五、チュウスケの復讐
パルサー星の背後に巨大な黒い影があった。注意深く見れば、パルサ星の向こうに広がっている星空が、奇妙な形に切り抜かれたように見えているのに気づいたはずだ。
その影の部分だけ、まさに星空を切り抜いたように真っ黒な形を作り出しているのだ。そしてその形は、巨大なネズミの輪郭を描いていた。その黒い影はチュウスケだった。
「今に見ていろチュウ、スケール号め、今度こそ宇宙のちりにしてやるだチュウ。」
チュウスケはニヤリと笑った。
チュウスケはネズミで、魔法使いの大怪盗、どこにでも出没して悪事をたくらむ。
しかし、その度にスケール号に阻まれて悔しい思いをして来たのだ。機会さえあればスケール号をやっつけてやろうと、チュウスケの思いはますますつのっていき、今や巨大な星をしのぐ大きさになっていた。
チュウスケはここでスケール号を待ち伏せしていたのだ。
長い間、スケール号の様子をうかがいながら宇宙を漂い、チュウスケはようやくチャンスをつかんだ。
スケール号はまだ気づいていないが、チュウスケには大きな切り札があったのだ。それはチュウスケの後ろに隠されている漆黒の穴、ブラックホールだった。
ブラックホールと言うのは、宇宙に出来た大きな穴のことで、そこに落ち込んでしまうと、光さえ外に出ることが出来ないと言われている、魔の空間なのだ。
そこでは強い力が働いていて、その穴に飲み込まれたものはどんなものでも、その圧力によって、跡形もなく押し潰されてしまうのだ。
ブラックホールに飲み込まれたものは、一生そこから逃げ出すことが出来ない恐ろしい宇宙の穴、そんな不気味な真っ黒い空間がチュウスケの背後にぽっかり口を空けているのだった。
チュウスケはその穴に、スケール号を誘い込もうと企んでいるのだ。
「今度こそ思い知るがいいだチュ。」
チュウスケはおもむろにパルサー星をつかみ、パルサー星から出ているレーザー光線を剣にしてスケール号に挑みかかって行った。
「艦長、パルサーの光線がこちらに向かって来ます!」ぴよんたが耳をピンと張って叫んだ。
「何!」
「危ないでヤす!」
「スケール号、横に飛んで光線を避けろ。」
「ゴロニャーン」
スケール号はヒラリと身を横に移して、パルサーの一撃をかわした。パルサー星の向こうに、巨大な影が見えた。その部分だけ星のまたたきがなく、漆黒の闇になっていた。それは見たことのある形をしていた。
「あっ、あの影はネズミでヤす。」もこりんが叫んだ。
「艦長、もしかしてあれはチュウスケネズミではないだスか。」
「あるいはな。」艦長が巨大なネズミの影をにらみつけた。
「チュウスケ、こんな所にいたのか。」ぴょんたが、耳をいなずまのように、曲げて叫んだ。
「チュハハハハ、待っていたぞスケ-ル号、こんどこそ終わりだチュウ。」
ヒラリと、かわしたスケール号を、今度は左から、パルサーの剣が、襲い掛かった。
スケール号は大きく横に回り込んで、パルサーの剣先をかわしながらチュウスケに接近した。
すると、パルサーの反対側の剣がスケール号を迎え撃った。
「艦長、前から来ます!」
「スケール号飛べ!」
「ゴロニャーン」
スケール号は真っすぐ上に飛んで、そのままチュウスケを飛び越えた。スケール号はチュウスケを真下に見たとき、ビームを発射した。チュウスケは前に飛びのいてスケール号の攻撃をかわし、パルサーの剣を大きく振り回した。
スケール号とチュウスケはそのまま体を入れ替えた。チュウスケの背後に隠れていたブラックホールの不気味な丸い口が、今度はスケール号の後ろになった。
チュウスケはパルサーの剣を車輪のようにくるくる回し始めた。パルサーの両刃の剣はだんだん勢いをつけて、ぶんぶんプロペラのように回りだし、宇宙空間に果てしなく大きな円盤の壁を作り上げたのだ。その円盤がじりじりスケール号に迫ってくる。その度にスケール号は後ろに下がった。
「スケール号、出来るものならこのパルサーの剣の壁を破って見るのだな、チュウチュウ。」
チュウスケは巧みに、スケール号の注意を前のほうに引き付け、じりじりとスケール号を背後に押しやって行った。そこにはブラックホールが、ぽっかりと不気味な口を開けて獲物を待ち構えているのだ。スケール号はそれを知らない。
ぐるぐる振り回すパルサーの剣はスケール号に逃げ場を与えなかった。スケール号が動けるのは後ろにさがるだけだった。
後ろにさがりながら、スケール号は二発目のビームをパルサーの中心を目がけて発射した。しかしそれはいとも簡単にパルサーの剣の壁に跳ね返されてしまった。
「ばかめ、むだだチュウ。そんなものでこのパルサーの両刃の剣を破れると思うチュウのか。」
チュウスケはスケール号を挑発しながら前に踏み出して来る。そして巧妙にスケール号をブラックホールの方に追い詰めて行った。
