■村上春樹&柴田元幸「翻訳夜話2 サリンジャー戦記」文春新書 平成15年刊
「ライムギ畑でつかまえて」は、野崎孝さんの訳で18~9年ほど昔に読んだことを、よく覚えている。友人にすすめられたのだ。しかし、読めば読むほど腹が立ってきて、結局60ページあたりで、投げ出してしまった。村上春樹訳の「キャッチャー・イン・ザ・ライ」はまだ刊行されていなかったとおもう。
「ふざけるな! 何を戯言いっているんだ」
「金持ちのわがままなお坊ちゃまの独り言。それ以外の何ものでもねえ」
ひと口にいえば、そういったことに尽きる(T_T)
俗にいう中二病といったらいいのか、鬱屈した自分自身の思春期と、どーしても比較してしまう。親の金で高校だか大学だかにいかせてもらいながら、何ほざいているんだ・・・と腹が立ったのだ。そういう読者、わたしのほかにたくさんいただろう。ホールデンほどめぐまれた環境にいた人もいただろうが、大半は「バカなこといってやがる」と冷ややかな反応をしめしたのではないだろうか。
階級の問題は、避けて通れない。
主人公ホールデンは、上流階級に属している。あるいは、中流の上クラス。月3万円の仕送りだけで、バイトをこなしてしのいでいたビンボー学生のわたしとは、大きな格差があった。だから腹が立ったのだろう。所詮、金持ちのお坊ちゃまさ。
ところがふとしたきっかけで村上春樹&柴田元幸「翻訳夜話2 サリンジャー戦記」文春新書を手に取って読みはじめたら、これにひきずり込まれた。2~3年まえに、BOOK OFFで100円の棚にあったのを買ったのだとおもう。
こーゆーことはよくある、わたしの場合。一種のアクシデントなのだ(´Д`)
このサリンジャー戦記と出会うまで、「ワインズバーグ、オハイオ」(アンダーソン)のレビューを書いてUPする予定でいたのだ。「翻訳夜話2 サリンジャー戦記」の出現で予定が狂った。
本書には村上春樹「キャッチャー・イン・ザ・ライ」訳者解説というのが付録としてついている。ここに収録された38ページにわたる“訳者解説”を読んで、すっかり影響されてしまった。いやはや、村上さんが本気モードで“キャッチャー”という作品を語っている。切り口としてはオーソドックスな「人と作品」というテーマである。ここを読んで「おおっ、そうか。そういう作品であったか!」と、わたしは目から鱗となったわけであ~る(゚Д゚;)
作家サリンジャーに対する興味もわいてきた。野崎孝さんの本には、著者の意向として“解説”は付されていなかった。現代の古典(モダンクラシックス)として友人の紹介のことばを聞いていただけ。じつに無知な読者であったわけだ。
柴田元幸さんとの対談も興味深いものであった。
とくに・・・
1.“キャッチャー”は成熟先送りシンドロームのはしり
2.サリンジャーは、ある時点から演奏会をやめてしまったグレン・グールドと似ている
3.サリンジャーは第二次大戦に従軍したことで、PTSD(シェル・ショック)に苦しんでいた
この3点の指摘が読後、心に刻み込まれた。
“キャッチャー”は世界でこれまで6500万部(推定)も売れているし、現在でも年25万部売れ続けていると、どなたかおっしゃっていた。
モダンクラッシクスのなかでも横綱級の本といい得る。というわけで、本の山から「ライムギ畑でつかまえて」野崎孝訳を発掘し、それと前後して「キャッチャー・イン・ザ・ライ」をあらためて買ってきた。
読書の優先順位の大幅な変動が起こらないかぎり、おそらくは数か月以内に読むことになるだろう。どちらの訳で読むかは、直前になって決める、気まぐれ読書人らしくね(ノω`*)
(手許にある野崎孝訳本)
(手許の村上春樹訳本)
(ネットで検索していたら、こんな本があったので手にいれた)
さてそのまえに、「ワインズバーグ、オハイオ」を片づけなくちゃ。アンダーソンはじつに、不思議なレトリック・文体の持主で、日本の作家たちに大きな影響をあたえ続けていますからね。
