今日は水曜日。
平日休みなので、一般のサラリーマンにとっては日曜日にあたる。
年下の友人をのぞくと、知りあいの大部分は「毎日が日曜日」という、
うらやましいような、おそろしいような生活を送っているが、60になったので、こんなことはじめました・・・という前向きな連絡が、一本も寄せられないのはどうしたことだろう。
トップは「テンちゃんが見つけ、こしらえた避暑地」でくつろぐわが家のオス猫テンちゃん。なんの用もない無為徒食のアホなので、来る日もくる日も寝てばかりいる(=_=)
本人は自分が猫であることに、さぞやうんざりしているだろう。それとも漱石の猫のように、人間に対し、辛辣かつ非情なまなざしをそそいで、猫の生活をそれなりエンジョイしているのかな(笑)。
今日はあまり暑くならないにうちに、除草剤5L×2を、1時間半ばかりかけて散布した。
物件管理があるため、仕事でも、雑草相手に、汗みずくになって闘っている。
やればやったなりの眼に見える成果が出るため、やり甲斐のない作業ではないが、なんといっても大敵は蒸し暑さ。
桃につくカナブンやハナムグリには消毒薬が効かないとわかったので、こんな袋を12枚ばかり被せてみたが・・・。
本来は傷みやすい桃などのクッション材。今年は父親が病気療養中のため、わたしが一人で奮闘している^^;
真夏になると、毎年わたしは読書モードにシフトチェンジし、あまり撮影には出かけなくなってしまう。
昨年800冊弱の本をBOOK OFFに叩き売ったが、まだ2000冊は家のあちこちに置いてあるし、年間5、60冊は本がふえつづけている。
上は最近よく読み返している近・現代詩。
下は永井荷風を中心にピックアップしている文庫本。
このあいだ、安岡章太郎さんの「私の濹東綺譚」をたいへんおもしろく読んだため、荷風熱がやや復活している。(ぼくとうきだんのぼくは墨に同じ)。
「濹東綺譚」はいまさらいうまでもなく、近代文学屈指の名作として、これまで3、4回読んでいる。
http://www.amazon.co.jp/%E5%A2%A8%E6%9D%B1-%E3%81%BC%E3%81%8F%E3%81%A8%E3%81%86-%E7%B6%BA%E8%AD%9A-%E5%B2%A9%E6%B3%A2%E6%96%87%E5%BA%AB-%E6%B0%B8%E4%BA%95/dp/4003104153
これがその岩波文庫の表紙。
こちらは挿絵の中の一枚。
(いずれもネット検索のいただきものです、ありがとうございます)
なんといっても木村荘八さんの挿絵がすばらしい出来映えなので、本編はこの文庫以外ではページを開く気にならない(^^)/
荷風のもう一冊ということになると、以前も書いた覚えがあるけれど「日和下駄」ということになる。
この「日和下駄」こそ、わたしの街撮りのバイブルなのである。
わが国の「散歩写真」の原点は、永井荷風にある。
荷風がローライのいまとなっては古めかしい二眼レフをぶらさげて撮影した写真が、昭和の終わりころになって、ずいぶん発掘された。
フラヌール(都市の遊歩者)のはしりはいわずとしれたボードレール。
しかし、この詩人が生きた時代には、小型で持ち歩き可能なカメラは、まだ出現していなかった。
さすがに芸者小説のようなものは手に取る気にはならないが、「濹東綺譚(ぼくとうきだん)」と「日和下駄」の二冊によって、そして荷風が残した写真によって、荷風はわたしのこころにいまも生きつづけている。
YouTubeを見ていたら、こんな動画を発見。
http://www.youtube.com/watch?v=RAOzpcQN1fc
・・・そうか、何年か前、「濹東綺譚(ぼくとうきだん)」は映画化されたのだった。
この小説は、受け止め方によっては、女性と人生に対し、偏屈で峻烈極まりない世界を描いている。荷風の孤独が招き寄せた、哀切な白昼夢といっていいだろう。
こういう世界に溺れると、火宅を生きねばならぬのが、ますます辛くなっていく。「まずいな、それって」と思いながら、また近づかずにはいられない・・・そういう夏がやってきたということだ。
