先日、クスノキの対称風景を紹介した記事に、いただいた真鹿子さんからのコメントの一節にこんな言葉がありました。
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超対称性理論では、
既知のすべての素粒子には、
未発見のパートナー、
つまりお互いに不可欠であるパートナー
超対称性粒子が存在していると
考えられておりますが、
まだ未発見なだけであって、わたくしなどは、
私たちを構成している素粒子はもとより、
ペアの超対称性粒子であると、
認識させていただいておりまが、
そのようにペアの超対称性超ひもの素粒子で、
構成されているからこそ、
私たち地球人類の基本構造も、
左右対称なのではないでしょうか
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己を解放して生き始めますと、個々別々に起こっていることが妙につながって行きます。
エヴァンゲリオンという漫画を読んだのは、安宿が取れず、金銭節約の必要から飛び込んだ漫画喫茶でしたが、エヴァ・・・の全巻を見つけて、読む機会を与えてくれたのだと思いました。
並行して、クスノキの出逢いがあり、その姿に魅かれて撮影した写真から対称風景に思い至り、そこに妖精の姿を発見した驚き。
そして、
この風景は、エヴァンゲリオンの風景そのものではないかという思いに至らせてくれたのが、先に紹介した真鹿子さんのコメントでした。
そう思ってみれば、幹に沿って上から見下ろす黒い影など、エヴァ・・に描かれた人造使徒そのもののようにも見えます。
コメントにいただいた超対称性理論
超ひも理論もこの理論の仲間だそうですが、
いずれにしましても、私にこの理論の学術的理解はできませんので、全てこれは五次元思考から描いた物語と考えていただいて構いません。
ところで、エヴァ・・の物語は、漫画を読まない方には何のことかわからないのですが、アニメなどになって、若者の心を捉えた名作です。
壮大なスケールで描かれた物語ですが、ストーリーは単純明快、「人類補完」に向う人間の心の物語です。
有名な物語なので、ネットで様々な解説を見ることが出来ますので、詳しい話を知りたい方はそちらでご覧ください。
私が魅かれるのは、この物語の主題「人類補完計画」から触発される人の心の姿であり、細部に描かれたストーリーの是非ではありませんので、ご理解ください。
エヴァ・・・に対して、むっちゃんさんからは、こんなコメントを頂きました。
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補完はやっぱり、それぞれが自分のペースで、自分のタイミングでやった方がいい、私はそう思います(笑)。
若い頃はそれが鬱陶しかったような。
世界が一斉に、美しく変わって欲しかった。
『エヴァ…』はやっぱり、青春の物語なのかもしれませんね
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ある意味、人は青春を通り抜けて大人になりますね。
その時、人は大なり小なり尾崎豊のような意識を潜り抜ける訳です。
既成の世界に、己を補完できるものを見いだせない焦りと衝動。エヴァ・・が若者に支持されているのもそこに意味があるのでしょう。
むっちゃんさんのいうように、青春の物語であることに間違いはないと思います。
しかし、もう少し大きな視野で見たとき、
つまり五次元の世界からエヴァ・・を見ると、超対称性理論と符合するものが見えてくる。そんな気がしてならないのです。
私は今、全く後先の考えもなく、ただ流れのままにキーボードを打っているだけですが、その直観が何をひきだそうとしているのか見てみたい。
クスノキ⇒ 対称風景⇒ エヴァ・・⇒ 超対称性理論⇒ 人類補完計画⇒ 神⇒五次元宇宙⇒ クスノキ
意識が循環しているのが分かります。
こんな時はアトリエで絵に向かい合うのが一番です。
いえ、ふと思ったんですけど。
完全なる補完…って。私はどうしても『死』って感じがした理由、なんですけど。
つまりそれは、『絶対』の側に行っちゃうってことかい?と。
美しいけどドン詰まってしまう感が(私は)感じられるんですけど、何故かな~と思ってメシの支度なんぞしていた訳ですが(笑)。
神との合体、みたいな感じ、もうそれから先はナイ、みたいな。
寂しさの戦場で戦う必要はなくなるでしょうが、それでおしまい。
ちっちゃい補完ではそこまでいきませんから(笑)、戦場でも朝日は綺麗だ、等と思いつつ、戦い続ける訳ですが。
完全なる補完だと……そりゃ、世界もブッ壊すでしょうね、この先、必要ナイし〰。
ああ、完全なる補完、ヤメて欲しいッス、やっぱり。
左右対称…私はなぜか”神々しさ”を感じます。…なんでしょう、左右対称の作品を作るとなぜか、完成感が充実。
そしてエヴァについてはほとんど知りませんが汗(おいおい)、若輩ではありますが”心に痛ましい作品”という認識です…でもそこに人間の葛藤や欲、望みの全てがある気がします。
どちらも自然ではない、だからこそ世界だと思います。
自然を左右対称にすると”妖精””儀式”といった非日常なものを見出せる。
理論上最高の案としての人類補完計画(?)
…ただ完全な答えは…生物には危険な気がしてもいます。
「全ての不幸を消すことはできる…自分が死ねば、自分が感じているすべての不幸は消える。」
完全性は…望みつつも…なぜか危険を感じる要素があります。私見ではありますが汗
私もそう行けば、同じ思いを持ちます。
人間讃歌。
我々はそうでなくっちゃ、生きている意味がありませんよね。
思考の限界なのです。
そこが我々が持ち合わせている概念の行き着く最果てなのでしょう。
思考があっていのちがあるのではありませんから、面白くない思考は捨てればいいのです。
完全なる補完ゲームは終了で^す^
生きるということ、あるいはいのちの原理は不完全なのではないでしょうか。
呼吸一つとってみても、不完全性があるから延々と呼吸が続けられるわけですし、
喜びはまさに不完全から生まれますよね。無論苦悩も含め。
しかしその原動力は、完全に向かう思考性。
そこが大切なのだと思うのです。
完全だけを求めるのなら、簡単に死を選ぶ愚を犯すことだってあるかもしれませんね。
折師さんの直観は正しいと思いますし、私もまったく同じ考えを持っていると言っていいと思います。
その直観を、誇りにしたいと私などは思います^ね^。
むっちゃんさんの意見も、きっと同じところを見ているのかもしれませんね。
私たちは精一杯、生きる喜びを感じ、それを表現しなくてはならない。
そう思います^ね^