日本を、いや世界を代表する亀仙人・・・ではなくて、カメラ仙人といえば、田中長徳さんだろう。35年間で3000台ものカメラとおつきあいしてきたとは、まさにクラシックカメラ界の重鎮であり、NO.1といってもいいすぎではない。
この人の言をまったく無視して、たとえばライカを買ったり、つきあおうなどとは思わないほうがいい。
1980年代の半ばころからわたしは田中仙人の読者であったので、いったい何冊の著作を読んできたことか。しかし、お若いころは、いまよりも尖っていたから、プロフェッサーの面影が強かった。
ところがここへきて、プロフェッサーであるよりは、仙人に似てきた。
つい昨日のことだが、また田中仙人の本を買ってしまった。
それがこれ。
「ライカワークショップ」(エイ出版社) 1600円+税
その横にあるのは、
「二眼レフワークショップ」(エイ出版社) 2300円+税
これはローライフレックス3.5Fを買うときの参考書の一つとなった。
「田中先生、なんだかつまらない二番煎じの写真ばかり撮っておられるなあ」
まだ若く生意気だったわたしは、カメラ評論家としての先生はおもしろかったけれど、作例としてそこに掲載されている写真は、あまり評価できなかったのであった。
ところがここへきて、写真家田中長徳を再評価したくなったのである。
こういう本が読みたくなるのは、デジタルとフィルムのあいだを、わたし自身がいったりきたりするようになったからかも知れない。
「2012年、2013年のいま、ローライやライカを買う、使うとはどんな意味があるのか?田中仙人に聞いてみよう・・・」
そんな好奇心がムクムクと頭をもたげたので、はじめ「二眼レフワークショップ」を、つぎに「ライカワークショップ」をいわば衝動買いしてしまった。
さっきググっていたら、こんなページと出くわした。
「クラシックカメラの真髄」
http://trendy.nikkeibp.co.jp/lc/cover2/080528_camera_01/index.html
《僕は、仕事はもっぱらコンパクトデジカメです。趣味は、今日持って来たようなクラシックカメラ。拙著にあるように「晴れたらライカ、雨ならデジカメ」です。デジとフィルムを使い分ける。デジタルカメラは、仕事に必要な業務を全部やってくれる言わば縁の下の力持ちです。日常業務は全部デジカメに任せて、写真の楽しい部分、上面発酵じゃないですけど、上澄みの美味しいところは銀塩カメラで味わいましょう。》
ジャーナリストとしての才能もお持ちなので、わたしのようなミーハー気分のカメラ人類(これも田中仙人用語)をあきさせず、最後までページを繰らせる力がある。
ライカの魔力は、いまから十数年前と比べて、驚くほど地に落ちた。M8でライカがデジタルに参入し、それに輝かしき「M」の第8を名のらせたからである。つまり無数の歴史的名作を撮影し、栄光につつまれたあのライカですら、IT革命の大波に屈したのであった。
田中仙人の本を読んでいると、ライカは滅亡などせず、デジタル時代のいまを生き延びるだろうと思えてくるところがいい。
カメラ界の旗手は、いまだってライカ。神棚に飾っておくのではなく、ライカを持って街に出て、写真を撮ろう・・・と、田中仙人は、機会あるごとに提案しておられる。
仙人、あるいは名人の言だし、至りついた境地というものは、他人にはおいそれと真似できるものではないが、そういう時代があったということを、われわれ世代は忘れてはいない。
それがいま、「もう一つの選択肢」として、若い世代の注目を浴び、少し形をかえて復活しつつある。いつもはデジタル! そしてたまにはフィルムをつめたオールドカメラかトイカメラを手にして、街へ出てみよう。
街がこれまでとは少し違って、とてもフレッシュに見えてくる、単なる懐古趣味ではなく。
カメラが撮った成功写真にではなく、あなたが撮った失敗写真の中に、じつはある可能性が隠れているのだから。
そのためのコストと、時間を惜しみさえしなければ・・・。
これはわたしからの提案でもある。
この人の言をまったく無視して、たとえばライカを買ったり、つきあおうなどとは思わないほうがいい。
1980年代の半ばころからわたしは田中仙人の読者であったので、いったい何冊の著作を読んできたことか。しかし、お若いころは、いまよりも尖っていたから、プロフェッサーの面影が強かった。
ところがここへきて、プロフェッサーであるよりは、仙人に似てきた。
つい昨日のことだが、また田中仙人の本を買ってしまった。
それがこれ。
「ライカワークショップ」(エイ出版社) 1600円+税
その横にあるのは、
「二眼レフワークショップ」(エイ出版社) 2300円+税
これはローライフレックス3.5Fを買うときの参考書の一つとなった。
「田中先生、なんだかつまらない二番煎じの写真ばかり撮っておられるなあ」
まだ若く生意気だったわたしは、カメラ評論家としての先生はおもしろかったけれど、作例としてそこに掲載されている写真は、あまり評価できなかったのであった。
ところがここへきて、写真家田中長徳を再評価したくなったのである。
こういう本が読みたくなるのは、デジタルとフィルムのあいだを、わたし自身がいったりきたりするようになったからかも知れない。
「2012年、2013年のいま、ローライやライカを買う、使うとはどんな意味があるのか?田中仙人に聞いてみよう・・・」
そんな好奇心がムクムクと頭をもたげたので、はじめ「二眼レフワークショップ」を、つぎに「ライカワークショップ」をいわば衝動買いしてしまった。
さっきググっていたら、こんなページと出くわした。
「クラシックカメラの真髄」
http://trendy.nikkeibp.co.jp/lc/cover2/080528_camera_01/index.html
《僕は、仕事はもっぱらコンパクトデジカメです。趣味は、今日持って来たようなクラシックカメラ。拙著にあるように「晴れたらライカ、雨ならデジカメ」です。デジとフィルムを使い分ける。デジタルカメラは、仕事に必要な業務を全部やってくれる言わば縁の下の力持ちです。日常業務は全部デジカメに任せて、写真の楽しい部分、上面発酵じゃないですけど、上澄みの美味しいところは銀塩カメラで味わいましょう。》
ジャーナリストとしての才能もお持ちなので、わたしのようなミーハー気分のカメラ人類(これも田中仙人用語)をあきさせず、最後までページを繰らせる力がある。
ライカの魔力は、いまから十数年前と比べて、驚くほど地に落ちた。M8でライカがデジタルに参入し、それに輝かしき「M」の第8を名のらせたからである。つまり無数の歴史的名作を撮影し、栄光につつまれたあのライカですら、IT革命の大波に屈したのであった。
田中仙人の本を読んでいると、ライカは滅亡などせず、デジタル時代のいまを生き延びるだろうと思えてくるところがいい。
カメラ界の旗手は、いまだってライカ。神棚に飾っておくのではなく、ライカを持って街に出て、写真を撮ろう・・・と、田中仙人は、機会あるごとに提案しておられる。
仙人、あるいは名人の言だし、至りついた境地というものは、他人にはおいそれと真似できるものではないが、そういう時代があったということを、われわれ世代は忘れてはいない。
それがいま、「もう一つの選択肢」として、若い世代の注目を浴び、少し形をかえて復活しつつある。いつもはデジタル! そしてたまにはフィルムをつめたオールドカメラかトイカメラを手にして、街へ出てみよう。
街がこれまでとは少し違って、とてもフレッシュに見えてくる、単なる懐古趣味ではなく。
カメラが撮った成功写真にではなく、あなたが撮った失敗写真の中に、じつはある可能性が隠れているのだから。
そのためのコストと、時間を惜しみさえしなければ・・・。
これはわたしからの提案でもある。