縄文人(見習い)の糸魚川発!

ヒスイの故郷、糸魚川のヒスイ職人が、縄文・整体・自然農法をライフワークに情報発信!

遥かなり弥生の勾玉・・・能面師からの学び

2023年11月30日 11時22分26秒 | ぬなかわヒスイ工房
能面師から、数ある能面の中でもシンプルな小面(こおもて)が最も難しく、「能面は小面から始まり小面に終わる」と、20代の頃に教えられたことがある。
能面がどのようにつくられているか知らない木工家に小面を注文すると、おそらくは曲面カンナや紙ヤスリで仕上げるだろうが、能面師は根気よくノミだけで平滑に仕上げる。
胡粉を塗って白塗りの小面は、のっぺりしてみえるが横から見ると微妙な凹凸の連続。写真は国立博物館の展示品。
 
カタチだけ真似するだけでは能面にならず、この膨大な手間暇をかけた集注が能面の内実を生むのではないだろうか。勾玉もまたと、平面研磨機で勾玉つくりをするわたしは歯がゆく感じている。
 
余談だが、県展で受賞したばかりの知人のアマチュア陶芸家の元に茶道愛好家が訪ねてきて、抹茶茶碗をみせたら「これではお茶にならない」と買わずに帰ったとのことで「素人のクセに!」と憤っていたが、茶道を真摯に学んだ陶芸家でないと抹茶茶碗はつくれないのだ。
なぜなら大昔の勾玉は手作業であり、わたしは電動工具をつかい、この違いは労力だけではないのだ。
 
手作業は前後の運動方向の作業であり、電動工具は回転運動の作業という違いがあり、この差がつくりだされるモノの決定的な違いとなる。
それが如実にあらわれるのが、球体をした頭部が胴部にえぐり込むような動線で鋭角に接続されている、弥生時代の北部九州の定形勾玉や丁子頭勾玉だ。
 
回転運動だと接続部が鋭角にならず、アールのついた接続部になってしまう。モドキ、なんちゃってのモノマネ・・・なんとかならんか?
時間に余裕ができた今、やわらかい滑石で勾玉つくりを研究してみようと考えている。
 
目標は回転運動の電動工具をメインにし、頭部の接続面周辺だけを前後運動の手作業を組み合わせた、現代と先史時代のハイブリット勾玉だ。
誰もやっていない、思いつかない試みにワクワクする。
 
嗚呼、遥かなり弥生の勾玉。
 
 
 

浅草の風景も人情も様変わり・・・「糸魚川翡翠展2023」

2023年11月29日 10時05分57秒 | ぬなかわヒスイ工房
「糸魚川翡翠展2023」を終えた翌日、晩メシのあとに横になったら暖房も布団もなしの床の上で9時間くらい寝てしまい、寒さで朝4時に目覚めたが、これはほとんど気絶だなw
来場者と話していると他の来場者が話に加わり、意気投合して二軒となりの「ハミングバードカフェ」でお茶したりするのは毎回のこと。知らぬ同士がヒスイ・縄文・ヌナカワ姫の話題で交流の輪を広げていくのが楽しみ。
 
浅草の昔馴染みの飲食店が軒並みに閉店して、タワーマンションなんかが建っていたりと、30年前とはずいぶんと様変わりしている。
タワーマンションの住人は町内会に入らない。それでいて三社祭の神輿を担いだり、町内イベントに参加するので、よそ者に寛容な浅草っ子も困っているらしい。
 
町内会に入らないということは町内会費や祭りの奉賛金を払わず、祭礼の準備や後片付けに参加もせずに無銭飲食をした上、神輿を担いでいることをしている自覚はないのだろうか?地元民との人間関係を無視した野暮の骨頂である。
 
部外者が神輿を担ぎたかったら、ご祝儀にビールや商品券など手土産にして町内の青年部(町内会の実行部隊)に挨拶するのは人情だと思うのだが、タワマンの住人にはこの常識が通用しないのだ。
ホッピー通りも昔は荒んだ空気が漂っていて、地元のケンカ自慢も近寄らなかったと聞く。いまや観光スポット。
 
ちなみに「異文化を楽しませてもらう部外者」との自覚をもつ気の利いた外国人もいて、地元の人に聞いて手土産をもって挨拶にきたりもする。ご祝儀をだすと神酒所に名前を張り出してもらえるのだが、それが嬉しいと写真を撮ってニコニコしているし、きちんと筋を通せば地元民からも喜んで受け入れてもらえるというもの。
 
祭礼とイベントの違いがわからない野暮な日本人が増えて、祭礼文化も崩壊しつつあるのだ。下町の風景のみならず人情もかわっていくのだろう。
話しかわるが、作務衣を日常着にしている大麻飾り師範の秋田真介さんにオススメを聞いたら、観音様の西参道の「藤衣」の品物がいいと教えてもらい購入。30年以上も前に購入した作務衣をパジャマ代わりにしてたら、生地が弱って裂けてきたのだが、日本製は高くても長持ちするナ。
 
