マネジャーの休日余暇(ブログ版)

奈良の伝統行事や民俗、風習を採訪し紹介してます。
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横田町柳生垣内のドウガイ注連縄は・・

2020年08月31日 09時43分24秒 | 大和郡山市へ
燈明灯しの当番の廻りがきたので参拝兼ねて社殿にあるローソクに火を灯していた。

母親が参るというから着いてきた、というHさん。

火を点けたは手を合わせていた母親は昭和2年生まれ。

ずいぶん前になるが、神社行事のことを尋ねたことのある高齢婦人。

当時のことはたぶんに覚えてはれへんやろな。

今回の簾型注連縄調査は悲喜こもごもが交差する。

中断した地域もあれば復活したところも。

それは民家であっても同じだった。

確認しておきたい地域はまだある。

横田町から新庄町にある治道地区である。

本村の横田町は和爾下神社と八幡神社の2社。

いずれも10年ほど前からは一般的注連縄に変化しているが、枝村或いは出垣内になる柳生垣内は地区氏神さんを祭る素盞嗚神社に簾型注連縄をかけていた。

平成26年12月27日の朝、今から作るからと連絡があって大急ぎで出かけた柳生垣内。

「ドウガイ」の名で呼ぶ簾型注連縄は2本。

神社と昔に小堂があった場にかけていた。



その場にあった注連縄に思わず小っちゃくなった、と口に出た。

そうで、あれば神社は・・・。

鳥居付近から声が聞こえる。

どなたかがおられると思って近づいた神社に「ドウガイ」がない。

おろおろしていたら拝殿から声がかかった。

久しぶりだというその声は4年前に応対してくださったHさん。



廻り当番の燈明番が廻ってきたから参拝したいという母親についてきたそうだ。

で、ドウガイは、と聞けば・・。

あれから・・ときりだした顛末。

餅米を作る人はいないから入手不可。

竹の伐採もできないようになったから・・。

そこへもって不始末からトンドの火が移った農小屋が延焼する事件もあって注連縄作りができなくなったという。

(H31. 1. 4 SB932SH撮影)
(H31. 1. 4 EOS7D撮影)

発志院町・八王子神社の注連縄

2020年08月30日 11時33分12秒 | 大和郡山市へ
発志院町(はっしいんちょう)は滅多に入り込むことのない旧村。

年中行事の一つに秋のマツリはあるが、未だに取材できていない地。

氏子の声も聞いてみたいが・・・。

ふと思い出して足を伸ばした発志院町。

9年ぶりである。

広くない集落なのに八王子神社へ行く集落道がわからなくなってしまった。

ぐるっと廻って隣村の中城町まで行きつく始末。

またもやぐるっと廻ってやっと思い出した八王子神社。

鳥居に大きく羽根を広げるような姿で簾型注連縄をかけていた。



平成21年12月31日に訪れたとき。

たしか、神社近くのK家も同じように簾型の注連縄をかけていたはず・・・。

探してみたが見当たらなかった。

民俗文化は継承されなかったのだろう。

(H31. 1. 4 SB932SH撮影)

下三橋町・風神社の注連縄

2020年08月29日 09時07分18秒 | 大和郡山市へ
正月三日は明けたが、心のなかにもやもやが残る。

居ても立っても居られなくなって車を走らせた。

行先は城下町の東外れになる三橋(※古表記は三椅)。

国道24号線より手前が下三橋で東側は上三橋になる。

平成24年1月5日に訪れた風神社に簾型注連縄があった。

次の年の平成25年12月26日も訪れて再確認した。

あれから5年も経った。

他村の変化度合いを見ただけに、風神社の状況が気になる。

下三橋町を東西に貫く道はまま狭いところもあるがほぼ2車線幅。

ところが風神社に向かう集落道は軽自動車でさえ通行が難しい細い道。

車を停めるのも難儀したが、そこはなんとか・・。



通りに面した鳥居を潜ったらあった。

本音でほっとした。



ちなみに風神社の灯籠は数々あれど、そのほとんどが江戸時代に建之されたもの。

なかでも一番古いのが「慶長十一丙午年(1606)十一月吉日」、「奉寄進 風宮天大明神 御宝前 添下郡下三橋村」の刻印がある燈籠である。

建之年代は1600年の天下分け目の関ケ原の合戦から6年後になる。

(H31. 1. 4 EOS7D撮影)

