初の著作本を9月末に発刊しました。
京都の淡交社から出版されました「奈良大和路の年中行事」です。
大小取り混ぜた300枚ほどの祭り行事写真が掲載されています。
未だかってない映像と解説で奈良の祭りや行事を紹介しました。
出版社の淡交社に紹介されています。
次ぎに挙げるキーワードを聞いたことがありますか。
そんなん知っとるで、見たことも聞いたこともあるでが30個以上あればそれ相当な専門家。
30~20個では民俗行事通。
10個ぐらいやったら知ってるでぇという方はそれなりに活動をされている。
ぜーんぜん、そんなの聞いたことないなという方はライフステージが違うんでしょうね。
こんなの特に知る必要もありませんよぉ。
だってねぇ、まほろば検定でも出題されるようなシロモノではないのですから。
ただね、なんじゃこりゃと興味を示されたら『奈良大和路の年中行事』の巻末索引頁を開けてほしい。
謎のキーワードはこの本に隠されているのですから。
買ってくださったらもっと嬉しいんですけど。
1.一万度ワーイ
2.いっぱいだまし
3.イノコ
4.ウタヨミ
5.ウゥワハイー
6.おせんどう
7.オドリコミ
8.オハキツキ
9.デンソソ
10.ガクウチ
11.キョウワウチ
12.ゲー
13.コウリトリ
14.ゴクカツギ
15.コグツ
16.子出来オンダ
17.ザザンザー
18.スコ
19.センバン
20.ダイビキ
21.チャンゴカゴ
22.でんでらこ
23.デンデン
24.トーニンワーイ
25.ドサン箱
26.ドテンコ
27.ネンネンさん
28.バタランバタラン
29.ハッタハン
30.ハナガイ
31.ヒキアイモチ
32.ピッピラ
33.フショ舞
34.ベンズリ
35.ホーエッサイ
36.ホーランヤ
37.ホーロン
38.マジャラク
京都の淡交社から出版されました「奈良大和路の年中行事」です。
大小取り混ぜた300枚ほどの祭り行事写真が掲載されています。
未だかってない映像と解説で奈良の祭りや行事を紹介しました。
出版社の淡交社に紹介されています。
次ぎに挙げるキーワードを聞いたことがありますか。
そんなん知っとるで、見たことも聞いたこともあるでが30個以上あればそれ相当な専門家。
30~20個では民俗行事通。
10個ぐらいやったら知ってるでぇという方はそれなりに活動をされている。
ぜーんぜん、そんなの聞いたことないなという方はライフステージが違うんでしょうね。
こんなの特に知る必要もありませんよぉ。
だってねぇ、まほろば検定でも出題されるようなシロモノではないのですから。
ただね、なんじゃこりゃと興味を示されたら『奈良大和路の年中行事』の巻末索引頁を開けてほしい。
謎のキーワードはこの本に隠されているのですから。
買ってくださったらもっと嬉しいんですけど。
1.一万度ワーイ
2.いっぱいだまし
3.イノコ
4.ウタヨミ
5.ウゥワハイー
6.おせんどう
7.オドリコミ
8.オハキツキ
9.デンソソ
10.ガクウチ
11.キョウワウチ
12.ゲー
13.コウリトリ
14.ゴクカツギ
15.コグツ
16.子出来オンダ
17.ザザンザー
18.スコ
19.センバン
20.ダイビキ
21.チャンゴカゴ
22.でんでらこ
23.デンデン
24.トーニンワーイ
25.ドサン箱
26.ドテンコ
27.ネンネンさん
28.バタランバタラン
29.ハッタハン
30.ハナガイ
31.ヒキアイモチ
32.ピッピラ
33.フショ舞
34.ベンズリ
35.ホーエッサイ
36.ホーランヤ
37.ホーロン
38.マジャラク
日の出一時間前は星が煌めく半月の夜空。本堂に灯りを点された矢田寺。
