マネジャーの休日余暇(ブログ版)

奈良の伝統行事や民俗、風習を採訪し紹介してます。
すべての写真、文は著作権がありますので無断転載はお断りします。

鴨神大西の行事

2010年11月30日 07時39分48秒 | 民俗あれこれ
金剛山麓は佐味郷(さみごう)と呼ばれている。御所市の西南部にあたる。

東佐味、西佐味、鴨神下、鴨神上の4大字を総称した地域の呼び名だ。

地元の人たちは「さみごう」が訛ってさらに短くなり「さび」と呼んでいる。

その一つにある鴨神の大西地区ではさまざまな講がある。

大師講、伊勢講、庚申講、などだ。

その他にも高鴨神社の祭礼があるし、あたご(愛宕)さんもある。

和歌山県の橋本から嫁いできたFさんの奥さんはあまりの多さに驚いたそうだ。

大西地区は20軒ほど。

近年には家庭の事情で村から引っ越した家が数軒。

一軒減り、二軒減りとますます寂しくなったと話すご主人。

講の維持が難しくなってきたという。

大師講は毎月21日にトヤの家に集まって営んでいた。

トヤの都合で日にちは度々変動する。

今月は22日の金曜になったが土曜、日曜が多いそうだ。

掛け軸を掲げてオソナエの「デン」(膳が訛った)を出していた。

デンは山の神の御供集めから戻ってきた子供にもあった。

トヤの家で食事をよばれたそうだ。

それは簡略化されてお菓子になった。

大師講のデンはアブラゲなどの精進料理にシロメシだった。

オヒラと呼ぶ平らなモチもあった。

現在は大幅に簡略化して100円ほどのお菓子とお茶にしているそうだ。

北と南地区のそれぞれで講を組んでいる。

伊勢講は数軒になった。

ところがトヤが回ってこない。

なんでも現トヤが送らないというのだ。

送れないという事情があるのだろう。

しかし送らなければ次のトヤへは移らない。

留まったままなのだという。

大師講もいずれ留まってしまうおそれがあると話す。

その大師講には講の山がある。

マブキ(間引きであろうか)と言って伐採もしないようになったそうだ。

木が売れない時代、いつしか荒れ果てた状態になったそうだ。

正月7日はシンギョがある。

天照大神の掛け軸を掲げたトヤの家に集まる。

そのトヤは7月24日のあたごさんにもあたっている。

ゴクツキをしてモチを作る。

それは愛宕さんの燈籠の前でゴクマキをする。

高鴨神社の祭礼に御幣の奉納がある。

その日はトヤの家でご馳走をよばれた。

たった2軒になってしまったが、御幣奉りだけは形式を残された。

そんな危機的状況を語ってくれたFさんの玄関には舘が置かれている。

お札を入れる舘だそうだ。

溜めたお札はとんどの日にここから取り出して燃やすという。

ここら辺りではもう1軒あるそうだ。

家を建て直したときにはその風習はしないというから貴重なものであろう。

Fさんの家は建て替えてから60年以上も経つ。

玄関脇には牛小屋があった。

牛は「エキ」と呼んでいた。

役牛が短くなった言葉であろう。

その牛には山の神に供えたアズキメシをやっていた。

家族同然なのだからと話す。

(H22.10.23 EOS40D撮影)