だが、艦長以下乗組員の全員がパルサーの剣に気を取られていた。まさにその背後にブラックホールの真っ黒な口が迫っている。その魔の穴の引力がすでにスケール号を捕らえ始めていた。スケール号の計器類が最初は気づかないほどに、やがて少しずつ震え始めたのだ。
「艦長、何かおかしいでヤす。」
もこりんが言ったその時、ぐるぐる回るパルサーの剣のすき間をぬってチュウスケの渦巻攻撃が飛び出して来た。
「死ね、スケール号!」
つづく
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宇宙の小径 2019.6.20
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意志疎通
意志疎通(コミュニケーション)は言葉のやりとりである
いえこれはとんでもない誤解だ
言葉でコミュニケーションを図るというのは
とても慎重に考えなければならない
というのも
言葉は単に
道具に過ぎないからだ。
言葉に傷つくこともあるし
言葉に救われることもある
思わず言ったことばに傷つけられることもあれば
何気なく言ったことばに救われることもある
いずれにしても
発した言葉は
もう元には戻らない
だからこれだけは知っておかなければならない
言葉の背後には
ブラックホールが口を開いているのだと。
それはこちらからは見えない
という事は
向こうからもこちらは見えないのだ
その真ん中に言葉がある
意志疎通というのは
つまり
言葉を手がかりにして
互いのブラックホールを
感じ合うことなのかも知れない
手に取ることのできない
相手の心だからこそ
信じあうことが
意志疎通の第一条件なのだ。
分かり合うという事は
ポンと答えが出てくるという事ではないだろう。
それは
たくさんの行き違いの歴史の上に
なお崩れない
信頼関係が生まれた時なのだろう。
喧嘩して
分かり合えたら
それは最高の
コミュニケーションなんだと思う
コミュニケーションなんてへっちゃらで
自分が言いたいことを一方的に言います。
全部がそうではないのですが、
平均以上の人がその傾向なのです。
私も韓国にいた時は
常に口喧嘩状態でした。
私は聞き側というか、
人と喋るのが嫌いだったので、
聞いて、聞いて
それが満杯になった時
総まとめをする、みたいな感じでしたかね。
私の姉とも結構喧嘩しました。
言ってはならないことも言っちゃうので
後は残るものが無くなって
酷いことも、まあいいか、みたいな感じになってましたね。
喧嘩中に言ったことや言われたことは
それが激しければ激しかったほど
完璧に言い放つことができたから
暫く、無言の状態があって
いつの間にか、
仲直りしてましたね。
日本で一番、できなかったことは
その喧嘩でした。
喧嘩になる前に
妥協してしまう感じで、
言ったら言ったで、
それで人を攻撃してくるから
信じて ことを言えなかったです。
韓国人の喧嘩が恋しかったでしたね。
韓国人は当の本人に
あんた、ブスだねー整形の見積もりも出ないや!と
女の子に平気でいいます。
聞いた子は、
そうだ、ブスだ、それがなにだ?
とかかってきます。
そうできない子は
行先、精神病院ですかね。
ブラックホールなんか
考える暇ないじゃないですかね。
Keiren様の韓国人気質、三割さし引いたとしても、なんとなく分かる気がします。
私の経験では、喧嘩ではないのですが、日常会話の中にしっかりした自己主張を感じました。私にはないさわやかな心根です。
喧嘩はその延長上にあるのかもしれませんが、日本人にはないとてもいい側面だと思いましたね。
基本、前に出る意志が強いのだと思います。反面日本人は引くことが多い気がします。
この文化の違いはどこから来たのかよくは分かりませんが、大陸的な発想と、島国的な発想なのかも分かりませんね。
思うのですけれど、
其々の文化のの中で、誰もが心のブラックホールを考えるゆとりなどない。生きるためにみな必死なのですから。
でも大事なのは、それを認めたうえで、見えない自分の正体を探し求めることなのではないでしょうか。
人類を川と考えたら、一人の人間は岩に砕け散る一粒の水滴。
なのをどうしようが、大河の流れをどうこうすることなど出来るものではありませんね。
出来ることはただ一つ、水滴を100%生きることでしょう。己の信じられる真実にめぐりあうことなのでしょう。
「そうできない子は
行先、精神病院ですかね。」
この子にしたって、己の命を100%活かせる可能性は充分あると思うのですね。
答えなど分かる筈もありませんが、私は自分の苦悩を通して、私の出来る100%を生きて見たいと思うのです。
Keiren様の視点からは、人間もまた野生という強い意志を感じます。もしそうなら素晴らしい個性だと思います。
いつもありがとうございま^す^
それはその通りですが、その一方で、喧嘩が出来ない(しないのではなくしたくても出来ない)者もいるという事です。
