今回で通算61回目となった心臓リハビリ運動はこの日をもって卒業する。
61回を延べ日数に換算すれば丸2カ月間である。
1年と6カ月間に亘る期間をせっせ、せっせと毎週の火曜日に通い続けた外来棟にサヨナラはできない。
リハビリ運動は卒業できるが循環器内科や血管外科の診察は継続中。
服用している内服薬はこれで終わりということには到底ならない身体状況では卒業の見込みはまったくない。
ただ、助かるのは出費である。
一回当たりのリハビリ運動は2000円超。
体力テストや心臓負荷テストを実施すればそれなりの診断料が要る。
61回を単純計算したとして12万円を超えている。
総額にしてみれば医療費控除上限を超えている。
確定申告で控除申請をしたとしても返戻金はごく僅か。
それが一回、一挙の支払いの高額医療費であれば医療費減額の支援が受けられる。
収入、年齢から国保限度額適用の高額医療控除が受けられる。
合切することができないバラ支払い。
生活援助が受けられるような国の制度がないのが残念だ。
医療のために細切れ受診をしているケースっていうのは結構多いのではないだろうか。
政治家の皆さん方、どうぞ現実の情報を収集されて制度化を目指してほしいと思う今日この頃である。
余計な話しは横においといて、最後のリハビリ運動に取り組む。
今日は最後だといって心電図機器は後回しに体力測定を実施する。
前回は前年の平成28年12月6日。
体力はそんなにかわっていないか、落ちていないか・・。
まずは、ベッドに座って蹴りの下肢筋力測定。
両足の脹脛にベルトで固定する。
では、と言われてエイっ。
気合を入れて足を前に出す。
出すというよりも前方に蹴るということだが、伸びない重さ750gのベルトで結ばれているから力を入れるしかない。
もっと、もっと、と声をかけるGリハビリ療法士に励まされて前方に力をかける。
のけ反るような恰好で、エェーーーイッである。
これを左足、右足の順で測定する。
右は64.1kgで左も64.1kg。2カ月少し前の前回測定。
右は64.1kgで左は59.0kgだった。
右は横這いだが左も同じの大幅アップになった。
この日の体重は69.4kg。
体重を基準に割れば左右ともに0.92。
それが蹴りの体力値。
1に近づくほど良いし、それ以上ならそうとうな蹴り力になるという。
ここまでこられたのが嬉しい。
前々回の平成28年8月の右は62.5kgで左は65.7kg。
その前の4月19日は右が29.7kgで左は38.2kg。
その前は3月1日。
右が39.6kgで左は40.5kg。
本日の体重で割ったら右は57.0やし、左は58.3。
どれぐらい低かったことか。体力は半分。
そのころは自宅療養中だった身だからよく覚えている。
平成27年12月の2回目の退院後の1月21日の測定はそれができないくらいに弱っていた。
それから1年2カ月後の体力測定の結果にスゴイと云われる。
健常者の年代別か膝伸展筋力テーブルを参照すれば、なんと、なんとの0.96の二十歳代。
三十歳代が0.85だから、その間にしてもそりゃスゴイである。
ちなみのそのテーブルからいえば今年の3月1日の身体状況は七十歳代だった。
こりゃびっくりするぐらいの筋力値に感動どころか、バンザイである。
次の測定は握力。
前回は右が37.7kgで左は32.9kgだったが、今回は右が43.3kgで左は37.7kg。
いずれも今回が最高値。
それも嬉しい。
本日は最後を決める体力測定。
バランス平衡感覚を測定する開眼片脚立ち時間も計測する。
右足状態は42.08秒。
左足では43.56秒。
1分間も保てなかったのが悔しいが、一般的男性の「優」を遙かに超えていた。
二次予防事業対象者のレベルを1から5段階まで区分けしているテーブル表がある。
それによれば1を「劣」とすれば5が「優」。
最「劣」は<=2.6。
逆に最「優」は>=23.8。
今回の測定結果からすれば遙かに超える40秒台である。
大いに胸を張って良いレベルになっていたのだ。
次の測定は廊下に出て椅子に座る。
そこから立ち上がって戻ってくる時間を計測するパフォーマンスTUGである。
前回は4.16秒だったが、今回は4.20秒。
少しは早くなったがこれも標準以上の「優」である。
5メートル歩行能力も前回が通常速度が2.78秒で最大は2.28秒だった。
ところが今回の通常速度は2.78秒で最大は1.72秒。
これも標準以上の「優」。
しかも、もっと早く走れるようになった身体が嬉しい。
これらの結果はペダル漕ぎ運動を終えてから伝えられた。
体力測定を終えて心電図機器を装着したときは準備体操の終わり前。
心拍数は58-59拍になっていた。
そこから始まるスクワットでは63-64拍。
ときには68-69拍にもなる。
マックスは70-71拍。
反応が早く、しかも70拍台を超えるようになった。
エルゴメーター付きの自転車のペダル漕ぎの初速は10ワーク。
血圧は114-62。
脈拍は63-64拍だ。
ペダル回転数は55rpmから60rpm以内を維持しながら踏み込む。
1分後には自動設定している55ワークになる。
そのときの心拍数は64-65拍。