評価:☆☆☆と☆☆☆☆のあいだ
「ライムギ畑でつかまえて」は、野崎孝さんの訳で18~9年ほど昔に読んだことを、よく覚えている。友人にすすめられたのだ。しかし、読めば読むほど腹が立ってきて、結局60ページあたりで、投げ出してしまった。村上春樹訳の「キャッチャー・イン・ザ・ライ」はまだ刊行されていなかったとおもう。
「ふざけるな! 何を戯言いっているんだ」
「金持ちのわがままなお坊ちゃまの独り言。それ以外の何ものでもねえ」
ひと口にいえば、そういったことに尽きる(T_T)
俗にいう中二病といったらいいのか、鬱屈した自分自身の思春期と、どーしても比較してしまう。親の金で高校だか大学だかにいかせてもらいながら、何ほざいているんだ・・・と腹が立ったのだ。そういう読者、わたしのほかにたくさんいただろう。ホールデンほどめぐまれた環境にいた人もいただろうが、大半は「バカなこといってやがる」と冷ややかな反応をしめしたのではないだろうか。
階級の問題は、避けて通れない。
主人公ホールデンは、上流階級に属している。あるいは、中流の上クラス。月3万円の仕送りだけで、バイトをこなしてしのいでいたビンボー学生のわたしとは、大きな格差があった。だから腹が立ったのだろう。所詮、金持ちのお坊ちゃまさ。
ところがふとしたきっかけで村上春樹&柴田元幸「翻訳夜話2 サリンジャー戦記」文春新書を手に取って読みはじめたら、これにひきずり込まれた。2~3年まえに、BOOK OFFで100円の棚にあったのを買ったのだとおもう。
こーゆーことはよくある、わたしの場合。一種のアクシデントなのだ(´Д`)
このサリンジャー戦記と出会うまで、「ワインズバーグ、オハイオ」(アンダーソン)のレビューを書いてUPする予定でいたのだ。「翻訳夜話2 サリンジャー戦記」の出現で予定が狂った。
本書には村上春樹「キャッチャー・イン・ザ・ライ」訳者解説というのが付録としてついている。ここに収録された38ページにわたる“訳者解説”を読んで、すっかり影響されてしまった。いやはや、村上さんが本気モードで“キャッチャー”という作品を語っている。切り口としてはオーソドックスな「人と作品」というテーマである。ここを読んで「おおっ、そうか。そういう作品であったか!」と、わたしは目から鱗となったわけであ~る(゚Д゚;)
作家サリンジャーに対する興味もわいてきた。野崎孝さんの本には、著者の意向として“解説”は付されていなかった。現代の古典(モダンクラシックス)として友人の紹介のことばを聞いていただけ。じつに無知な読者であったわけだ。
柴田元幸さんとの対談も興味深いものであった。
とくに・・・
1.“キャッチャー”は成熟先送りシンドロームのはしり
2.サリンジャーは、ある時点から演奏会をやめてしまったグレン・グールドと似ている
3.サリンジャーは第二次大戦に従軍したことで、PTSD(シェル・ショック)に苦しんでいた
この3点の指摘が読後、心に刻み込まれた。
“キャッチャー”は世界でこれまで6500万部(推定)も売れているし、現在でも年25万部売れ続けていると、どなたかおっしゃっていた。
モダンクラッシクスのなかでも横綱級の本といい得る。というわけで、本の山から「ライムギ畑でつかまえて」野崎孝訳を発掘し、それと前後して「キャッチャー・イン・ザ・ライ」をあらためて買ってきた。
読書の優先順位の大幅な変動が起こらないかぎり、おそらくは数か月以内に読むことになるだろう。どちらの訳で読むかは、直前になって決める、気まぐれ読書人らしくね(ノω`*)
(手許にある野崎孝訳本)
(手許の村上春樹訳本)
(ネットで検索していたら、こんな本があったので手にいれた)
さてそのまえに、「ワインズバーグ、オハイオ」を片づけなくちゃ。アンダーソンはじつに、不思議なレトリック・文体の持主で、日本の作家たちに大きな影響をあたえ続けていますからね。
評価:☆☆☆と☆☆☆☆のあいだ