サクラの名所巡りの続きをするつもりだったところ、「今は桜でなくて桃でしょう」と近所の方。予定を変更して、お薦めの『新府桃源郷』に行ってきました。
桃源郷を味わうには甲府盆地まで行かなくてはならないと思い込んでいましたが、韮崎市の七里岩上方の台地にある桃畑は地元以外でも結構有名な所だったようで、昼過ぎに行った時には30台近い車で駐車場はほぼいっぱいでした。
約60ヘクタールもの広さがあるという桃畑は、ピンクの花が一面に咲き誇る美しさは勿論のこと、四方に鳳凰三山、茅ケ岳、八ヶ岳、富士山を臨めるという素晴らしい『桃源郷』。
今年は雪解けが早かったことと、今日は富士山が雲に隠れていたことが残念なところで、富士山の写真は韮崎市観光協会のサイトから拝借しています。
満開直後が摘花の時期だそうで、そこここで踏み台の上で作業する人達を見かけました。桃の木の形状が低めに揃っているのは生産農家ならのものなのですね。
写真の桃畑の向こうに見える、山桜が咲いている小高い山が、武田氏最後の城である新府城の跡です。
桃畑と山の間に県道が走っていて駐車場が共通なので、新府城跡にもついでに行ってみることにしました。
新府城は、武田勝頼が七里岩の断崖絶壁を利用して築いた戦国時代末期の城郭で、国の指定文化財(史跡)。
航空写真は韮崎市のサイトより拝借。掲示板の絵を90度左回転させた状態ですが、立地の凄みが分かります。
県道から続く249段もの長い石段を上ると、本丸跡に勝頼公を祭る新府藤武神社が建っていました。
お花見が目的で、新府城については何も調べて行かなかったのですが、「武田家の甲州流築城技術の集大成の城郭」と評されていることを後で知って、またじっくり歩いてみたくなりました。
敷地の端からは、遠くに八ヶ岳が聳え、眼下にはさっきまで歩いていた『桃源郷』が広がっていました。
緩やかな傾斜のある広い桃畑を気持ちよく歩き回ったところまでは良かったのですが、そのあとの長い石段の登りが結構きつくて、上に着く頃には足が攣りかけていました。完全に運動不足。
見通しは全く立っていないながら、コロナ終息後の友人達との年2回の山歩きに備えて、もっと鍛えておかなければと決意を新たにした一日になりました。(四女)