正式な寺号は矢田山金剛山寺(こんごうせんじ)という。
ドン、ドン、ドンと太鼓が打たれ鐘が撞かれて始まった仏名会のお勤め。
知らず知らずにつくってしまった罪などを懺悔して、身や心を浄める法会で仏さんや菩薩の名を唱える。
三千仏名経を読誦する仏名会は各寺院で、一年間の締めくくり歳末のこの時期に行われている。
「懺悔の心 あることなしに」と、本尊延命地蔵の前でもろもろの懺悔文を詠みあげる。
「願わくば 五十三仏を礼拝し なむー」と唱える五体投地は立って祈り、座って祈りを繰り返す。
懺悔法会の静寂から合唱へ移った。
和音のシンフォニーが堂内に響き渡る。
そして仏名経が僧侶に手渡され始まった仏名会法要。
「なーむ いっさいぶつみょうきょう」と、過去、現在、未来の三千の仏に1年間の罪を懺悔して仏名を詠みあげる。
法会がはじまって一時間後。
雲間から暁光の朝日がまばゆい。
堂内には浄められた来迎の光りが輝いた。
(H21.12. 9 Kiss Digtal N撮影)
正式な寺号は矢田山金剛山寺(こんごうせんじ)という。
ドン、ドン、ドンと太鼓が打たれ鐘が撞かれて始まった仏名会のお勤め。
知らず知らずにつくってしまった罪などを懺悔して、身や心を浄める法会で仏さんや菩薩の名を唱える。
三千仏名経を読誦する仏名会は各寺院で、一年間の締めくくり歳末のこの時期に行われている。
「懺悔の心 あることなしに」と、本尊延命地蔵の前でもろもろの懺悔文を詠みあげる。
「願わくば 五十三仏を礼拝し なむー」と唱える五体投地は立って祈り、座って祈りを繰り返す。
懺悔法会の静寂から合唱へ移った。
和音のシンフォニーが堂内に響き渡る。
そして仏名経が僧侶に手渡され始まった仏名会法要。
「なーむ いっさいぶつみょうきょう」と、過去、現在、未来の三千の仏に1年間の罪を懺悔して仏名を詠みあげる。
法会がはじまって一時間後。
雲間から暁光の朝日がまばゆい。
堂内には浄められた来迎の光りが輝いた。
(H21.12. 9 Kiss Digtal N撮影)
9月1日は八朔の日。二百十日に台風がやって来やんように祈願する。
8月31日の前夜は素盞嗚命神社に集まってお籠もりをしている。
神社の行事に6月のさなぶりもある。
6月の末ころ、村中の田植えが終わったらさなぶりをする。
収穫した新のソラマメを甘辛う炊いて酒の肴にする。
杓子いっぱいに入れてもらったソラマメは三角袋を持たせた子供にあげていた。
昨今はソラマメも作らんようになったから豆菓子になった。
マメで達者に育てよということらしい。
さなぶりの日も夕方に集まっている。
春は久米レンド。レンドのモチはノドが通りにくいという。
レンドのころは雨降っても箕笠して田植えしなあかん。
それほど辛い。
ノドが通りにくいのも辛い。
だからレンドのモチはノドが通りにくいといっている。
正月明けはドンドをしている。
毎年14日の夜。
火を点ける方角は毎年変わる。
おそらくアキの方角であろう。
その晩はドンドの唄を歌っている。卑猥な詞があるんじゃという。
※ 正調節は「イノコの晩に モチの搗かん家は 箸の家を立てて 馬のクソで壁塗って ここの嫁はん何時もらう 3月3日の朝もらう イワシ三匹 酒五合 新米藁喰ろうて 祝おうてやろう」
(H21.12. 8 Kiss Digtal N撮影)
8月31日の前夜は素盞嗚命神社に集まってお籠もりをしている。
神社の行事に6月のさなぶりもある。
6月の末ころ、村中の田植えが終わったらさなぶりをする。
収穫した新のソラマメを甘辛う炊いて酒の肴にする。
