すでに書いたように、年末年始は遠出をひかえ、時間をとってご近所散歩。
相棒はほとんどE-M5である。
これに12-50mmEZ EDレンズをつけっぱなしでふらふらとイヌのようにほっつき歩いてきた。
といっても、地図もナビもなく、クルマで出かけていって、知らない場所で被写体をさがす・・・というカメラ散歩。「郷土遊覧記」の年末年始特別編といったおもむきである。
昨日は初詣をすませたあと、北藤岡界隈から、新町にかけて歩いた。
そうしたら、ある寺で、思いがけないものに遭遇!
群馬県藤岡市内を走る関越高速バス事故で亡くなった人たちの慰霊塔。
わたしは不意を衝かれ、しばしその場を動くことができなかった。
寺の裏手へ回ると、高速道が見える。
7人が死亡、39人が重軽傷を負うというあの大事故があったのは、2012年4月29日。
わたしの記憶からは、うすれかけていたのだ。
去る者は日々に疎し。
人間とはなんとまあ、かんたんに過去を忘れてしまうものだろう。
だから墓や慰霊碑が必要になる。「忘れてはいけないぞ!」と、こうべを垂れ、合掌しながら自分にいいきかせる。
初詣をすましたばかりのため、近隣の小さな神社や寺がとても気になって、素通りすることができなかった。
こちら群馬には、神社や寺に、太平洋戦争で戦死した兵隊さんたちの「忠魂の碑」が、いたるところにある。
それは「生き残った人びと」が、有志をつのって資金をあつめて建立した石碑。
あの戦争がいかに大きな爪痕を、田舎の小さな村々に残したか、痛感せずにはいられない。
それから気を取り直し、クルマを走らせた。
名所や旧跡など、だれもがレンズを向けたがるような場所にはわたしは用はない。
むしろ忘れられてしまったもの、忘れさられようとしているものばかりが、眼に沁みてくる。
光と影が織りなす、音のない静かなドラマ。
観客はむろん、わたしだけ。
E-M5のセットレンズ12-50mmEZは万能レンズで、わたしの場合、これ一本あれば、ほとんどレンズ交換の手間いらず。
レンズのボタンを押しながら鏡胴をスライドさせれば、即席のマクロレンズになる。コンデジのように、広角接写ではないから、汎用性は極めて高いといえるだろう。
もっぱらウェブでの使用なので、わたしはこれで十分。コスパ最高! ・・・といっておこう。
この一枚を撮ったとき「ああ、おれも地面から生えてきたきのこのようなもんだな」と思った。
この地面、つまり地球から生まれ、地球に骨となって帰っていく。
そこに、なんの不思議があろうか。
われわれの体も、つまりは地球の循環系の一端につらなっている。
老いて、
その時期がきて、
死んで、
また故郷へ帰るのである。母なる地球のふところ深くへと。
相棒はほとんどE-M5である。
これに12-50mmEZ EDレンズをつけっぱなしでふらふらとイヌのようにほっつき歩いてきた。
といっても、地図もナビもなく、クルマで出かけていって、知らない場所で被写体をさがす・・・というカメラ散歩。「郷土遊覧記」の年末年始特別編といったおもむきである。
昨日は初詣をすませたあと、北藤岡界隈から、新町にかけて歩いた。
そうしたら、ある寺で、思いがけないものに遭遇!
群馬県藤岡市内を走る関越高速バス事故で亡くなった人たちの慰霊塔。
わたしは不意を衝かれ、しばしその場を動くことができなかった。
寺の裏手へ回ると、高速道が見える。
7人が死亡、39人が重軽傷を負うというあの大事故があったのは、2012年4月29日。
わたしの記憶からは、うすれかけていたのだ。
去る者は日々に疎し。
人間とはなんとまあ、かんたんに過去を忘れてしまうものだろう。
だから墓や慰霊碑が必要になる。「忘れてはいけないぞ!」と、こうべを垂れ、合掌しながら自分にいいきかせる。
初詣をすましたばかりのため、近隣の小さな神社や寺がとても気になって、素通りすることができなかった。
こちら群馬には、神社や寺に、太平洋戦争で戦死した兵隊さんたちの「忠魂の碑」が、いたるところにある。
それは「生き残った人びと」が、有志をつのって資金をあつめて建立した石碑。
あの戦争がいかに大きな爪痕を、田舎の小さな村々に残したか、痛感せずにはいられない。
それから気を取り直し、クルマを走らせた。
名所や旧跡など、だれもがレンズを向けたがるような場所にはわたしは用はない。
むしろ忘れられてしまったもの、忘れさられようとしているものばかりが、眼に沁みてくる。
光と影が織りなす、音のない静かなドラマ。
観客はむろん、わたしだけ。
E-M5のセットレンズ12-50mmEZは万能レンズで、わたしの場合、これ一本あれば、ほとんどレンズ交換の手間いらず。
レンズのボタンを押しながら鏡胴をスライドさせれば、即席のマクロレンズになる。コンデジのように、広角接写ではないから、汎用性は極めて高いといえるだろう。
もっぱらウェブでの使用なので、わたしはこれで十分。コスパ最高! ・・・といっておこう。
この一枚を撮ったとき「ああ、おれも地面から生えてきたきのこのようなもんだな」と思った。
この地面、つまり地球から生まれ、地球に骨となって帰っていく。
そこに、なんの不思議があろうか。
われわれの体も、つまりは地球の循環系の一端につらなっている。
老いて、
その時期がきて、
死んで、
また故郷へ帰るのである。母なる地球のふところ深くへと。