二草庵摘録

本のレビューと散歩写真を中心に掲載しています。二草庵とは、わが茅屋のこと。最近は詩(ポエム)もアップしています。

上野千鶴子「老い」とシリアスに向き合う

2022年10月01日 | エッセイ(国内)
2冊つづけて読んだけど、最初はつぎの本だった。

別冊 NHK 100分de名著「ナショナリズム」
こちらはつぎの4つのテレビ“講演”が収録されている。

1.大澤真幸「想像の共同体」(ベネディクト・アンダーソン著)
2.島田雅彦「君主論」(マキャベリ著)
3.中島岳志「昭和維新論」(橋川文三著)
4.ヤマザキマリ「方舟さくら丸」(安倍公房著)

社会学者大澤真幸さんの講演(TVは見ていない)はおもしろかった。2-3-4とすすむにつれてわたし的には興味がうすれてきた。中島岳志「昭和維新論」あたりから時間の無駄遣いかなあと思いはじめ、ヤマザキマリ「方舟さくら丸」はパス。
したがって、レビューでは取り上げないことにする(´Д`)


■NHK出版「ボーヴォワール 『老い』」上野千鶴子 100分de名著(2021年刊)を読む





さて、本書「ボーヴォワール 『老い』」である。
《老いは不意にあなたを捉える
見たくない、聞きたくない、考えたくない――。そんな「老い」の実態をあらゆる観点から論じ、従来のステレオタイプを次々と打ち砕いたボーヴォワールの主著。なぜ老いを自覚することは難しいのか。老人が社会から疎外される根本理由とは。キレイゴト抜きに「老い」の実態を暴き、「文明のスキャンダル」と捉え直した著作の真価を、現代日本の状況にも引きつけながらやさしく解説する。》NHK出版の内容紹介より

さらにこんな記事もある。
《『老い』は『第二の性』と並んで、ボーヴォワールの主著の一つとみなされるまでになりました。今回は、老いを自己否認するしくみ、さまざまな社会や職業別の老い、老いと性、老いの社会保障という四つの視点から、みなさんとともに読んでいきたいと思います。》

上野千鶴子(1948年~ )は、日本のフェミニスト・社会学者。専攻は、家族社会学・ジェンダー論・女性学である。
いろいろな本をお書きになっているので、読書が好きという人でこの先生の名を知らない人はいないのではないか?
「セクシィ・ギャルの大研究―女の読み方・読まれ方・読ませ方」(1982年刊)
「スカートの下の劇場 ― ひとはどうしてパンティにこだわるのか」(1989年刊)

この2冊は、読んだ覚えがあるけれど、古本屋で買ってはみたものの、途中で関心がうすれ、投げ出してしまった。
フェミニズムとかジェンダーとかという、広義の女性論が勢いを得て、ずいぶんと読まれた時代があった。読書好きな友人が「おもしれえよ」というので、何冊か手に入れた( -ω-)
最近では尾崎放哉を調べていたとき、上野千鶴子さんが座談会に出席して発言なさっているのを読んだ。
東大教授(現名誉教授)だったし、頭の回転がはやく、歯切れがよくて、弁が立つ。喧嘩っぱやく、論争家であることは存じ上げていた。
そういうタイプの物書きとして意識はしていた。しかし、著作といえるものとはつきあってはこなかった。

ところが10年ばかり前から、上野先生は女性論から老人問題研究家に軸足を移した。
念のためもくじを写しておこう。
はじめに
第1回 老いは不意打ちである
第2回 老いに直面した人びと
第3回 老いと性
第4回 役に立たなきゃ生きてちゃいかんか!

本書「老い」でも、いたるところ、侠(きゃん)の人、上野節が響いてくる♪
テーマはボーヴォワールの主著の一つと見なされるようになった「老い」の紹介。
むろんそこに上野節がくわわるので、上野さんのボーヴォワール論であり、老いに対する考察の書でもある。
第2回の「老いに直面した人びと」がガツンと身に染みて、レビューを書くことになった。
巻頭に歴史的人物のポートレートが掲載されている。
ゴヤ
ゲーテ
ヘミングウェイ
ワーグナー
アインシュタイン
谷崎潤一郎

これら知名人もすべて老い、死んでいった。
これはケーススタディである。どんなふうに自分の老いを拒絶したか、あるいは受容したかをざっくりとトレースしてくれる。
老人問題をあつかった本は、書店にいけばあたま置いてある。だけど、どういう心理からか、これまでまともに読んだ本は1冊もない。
「お兄さんの近未来を、いくらかは勉強しておいたら・・・」と妹たちにすすめられたことがある。うん、そうだなあと、これまで聞き流してきたので、妹たちもあきれて、近ごろではいわなくなった(^^;;)

上野千鶴子さんは独身で、子どもはいない。ボーヴォワールもそういう生涯を送った女性である。しかも世界に名がとどろくような超エリート。そこに強い親近感、連帯感が生まれる。
「おひとりさまの最後」「在宅ひとり死のススメ」などという著作を書き、それらが売れているので、老後の資金にはまったく困らないだろう。東大名誉教授ともなれば、年金額も相当なもののはず。
紙幅に制約があるため、論証が十分とはいえないが、いかにも上野さんらしい歯切れのよさはここでも健在。第3回の「老いと性」はタブーに踏み込んで、思い切ったことをおっしゃっている。
ははあ、なるほど。とても参考になった。上野さんはわたしより4歳年上のようなので、老人問題は“待ったなし”なのである。ご都合主義の幻想は持たないし、観念論にも走らないのが、この著者のいわば“すごみ”なのかもしれない。

《ボーヴォワールは、老いの自認には男女で違いがあることを指摘しています。まず老いは男性より女性にとってより受け入れづらいと語ります。高齢男性に比べ、高齢女性のほうがより否定的な存在だとみなされてきたからです。

   文学作品のなかでも、実人生においても、自分の老いを快く思う女性には私は一人も出会       ったことがない。「美しい老婆」と人はけっして言わないのも道理であり、せいぜい「感じのいいお婆さん」というぐらいである。》(本書25ページ。後半は引用。)


     (ゴヤの版画「死ぬまで」本書よりコピー)

NHKの100分de名著は、物足りないものが多い。読みかけて途中で投げ出した本が、これまで4-5冊はある。
生意気をいわせてもらうなら、このテキストはシリーズの中ではなかなかの出来映え。
大部な本なので、「老い」の原本(訳書)を読むことはないだろうが、上野さんのこの講演は自分自身の老いを見つめるきっかけになりそうな予感がしている。

要支援・要介護の両親をかかえて走り回ったり「う~む」と唸ったりしているうちに、自分自身の老いとも向き合わねばならなくなった。他人事じゃねえなあ・・・とはこのことである。


     (サルトルとボーヴォワール)
  

     (上野千鶴子さん)




評価:☆☆☆☆


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