園長のつぶやき

こんにちは 長坂保育園の園長です。日々成長する子ども達を見ながら、日頃の思いを綴ります。

八戸温泉

2009-12-20 16:55:04 | 日記
園長です。
 寒くなると家の風呂ではなく温泉に入りたくなります。私の家から一番近い温泉は八戸ニュータウンの「沢里の湯」ですが、ここは入浴料金が600円と少し高いので、最近は2番目に近い「八戸温泉」に行くことが多くなりました。ここは八戸駅に行く途中にある温泉で、家から5分くらいで行けます。しかし、この温泉は知り合いも多く来ているので、気が抜けないところでもあります。特にサウナに入っているときに「園長先生」と話しかけられても困ることがあります。サウナって静かにしているので、話がみんなに聞こえてしまうので、「ここだけの話ですよ・・」なんて言う会話は成立しません。この温泉は2年くらい前に新装改築したのですが、私は昔の建物のほうが良かったと思います。確かに泥臭いにおいはしましたが、ひなびた温泉の雰囲気が漂っていて、安心して入れる気軽さがあったと思います。さて、この温泉は強食塩泉でかなりしょっぱい温泉です。その分湯冷めがしにくくいつまでもポカポカと体が火照っています。湯船は5つあり、基本的には「ぬる湯源泉」と「あつ湯源泉」に分かれ、電気風呂、寝湯、水風呂があります。私は「ぬる湯源泉」が好きで、まず15分くらいじっくり温まります。その後サウナ、水風呂を繰り返し、最後は「あつ湯源泉」で仕上げます。家へ帰ってもまだ体がポカポカしています。私はぬるいお湯に入りながらいろんなことを考えるのが好きです。最近は健康のことを考えることが多くなりました。考えても実行に移せないことが多いのですが、ここ1年くらい先輩や同級生が亡くなっている事実を思えばやはり気になります。今のうちにやれることはやっておこうとか、遺言めいた気持になることもあります。でも「坂の上の雲」の真之の父が言っていました。「急がば回れ、短気は損気」と。せいてはことを仕損じるとも言います。ここはじっくり温泉に浸かりながらこれからの作戦を考えたいと思います。でも、温泉はいいなあ。こころまで温かくなりそうです。八戸はどこを掘っても温泉が出るそうです。我が家の畑でも掘ってみようかな・・。
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12月19日

2009-12-19 21:57:48 | 日記
園長です。
 12月19日は私にとって特別な日です。今日は朝からしばれていました。8年前も5年前も寒い朝でした。父が亡くなったのは平成13年12月19日、母がクモ膜下出血で亡くなったのが平成16年12月19日。母は倒れたのが11月下旬でしたが、その後一度も意識を回復することなく、父の命日を待っていたかのように12月19日に息を引き取りました。亡くなるまでの約1カ月間、兄弟で順番に看護しました。話しかけても応えるわけでもなく、人工呼吸により規則正しく呼吸していましたが、奇蹟が起ることを祈りながらベッドの上の母の顔を見つめていたのを思い出します。それまで12月は楽しく、待ち遠しい月でしたが、今は、寒くて辛い、物哀しい月になりました。
 今年は、結婚式も多かったのですが、葬式も多くありました。80歳を超えた人の葬式は、悲しいながらも、ややあきらめがつくものの、60歳前後、まして30代、40代で亡くなった人の葬式は、辛い場面が多く、涙を誘います。昨日も、よその保育園の園長の葬式に参列しましたが、主任保育士の涙の弔辞には心を打たれました。「今まで本当にありがとうございました。」という言葉に、重い感謝の気持ちがにじみ出ていました。葬式に良いも悪いもありませんが、感動的な葬式だったことは間違いありません。
 今日は、お墓に行き、線香をあげてきました。薄く積もった雪を払いながら、忙しぶりをして、なかなかお墓参りに来なかったお詫びをしながら、少しの時間でしたが、近況報告と感謝の気持ちを込めて手を合わせました。生きているときは、生意気なことばかり言い、困らせてばかりいましたが、この年になり親のありがたみ、深い愛情を感じるようになりました。「親孝行、したいときには親はなし。」と言いますが、本当に残念な気持ちがします。失ってから感じるありがたさは辛いものです。これからも12月19日は確実に私が生きている間はやってきます。一生楽しい思い出になることはないと思いますが、大事な日にしたいと思います。
 実は孫の誕生日が12月20日なのです。娘は19日は生みたくないと、頑張って1日遅らせて生んだそうです。生と死・・12月19日はいろんな思いを巡らせてくれる日です。
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記録更新