だんらんに味わうすき焼きに絶品鮪

2020年08月28日 09時20分15秒 | だんらん(正月編)
おふくろが我が家で過ごす正月三が日。

至れり尽くせりに身体を動かすこともない。

だが、お腹はしごく調子がいいようだ。

食欲旺盛はこの日も・・。

晩飯は久しぶりのすき焼き。

ジュエルネフーズ㈱に売っていた100gが480円のすき焼き肉。

脂身の白い部分に涎が出る。

三方向からでてくる箸の動き。

とにかく早い。

肉の旨味もあるが野菜も。

特に大晦日の日にもらった下仁田系の「鍋ちゃん」ネギ。

白土町に住むNさんが畑で作った栽培もの

伺ったときに、これもっていきと云われて差し出された採れたて、引き立ての「鍋ちゃん」は売り物。

お奨め栞に「白い根の部分、あおい葉の部分、いずれも美味しく食べられます。焼いてもすき焼き鍋にしてもたいへん美味しいです」と書いてある通りに旨い。

旨いもんはもう一つある。

赤身の鮪は鮮度を失っていないから輝いている。



旨みが凝縮する鮪の造りは絶品。

おふくろもかーさんもすき焼き同様に箸も口もよく動く。

すき焼き肉も絶品だから舌鼓が唸る唸る・・。

今夜もまた発泡酒にチューハイ。

そして喉越し爽やかな日本酒五神で今夜も更けていく。

(H31. 1. 3 SB932SH撮影)

番条町3・茅葺大和棟家の注連縄

2020年08月27日 10時20分28秒 | 大和郡山市へ
丹後庄町を訪れた次は番条町。

奈良大和の地に数々ある環濠集落地の一つ。

風情のある集落がお気に入り。

村を出た次男さんがときおり民俗情報を寄せてくださる。

出里の生家は名高い大和棟造りの家。

今も佇まいをみせる茅葺屋根の母屋。



数年前に葺き替えたという母屋も魅力あるが、門屋に飾った簾型の注連縄も。

今年もされているとわかって次男さんに撮った写真でお伝えした。

ご高齢になられた父親と気力を振り絞った長男さんが作ってかけた、素晴らしい出来具合の注連縄にほっとしたと返事がきた。

体調に気遣う次男さん。

なんとか継いでいるようだと、喜んでいたメッセージに目頭が熱くなるワケは・・・。

中谷酒造の会長も茅葺き大和棟のお家も大師講

平成23年4月に訪れた北の大師講の営み。

第六十四番ご朱印を求める参詣者がときおり尋ねてくると話していたが・・・。

大師講の講中だった会長からの賀状。

震える文字で書いてあった病状・・これを最後に、と〆ていた。



講中の一人になにかとお世話になった茅葺大和棟家婦人のAさんもお世話になったが、平成29年6月に亡くなられたことも付記しておく。

(H31. 1. 3 SB932SH撮影)
(H31. 1. 3 EOS40D撮影)

番条町2・北の大師堂の正月餅

2020年08月26日 09時20分36秒 | 大和郡山市へ
継いだと思われる「ドウガン」注連縄のユズリハの御供。

気にはなるが先を急ぎたいので場を離れて大和棟のお家の前を南北に向かう集落道にでる。

そこに建つ大師堂。

標識は大和北部八十八所・第六十四番札所の番条光明院。

お堂の前にある石造りの線香立てに「奉献 中谷氏」の刻印がある。

中谷家は大和棟家の分家と聞いている。

いつ奉献されたのか年代を示すものは見つからなかったが、お堂に正月御供があった。



たぶんに北の大師講の講中が供えたのであろう。

(H31. 1. 3 SB932SH撮影)
(H31. 1. 3 EOS7D撮影)

番条町1・中谷酒造家のドウガン注連縄

2020年08月25日 10時04分10秒 | 大和郡山市へ
大和郡山市内で唯一の造り酒屋といえば中谷酒造。

会長と初めてお会いした場は自然観察会だった。

10年前のことである。

民俗を記録しているとお話したら家で簾型の注連縄を作って母屋の玄関と門屋に飾っている、と・・。

作るところから拝見できるでしょうか、とお尋ねしたら、どうぞだった。

会長はその注連縄を「ドウガン」と呼んでいた。

番条町・熊野神社のマツリに参拝する朔座があった。

北座と南座のマツリ。

代々継いできたいわゆる筋目の宮座であるが、高齢化もあって、座を継ぐことが難しくなり、平成25年を最後に両座は解散した。

の生き字引でもあった会長は座帳記録などを見せてくださった。

昭和30年代に収録した杵搗き唄(音声)とか禊ぎ浴(※8ミリフイルム映像)などは貴重。

会長の熱望によってフイルム映像はDVD化。

音声はカセットテープへダビングコピー。

そのコピーは座の控えとして1セット。

もう1セットは県立民俗博物館に寄贈された。

また、北の大師講にもお勤め、なにかと世話になった会長である。

門屋に飾った注連縄はたぶん息子さんが継いだと思われる「ドウガン」である。



その名も正月三日間とも続けて行われるユズリハの御供の在り方も継承されたと思うが・・。

(H31. 1. 3 EOS7D撮影)