野遊び⑦in矢田丘陵

2010年11月29日 07時21分43秒 | 自然観察会
肌寒い朝になった。3ヶ月ぶりに参加した野遊び観察会。

間が空きすぎると何を持ってきてよいやら判らなくなるくらいだ。

調子も掴めず集合場所へ急ぐ。

案の定「久しぶりー」の言葉が返ってきた。

日曜日だと参加数が少ないからと土曜日にチェンジした秋の観察会。

蓋を開けてみればほぼ同じの少人数家族。

参観日と重なったそうだ。

10月はなにかとイベントが入っている。

どこをどうしても日程決めは難しい。

来月もクリーンキャンペーンが重なっている。

そういうわけで、本日の観察会はスタッフ13人を入れておよそ30数名となった。

秋を満喫しながら出発した。

水路を見ればなにやら動くもの。

目をこらせばそれはメダカだった。

田んぼにも居る。

稀少な魚はそっとしておく。



その水路でニョロニョロ動く一本の線。

流れでそうなっているかと思いきや引き上げてみれば動き回るハリガネムシだった。

形からして線形動物。

昨年の秋の観察会のときにはハロビロカマキリ(オオカマキリの場合もある)のお尻からでてきた。

お尻を水に浸けると出てくる。

いつも居てるわけじゃないから実物を目にすることは希だろう。

先生が「カマキリの気持ちになるにはみなさんのお腹に居ると思ってみること」と言われてもねー。

想像するだけで・・・です。

いずれにしてもハリガネムシは水分を好むということだ。

動物から植物へ気分転換しよう。



湿地になった畑地跡に群生するスイラン。

これも少なくなった植物だ。

美しい黄色花が秋色に映える。

ニガナやサワヒヨドリの花と相まって咲いている。

ブタナも咲いているが葉の形がまったく違う。

それぞれの秋の花は休耕田に移植されたコスモスと違って自然の色合いを感じる。



ここら辺りにはアキノノゲシも咲いていた。

クリーム色は「ここにも居るんだよ」と軽く主張するようで穏やかだ。

畦にはタカサブロウが咲いている。

稲作とともにやってきたとされているから相当古い帰化植物だ。

それにしても人物名のような名は覚えやすいが花となると・・・。

再び水路に目を向けた。



そこに居たのはザリガニ。

子持ちのザリガニだ。

老眼の私では小さくて見えない。

独り立ちはまだまだ。

そっと水路に返した。



その際には異様なものが目に入った。

鍾乳洞がここにある。

そんなことはない。

泥の氷柱だ。

なんでも珪藻が泥に絡まって、そこに草も加わった。ということらしい。

もう少し歩いてみよう。

出発地からはまだ数百メートルだ。



ヒヨドリバナの花はあっちこっちの方向に群がるような咲き方だ。

名前は煮ているがサワヒヨドリの花とは様そうが違う。

花つきはフジバカマに似ているが写真的にはこちらのほうが魅力的に写る。



その葉っぱにはホソヘリカメムシがたくさん住み着いている。

ヒヨドリバナの葉が好みなんだろうか。



その近くに赤トンボ(秋には顔、胸まで赤いナツアカネ♂でしょうか)が飛んできた。

小型のトンボだ。

アキアカネは夏にオレンジ色。

高原に居る。

秋は里に下りてきて色が真っ赤になるそうだが・・・。

秋の観察会はドングリとタデ仲間がメイン。

いつもなら飛びつくのだがなぜか気分がそっちに行かない。

レンズがそっちへ向かないのだ。

それはともかく、ここら辺りで咲くタデ類にはボントクタデ(葉に紋があり、ボンクラタデとも呼ぶらしい)、ヤナギタデ、サクラタデ、ミゾソバ(葉は牛面)、ヤノネグサ、イヌタデ、イシミカワ、ママコノシリヌグイなど。