杓子いっぱいに入れてもらったソラマメは三角袋を持たせた子供にあげていた。
昨今はソラマメも作らんようになったから豆菓子になった。
マメで達者に育てよということらしい。
さなぶりの日も夕方に集まっている。
春は久米レンド。レンドのモチはノドが通りにくいという。
レンドのころは雨降っても箕笠して田植えしなあかん。
それほど辛い。
ノドが通りにくいのも辛い。
だからレンドのモチはノドが通りにくいといっている。
正月明けはドンドをしている。
毎年14日の夜。
火を点ける方角は毎年変わる。
おそらくアキの方角であろう。
その晩はドンドの唄を歌っている。卑猥な詞があるんじゃという。
※ 正調節は「イノコの晩に モチの搗かん家は 箸の家を立てて 馬のクソで壁塗って ここの嫁はん何時もらう 3月3日の朝もらう イワシ三匹 酒五合 新米藁喰ろうて 祝おうてやろう」
(H21.12. 8 Kiss Digtal N撮影)
「イノコの晩に モチの搗かん家は 箸の家建てて 馬のクソで壁塗って ここの嫁はん何時貰う 3月3日の朝貰う 鰯三匹 酒五合 新米藁で祝ぉたろか ペッタンコ ペッタンコ もひとつおまけに ペッタンコ ペッタンコ」と掛け声をかける子供たちは家の門口の地面に藁棒を叩きつける。
収穫が終わって最初の亥の日に行われている高取町森地域のイノコの行事。
かつて子供たちだけで行っていた。
イノコをしたら家の人が祝儀をくれる。
それを先輩が預かってお菓子を買ってくれた。
余ったお金は分けてくれたのだと懐かしそうに話す男性経験者。
そのころは青年団が仕切っていて男の子だけでしていた。
今は子供会の主催行事で女の子も参加するようになった。
昔は土の地面で崩れた藁は自然に帰った。
舗装された地面になったから流れんようになって掃除の箒を持った親が随行する。
環境問題も優しく対応するようになったイノコ行事。
祝儀は駄賃になるので、少なかったら藁に水を浸けて障子にぺっぺっと飛ばして訴えてやったと昔を思い出す男性。
大らかな時代は戻って来ないだろうと笑った。
永明寺前に集まったイノコの子供たちは幼稚園児から小学6年生までの男女。
「イノコの晩です」と呼び鈴を押して声を掛ける。
出てきたお家の人に了解を得てから藁棒叩きを始める。
ご祝儀をいただいたら次の家に走っていく子どもたち。
イノコが始まったばかりだというのに、既に叩かれた藁棒はボロボロになってしまった。
北の端まで行って、森の街道を戻って西の端の家まで。
50軒余りの地区を巡るには相当な時間と体力がいる。
(H21.12. 8 Kiss Digtal N撮影)
収穫が終わって最初の亥の日に行われている高取町森地域のイノコの行事。
かつて子供たちだけで行っていた。
イノコをしたら家の人が祝儀をくれる。
それを先輩が預かってお菓子を買ってくれた。
余ったお金は分けてくれたのだと懐かしそうに話す男性経験者。
そのころは青年団が仕切っていて男の子だけでしていた。
今は子供会の主催行事で女の子も参加するようになった。
昔は土の地面で崩れた藁は自然に帰った。
舗装された地面になったから流れんようになって掃除の箒を持った親が随行する。
環境問題も優しく対応するようになったイノコ行事。
祝儀は駄賃になるので、少なかったら藁に水を浸けて障子にぺっぺっと飛ばして訴えてやったと昔を思い出す男性。
大らかな時代は戻って来ないだろうと笑った。
永明寺前に集まったイノコの子供たちは幼稚園児から小学6年生までの男女。
「イノコの晩です」と呼び鈴を押して声を掛ける。
出てきたお家の人に了解を得てから藁棒叩きを始める。