丹後庄町・八雲神社の大注連縄

2020年08月24日 09時31分05秒 | 大和郡山市へ
今国府町の民家にあった簾型注連縄に感動した。

旧村集落はもっと丹念に足を運ばないと、と思った。

まだ見つかる可能性はあると踏んで、向かう東北にハンドルを切る。

正月三日の午後も街通りに行き交う交通量は少ないが、氏神さんの地に来てみれば何組かの正月参拝の家族連れと遭遇する。

丹後庄町(たんごのしょうちょう)の八雲(やくも)神社もそうだったが、民家に発見することはなかった。

集落道は狭い。

向こう側から車が見えたとき。

どこに退避すべきどころか、バックするしかない旧道。

車を停める場所さえない。慣れてはいるが、千躰寺に未だ行きついていない。

そのことはともかく八雲神社の大注連縄である。



鳥居を潜って参道をゆくとそこにあった。

平成23年当時と同じように簾型の注連縄をかけていた。



拝殿の扉が閉まっているから奥の社殿は玉垣の外から拝見。

昔も今も変わりなくあった。

(H31. 1. 3 SB932SH撮影)
(H31. 1. 3 EOS7D撮影)

今国府町・S家の注連縄

2020年08月23日 07時20分49秒 | 大和郡山市へ
正月3日の午後も調査を続ける。

前日は、復活した今国府町・杵築神社の注連縄に見惚れていた。

数年間はなかったと思える。

あくまで推定であるが・・。

復活した喜びにすっかり忘れていた民家の注連縄。

夕方に帰宅してから、はっと思いだした。

かつて拝見した家の状況を確かめたくて立ち寄った。

平成23年の1月2日

今国府町もまた旧村である。

周辺は新興住宅地に囲まれているが、大通りから道一本外すとそこは狭い道。

門屋のある家が建ち並ぶ。

その一角にあった民家に簾型の注連縄をかけていた。

伺った当主は昭和10年生まれのKさん。

注連縄はその名の通りの「シメナワ」だった。

あれから8年も経った。

たしかこの家だと思って拝見したが、なかった。

後継の家族は継ぐことがなかったようだ。

そこから少し足を伸ばした旧道沿いに見つかった。

車を停めて撮らせてもらったが、狭い通り道。

クラクションを鳴らして催促する車に迷惑はかけられないと判断して場を離れたが、当時、目につかなかった家。

気がつかなかったのか、それとも・・。

S家の呼び鈴を押して話を伺う時間がない。

日にちあらためて再訪したい家の在り方である。

(H31. 1. 3 EOS7DH撮影)

田中町・甲斐神社の伊勢海老御供注連縄

2020年08月22日 10時09分21秒 | 大和郡山市へ
今国府町小林町を北上。

簾型の注連縄を求めて田中町に着く。

帰路のついでに調査地を順番に立ち寄った。

その間に池之内町に八幡神社はあるが、注連縄は昔から一本注連縄。

簾型でないとわかっているから調査は飛ばす。

数年かけて田中町も神社の年中行事を取材した。

当時、六人衆を務めたある農家さんの家の行事や如来さんの接待家も取材していた。

一連の取材を終えてから期間が空いた。

自宅から遠くない田中町。

通過する度に神社や境内の様子を見てきたが、馬司町や小林町の変貌ぶりがわかっただけにもしや、と思って途中下車。

平成23年に拝見して、えっと驚く。

翌年の平成24年は大晦日に六人衆のみなさんが設える情景を撮らせてもらった。



今年もしていた簾型の注連縄に生の伊勢海老。



茹でであれば赤いが、色合い、風合いは生もの。



そう、活けの活けの伊勢海老である。



以前に拝見したときとちょと違う注連縄の飾り付け。



何かが不足しているように思えて仕方ない。



まさかの伊勢海老飾りに当初は驚いたものだが、HPとかブログに公開したら、猫ではなくカメラマンがやってきた。

(H31. 1. 2 SB932SH撮影)
(H31. 1. 2 EOS7D撮影)