「だもんで」は「なので」や「だから」の意。
例文
「ねぶそく だもんで ねむい」=「寝不足なので眠い」
「めんどう だもんで いくの やめた」=「面倒だから行くのを止めた」
「ひま だもんで かいもん に いって きた」=「暇だから買い物に行ってきた」
「あめふり だもんで えんそく が ちゅうしに なっちまった」=「雨降りなので遠足が中止になってしまった」
「こども が びょうき だもんで きょう は そうたい させて おくりや」=「子供が病気なので今日は早退させてください」
「なんしろ うちの がきゃー やんちゃ だもんで いつも きずだらけ せ」=「何しろ我が家の餓鬼はやんちゃなのでいつも傷だらけです」
「おめー の こん だもんで きっと たすけに きてくれる と おもってた」=「お前の事だからきっと助けに来てくれると思ってた」
「きょうは かあちゃん の めいにち だもんで おはかまいり に いってきた」=「今日は母ちゃんの命日だからお墓参りに行ってきた」
「あしたは にちようび だもんで こども つれて すきー に いこう かと おもっている だいね」=「明日は日曜日なので子供を連れてスキーに行こうと思っているのですよ」
叱咤されたのを思い出します。
会話の中では接続詞みたいなもので、「だもんでせー」、「だもんで あれせー」等と使っています。
松本市の今朝は雨が降っています。
このところカラッと晴れた青空を見る事が出来ていません。
こちらの方では本来使わないと思われる「だもんで」が
違和感無く、自分もたまに使っているような?
本来大阪地方では「だっさかい」?「せやさかい」「そやさかい」等を使うと思います。
文章中では「腹減ってしもたさかいに」と使うのかな なぜか”さかい”です。
何れにしても、テレビやラジオが話し言葉に及ぼす影響は大きいですね。
その根底にはいなかっぺに見られたくないという気持ちがあり、方言は隠したいもの、恥ずかしいものという気持ちが何処かにあるのだとおもいます。
最近ね東京人と話していても松本弁を使っている自分に時々気がつくことがあります。
ネットサーフィンしていてたどりつきました。
伯母が松本市に住んでいます。
「だもんで」はなつかしい響きがあります。
「・・・だで」
なども聞きます。
そろそろお盆で、親戚が集まる頃ですね。
私は遠くに住んでいる親戚の子供から「だのおじちゃん」というニックネームをいただきました。
これは言葉の最後に「だ」をつけて話していたためです。
そんなことしちゃーいけないだ
ちゃんとかたづけしなきゃーいけないだ
そうだだ
などと自分では感じていなかったのですが、かなり「だ」をつけて話していたようです。
小さい子供の観察力はとてもすごくて、最後は「だのおじちゃん」になってしまいました。
お盆には松本の地に里帰りする方も多いと思いますが、知らず知らずのうちに松本弁を使っている自分に気がつく方も多いのではないかと思います。