2020年の龍(完成)
330×730
キャンバスに鉛筆
新年あけましておめでとうございます
新年の龍(画廊ぶらんしゅにて展示します)
四匹の龍が皆様のご多幸をお祈りいたします。
本年も
のしてんてん(絵画と思索)をよろしくお願いいたします。
2020年の龍(完成)
330×730
キャンバスに鉛筆
新年あけましておめでとうございます
新年の龍(画廊ぶらんしゅにて展示します)
四匹の龍が皆様のご多幸をお祈りいたします。
本年も
のしてんてん(絵画と思索)をよろしくお願いいたします。
行く方向が定まって、
そこに向けて飛んでいる感じがします。
追伸
私のブログコメント欄にのしてんてん様からの
ありがたきおことばがあって
それに返答を残しておきましたが、
内容がのしてんてん様の自己解釈に関わったようで
ここに私からの返事の部分をコピーしておきます。
『のしてんてん様が描いた絵をもらった時、
なぜに私がのしてんてん様に信頼を感じていたかが
分かりましたね。
言葉では言い表すことができなかったのでしたが、
信頼とは、感覚なのかなと思えました。
絵を依頼して発送されるまで
その過程は正に信頼そのものでした。
他人にはご自身のことばを果たすより遥かに真剣に責任を全うする人だと感じさせる誠実さがありました。
信頼に値するかどうかは
自分が決めることでなく
他人が決めてくれる評価かなとも思います。』
追伸2
のしてんてんさまに目標や宣言したことの中で
未だに実行していないのがいくつかあります。
来年はそれらを実践しようと思います。
ここはまだ年が明けてないのですが、
新年には望むことが叶えることを祈ります。
今年もお世話になりました。
新年もよろしくお願いします。
桂蓮様の感想は私自身の感触とよく似ていて、それがとても嬉しくまた励みになりました。
龍を発想して3年かかってやっとここまでとも言えますが、私にしたらその道程は自分を真実に近づけるための作業であり、いくらかでもそれが進んでいると認めて頂けるのは本当にありがたいことです。
信頼というキーワードで桂蓮様が発信されたことがらは、私の龍の探求から照らして言えば、互いが互いの意に沿うような生き方をするという事ではなく、たとえ正反対の道を歩んでいたとしても、【互いが「己に正直」に生きている】という確信なのです。その信頼があれば、異教徒間であれ、対立する学派であれ、どんなに異なった道を歩んでいても、いつか同じ道に行き着くという共通の理解が生まれる。そう思えるようになりました。それが信頼という言葉に対する私の共鳴するところです。
ただ、己を見つめて己に正直に生きるだけでいい。そう思うのです。
つまり、己をお留守にしている人の信頼は得ても得られなくても、それはあまり意味がないという事でしょう。
世間に流されないで、己の中にある指針だけを見つめて進んでいけたらそれが一番素晴らしいのではないでしょうか。
こんな話が出来るというのが、何よりうれしいことです。
こちらこそ、よろしくお願いいたします。