手塚治虫の「奇子」を読みおえ、手塚治虫について調べたり、かんがえたりしている。
秋田書店から刊行されている作品集も二冊追加購入。
調べていると、こういうたいへん興味深いインタビューにぶつかった。
《渋谷陽一氏(以下、渋谷):その、倫理観というんですか、道徳観というんですか、(手塚治虫氏は)それを決めちゃった人なんですよね。
手塚治虫氏(以下、手塚):いやいや、そんなことないでしょう。やっぱり安保が決めたんでしょう。
渋谷:そんなことないですよ。ヒューマニズムというのは、基本的に、僕らの中に手塚治虫的な非常に苦いヒューマニズムと言うんですかね、そういうのですごく影響を受けていますよね。
手塚:そのヒューマニズムっていうのはね……手塚ヒューマニズムって、よく昔の人が言ってるのはね、本当にもう、耳ふさぎたいんですよね。
渋谷:すみません(笑)。
手塚:ヒューマニズムっていうのは、僕にとって砂糖なんですよ。オブラートなんです。もっと僕の本音を読んでほしいわけ。くさいんだよ、ヒューマニズムっていうのは。僕としては自分からさらけ出してね、どろどろしたもん書きたいんだけど、それが出来ないってところが、商売人っていうのはダメなんだね。
渋谷:本当にオブラートなんですかね?
手塚:僕は、つげ義春とか……まあ大友君は6世代の方だから別なんで、これはまた違うと思うんだけど、つげ君とか水木氏ね、それから滝田ゆう、この辺は本音だけで書いているから、うらやましくてしょうがない。全くこれ、歯に物を着せないでしょ。白土氏のほうがまだ商売人ですよ。》
そうだろう、そうだろう。
《ヒューマニズムっていうのは、僕にとって砂糖なんですよ。オブラートなんです。もっと僕の本音を読んでほしいわけ。くさいんだよ、ヒューマニズムっていうのは。僕としては自分からさらけ出してね、どろどろしたもん書きたいんだけど、それが出来ないってところが、商売人っていうのはダメなんだね。》
手塚さんをなめたらいけない。
どういうことかというと、彼はなにもかも承知で、商品としての作品を読者に提供していることを知っている。
わたしには手塚さんの表現者としての“本音”が、ボンヤリとだがわかる。
ことばを換えていえば「悪の輝き」といってもいい。あるいはナンセンスの倫理と論理について、書きたいことがある・・・というような。
要するに手塚さんを甘っちょろいヒューマニズムの使徒になんかするなと、わたしはいいたいのである。マスコミをおおい尽くしている“偽善”に対し、彼は非常に敏感であった。
「奇子」だって、主人公(次男天外仁朗)はなかば悪の権化ではないか?
そういうものから眼をそむけてはいけない、とわたしはかんがえる。
《つげ君とか水木氏ね、それから滝田ゆう、この辺は本音だけで書いているから、うらやましくてしょうがない。全くこれ、歯に物を着せないでしょ。》
う~~ん、そういうことだ。そこまで読めなかったら、手塚治虫を読んだとはいえないだろう。
※参考
「ヒューマニズムなんてのは、砂糖みたいなもんだ」
http://logmi.jp/20273
秋田書店から刊行されている作品集も二冊追加購入。
調べていると、こういうたいへん興味深いインタビューにぶつかった。
《渋谷陽一氏(以下、渋谷):その、倫理観というんですか、道徳観というんですか、(手塚治虫氏は)それを決めちゃった人なんですよね。
手塚治虫氏(以下、手塚):いやいや、そんなことないでしょう。やっぱり安保が決めたんでしょう。
渋谷:そんなことないですよ。ヒューマニズムというのは、基本的に、僕らの中に手塚治虫的な非常に苦いヒューマニズムと言うんですかね、そういうのですごく影響を受けていますよね。
手塚:そのヒューマニズムっていうのはね……手塚ヒューマニズムって、よく昔の人が言ってるのはね、本当にもう、耳ふさぎたいんですよね。
渋谷:すみません(笑)。
手塚:ヒューマニズムっていうのは、僕にとって砂糖なんですよ。オブラートなんです。もっと僕の本音を読んでほしいわけ。くさいんだよ、ヒューマニズムっていうのは。僕としては自分からさらけ出してね、どろどろしたもん書きたいんだけど、それが出来ないってところが、商売人っていうのはダメなんだね。
渋谷:本当にオブラートなんですかね?
手塚:僕は、つげ義春とか……まあ大友君は6世代の方だから別なんで、これはまた違うと思うんだけど、つげ君とか水木氏ね、それから滝田ゆう、この辺は本音だけで書いているから、うらやましくてしょうがない。全くこれ、歯に物を着せないでしょ。白土氏のほうがまだ商売人ですよ。》
そうだろう、そうだろう。
《ヒューマニズムっていうのは、僕にとって砂糖なんですよ。オブラートなんです。もっと僕の本音を読んでほしいわけ。くさいんだよ、ヒューマニズムっていうのは。僕としては自分からさらけ出してね、どろどろしたもん書きたいんだけど、それが出来ないってところが、商売人っていうのはダメなんだね。》
手塚さんをなめたらいけない。
どういうことかというと、彼はなにもかも承知で、商品としての作品を読者に提供していることを知っている。
わたしには手塚さんの表現者としての“本音”が、ボンヤリとだがわかる。
ことばを換えていえば「悪の輝き」といってもいい。あるいはナンセンスの倫理と論理について、書きたいことがある・・・というような。
要するに手塚さんを甘っちょろいヒューマニズムの使徒になんかするなと、わたしはいいたいのである。マスコミをおおい尽くしている“偽善”に対し、彼は非常に敏感であった。
「奇子」だって、主人公(次男天外仁朗)はなかば悪の権化ではないか?
そういうものから眼をそむけてはいけない、とわたしはかんがえる。
《つげ君とか水木氏ね、それから滝田ゆう、この辺は本音だけで書いているから、うらやましくてしょうがない。全くこれ、歯に物を着せないでしょ。》
う~~ん、そういうことだ。そこまで読めなかったら、手塚治虫を読んだとはいえないだろう。
※参考
「ヒューマニズムなんてのは、砂糖みたいなもんだ」
http://logmi.jp/20273