いつかやってくる人をもうずいぶん長いあいだ待っている。その人はいま どのあたりにいるのだろう。たっぷりとした髪を後ろになびかせているけど白馬に跨っているわけじゃない。ロングスカートの裾から きゅっとひきしまったくるぶしが見えかくれしている。きみの眼の端のほうで
ロウソクの灯りのようなものがゆれて ゆれてそれは少年だったころのぼくを虜にした
あの遠い灯りなのだ。
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「時空を旅する」というと、いかにもキザというか、カッコつけに聞こえるだろう。わたしが菅江真澄にヒントをえて、「郷土遊覧記」をはじめたのは、わたしが還暦をむかえたことと、なにか相関関係があるのかもしれないと考えるようになった。この年齢となると、未来よりは、過去のほうが、分厚い地層をもっている。過去をいたずらに美化しようとはおもわないが、「なつかしい」という感情が、これほど激しいとは、最近になるまで気がつかなかった。それは経験してみないと、だれにもわからないだろう。ある種のパッションとして、なつかしさの感情が、わたしの心身をさらっていく。
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8日間の大型連休が今日でおしまい。働きに出るようになって、サラリーマン時代、自営業時代を通じ、こんなにまとめて仕事を休んだのは、たぶんはじめて。5連休はよくあるけれど。このところ活字ばなれが激しく、カメラ、写真関連の本しか読めないという状態が長らくつづいた。ところが、一昨日、ふとしたはずみで手に取った宮崎市定さんの「隋の煬帝」(中公文庫)がおもしろくて、2日間で読んでしまった。で・・・宮崎さんといえば、たしか「大唐帝国」(中公文庫)ももっていたはずだと考えてあちこち探しまくったが、見つからない(^^;) . . . 本文を読む
すでに書いたように、年末年始は遠出をひかえ、時間をとってご近所散歩。相棒はほとんどE-M5である。これに12-50mmEZ EDレンズをつけっぱなしでふらふらとイヌのようにほっつき歩いてきた。といっても、地図もナビもなく、クルマで出かけていって、知らない場所で被写体をさがす・・・というカメラ散歩。「郷土遊覧記」の年末年始特別編といったおもむきである。昨日は初詣をすませたあと、北藤岡界隈から、新町にかけて歩いた。そうしたら、ある寺で、思いがけないものに遭遇!
群馬県藤岡市内を走る関越高速バス事故で亡くなった人たちの慰霊塔。
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