平日休みなので、一般のサラリーマンにとっては日曜日にあたる。
年下の友人をのぞくと、知りあいの大部分は「毎日が日曜日」という、
うらやましいような、おそろしいような生活を送っているが、60になったので、こんなことはじめました・・・という前向きな連絡が、一本も寄せられないのはどうしたことだろう。
トップは「テンちゃんが見つけ、こしらえた避暑地」でくつろぐわが家のオス猫テンちゃん。なんの用もない無為徒食のアホなので、来る日もくる日も寝てばかりいる(=_=)
本人は自分が猫であることに、さぞやうんざりしているだろう。それとも漱石の猫のように、人間に対し、辛辣かつ非情なまなざしをそそいで、猫の生活をそれなりエンジョイしているのかな(笑)。
今日はあまり暑くならないにうちに、除草剤5L×2を、1時間半ばかりかけて散布した。
物件管理があるため、仕事でも、雑草相手に、汗みずくになって闘っている。
やればやったなりの眼に見える成果が出るため、やり甲斐のない作業ではないが、なんといっても大敵は蒸し暑さ。
桃につくカナブンやハナムグリには消毒薬が効かないとわかったので、こんな袋を12枚ばかり被せてみたが・・・。
本来は傷みやすい桃などのクッション材。今年は父親が病気療養中のため、わたしが一人で奮闘している^^;
真夏になると、毎年わたしは読書モードにシフトチェンジし、あまり撮影には出かけなくなってしまう。
昨年800冊弱の本をBOOK OFFに叩き売ったが、まだ2000冊は家のあちこちに置いてあるし、年間5、60冊は本がふえつづけている。
上は最近よく読み返している近・現代詩。
下は永井荷風を中心にピックアップしている文庫本。
このあいだ、安岡章太郎さんの「私の濹東綺譚」をたいへんおもしろく読んだため、荷風熱がやや復活している。(ぼくとうきだんのぼくは墨に同じ)。
「濹東綺譚」はいまさらいうまでもなく、近代文学屈指の名作として、これまで3、4回読んでいる。
http://www.amazon.co.jp/%E5%A2%A8%E6%9D%B1-%E3%81%BC%E3%81%8F%E3%81%A8%E3%81%86-%E7%B6%BA%E8%AD%9A-%E5%B2%A9%E6%B3%A2%E6%96%87%E5%BA%AB-%E6%B0%B8%E4%BA%95/dp/4003104153
これがその岩波文庫の表紙。
こちらは挿絵の中の一枚。
(いずれもネット検索のいただきものです、ありがとうございます)
なんといっても木村荘八さんの挿絵がすばらしい出来映えなので、本編はこの文庫以外ではページを開く気にならない(^^)/
荷風のもう一冊ということになると、以前も書いた覚えがあるけれど「日和下駄」ということになる。
この「日和下駄」こそ、わたしの街撮りのバイブルなのである。
わが国の「散歩写真」の原点は、永井荷風にある。
荷風がローライのいまとなっては古めかしい二眼レフをぶらさげて撮影した写真が、昭和の終わりころになって、ずいぶん発掘された。
フラヌール(都市の遊歩者)のはしりはいわずとしれたボードレール。
しかし、この詩人が生きた時代には、小型で持ち歩き可能なカメラは、まだ出現していなかった。
さすがに芸者小説のようなものは手に取る気にはならないが、「濹東綺譚(ぼくとうきだん)」と「日和下駄」の二冊によって、そして荷風が残した写真によって、荷風はわたしのこころにいまも生きつづけている。
YouTubeを見ていたら、こんな動画を発見。
http://www.youtube.com/watch?v=RAOzpcQN1fc
・・・そうか、何年か前、「濹東綺譚(ぼくとうきだん)」は映画化されたのだった。
この小説は、受け止め方によっては、女性と人生に対し、偏屈で峻烈極まりない世界を描いている。荷風の孤独が招き寄せた、哀切な白昼夢といっていいだろう。
こういう世界に溺れると、火宅を生きねばならぬのが、ますます辛くなっていく。「まずいな、それって」と思いながら、また近づかずにはいられない・・・そういう夏がやってきたということだ。