昼の膳をいただく頃に到着した注文品。
会所に揚げる提灯が届いたのだ。
神社御神燈を見本にして作ってもらった新たな提灯。
当家の証しにと考えて掲げたのである。
改正後に初の場となった会所の出入り口に葉付きの笹竹を立てて注連縄を張った。
これもまた、当家の証しに、である。
出発までは1時間余り、談笑する余裕すら感じる昼の膳をよばれたあとは渡人の衣装替え。
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着付けは婦人の仕事であるのはどことも同じようだ。
「オトコ結って難しいんだわ」と云いながら着付けをしていく婦人たち。
正装となる素襖に烏帽子を被る。
慣れない姿で一列に並んだ渡人。
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何度も何度も繰り返して作法を覚える。
いよいよ出幸である。
始めの行き先は氏神さんを祀る八幡神社。
一老を先頭にお渡りをする。
その距離と云えば10mほど。
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あっという間に着いて鳥居を潜る。
神社拝殿前で一礼をした渡人は拝殿に登る。
拝殿は峰寺六所神社の拝殿と同じような場である。
座る位置も決まっている。
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二老の「弓」、五老の「グワシャグワシャ」、八老の「小鼓」を奉納する。
これを「立ち舞い」と呼んでいた。
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その様子を見守る手伝いの親戚筋は記念に写真を撮っておられた。
六所神社へ到着する時間は決まっている。
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その時間に間に合うように出発する時間を調整する渡人は余裕さえみられる表情になって腰を下ろす。
満願の笑顔はお参りを済ませてから、半分残して出発した。
8人の渡人は決まっている道具を持つ。
一老・二老は弓、三老・四老はグワシヤグワシヤ、五老は笛、六老は太鼓、七老も笛、八老が鼓である。
お渡りは歩いて出向く。
向かう地は的野の地区。
八幡神社が鎮座する南垣内から川沿いの下出、上出の下、大谷出までのお渡りだ。
南北朝時代の作とされる不動明王の磨崖仏がある傍を通っていく。
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下駄の音に混じって鳴りものの音色が村に届けば、何人かの村人が見送ってくださる。
大字的野から大字峰寺の六所神社までの徒歩時間はおよそ40分もかかる。
大谷出からは民家も見られない。
前年に当家を勤めた外れ地の峰寺からは急こう配の峠道。
ずいぶんと遠いことから車に乗って移動する。
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降りた場所は峰寺の六所神社の付近だ。
六所神社に着いた渡人は鳥居下で横一列になる。
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まずはとジンパイをして、清めの手水にもう一回。
そして石段を登る。
拝殿前で拝礼をするとともにジンパイをする。
三カ大字の宮総代らが集まっている長屋(会所とも)の参籠所を登る。
菰を敷いた席に座って頭を下げる。
「宵宮でお渡りしました」と挨拶、口上を述べてから肴とお酒が運ばれる。
肴の料理は鶏のカラアゲ、カマボコ、コーヤドーフ、コンブ巻きに大きな豆の五種。
例年通りの肴である。
酒を飲むなどしばらくは宮方の慰労の時間。
お神酒をいただき、一同は「ご馳走さまでした これよりジンパイをさせていただきます」と伝えて披露する。
これも神事における一連の作法であろう。
こうして三カ大字の宮方に披露をされたあとは拝殿前で一礼・立ち舞いのジンパイを3度捧げて登る。
拝殿中央を空けて着座した渡人たちはジンパイの奉納に移る。
拝殿に座る渡人の位置は決まっている。
神さん側から見た順に右から一老・二老の弓と三老・四老のグワシャグワシャ。
左側には太鼓、二人の笛、鼓となる。
一老は「ジンマイ(ジンパイ)を奉納させていただきます」と口上を述べて作法をする。
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これまで会所で練習を重ねてきたジンパイ。
弓、グワシャグワシャ、鼓の三役は心を込めて神さんに奉納する。
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拝殿前で一列になって仕舞いのジンパイで締めた。
こうして宵宮の奉納ジンパイを終えた渡人たちはお渡りをしてきた山道を戻っていく。
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鳴り物を鳴らして作法をしながらである。
峰寺の住民も手を合わせて見送ってくれる帰還は行きと同じように車で戻っていった。
会所に着けば廊下側から上がる。
決して玄関からは入らないのである。
その夜は当家がもてなす夜の膳。
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慰労を込めて盛りつけられた膳で会食する前にお礼を述べる総代。
村の改正をもって初めての場となった経緯も伝えられた。
(H25.10.14 EOS40D撮影)