ただサクラタデだけは美しい姿に魅了されてどうしてもシャッターを押してしまうのだ。

でっかい豆が目に入った。

ノアズキの豆だそうだ。

田んぼ道はまだまだ続く。



稲刈りをしていたご家族に聞いた。

事情があって田植えが2週間送れたそうだ。

そういえば10月に入ってからは盆地部の稲刈りは忙しくされていた。

それぞれの家庭には事情がある。

天候ももちろん左右される。

今週辺りは遅いほうになる。

家族総出の稲刈り。

新しい耕耘機がその一員となって働く。

田んぼの角は手刈りだ。

それは耕耘機が入れない場所。

あとで刈った稲を耕耘機に詰めていく。

セグロセキレイ、キセキレイ、ホオジロ、ジョウビタキなど野鳥たちがせわしく囀っている。

天空を見ればタカが舞っている。

先生によればノスリだそうだ。

私には点にしか見えない。

長タマ交換に手間取った。

そしてノスリは山の向こうに消えていった。

この辺りの野鳥調査をしている学生の話では4羽のサシバが上空を通り抜けていったそうだ。

ノコンギク、ホシアサガオ(ヒルガオ科)やハッカを見て山裾に入った。



糸トンボを追っかけしていた草むら。

そこには大きな花がある。

ホタルブクロにしちゃあ大きすぎる。

それは文様もあるツルニンジンだった。

葛城山系ではよく見られるが、これも稀少になっているそうだ。

ハッカもそうだしこの地そのものが稀少になってくるのではと思ってしまう。

ここまで来るのに直線で1キロメートル。

3時間かけての観察会はちょうど昼食時間となった。



下見のときに動物の足跡を発見したそうだ。

それははっきりと判る痕跡だ。

湿ったときに歩いた処は固く乾いた。

4センチメートルぐらいの足跡はアライグマだそうだ。いつの痕跡だろうか。

里山は黄色の花が咲き誇っている。

一面を彩るのはいわずとしれた帰化植物。

その僅かな隙間に残っていた稀少植物がオミナエシ。

数本しかない。

アキノキリンソウやワレモコウとともにそっとしておいてほしい。

でないとマムシさんが怒ってくるかも。

帰り道には二つの穴を発見した。

一つは藁の山の中の穴。

それはネズミだそうだ。

もう一つはザリガニの住処。

細い葉っぱを落としてみると食いついてきた。

日陰に咲くヤクシソウを見て戻ってきた。



道には提灯が掲げてある。

今日は宵宮だ。

旧道は神社へ行く参道だとされているが、家にはご神燈の提灯が見あたらない。

(H22.10.23 Kiss Digtal N撮影)

