金剛山麓は佐味郷(さみごう)と呼ばれている。御所市の西南部にあたる。
東佐味、西佐味、鴨神下、鴨神上の4大字を総称した地域の呼び名だ。
地元の人たちは「さみごう」が訛ってさらに短くなり「さび」と呼んでいる。
その一つにある鴨神の大西地区ではさまざまな講がある。
大師講、伊勢講、庚申講、などだ。
その他にも高鴨神社の祭礼があるし、あたご(愛宕)さんもある。
和歌山県の橋本から嫁いできたFさんの奥さんはあまりの多さに驚いたそうだ。
大西地区は20軒ほど。
近年には家庭の事情で村から引っ越した家が数軒。
一軒減り、二軒減りとますます寂しくなったと話すご主人。
講の維持が難しくなってきたという。
大師講は毎月21日にトヤの家に集まって営んでいた。
トヤの都合で日にちは度々変動する。
今月は22日の金曜になったが土曜、日曜が多いそうだ。
掛け軸を掲げてオソナエの「デン」(膳が訛った)を出していた。
デンは山の神の御供集めから戻ってきた子供にもあった。
トヤの家で食事をよばれたそうだ。
それは簡略化されてお菓子になった。
大師講のデンはアブラゲなどの精進料理にシロメシだった。
オヒラと呼ぶ平らなモチもあった。
現在は大幅に簡略化して100円ほどのお菓子とお茶にしているそうだ。
北と南地区のそれぞれで講を組んでいる。
伊勢講は数軒になった。
ところがトヤが回ってこない。
なんでも現トヤが送らないというのだ。
送れないという事情があるのだろう。
しかし送らなければ次のトヤへは移らない。
留まったままなのだという。
大師講もいずれ留まってしまうおそれがあると話す。
その大師講には講の山がある。
マブキ(間引きであろうか)と言って伐採もしないようになったそうだ。
木が売れない時代、いつしか荒れ果てた状態になったそうだ。
正月7日はシンギョがある。
天照大神の掛け軸を掲げたトヤの家に集まる。
そのトヤは7月24日のあたごさんにもあたっている。
ゴクツキをしてモチを作る。
それは愛宕さんの燈籠の前でゴクマキをする。
高鴨神社の祭礼に御幣の奉納がある。
その日はトヤの家でご馳走をよばれた。
たった2軒になってしまったが、御幣奉りだけは形式を残された。
そんな危機的状況を語ってくれたFさんの玄関には舘が置かれている。
お札を入れる舘だそうだ。
溜めたお札はとんどの日にここから取り出して燃やすという。
ここら辺りではもう1軒あるそうだ。
家を建て直したときにはその風習はしないというから貴重なものであろう。
Fさんの家は建て替えてから60年以上も経つ。
玄関脇には牛小屋があった。
牛は「エキ」と呼んでいた。
役牛が短くなった言葉であろう。
その牛には山の神に供えたアズキメシをやっていた。
家族同然なのだからと話す。
(H22.10.23 EOS40D撮影)
東佐味、西佐味、鴨神下、鴨神上の4大字を総称した地域の呼び名だ。
地元の人たちは「さみごう」が訛ってさらに短くなり「さび」と呼んでいる。
その一つにある鴨神の大西地区ではさまざまな講がある。
大師講、伊勢講、庚申講、などだ。
その他にも高鴨神社の祭礼があるし、あたご(愛宕)さんもある。
和歌山県の橋本から嫁いできたFさんの奥さんはあまりの多さに驚いたそうだ。
大西地区は20軒ほど。
近年には家庭の事情で村から引っ越した家が数軒。
一軒減り、二軒減りとますます寂しくなったと話すご主人。
講の維持が難しくなってきたという。
大師講は毎月21日にトヤの家に集まって営んでいた。
トヤの都合で日にちは度々変動する。
今月は22日の金曜になったが土曜、日曜が多いそうだ。
掛け軸を掲げてオソナエの「デン」(膳が訛った)を出していた。
デンは山の神の御供集めから戻ってきた子供にもあった。
トヤの家で食事をよばれたそうだ。
それは簡略化されてお菓子になった。
大師講のデンはアブラゲなどの精進料理にシロメシだった。
オヒラと呼ぶ平らなモチもあった。
現在は大幅に簡略化して100円ほどのお菓子とお茶にしているそうだ。
北と南地区のそれぞれで講を組んでいる。
伊勢講は数軒になった。
ところがトヤが回ってこない。
なんでも現トヤが送らないというのだ。
送れないという事情があるのだろう。
しかし送らなければ次のトヤへは移らない。
留まったままなのだという。
大師講もいずれ留まってしまうおそれがあると話す。
その大師講には講の山がある。
マブキ(間引きであろうか)と言って伐採もしないようになったそうだ。
木が売れない時代、いつしか荒れ果てた状態になったそうだ。
正月7日はシンギョがある。
天照大神の掛け軸を掲げたトヤの家に集まる。
そのトヤは7月24日のあたごさんにもあたっている。
ゴクツキをしてモチを作る。
それは愛宕さんの燈籠の前でゴクマキをする。
高鴨神社の祭礼に御幣の奉納がある。
その日はトヤの家でご馳走をよばれた。
たった2軒になってしまったが、御幣奉りだけは形式を残された。
そんな危機的状況を語ってくれたFさんの玄関には舘が置かれている。
お札を入れる舘だそうだ。
溜めたお札はとんどの日にここから取り出して燃やすという。
ここら辺りではもう1軒あるそうだ。
家を建て直したときにはその風習はしないというから貴重なものであろう。
Fさんの家は建て替えてから60年以上も経つ。
玄関脇には牛小屋があった。
牛は「エキ」と呼んでいた。
役牛が短くなった言葉であろう。
その牛には山の神に供えたアズキメシをやっていた。
家族同然なのだからと話す。
(H22.10.23 EOS40D撮影)