ご祝儀をいただいたら次の家に走っていく子どもたち。
イノコが始まったばかりだというのに、既に叩かれた藁棒はボロボロになってしまった。
北の端まで行って、森の街道を戻って西の端の家まで。
50軒余りの地区を巡るには相当な時間と体力がいる。
(H21.12. 8 Kiss Digtal N撮影)
旧暦うるう年の3月末か4月始めに「トアゲ」の行事が行われている桜井市芹井。
瀧ノ倉で行われていた行事とよく似ている。
上、中、笹平、戌亥の4垣内。
それぞれで行っているので他の垣内の事情は判らないと前置きして話された笹平(ささひら)のご婦人。
笹平は3軒しかない。
当番は毎年持ち回りで交替して、家に天照皇大宮とおひまっつあん(お日待ち)の掛け軸を掲げる。
本来は60日毎の庚申の日になるが毎回はたいへんなので初庚申と仕舞い庚申にしている。
19時ころに集まってお茶菓子で済ませているという。
冒頭の「トアゲ」は橋の袂の庚申さんに残されていた。
青竹で作られた「花立て」や「ゴクダイ」、「青面金剛杖」が日焼けたような色合いになっている。
旧暦うるう年は3年、または4年おきにやってくる。
作る人がいなくなって継承していくのが難しくなってきたとご婦人は言った。
(H21.12. 8 SB912SH撮影)
瀧ノ倉で行われていた行事とよく似ている。
上、中、笹平、戌亥の4垣内。
それぞれで行っているので他の垣内の事情は判らないと前置きして話された笹平(ささひら)のご婦人。
笹平は3軒しかない。
当番は毎年持ち回りで交替して、家に天照皇大宮とおひまっつあん(お日待ち)の掛け軸を掲げる。
本来は60日毎の庚申の日になるが毎回はたいへんなので初庚申と仕舞い庚申にしている。
19時ころに集まってお茶菓子で済ませているという。
冒頭の「トアゲ」は橋の袂の庚申さんに残されていた。
青竹で作られた「花立て」や「ゴクダイ」、「青面金剛杖」が日焼けたような色合いになっている。
旧暦うるう年は3年、または4年おきにやってくる。
作る人がいなくなって継承していくのが難しくなってきたとご婦人は言った。
(H21.12. 8 SB912SH撮影)
観音講は毎月17日に集まってお勤めをしていたが、たいそうになってきて限定しなくなった。
17日になる前の日で集まりやすい日を毎回決めているのだが、暇な時期を選んでいるので一、二ヶ月も飛んでしまうこともあるそうだ。
ご婦人方は昼頃に旧安楽寺集会所へ集まって法華経を唱えている。
トーヤ制度もあるという氏子さん。
かつて聞き取りしたときはおんだ祭なんかとうに止めていると聞いていただけに、神社の祭礼が近くなったら電話したるわという声にすがりつく。
(H21.12. 8 Kiss Digtal N撮影)
17日になる前の日で集まりやすい日を毎回決めているのだが、暇な時期を選んでいるので一、二ヶ月も飛んでしまうこともあるそうだ。
ご婦人方は昼頃に旧安楽寺集会所へ集まって法華経を唱えている。
トーヤ制度もあるという氏子さん。
かつて聞き取りしたときはおんだ祭なんかとうに止めていると聞いていただけに、神社の祭礼が近くなったら電話したるわという声にすがりつく。
(H21.12. 8 Kiss Digtal N撮影)
桜井市の山間部にある北白木では毎年12月8日に勧請縄が掛けられる。
八日講といってこの日は村の人が集まって勧請縄を作っていく。
できあがった縄綱は山畑の中の木に括り付ける。
頭に御幣を取り付け、下げた松房飾りは三本で間に紙垂を挟んでいる。
眼下に川が流れている北白木の集落。
川下の西方から悪霊が入らないように勧請縄が掛けられる。