藤井三十八神社祭り宵宮

2010年11月28日 09時36分00秒 | 天理市へ
祭り宵宮の日は朝から忙しい当家のNさん。

天理市藤井の三十八(さんじゅうはち)神社の当家だ。

拝殿に提灯を掲げ、席などを作る。

長老の宮本6人衆と役員、当家の席だ。

実はNさんは前年の当家だった。

ところが当家を継いだのは長男だった。

N家としては2年連続の当家になった。

当家は村入りした順となっている。

その順に数え年が18歳になった長男がいるならばその子の家が当家になる。

当家を勤める人はトーニンと呼ばれている。

午前中は当家の家でヨバレがあった。

宮本6人衆と役員は接待を受ける。

パック詰め料理に代わったものの煮物料理は今でも続けている。

ドロイモ、ダイコン、コンニャク、チクワを煮た煮染め料理。

昔は相当な量を炊いた。

ドロイモは皮をめくる手間がいる。

バケツ三杯も分けてこしらえた。

余った料理は「送り膳」といって参拝できなかった家に配ったと区長の奥さんは話す。

接待の時間はモチを搗く時間でもある。

モチ作りを済ませた当家と6人衆。

ソウ(充てる漢字は素襖であろう)と呼ばれる衣装に着替える。

トーニンは白色、6人衆は紺色だ。

区長や役員は礼服になった。

トーニンはもう一人居る。

次の当家となる受け当家(ウケドと呼ぶ)だ。

受け当家はオトウトトーヤとも呼ばれている。

それに対して本当家はアニトーヤになる。

区長、神職を先頭に歩き出したお渡り。

トーニンは大きな御幣を持つ。

N家は道路を隔て村の外れ。

相当な距離を歩く。

杖をつく2人の長老は車で送られた。

ちなみにオトウトトーヤのUさんは自宅が神社の真ん前。

来年のお渡りはあっという間に着いてしまう。

神事が始まるころには村の人が集まりだした。

「みんな並んでや」と言われて拝殿前に立つ。

とはいっても顔はこわごわ。

お寺の梵鐘付近に蜂の巣があったのだ。

巣は除去したものの何匹も飛んでくる蜂。

網で採って除去する。

参拝どころではない様そうとなった。

拝殿から本殿に向かう階段には筵が敷かれた。



神職は祓えの儀、祝詞奏上、奉幣振りなど厳かに行っていく。

それが終われば撤饌となる。

参拝者は一列になってお供えを公民館に手渡しする。

そして始まった子供の相撲。

14歳までの男児が取り組む。

今年は2人。うち一人は学校を半ドンしてやってきた。

小学校の配慮である。

行司役を務めるのは当家がお願いした村人。



宮本の軍配を差し出して一本勝負。

土俵はブルーシートにマットだ。

動き回るからこれくらいの大きさの土俵が丁度いいそうだ。

一本を終えたら甘酒をいただく子供力士。

もう一本の勝負が待っている。

早くも結びの一番となった。

はっけいのこった。

押して押して勝負はつかず、引き分けの軍配がでた。

式典を終えて公民館では直会が始まった。

当家の家でよばれた煮染め料理もだされている。

甘酒やお神酒が注がれて料理をいただく。

すべてを終えると供えられた神饌のお下がりが分けられる。

ナシ、ミカン、カキ、ユズにマツタケまである。

それらは村入りした順に配られる。

(H22.10.20 EOS40D撮影)

図書館展示

2010年11月27日 08時11分31秒 | しゃしん
10月25日までの短期間だが大和郡山市立図書館で行事写真の展示があった。

前回のテーマは「子供」。

今回は「豊作の祈り」だ。



展示写真は秋祭りを中心に夏祭り、年越しなど33枚。

できる限り拝観してほしいと館内放送されたそうだ。

そうすると見学に来られた。

こういう配慮もいいがコマーシャルベースが効果的。

テレビ、新聞の取材があったそうだ。

翌日は休館日になるのでアップ日は考慮されたそうだ。

訪問した一時間後、またもや新聞取材があった。

おかげさまで前回よりは格段に集客できたという。

郡山にこんな行事があったことを知らなかった。

来てよかったという声が多く、花木恵子図書館館長は「古くから守り続けられている伝統を残す貴重な写真。地域の祭りや神事を知って土地への愛着につながってほしい」と話す。

図書館の初の試みは今後の展開に活きるのかもしれない。

(H22.10.18 SB932SH撮影)

山の恵み

2010年11月26日 08時37分33秒 | もらいもの・おくりもの
十津川から獲(採)れたてのシカ肉やイノシシ肉とともに原産マツタケが送られてきた。

例年お世話になっている民宿津川さんからだ。

84歳の親父さんは鉄砲持って山に入った。

最近はクマが出没する。

川でアマゴを釣っていたら川原にクマが現れたそうだ。

それを間近に見た親父さん。

怖くなって入山は遠慮していた。

近所の人がマツタケを持ってきたことから気持ちは押さえきれずに山に向かった。

クマが出るから入山者は少ない。

危険を伴うからだ。

山を下りてきた親父さんは山の恵みを持っていた。

冷蔵パックで知り合いに送ったという。

お礼の電話をかけて今夜のすき焼きの具材を買いに行こうとした。

ところがエンジンがかからない。

バッテリーが切れているのだ。

数日前から運転席側の窓ガラスが開閉しなくなっていた。

スイッチが壊れて動かない。

たまに動いたら今度は閉まらない。

これではノンセキュリティだ。

仕方なく動作しないようにロックしておいた。

なのにエンジンをかけたときに窓ガラスが動く。

スイッチが入ったままなのであろう。

一晩停めた結果がこれだ。

買い出しに行けなくなった。

山の神の恵みが口に入るのは一日おあずけになったがこの晩のすき焼きは一年でもっとも豪華になった。

後日にはおばちゃんからの知恵をもらってショウガ汁とニンニクを下味にして唐揚げにした。

これは美味だ。

一挙にイノシシ肉も、というわけにはいかない。

数週間後に味噌仕立ての鍋の具材になった。

スライス肉が特に美味かった。

山の恵みはありがたい我が家のご馳走になった。

(H22.10.18 EOS40D撮影)

