1月30日 唐橋東詰め下で撮影しました。
撮影の数日前にダンボールでシェルターの
ようなものが丁寧に組み立てられていました。
脇にレジ袋が置いてあったので、正直に言えば
あまり汚いものを集めてくれないといいけど。
と、不快感を持ちました。
そして、しばらくして通りがかるとこの状態で、貼紙がしてありました。
ダンボールの家の上の画像以外の壊された部分が脇によけてありました。
とても、速やかに警告は功を奏し、「家」は持ち主によって壊されたのか
貼紙が貼られた時に、あらかた用を成さないまでにされたのか、わかりません。
でも、私にここを撮る気にさせたのは、あくまでも人がそこで寝食し
雨露や寒さをしのごうとしていたことを無視した貼紙の事務的な文面でした。
撮影したものの、私自身このことにどう思っているのか、考えているのか。。。
今回の長居公園の一連の報道を見て、この身近なひそかに起こり、数日間の間に
跡形もなくなった出来事をUPする気になりました。
公共の場に、居を構えてしまうことがいいこととは思いませんが、
「世界陸上を前に・・・」強制撤去というのも、嫌なものを感じます。
長居公園の場合、6ヶ月間の期限付きで代替の住居を提示しても、それが解決策には
なりえないとニュースキャスターも語っていましたが、TVカメラの届かないところでは、
もっと何の保障も保護もなく追いやられている人がいます。
正に、「臭いものにフタをする」。
何も建設的なものが見えません。
そこに命があることを知っているくせに「工作物」と処理する事務屋。すごいですね。
あちら側の人間(仕事)にならなくて良かった。^-^
家のある私と外で暮らす人とは紙一重だと、私は(薄給の身には分不相応な)美味しいものを口にしつつ、いつも忘れないようにしています。
>家のある私と外で暮らす人とは紙一重
ちょっとした人生の歯車、あるいはボタンの掛け違いで・・・
私もそういう意識をいつも持っています。
贅沢も平和もすぐ慣れて驕ってしまいがちになるけど
それらを偶然甘受している立場にいられるものは自分の
力だけでそれがあると思って感謝を忘れ、そうでない人
たちに傲慢になることは恥ずかしい、情けないことだと
思います。
どうして家を出たのか、その背景にあるものはさまざまだと思いますが…。
ただひとつ確かなのは、Hermitさんがコメントでおっしゃっていたように、どのような立場にある人たちに対しても、「傲慢になること」は「恥ずかしいことだ」という点に尽きると思いました。
環境、経歴、個人の資質・・・一人ひとりの人間に
目を向けないと、本当の対策は生まれないように
思います。
あるいは逆に、社会全体のゆがみが矯正されれば
教育問題や家のない人たちの問題も自然に解消されて
いるかもしれない。。。なんて、思います。