会所に揚げる提灯が届いたのだ。
神社御神燈を見本にして作ってもらった新たな提灯。
当家の証しにと考えて掲げたのである。
改正後に初の場となった会所の出入り口に葉付きの笹竹を立てて注連縄を張った。
これもまた、当家の証しに、である。
出発までは1時間余り、談笑する余裕すら感じる昼の膳をよばれたあとは渡人の衣装替え。
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着付けは婦人の仕事であるのはどことも同じようだ。
「オトコ結って難しいんだわ」と云いながら着付けをしていく婦人たち。
正装となる素襖に烏帽子を被る。
慣れない姿で一列に並んだ渡人。
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何度も何度も繰り返して作法を覚える。
いよいよ出幸である。
始めの行き先は氏神さんを祀る八幡神社。
一老を先頭にお渡りをする。
その距離と云えば10mほど。
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あっという間に着いて鳥居を潜る。
神社拝殿前で一礼をした渡人は拝殿に登る。
拝殿は峰寺六所神社の拝殿と同じような場である。
座る位置も決まっている。
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二老の「弓」、五老の「グワシャグワシャ」、八老の「小鼓」を奉納する。
これを「立ち舞い」と呼んでいた。
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その様子を見守る手伝いの親戚筋は記念に写真を撮っておられた。
六所神社へ到着する時間は決まっている。
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その時間に間に合うように出発する時間を調整する渡人は余裕さえみられる表情になって腰を下ろす。
満願の笑顔はお参りを済ませてから、半分残して出発した。
8人の渡人は決まっている道具を持つ。
一老・二老は弓、三老・四老はグワシヤグワシヤ、五老は笛、六老は太鼓、七老も笛、八老が鼓である。
お渡りは歩いて出向く。
向かう地は的野の地区。
八幡神社が鎮座する南垣内から川沿いの下出、上出の下、大谷出までのお渡りだ。
南北朝時代の作とされる不動明王の磨崖仏がある傍を通っていく。
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下駄の音に混じって鳴りものの音色が村に届けば、何人かの村人が見送ってくださる。
大字的野から大字峰寺の六所神社までの徒歩時間はおよそ40分もかかる。
大谷出からは民家も見られない。
前年に当家を勤めた外れ地の峰寺からは急こう配の峠道。
ずいぶんと遠いことから車に乗って移動する。
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降りた場所は峰寺の六所神社の付近だ。
六所神社に着いた渡人は鳥居下で横一列になる。
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まずはとジンパイをして、清めの手水にもう一回。
そして石段を登る。
拝殿前で拝礼をするとともにジンパイをする。
三カ大字の宮総代らが集まっている長屋(会所とも)の参籠所を登る。
菰を敷いた席に座って頭を下げる。
「宵宮でお渡りしました」と挨拶、口上を述べてから肴とお酒が運ばれる。
肴の料理は鶏のカラアゲ、カマボコ、コーヤドーフ、コンブ巻きに大きな豆の五種。
例年通りの肴である。
酒を飲むなどしばらくは宮方の慰労の時間。
お神酒をいただき、一同は「ご馳走さまでした これよりジンパイをさせていただきます」と伝えて披露する。
これも神事における一連の作法であろう。
こうして三カ大字の宮方に披露をされたあとは拝殿前で一礼・立ち舞いのジンパイを3度捧げて登る。
拝殿中央を空けて着座した渡人たちはジンパイの奉納に移る。
拝殿に座る渡人の位置は決まっている。
神さん側から見た順に右から一老・二老の弓と三老・四老のグワシャグワシャ。
左側には太鼓、二人の笛、鼓となる。
一老は「ジンマイ(ジンパイ)を奉納させていただきます」と口上を述べて作法をする。
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これまで会所で練習を重ねてきたジンパイ。
弓、グワシャグワシャ、鼓の三役は心を込めて神さんに奉納する。
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拝殿前で一列になって仕舞いのジンパイで締めた。
こうして宵宮の奉納ジンパイを終えた渡人たちはお渡りをしてきた山道を戻っていく。
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鳴り物を鳴らして作法をしながらである。
峰寺の住民も手を合わせて見送ってくれる帰還は行きと同じように車で戻っていった。
会所に着けば廊下側から上がる。
決して玄関からは入らないのである。
その夜は当家がもてなす夜の膳。
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慰労を込めて盛りつけられた膳で会食する前にお礼を述べる総代。
村の改正をもって初めての場となった経緯も伝えられた。
(H25.10.14 EOS40D撮影)