切幡神明神社秋大祭

2010年11月25日 07時40分55秒 | 山添村へ
元々は16日が祭礼の日だった山添村切幡の神明神社の大祭。

上出と下出の両垣内の氏子たちが集まりやすい第三日曜に移った。

本殿には提灯を設えてお供えを吊している。

フクラシの木に吊ったカマスは6匹。

それは合計4本ある。

拝殿から一段高い位置にある本殿の前には鳥居がある。

そこには柚の実を付けた木を括っている。

村人の参拝接待に供される甘酒は桶に入れている。

それを運ぶのは当屋の息子たち。

参籠所の廊下に受付台を設けた。

そのころ出発した上出のお渡り一行。

御幣を持つ村の神主を先頭に大当屋と相当屋の二人。

いずれも白衣の衣装で御幣を持つ。

後列には和服や礼服衣装の氏子たちが続く。

彼らは小さな御幣を手にした。

川つたいの旧道をお渡りする一行。



一目見ようと村の人が出迎える。

特に決まりはないがこの年は上出が最初に神社に着いた。



そのころ下出は出発していた。

同じように旧道を渡ってきた。

御幣を持つ村の神主は白衣、二人の当屋は羽織袴姿。

サカキの木も持っている。

両垣内とも御幣は欠かせない。



神社では可愛い姿のお稚児さんが迎えてくれた。

祭りは華やかさを保った。

御幣は拝殿横に置いて参拝する。



それを済まして甘酒をいただく。

右手は上出で杯は黒色だ。

左手は下出で杯は朱色。

甘酒が注がれているそれぞれの杯を手にして口に入れた。

微妙に味は違うが、大差はなくいずれも美味しい甘酒だ。

そして御供のモチを一個いただく。



参籠所には座衆が座った。

神職を迎えて神事は始まった。

拝殿に入るのは右手が神主と上出の当屋と区長。

左手は氏子総代役員と下出の当屋。

祓いの儀など賑々しく神事が行われた。

その間、ご婦人や子供たちは境内で参拝する。

それが終われば神事相撲に移る。

まず上出の神主と当屋が拝殿から筵を登っていった。

その際には藁草履に履き替える。



3人は氏神さんに向かって拝礼したのち2人の力士が肩を組み合った。

左に三回ぐるぐる回る。

そして甘酒を一杯口にする。

その次は右に三回ぐるぐる回る。

同じように杯に注がれた甘酒を飲む。

これで奉納相撲を終えた。



次は下出の出番だ。

所作は同じだ。

これらの所作は参籠所からはまったく見えない。

拝殿の向こう側の本殿はまったく見えないのである。

見たこともない人は大勢居る。

当屋経験者でない限り判らない神事相撲だ。

今回は神主に特別許可を得て撮影させていただいた。

この場を借りて感謝申し上げる次第だ。

すべてが終われば参籠所で直会。

神主が接待するいつものアズキメシをテゴク(手御供)でよばれる。

お神酒も入ってなごやかムードになった。

(H22.10.17 EOS40D撮影)

瓦崩れ

2010年11月24日 08時35分20秒 | ぽつりと
樋の点検、泥落とし作業が3千円の価格に飛びついたかーさん。

先日にその作業をしてもらったら、屋根瓦がどえらい状態になっていることの報告を受けた。

2階の部屋から見える1階の屋根。

のぞき見ればたしかにどえらい状態だ。

1階は切り妻屋根。

両サイドの瓦のいたるところが破損している。

漆喰は剥がれている。

手前はなんともない。

南側の屋根を見てもそんな状態は発生していない。

北側だけなのだ。

業者に言わせると漆喰部分の中は水分がたっぷりあるそうだ。

おそらくその水分の関係でその付近の瓦が風化現象になっているようだ。

これではいつか雨漏りになってしまうであろう。

発覚したら放置するわけにはいかない。

見積もりをとって修理してもらった。

新築入居当時に発生した雨漏り。

そのときの補修が今頃になって発覚したのだが20年以上も前のこと。

よくまあ保ったものだと感心する。

しかしだ。

2階の屋根は費用の関係で未だ手つかず。

補修はしたくとも原資はない。

引き込み下水も費用を捻出できず発注していない。

どうしたらいいのだろうかと悩んでみてもお金はどこにも落ちていない。

(H22.10.17 EOS40D撮影)

