しい100円売りのモロッコインゲン。

野菜、柿などの地産地消に餅、赤飯も売る”老婆の休日”。

売り場を撮らせてもらった。

”老婆の休日”を伝える書がある。



売りの地産地消を奨める言葉はなく、な、な、なぁんと山田道安に関する歴史を伝える文。

ここ”老婆の休日”の意図は・・・さて

お店を仕切る高齢?女性がいらっしゃる。

都祁馬場で売っている私たちは、隣村の荻、(※上・下不明)深川。

その女性は荻住民。

で、あるなら”刺し鯖“は、ご存じですか、と尋ねたら首を傾げられた。

こんな魚ですが・・聴いたが、まったく存じていないらしい。

実は、荻住民に、お盆の”刺し鯖“習俗を、今もしていると話してくれた家族さんがいる。

と、いうことは同じ地区であっても、されているお家もあれば、まったく体験してこなかったお家もある、とわかった。

ただ、その荻の女性は知らなかったが、横で聞いておられた深川の女性はしていた、と・・

胸は躍ったが、その中年層の女性がいうには、40年?ほど前まで。

あの塩辛い“刺し鯖”をイタダキしていた、と話してくれた。

(R3.11. 3 SB805SH 撮影)

上杣ノ川・小屋根の干し物にズイキ茎干し

2024年02月21日 08時07分20秒 | 民俗あれこれ(干す編)
山城町上狛のハザカケ景観の撮影を終えて、これから向かう目的地は、宇陀市室生の小原。

八幡神社で行われるコロナ禍中の秋の大祭状況
を調査である。

そこまでの行先ルートに、奈良公園行を経て山越えするつもりだった。

ところが、この日は祝日。

公園まで行きつくどころか、大渋滞に巻き込まれた。

さて、どの道に迂回するのがいいのか。

奈良公園から南下、そして東部山間地コースを諦めて、北に迂回。

川上町を経た山越えルートに切り替えた。

ふと目に入った須川行きの表示。

ハンドルをきり、走行していけば誓多林町に出た。

山道ロードはくねくね。

速度は出ないが、信号のない道を走るのも気持ちがいい。

そして着いた茗荷町。

なるほど、と思った山道ロードは、山行き峠を通り抜けたそこに民家集落があった。

すーっと通り抜けようとしたときに出合った、というか、目に入った干し物。

先に気づいたのは小豆干しだったが、勢いがついて先の民家。

そのお家の小屋根に見た干し物。

一つはお布団であるが、窓に吊るしていた干し物にも目が動く。

なんと、滅多に遭遇することのないズイキ茎干しをされていた。

存食に活用されるズイキ茎干し。

これを「芋がら」と呼ぶズイキは、血液をキレイにして悪露(おろ)の排出を促すといういい伝えがある。

古くから産後の滋養食として有名な食材
でもある。

普段は、保存食として利用される芋がらズイキ。

昔、そういえば田舎に帰ったら、食卓によく登場していたズイキ料理があったな。

宿泊した山間地の民宿の食事にも度々口にしたズイキ煮が旨かったことを思いだした。

(R3.11. 3 SB805SH 撮影)

山城町上狛のハザカケ

2024年02月20日 08時07分24秒 | 民俗あれこれ(干す編)
お昼の食事は車中食で摂っていた。

食べ終わってから向かった目的地は、奈良県の宇陀市。

旧くは室生村と呼んでいた。

そこに行く行程に、京都の南。

山城町を抜けていく。

見ておきたい上狛(かみこま)の田園風景がある。

ここへ来れば、どことなく落ち着く雰囲気がある。

まさか、と思った田園に稲刈りされた束のハザカケ。

と、いうのも何度か乗車した近鉄京都線の車窓から見ていた田園に見当たらなかったのだ。

京都南部にはハザカケはない、そう思っていただけにありがたく拝見しておく。

東の民家集落を背景に撮っていた上狛のハザカケ。

石垣を積んだ民家の姿が、愛おしい。



位置を移動し、引いて撮った景観も、なお美しい。

水路に落ちないように設置された手すりにも干してあった。

籾が見られないから、稲藁用途は畑作に活用するものであろう。

昨今、目にすることもある旬の駅などが販売するようになった稲藁に燻炭。

家庭菜園に要する人たちに買ってもらおうとする営業が増えつつある。

需要があれば、供給。

また、それに今まで捨ててきたものを大切にするSDGsの考え方にも繋がる。

ハザカケを拝見し、そんなことを考えてみる。

見た目は風景写真であるが、根底に暮らしの民俗があり、モノの循環、SDGsに拡大した見方も考えてみよう。

(R3.11. 3 SB805SH 撮影)