2009-12-18 09:07:56 | 日記
園長です。
 このところ、日を追うごとに寒さが厳しくなっています。昨日は日本海側で12月の降雪量としては記録的な大雪となったようです。テレビでは雪かきや交通渋滞の様子を映し出し記録更新を伝えていました。私も個人的に記録を更新しました。何の更新かというと、「休酒記録」です。敢えて「禁酒」「断酒」とは言いません。今日で何と6日間アルコールなしで生活しています。今までの記録は、毎年行なう、健康診断の前、3~4日間くらいが最高でしたが、ついに6日間を記録しました。明日でめでたく「1週間記念」になるわけですが、ここにきて大きな壁が待っています。実は今日、お葬式があるのです。八戸では早くから保育園や幼稚園を開設し、頑張ってきた園長先生が亡くなったのです。保育連合会ではあまり活躍はされませんでしたが、幼児教育の面では造詣が深く、県褒章などを受賞されています。81歳という年齢は、今の時代では天命を全うしたとは言いにくいかもしれません。これからの大変動を考えると、まだまだ頑張っていただきたい人だったと思います。まずはご冥福をお祈りいたします。・・・ということで、今日は何となくアルコールの誘いがありそうな・・・。いや、きっぱり断ろう。何十年ぶりかで五臓六腑に染渡ったアルコール分を抜くのだ。そうだ自家用車で行こう。そして「車で来たので・・。」とさりげなく断ろう。などと勝手に想像しています。それにしても週末アルコールを飲まない日があっただろうか。具合いが悪くても「アルコール消毒だ」と飲み続けていた私には本当に珍しい出来事です。そういえば亡くなった親父が言っていたなあ、「飲める人が飲まなくなったら危ないぞ。」と。親父は日本酒が好きで、酔ってくると「こんなうまい酒を飲めない奴はかわいそうだ。この酒はくるみ味がする。」とよく言っていました。それから直ぐに糖尿になり、酒ではなく「焼酎」に転向したのです。飲めるうちが花かなあ・・。
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健診の結果

2009-12-16 21:01:48 | 日記
園長です。
 11月の初めに受けた健康診断の結果がきました。心配していた通り、再検査、要検査の依頼用紙が3枚ほど入っていました。血液検査は毎年の恒例行事なので気にしませんが、今回は心電図と高血圧が要検査になっていました。私はてっきり前の晩飲んだアルコールが影響して、飲みすぎ注意報が出るかな・・くらいに思っていたのですが、予想外でした。月曜の午後、近くの内科へ出向き診てもらうと、「血圧が高く、心臓に負担がかかっている。心臓が普通より大きくなっている。」と言われました。最近ちょっと体が重いかな、くらいにしか思っていなかった私には大ショックでした。おまけに「痛風」の気が出ているとのこと。普通は足の親指付近や付け根が痛くなるらしいが、たまにはへそ曲がりの痛風が、違う場所で謀反を起こすこともあるそうで、私の右ひじが痛いのはその可能性が大きいそうだ。てっきり子どもたちの「ジャンプして」が原因かと思っていたら、そうではないらしい・・。子どもたちよ、疑ってごめんなさい。今度からは少しくらい痛くても「高い高い」と「ジャンプして」には頑張って応えるようにしたいと思います。
 ところで、昨日のブログを読んだ何人かに「どうしてこの忙しいのに、宇都宮まで行ったの?」と聞かれました。お答えします。大学時代の友人のお見舞いに行ってきたのです。本人の了解をとっていないので、詳しいことは書けませんが、ちょっと重い病気のようで、彼の奥さんから「お見舞いに来るのなら今年中に・。」と先日電話があったのです。それで思い切ってお見舞いに行ってきたのです。この後のことはどうか察してください。
 人間50ねんもやっているといろんなことがあるようです。楽しいことも、そうでないことも・・。でも最近思うのは「健康が一番」ということです。健康なくして仕事も遊びもありません。命より健康が大事・・? 日曜日からアルコールを断っています。とりあえず1週間は続けたいと思います。死んだ親父も糖尿を患った時、「酒を断つ」と大書し、額に入れて頑張っていましたが、1か月もたたないうちに酒ではなく「焼酎」を飲んでいました。私もその血を受け継いでいるので明日あたり酒ではなく「ビール」を飲んでいるかもしれません。そういえば12月19日は父と母の命日です。父が亡くなって3年後の同じ日に旅立った母。父は心臓。母は脳溢血。その血を私がしっかり受け継いでいます。ちょっとだけ注意したいと思う今日この頃です。
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急行十和田