中ノ川の行事

2010年11月23日 08時35分09秒 | 奈良市(東部)へ
中ノ川ではかつて虫送りをしていた。

それは戦前までしていたそうだ。

注目すべき行事にオコナイがあげられる。

毎年2月18日のことだ。

トーヤと5人衆が集まってくる。

午前中にモチを搗く。

けっこうな量だという。

それは平たいモチを6段に積んだ重ねモチ。

観音寺の祭壇にずらりと並べる。

ヒバの葉の上に乗せるらしい。

先を三つ又にした竹に挟んだごーさんのお札。

観音寺と墨書したお札は朱印を押した牛王宝印の書だ。

初祈祷だともいう行事は十一面観音悔過法要。

本尊にシキビと灯明をあげる。

導師は徳融寺のご住職。

導師が立ち上がるとトーヤは太鼓とホラ貝を鳴らす。

そのとき5人衆はカワヤナギの木を座敷に敷いた板を叩く。

これをランジョーと呼んでいる。

かつては子供たちが縁叩きもしていたそうだ。

終わったらごーさんが配られる。

余ったものはお堂に納めて翌年の見本にするのだと一本を見せていただいた。

このごーさんは苗代を作ったときに水口に挿していた。

花も飾った。季節がらモチツツジだったそうだ。

そうだというのも苗を作らなくなったので畑でもしようかと思い出された。

オコナイは長らく途絶えていた。

それは10年ほど前に復活したという。

8月21日には風の祈祷もされている。

百万遍数珠繰りをするというからお寺の行事なのであろう。

(H22.10.16 EOS40D撮影)

中ノ川三社神社宵宮

2010年11月22日 07時49分29秒 | 奈良市(東部)へ
奈良市から浄瑠璃時に向かう街道にある中ノ川町。

全戸20軒ほどの集落は市街から数キロメートルしか離れていないのに山間農村の佇まいをみせる。

村の奥に鎮座するのは氏神さんを祀る三社神社だ。

アマテラスオオミカミ、八幡さん、春日さんを1社で祀っている。

境内からは急な石段で上がる。

それも本殿前で折れ曲がったような回廊だ。

その天井板には寄進した人の名が記されている。

提灯を設えて灯りを点けた。

燈籠にはローソクを点す。

今夜は氏神座流の宵宮だ。

長男が数え年15歳になれば座入りする。

それは12月6日の座入り儀式で認められ、すぐさま次の祭りには参列することができるのだ。

婿養子が村入りした場合も座入りする。

そうなれば座入りした順は年齢が逆転することもあるそうだ。

祭りを営むのはトーヤの5人。

32軒で回っているトーヤたちだ。

座の最年長者から5人は5人衆と呼ばれている。

5人衆のうち一番若い人が村の神主となって村の祭祀を司る。

年長者が引退しない限りそれは代わらない。

上着に羽織を着た5人衆。本殿の前に立った。

トーヤたちも並ぶが狭い本殿前にはそれほど多くの人たちは入ることはできない。

回廊下の階段に立つ。

夜中の神事が粛々と行われたあとは旧観音堂の座敷に座る。

上座は神職と長老たち。

周りは氏子。座敷外にはトーヤたち。



酒器とカワラケを持ったトーヤは二手に分かれて酒を注いでいく。

中身は甘酒だ。

一杯いただいて一旦引き上げるトーヤ。

今度は塗りの椀に器を替えて差し出した。

同じように回って酌していく。

そしてトーヤの一人が口上した。

「もう一献 さしあげましょうか」と口上すれば「いやもうけっこうです」と返ってきた。

大切な儀式の口上は最年少者が行った。

その後は緊張感もときほぐれてお下がりのお供えを肴に酒宴となった。

宵宮の夜は深々と更けていく。

(H22.10.16 EOS40D撮影)

山添村春日若宮神社饗宴のモッソ

2010年11月21日 07時19分28秒 | 山添村へ
山添村の春日のおとな祭りでだされるモッソ。

キョウメシともいう。

古式ゆかしく口上を述べてその都度饗応膳を配膳される。

この膳、若宮さんに供えたモッソをクロモジの箸で少しずつ分けてオトナ衆に配られるのだ。

椀は生イワシやナスビ、サトイモ、ゴボウを煮たもの。

祭典のときに六人衆が汁ものとして配膳される。

数年間通い続けてきた祭典。

この年も変わっていなかったことに安堵する。

詳しくは淡交社から出版させていただいた「奈良大和路の年中行事(177頁~179頁)」に紹介させていただいているので拝読してくださればありがたい。

(H22.10.16 EOS40D撮影)