二草庵摘録

本のレビューと散歩写真を中心に掲載しています。二草庵とは、わが茅屋のこと。最近は詩(ポエム)もアップしています。

心やさしき女性たちへのOde

2013年05月29日 | Blog & Photo
人にレンズを向けようとしたとき、子どもと女性は、わたしにとっては最高の被写体となってくれる。
「これを撮ってはいけない」といわれたら、どんなに悲しいことだろう。
Elegyといい、Odeという。悲歌であり、頌歌であるが、わたしはどちらも「あるものを称える歌」だと考えることにしている。
たとえば、後ろ姿だとエレジー、正面からだとオード・・・というふうに。

いうまでもなく、こんな定義を考えてから、写真を撮るわけではない。
撮影したアルバムの写真を見返しながら、これらのショットに共通する感情がもしあるとしたら、それはなんだろうとおもったとき、エレジーやオードということばが浮かび上がってくるのだ。



トップにあげた一枚はオード、こちらはエレジー・・・というふうに、一応はわけて考える。すると、「う~ん、これはどっちだろう」と判断に迷う場面が出てくる。
数としては、この中間領域がいちばん多いだろう。





エレジーではなく、オードでもない。またどっちともいえる、日常のささやかな光景。



これは「こんな恋びとがいたらいいな」と、見返すたびにあこがれるポスターの中の女性。
晩秋の秩父路で出会っている。たぶん、ビールか洋酒のポスターだろう。午後遅い斜光線が、現実のポスターに対し、この季節にふさわしい、ある情感を添えてくれた。

わたしが決まって思い出すのは、サントリー角瓶のCMなんですけどね(笑)。

http://www.youtube.com/watch?v=J0706Z3y7P0&list=PL5F6F8C1F0789ECD8
http://www.youtube.com/watch?v=aOWJ4BZy2E8

ところが現実は映画やCMとは違う。片方が上質なフィクションだとすれば、片方は筋書きのないドキュメント。
そこに写真のリアリティーが存在する。



世界とはとくべつ美しくもなければ、醜くもない。「そこにあるようにある」ものが、世界であり、現実である。しかし、わたしの場合でいえば、どうしても感情移入してしまう・・・したくなる写真が、そこに紛れこんでくる。本人は「もっとアクティヴにいこう!」とするのだけれど、そういった衝動をさえぎるものがあるのだ。

レンズは非情なものである。しかも、“ものの表面”しか写さない。
だけど、ほんとうにそうだろうか?
これらの写真を見ながらOdeということばがあったことを思い出し、
よく自問自答している。

ほんとうにそうだろうか、と。
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