<なんてことのない、普通のよい風景>
このところ、50ミリレンズの出番がとても多い。
ニコンD7000には40ミリマイクロ、または35ミリF1.8を、ニコンF3には50ミリF1.4を、キヤノンF-1にはNewFD50ミリF1.4を、オリンパスOM-1には50ミリF1.8を、ほぼつけっぱなし。
以前はそれなりに、いろいろな画角のレンズをとっかえ、ひっかえしていたけれど、単焦点レンズの潔さに、なんというか、痺れているのだ。
むろん本来は「今日はこれ、明日はこれ」とレンズ交換するのが、正しい一眼レフの使い方。そのための交換レンズだから。
ズームレンズが相棒となることが多いのは、PENデジだけで、あとは、ほぼ50ミリつけっぱなし。28ミリレンズは存在論的、50ミリレンズは人生論的と喝破したのは、かの高梨豊先生。
またレンズの焦点距離は年齢に比例するという、ちょっと怪しい説もある。
<大きなボケを楽しむ>
<影の戯れ>
空いた時間を使って、のほほーんと歩きながら、のほほーんとカメラを向けて撮る。
あまりにも「フツー」なので、こうしてお見せするのも気がひけるくらい(笑)。
<ある日のバラ>
フツーの中に、フツーに隠れている味がなつかしく、愛おしい。
とってもゆるやかな時間が、ゆるやかに流れている。
一枚一枚をゆっくりと撮っている。コンデジのように、ササッとは撮れないから、まるで眼で愛おしみ、その一刻を惜しむかのようにして、シャッターを押す。
こういう写真を撮っていると、
「おれはもう、死期が近いのじゃないか」と思えることがある。
伊兵衛さんは、入院していた病院の窓から、最後の一枚・・・いわば辞世の写真を撮った。むろんなんてことのない、二階から見下ろした塀の外の路地が写っていた。
ブレッソンはなんだったのだろう。あるいはアジェは?
ちょっと逆説的にいえば、「なんてことのない、普通のよい風景」とは、どこか人生最後に見て、撮影する風景の記憶を呼び覚ます。
それはわたしがまだ見たことのない・・・、しかしなぜか記憶の底のほうに眠っている「普通によい風景」なのだ。
「夜が明けるから目覚めるのではない。目覚めたから夜が明けるのだ。目覚めぬ者に夜明けは来ない」
老年になるとは、こういうことばが身にしみて理解できるようになるということであろう。
こういった思いを胸底にしずめて、普通の風景を眺める。すると、ありふれた一輪の花が、大きな鳥影のように、わたしの感覚を襲うことがある。一瞬だけわたしの心を鷲掴みにして、つぎの瞬間には何事もなかったように消え去る。
そして・・・フツーの風景に、フツーに感動したことを納得する。
それがわたしの「よい風景」なのだ。
はるか彼方、もう一つの世界からの触手でもあるかのように。
<共通データ>
カメラ:ニコンF3 キヤノンF-1
レンズ:50ミリF1.4
フィルム:コダカラーGOLD100
(現像したネガフィルムからのスキャン)
このところ、50ミリレンズの出番がとても多い。
ニコンD7000には40ミリマイクロ、または35ミリF1.8を、ニコンF3には50ミリF1.4を、キヤノンF-1にはNewFD50ミリF1.4を、オリンパスOM-1には50ミリF1.8を、ほぼつけっぱなし。
以前はそれなりに、いろいろな画角のレンズをとっかえ、ひっかえしていたけれど、単焦点レンズの潔さに、なんというか、痺れているのだ。
むろん本来は「今日はこれ、明日はこれ」とレンズ交換するのが、正しい一眼レフの使い方。そのための交換レンズだから。
ズームレンズが相棒となることが多いのは、PENデジだけで、あとは、ほぼ50ミリつけっぱなし。28ミリレンズは存在論的、50ミリレンズは人生論的と喝破したのは、かの高梨豊先生。
またレンズの焦点距離は年齢に比例するという、ちょっと怪しい説もある。
<大きなボケを楽しむ>
<影の戯れ>
空いた時間を使って、のほほーんと歩きながら、のほほーんとカメラを向けて撮る。
あまりにも「フツー」なので、こうしてお見せするのも気がひけるくらい(笑)。
<ある日のバラ>
フツーの中に、フツーに隠れている味がなつかしく、愛おしい。
とってもゆるやかな時間が、ゆるやかに流れている。
一枚一枚をゆっくりと撮っている。コンデジのように、ササッとは撮れないから、まるで眼で愛おしみ、その一刻を惜しむかのようにして、シャッターを押す。
こういう写真を撮っていると、
「おれはもう、死期が近いのじゃないか」と思えることがある。
伊兵衛さんは、入院していた病院の窓から、最後の一枚・・・いわば辞世の写真を撮った。むろんなんてことのない、二階から見下ろした塀の外の路地が写っていた。
ブレッソンはなんだったのだろう。あるいはアジェは?
ちょっと逆説的にいえば、「なんてことのない、普通のよい風景」とは、どこか人生最後に見て、撮影する風景の記憶を呼び覚ます。
それはわたしがまだ見たことのない・・・、しかしなぜか記憶の底のほうに眠っている「普通によい風景」なのだ。
「夜が明けるから目覚めるのではない。目覚めたから夜が明けるのだ。目覚めぬ者に夜明けは来ない」
老年になるとは、こういうことばが身にしみて理解できるようになるということであろう。
こういった思いを胸底にしずめて、普通の風景を眺める。すると、ありふれた一輪の花が、大きな鳥影のように、わたしの感覚を襲うことがある。一瞬だけわたしの心を鷲掴みにして、つぎの瞬間には何事もなかったように消え去る。
そして・・・フツーの風景に、フツーに感動したことを納得する。
それがわたしの「よい風景」なのだ。
はるか彼方、もう一つの世界からの触手でもあるかのように。
<共通データ>
カメラ:ニコンF3 キヤノンF-1
レンズ:50ミリF1.4
フィルム:コダカラーGOLD100
(現像したネガフィルムからのスキャン)