(紫蘭・・・・名前を知っていると、繋がり方が違う。ことばの秘密まだまだ深いナぁ)
売れない作家の悩みは、倉庫。
私だけではなく、私の知りうる作家のみなさんのほとんど共通の悩みです。
作品は毎日、生きてる限り生まれてきます。しかし売れませんから身の回りにどんどん溜まるばかりです。
私事ですが、貯まる絵は私の排せつ物で、いわば肥溜めに浸っているようなもの。しかし私の眼には、私の生きた証し、自分の真実が込められているもの。いつか世にでると思い続けます。
5次元を意識し、空間を神とイコールで結びつけられるようになったと思いながら、実は私の心にこびりついている思いが、作品倉庫なのです。
作品倉庫は、過去の自分の遺物を集めて、「私」を主張し続けます。
ありがたいことに、最近、具体が見直され、会員だったわが師、松田豊の作品が世界で認められるようになり、倉庫で眠っていた作品が、20年の歳月を経た今、一斉に世に出ていきました。早くに逝ってしまわれたけれど、師は間違いなく、超一流の作家だったのです。
すると、師の作品の横に身を寄せていた私の作品群だけが倉庫に取り残されることになりました。そうなると、私の作品だけそこに居続けるわけにはいきません。
作品をどこに持っていこう・・・・にわかに私は、自分自身の存在に悩まされることになったわけです。
己という我の重さをまともに背負わされたとき、今まで見えていなかった自我の塊を意識させられました。
苦悩が生まれてくる。泉のように湧き出してくる苦悩の源泉です。私にはそう見えるようになりました。5次元が成長させてくれたのです。
私には、自分にやってくる苦悩の一部始終を、ドラマを見るように観ることが出来る、第二の心が生まれたように思います。無輪リアルタイムに苦悩にまみれはしますが、その苦悩の最中に、声が聞こえて来るのです。その声は、いつも、苦悩から逃れる道を教えてくれます。
「捨てたらいい。」あれこれ考えあぐねている私の思考の最中に、そんな言葉が静かにやってきました。そんな感じで、第二の心が広がったと言えばいいでしょうか。
あれも、これも、と思っていた重圧が嘘のように消えてなくなりました。
その瞬間、私の心の倉庫は空っぽになったのです。
空っぽになった倉庫に、5次元空間が満ちてくる。
なんとなく、5次元を生きるということは、こういうことなんだと思えるのです。
空っぽ以上に身軽なことはありません。
これなら、今この瞬間を芸術することが出来る。そう思えるのです。
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