宇宙モデルから見た空の働き。光は物質の外側を照らし、意識は内側を照らし出す。その違いはスケールである。
安定した物質は動かない。つまりそこには「快・不快」は存在しないのである。
逆に不安定な物質は揺れ動く。そして揺れ動く中にこそ「快・不快」が現れる。つまりそこに命の本質がある。そう考えると成長する波の、基準となる宇宙意識が見えてくるのである。
成長は、物質の関係が不安定だからこそ成り立つ。成長のエネルギーは、不安定を安定させようとする力だとみていいのである。宇宙意識の働きをここに見ることが出来るのだ。
この宇宙意識が「快・不快」を生み出す基準となっている。それをとらえると以下のようになる。
「快」とは、いのちを保存する方向に生まれるエネルギーである。
これは宇宙と共鳴する身体エネルギーともいえ、自己意識が宇宙意識とシンクロする状態だと言える。当然心地よいと感じるだろう。宇宙意識を心地よいと感じるのは、私たちが宇宙の子であるという証なのである。
「不快」は、逆にいのちを破壊する方向に生まれるエネルギーだと考えられる。つまり「快」とは真逆に、自己意識と宇宙意識の対立、混乱と言えるだろう。「不快」は宇宙意識に反するエネルギーだと考えると、心地悪さを感じた自己意識は、必然的に「快」に進もうとする。つまり「不快」によって進む方向が定められていると言っていいのである。「不快」があるから人は成長を保証されているのだ。
「快・不快」はいのちの素晴らしいシステムである。そしてその正体は波動なのだ。いのちとは「快・不快」の波なのである。
いのちは、宇宙と共生する螺旋の運動である。その運動エネルギーを自己意識が宇宙意識とすり合わせて「快・不快」を感じ取るのであろう。
身体に現れる「快・不快」を具体的に見てみよう。
呼吸はこんなふうに説明できる。
上の図は、呼吸の際に現れる「快・不快」の波を表してる。呼吸は吸って吐く波の運動であるが、その運動を支えているのが「快・不快」の波であることが分かるのである。
[1] 吸う
①「快」・・・ 体内に酸素を取り入れる。これは身体にとって「快」である。
①「快」・・・体内に酸素を取り入れる快感。
さらに、身体的「快・不快」の運動をもっと大きな視点で見るとこんな風景が見えてくる。命のリズムのさらに大きな波は眠りと目覚めの繰り返しに見られる。それを自己意識と宇宙意識の関係でみると次のようになる。
下の図は、身体をシーソーに例えたものである。
身体をシーソーの本体だと考えて、上から順にその図の説明をしてみよう。
[1]目覚め
目覚めた瞬間の身体は「快・不快」が安定した最も新鮮な状態である。支点の上で安定している。
宇宙意識=自己意識の始まり・・・スッキリした目覚め
[2]活動
目覚めて活動しはじめると、体内の「快・不快」のふり幅が大きくなっていく。「快・不快」の運動がシーソーを大きく揺れ動かす。
宇宙意識<自己意識・・・濁った意識
[3]休息
休息することで「快・不快」のふり幅が小さくなる。
宇宙意識>自己意識・・・自己意識のクールダウン
[4]眠り
体内に起こる「快・不快」は、眠りによって癒され、リセットされる。
宇宙意識=同化する自己意識・・・濁った水が澄むように自己意識が消えていく。
こうして [1]~[4]を3万回ほど繰り返すと死という新たな境地が訪れる。
[5]死
身体が崩壊し、自己意識から「快・不快」が消える。
宇宙意識=全うした自己意識・・・回帰の喜び
このよに、不安定性が生きる力となって命を育んでいるのである。
宇宙意識と自己意識を重ね合わせて現れる「快・不快」が一日の活動で最大になり、それを眠りで癒すというリズムを繰り返しながら生きているのだ。
この生命活動を、私たちは、「快・不快」という感覚で受け取り、自分を作り上げている空間のエネルギーを認識しているのである。
つまりここが重要なところなのだが、「快・不快」とは、物質を浮かべている空間のことなのである。
私たちは空間を、触れないし見えない、認識できないものと思い込んでいるが、それは大きな間違いだと言わねばならない。私たちは自分の手に触るのと同じように空間と触れ合っているのだ。いやそれ以上に、私たちは空間そのものなのである。
空間が自分だと気づかないのは、リンゴの実が自分がリンゴだと気づけないのと同じ原理なのである。
以上が心を生み出す身体の基本的なとらえ方である。ここから、人間の心が生まれてくる風景を見ていくことにしたい。
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