2分後は68-69拍。
運動することによって快適に上昇する心拍数が嬉しい
6分後の血圧は127-57。
脈拍は71-72拍。
早くも70拍台に達した。
これならいけそうやというGリハビリ療法士はワーク60を勧める。
待っていたと応える私も60ワークをお願いする。
そのとたんに汗、汗が・・・。
11分後の血圧は121-56。
脈拍は73-77拍。
血圧、脈拍は満足な状態。
ワーク60であっても身体はは「楽」どころかとっても「楽」に汗、汗である。
16分後の血圧は139-56。脈拍は73-74拍。
21分後の血圧は128-60。脈拍は75-76拍。
汗、汗に汗が滲むが流れるとまではいかない。
そういう身体である。
不整脈はまったく見られないこの日の状況がたまらなく嬉しい。
ラスト、26分後の血圧は142-58。
脈拍を75-76拍で終えたラストデイのリハビリ運動はとても気持ちの良いものである。
ペダルを漕いだ足も、太ももも、ふくらはぎも、呼吸も何もかもがしんどくなくないラクラクで終えた。
降りて汗をぬぐう。
そのときであっても急降下しない脈拍。
64-65拍が安静時にもなってくれたらもっと嬉しいがそこは完全ではない証拠。
不完全な身体ではあるが、日ごろの生活の中で運動をし続けることで安定的な心拍数を保ちたい。
家に居るときは短い距離だが歩くことを止めずにずっと続けていたい。
もう少し温かくなれば折りたたんだままの自転車を広げて走ってみたい。
有酸素呼吸で走ってぷっくり出てきたお腹を凹ませたい。
それもあるが、贅肉である。
贅肉は徐々に張り出している。
指で摘まめるほどに分厚くなった。
それを解消するには自転車漕ぎがイチバン。
50歳代は盛んに乗っていたおかげで贅肉はそぎ落とされた。
元の身体に少しでも戻りたい。
そう、思っている。
整備体操で〆たリハビリ運動にGリハビリ療法士が云った。
本日は表彰式がありますと伝えて名前を呼ばれる。
待ちに待った表彰式に賞状が授与される。
賞状は修了証書。
「あなたは心臓血管疾患を患いながらも、再発予防および体力強化のために外来心臓リハビリテーションに半年以上も継続的に通院されこれを証します」であるが、もう来なくて良い、卒業を意味する証書である。
外来心臓リハビリテーションは開設されて2年もなる。
途中で来なくなったりする人もおれば、また再開する人もおられるなか、途切れることなく、ずっとこれまでの期間を継続して疾患対応に接し体力をつけてきたことを証するものである。
これまで証書を授与した人数は60人。
私は61番目になる。
その番号は通院した日数とまったく同じだった。
この場におられた患者さんにガンバッてくださいと歓びを伝える。
うち、一人の男性が云った。
「私は2年間も運動してきたが、まだそこまでいけていない。家で歩くなど運動をしているが、つい甘えてしまうこともある。当院のリハビリ運動はその甘さを許さない。そういう気持ちを維持できるように頑張ります」の言葉に背中を押された。
式典を終えて本日の体力測定結果が伝えられたのだ。
結果は前述の通りであるが、今年の2月21日に採血した血液検査の結果も伝えてくださる。
BNPは75.4pg/ml。
よくぞここまで身体を復活できたことを褒められる。
BNPは脳性ナトリウム利尿ペプチドの略。
心臓の負荷が増えたり、心筋肥大が起こるとBNPの血液濃度が増加する。
値が高いほど心臓が良くないということである。
平成27年12月26日の検査結果では703.3もあった。
翌年の1月12日は361.5。
2月2日は逆に百もアップした496.1。
2月9日は253.1。
それが3月1日ともなれば87.4。
劇的な大幅改善である。
その日に医師より許可が出た単独の車運転にバンザイをしたもんだ。
引き続き、4月19日は68.4。
続く5月17日は76.4。
6月14日は76.4。
7月12日は80.7。
飛んで9月6日は75.2。
3月間も空けた11月29日は62.8。
翌年の今年の2月21日が75.4だった。
BNP基準値は18.4以下。
その値をみつめるのではなく値の下がり度合いを重視するという。
そうだったんだ。
基準値に近づけることは気にせず、である。
そういう見方であれば、リハビリ運動に精を出した頃の4月19日。
二桁台になったBNP値は大きな変化もせず60~70を繰り返していた。
それ以下の値にはなかなか下がらなかった。
どうしたもんじゃろ、と思っていたが、何も心配することはなかったんだ。
入院、手術、退院、再入院、処置、退院、経過観察とともに励んできたリハビリ運動の結果は安定状態を生んだ。
ここまでこられたのはリハビリ療法士のおかげだ。
毎週のリハビリを指導してくれたGさん、Ⅰさんに経過状況を温かく見守ってくれた循環器医師のKさん。
この場を借りて感謝申し上げます。
また、ラストデイを知って待っていてくれたリハビリ療法士のSさんにOさんも、ほんまに、ありがとうございました。
これからも毎日の運動を欠かすことなく、取材活動を通して、さらなる元気を取り戻したくガンバっていきます。
(H29. 3.28 SB932SH撮影)