川が西に向いている近隣の村ではこのようにしているという。
一本の松房飾りの注連縄はもらって帰って、悪霊が家に入ってこんように門扉や門口の木にぶら下げる。
流行病は恐ろしいもの。
インフルエンザなんてものは、昔は知らなかった。
流行病を悪霊に例えて村や家を守ってきた勧請縄。
1軒減り、2軒減りと家が少のうなって配る注連縄は16本になってしまったと呟かれた。
(H21.12. 8 Kiss Digtal N撮影)
八日講といってこの日は村の人が集まって勧請縄を作っていく。
できあがった縄綱は山畑の中の木に括り付ける。
頭に御幣を取り付け、下げた松房飾りは三本で間に紙垂を挟んでいる。
眼下に川が流れている北白木の集落。
川下の西方から悪霊が入らないように勧請縄が掛けられる。
川が西に向いている近隣の村ではこのようにしているという。
一本の松房飾りの注連縄はもらって帰って、悪霊が家に入ってこんように門扉や門口の木にぶら下げる。
流行病は恐ろしいもの。
インフルエンザなんてものは、昔は知らなかった。
流行病を悪霊に例えて村や家を守ってきた勧請縄。
1軒減り、2軒減りと家が少のうなって配る注連縄は16本になってしまったと呟かれた。
(H21.12. 8 Kiss Digtal N撮影)
毎年12月8日は野垣内町春日若宮社の鞴(ふいご)祭。
一年神主の宮守さんは早朝から8本の「正一位八要姫稲荷大明神」幟を立てる。
境内を奇麗に清掃して、お神酒、洗米、塩などの5品を供える。
御供は本社の若宮社、摂社の住吉神社、多賀神社、伏見稲荷神社に八要姫稲荷、黒玉、福繁などの大明神へ奉った。
参拝に来られる方がいなくとも毎年こうしているという。
野垣内町に鎮座する春日若宮社は北鍛冶町、中鍛冶町、南鍛冶町の自治会が当番で清掃などの奉仕をしている。
鍛冶町の氏神さんになる住吉神社が当地に移転されていることから共に奉仕されている。
鍛冶町には近年まで一軒の鍛冶屋さんがあったという。
鞴(ふいご)祭はその名残であると思われるが幟は稲荷さん。
何らかの事情でそうなったのかもしれないが当時のことは判らないと宮守さんはいった。
(H21.12. 8 Kiss Digtal N撮影)
一年神主の宮守さんは早朝から8本の「正一位八要姫稲荷大明神」幟を立てる。
境内を奇麗に清掃して、お神酒、洗米、塩などの5品を供える。
御供は本社の若宮社、摂社の住吉神社、多賀神社、伏見稲荷神社に八要姫稲荷、黒玉、福繁などの大明神へ奉った。
参拝に来られる方がいなくとも毎年こうしているという。
野垣内町に鎮座する春日若宮社は北鍛冶町、中鍛冶町、南鍛冶町の自治会が当番で清掃などの奉仕をしている。
鍛冶町の氏神さんになる住吉神社が当地に移転されていることから共に奉仕されている。
鍛冶町には近年まで一軒の鍛冶屋さんがあったという。
鞴(ふいご)祭はその名残であると思われるが幟は稲荷さん。
何らかの事情でそうなったのかもしれないが当時のことは判らないと宮守さんはいった。
(H21.12. 8 Kiss Digtal N撮影)
1月7日は山の神参りの日。
都祁に行く道と室生に行く道の2カ所に山の神があって、朝がまだ明け切らんうちに各戸毎が参る。
ホウダイと呼ばれる藁棒を木に掛ける。
家の男の数だけ作って掛ける。
アズキやモチに洗いコメ、それに賽銭も供える。
カギヒキもしている。
自在鍵のような形のカギヒキの木はオツゲの木と決まっている。
3メートルぐらいある長さだという。
木に引っかけて「東の国からゼニ(銭)カネ、西の国からイトワザ(糸綿と思われ、着物のこと)持って、赤い牛に積んで、うちの蔵へどっさりこ」とカギヒキの唄を歌う。