勝てないし、思うことが人に言えないという事もある、そんな弱い論理で生きている人が半分はいるという事を感じてしまうのです。
この半分にとって、何が出来るのかと言えば、言葉の裏にある己のブラックホールの大切さ。そこに最高の価値があるという理解に行き着くこと。そこに道があるという事を言いたいわけですね。
強い弱いは単なるその人の性質。その内にあるブラックホールこそ、共有すべき価値、コミュニケーションの本質ではないかと思うのですが・・・・・
理想と言われればそれまでですが、万人が平等に持っている価値。行き着く努力をするのはそこなんだと・・・・
間違いなく正しいと思うことは、恐怖という感覚をいとも簡単に克服してしまいます。
喧嘩では済まなくなることが当然あり得るわけですから喧嘩しないに越したことはないと思います。
間違いのないと思われる確信を、再検討することは話し合いでできると思います。
この一文はまさに、完全なる悟りの境地ですね。
間違いなく正しい。この思いを一抹の疑いもなく持ち得たものは、恐怖も孤独も、一切の煩悩を自然のごとく消し去る。それは克服ではなくあるがままの姿に還るということなのでしょうね。そこでは喧嘩などすでに存在しないでしょう。
確かに間違いなく正しいと、知識ではなくこの存在そのものが思うこと、それは理想ですが、正直私の心はまだそこまで至っておりません。悟りは数パーセントの人のものなのかもしれません。
だからこそ、
「間違いのないと思われる確信を、再検討することは話し合いでできると思います。」というZIP様のご意見に大賛成なのです。
そして、そこに至るためには、喧嘩だってかまわない。相手の人格を卑下し損なわない限りにおいてです^が^
悟りは聖者だけのものではない。話し合いでたどり着く可能性はきっとあると思うのですね。大げさな言いようですが、人類の悟りです。(大風呂敷という自覚はありま^す^)
その一つが五次元という概念にあるのではないか、長年そう思い続けているのです。
どうか、知恵を分かち合っていただけたら幸いです。
同じように、正しくないことは、正しいことを完全に理解していないと言えないわけです。
完全な理解が果たして可能かどうか、可能でなければ、「正しいと思う」ことに過ぎないわけですから「正しい」ということではないはずです。
「多分正しいはず」と言うことでは覚束ないわけですから、どうしったって話し合いは必要でしょう。
喧嘩は、正しいと思う思い込みによって起こることです。
言葉は思い込みという作用を伴うものである以上、言葉の作用によって思い込みを排除する必要があるわけです。
もっとも、理解するということも思い込みといえば思い込みなわけです。
恐怖を克服することがもし悟りの境地だとすれば、私には一切縁のないことです。
ご希望には沿えません。
この点は私の考えとは少し違います。
正しいことを指摘されて、かえって喧嘩になることが案外多いいのではないかと・・・
私自身の経験ですが、内心自分で反省していることを、非難されて逆上したことがあります。その怒りは正しいことではなく、恥ずかしいという思いをごまかすための衝動だと、後でわかるのですが、心はどうしたって論理的だけでは動かないのです。
だから話し合いは必要だと、私も同じ考えに至ります。
悟りという言葉が何を指すか、共通の理解が分からないまま書いてしまった私のフライングですね。撤回いたします。
言葉も理解も、思い込だというお話は、まったくその通りだと思います。
一つの言葉を挟んで、互いに自分の思い込みを自分で作っていくしかない。その時、交し合う言葉は案外、自分では思いもしなかったことに気付かせてくれることがある。「中動態」のよう^に^。
コミュニケーションのいいところはそこなのかもしれませんね。
要は感じたまま、思ったままを話し合えばいいという事でしょう。
そのことを私は言っているわけです。
「正しいと思う」に過ぎないことを「正しいこと」にしてしまうわけです。
論理的なことに、感情を伴って思い込ませてしまうわけです。
余計なことを付加する働きが、心であると思います。
今回のお話は私の想いと重なります。
そこから振り返って思えば、「喧嘩は、正しいと思う思い込みによって起こる」というZIP様の言葉の中の「思い込」という言葉を私が限定的に理解していたようです。そのための反論でしたが、
正しいと思おうが、そうでないと思おうが、思考はつまり思い込みに過ぎないという事、そう言われていたのですね。
了解いたしました。深いと思います。
人は物事を理解し記憶にとどめます。このことを私はかねてより、人はものごとを感情と共に記憶すると考えておりました。感情こそ人の本質ではないかと思うのです。
「余計なことを付加する働き」とは感情だと考えれば、重なるのです。
私は今、勝手に喜んでおります。