2009-12-15 18:58:32 | 日記
園長です。
 今日はちょっと用事があり、栃木県宇都宮まで行ってきました。宇都宮は東京に近いのですが意外と不便な場所です。東北新幹線の盛岡以北から宇都宮まで3時間を超えます。ちなみに今日は八戸からはやて号で仙台まで。仙台からやまびこ号で宇都宮までいきました。私が大学生のころは東北本線一本で青森から上野まで特急電車「はつかり号」が走っていて、八戸から上野まで約8時間かかりました。私が初めて東京に行ったのが小学6年生のときで、当時はまだ特急電車が無く、急行が主でした。まだ、蒸気機関車の時代で、トンネルに入るとあわてて窓を閉めた記憶があります。私の家は比較的古い家柄だったので、多くのしきたりがありました。「盆、正月には必ず、家族が集まる」というのもその一つでした。ですから、私は学生時代どんなことがあっても盆と正月は帰省していました。友達の中には盆、正月を利用して旅行をしていた者もいましたが、私にはなぜかできませんでした。その帰省に良く使っていたのが「急行十和田」の夜行列車でした。この電車は常磐線経由で宇都宮や福島を通らず、太平洋側の相馬、いわき、水戸などを通り仙台までいく電車でした。上野を午後9時ごろ出発し、翌日の朝7時くらいに八戸へ着くパターンが多かったと思います。お金に少し余裕があるときは「寝台車」を利用しました。3段に仕切られた狭い空間の中で、ガタンゴトンとゆられていくがとても好きでした。今でもおかしく思うのは、当時の列車は走行中でも手動でドアが開き、ドアを勝手に開けて、外の空気を吸えたことでした。今では考えられませんが、当時はそれでも事故らしい事故はなかったと思います。また、踏切は電車が来ると閉まり、カンカンカンと警報機が鳴ります。当たり前の話なのですが、当時は、列車の中にいるという自分を外から考えていたので、この踏切はいつも鳴っている、故障しているのではないか・・・と本気で思っていたこともありました。この急行十和田に冬の時期に乗ると、座席の下からのスチームで汗が出てくることもしばしばでした。暖房設備が整備されていなかったので温度調整ができなかったのです。それでも10時間後には無事着いたのですから感謝です。盛岡を過ぎるころには朝が明け、雪景色のかなたにぼんやりと太陽が雲を焦がしながらのぼる姿は感動モノでした。いろんな思いを乗せて走った急行十和田も無くなり、近代化された立派な電車ばかりになりましたが、時間がゆっくり過ぎていく、昔の列車が恋しいのは、私も古くなったからでしょうか。東京と八戸を結ぶ列車の思い出はたくさんあります。今日の宇都宮も後から思い出すと感慨深い旅になるのかもしれません。もう少しで今年も終わりです。我が家の子どもたちも帰ってくるのでしょう。「正月は家族で過ごすこと。」・・・亡くなった親父の声が聞こえてきそうです。
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