それが済んだらお供えを持って帰って七草粥を作って食べる。
昼過ぎは極楽寺でオコナイをする。
子供がウルシ棒を叩いて「ダンジョウ」と叫ぶ。
お寺の廊下を叩いて穴が開いたくらい勢いが凄かった子供は少なくなった。
今は板を敷いてそこを叩いている。豊作を祈願するものだという。
正月初めに弓始めもある。
昔は1月19日と決まっていたが、集まりやすい成人の日の祝日にしている。
朝半ば、上出と下出のそれぞれの当番の家でしている。
時間が同じなので、両方を拝見するには2年もかかる。
豊作祈願にはアマヨロコビ、ウエツケがある。
それに田の虫送りもしているという。
たしか山添村では当地だけだったような気がする。
松明に火を点けて極楽寺から出発する。
太鼓叩いて村外れまで送っていく。
毎年夏至にしているそうだ。
昔の松明は樽を作った残りものの中身を使っていた。
油が出てよく燃えるのだという。
九十八夜(くじゅうはちや)があった。
ツツジが咲くころにごっつぉ(ご馳走)こさえて神野山の山のてっぺんへ登った。
四方八方から登ってきた者が集まって集団見合いをしていた。
山添は北野、都祁からは上深川、室生からは下笠間も登ってきた。
戦後の昭和30年ころまでしていたと笑顔で思い出される。
山ではキャンデー、ラムネに芋で作った飴も食べていた。
サッカリンの甘さは忘れもしないという。
当時は5月の13日やったという。
(H21.12. 1 Kiss Digtal N撮影)
都祁に行く道と室生に行く道の2カ所に山の神があって、朝がまだ明け切らんうちに各戸毎が参る。
ホウダイと呼ばれる藁棒を木に掛ける。
家の男の数だけ作って掛ける。
アズキやモチに洗いコメ、それに賽銭も供える。
カギヒキもしている。
自在鍵のような形のカギヒキの木はオツゲの木と決まっている。
3メートルぐらいある長さだという。
木に引っかけて「東の国からゼニ(銭)カネ、西の国からイトワザ(糸綿と思われ、着物のこと)持って、赤い牛に積んで、うちの蔵へどっさりこ」とカギヒキの唄を歌う。
それが済んだらお供えを持って帰って七草粥を作って食べる。
昼過ぎは極楽寺でオコナイをする。
子供がウルシ棒を叩いて「ダンジョウ」と叫ぶ。
お寺の廊下を叩いて穴が開いたくらい勢いが凄かった子供は少なくなった。
今は板を敷いてそこを叩いている。豊作を祈願するものだという。
正月初めに弓始めもある。
昔は1月19日と決まっていたが、集まりやすい成人の日の祝日にしている。
朝半ば、上出と下出のそれぞれの当番の家でしている。
時間が同じなので、両方を拝見するには2年もかかる。
豊作祈願にはアマヨロコビ、ウエツケがある。
それに田の虫送りもしているという。
たしか山添村では当地だけだったような気がする。
松明に火を点けて極楽寺から出発する。
太鼓叩いて村外れまで送っていく。
毎年夏至にしているそうだ。
昔の松明は樽を作った残りものの中身を使っていた。
油が出てよく燃えるのだという。
九十八夜(くじゅうはちや)があった。
ツツジが咲くころにごっつぉ(ご馳走)こさえて神野山の山のてっぺんへ登った。
四方八方から登ってきた者が集まって集団見合いをしていた。
山添は北野、都祁からは上深川、室生からは下笠間も登ってきた。
戦後の昭和30年ころまでしていたと笑顔で思い出される。
山ではキャンデー、ラムネに芋で作った飴も食べていた。
サッカリンの甘さは忘れもしないという。
当時は5月の13日やったという。
(H21.12. 1 Kiss Digtal N撮影)