 

友人たちが北と南から駆けつけ三本締めで大円団・・・糸魚川翡翠展2023

2023年11月27日 08時03分09秒 | ぬなかわヒスイ工房
「糸魚川翡翠展2023」の終了直前に、作家ひすいこたろう氏が北海道から、大麻飾り師範の秋田真介氏が九州から駆けつけてきてくれた。
 
女性ファンが多いひすいさんの突然の登場で会場にいたご婦人たちのテンションがあがり、サインもらえるかな?と聞かれたので「わしの舎弟分じゃけい。なんでも頼みんしゃい。わしがケツゥ持っちゃるけいのぅ」と兄貴風をふかすw
天川彩さんとスタッフの享ちゃんは力尽きて打上げに参加できなかったが、秋田さんを浅草のモンジャ焼き屋「文字家」に案内。翌日のことは考えなくていいから日付がかわるまで談論風発。
 
 
関係者ならびにご来場お求めいただいたみなさんお世話になりました~!
 
 
 

能面師はノミだけで能面をつくり、わたしは平面研磨機で曲面の勾玉をつくる・・・糸魚川翡翠展2023

2023年11月20日 22時06分37秒 | ぬなかわヒスイ工房
甲府の業者に個展に出品する作品をみせたら、勾玉のカタチとサイズがバラバラなことと、赤メノウの勾玉がバレル研磨機をつかわない手研磨ということに驚いて、マジですか?となんども手に取って仕上げを確認していた。
本日から準備のため上京。体力気力の限界でヨレヨレ。
 
一般的には量産しやすさを優先して、ある程度はカタチやサイズが規格化された勾玉が多いので、買い手はヒスイの色と値段の折り合いで選ぶことになるが、これは作り手と買い手の双方が素材のヒスイそのものに重点が置かれていることが主流になってる訳ですネ。
 
わたしは原石の雰囲気や形状を観察して、その時点で創作意欲がわいた勾玉の類型つくりを優先するので、縄文、弥生、古墳、オリジナルと多種多様な勾玉になる。ヒスイでつくった勾玉を目指している結果なのだが、傍流もいいところで大衆受けしないのが問題だw。
最初の写真は左からオリジナル、中央が弥生中期の定形勾玉、右が弥生後期の勾玉がモデルだが、この違いにすぐに気づく人は考古学者か造形作家くらいで、一般の人は同じに見えるかも知れない。
曲面加工がむつかしいメノウで勾玉をつくる場合も、曲面つくり用の凹んだ治具で加工して、バレル研磨機に放り込んでの自動研磨が一般的だから、甲府の業者さんに驚ろかれたのも無理はない。
能面はノミで打ってつくるので「打つ」という。カンナや紙ヤスリはつかわず、ひたすらノミだけで滑らかに仕上げる。
 
その点はわたしの加工も平面研磨機だけで曲面をつくっているので、能面師と同じく根気よく平らな面で曲面に仕上げていく過程こそが、勾玉のカタチをしたヒスイとヒスイでつくった勾玉の分かれ道と考えている。
まいどのことながら、商品の発送が無事おわってヘロヘロ。個展会場の展示がおわりさえすれば肩の荷がおりる。あとは気楽に来場者と会話してればいいのだ。
 
 
 

個展のご案内・・・「糸魚川翡翠展2023」

2023年11月15日 06時49分34秒 | ぬなかわヒスイ工房

今年も都内文京区で個展を開催するのでご案内

日時;2023年11月23日(木・祝)〜11月26日(日) 11時〜18時(最終日は17時まで)

会場;『根津・Hopiショップ内TEN's ギャラリー』
 
〈イベントURL〉
 
はるか縄文時代の頃より、私たちの祖先は糸魚川産の翡翠の美しさに魅了されてきました。日本各地の遺跡から出土している美しい勾玉や大珠などは、見るだけで壮大なロマンを掻き立たられます。
そんな翡翠の産地・糸魚川で生まれ育ち、現在も糸魚川で『ぬなかわヒスイ工房』を運営している山田修さんを今年もお招きして『糸魚川・翡翠展 2023』を開催いたします。山田さんはヒスイの勾玉などを作る職人さんであるのと同時に、縄文文化伝承者としても活躍されています。
今年は、糸魚川産の翡翠のほか、北海道のアオトラや赤メノウなど縄文の人々が身につけた貴重な国産天然石の勾玉なども登場します。年に一度、数日間のみの貴重な機会です。決して安価なものではありませんが、唯一無二のものに出合いたい方は是非お越しください。
プロデューサー 天川 彩
 
期間中はトークショーもあります。
売れればいいという考えではなく、古のヒスイ文化への理解とヒスイが置かれた現状を知ってもらいたいのです。
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皆様のお越しを心よりお待ちいたしております♪
 
*プロデューサーの天川さんは案内文で「縄文文化伝承者」とわたしを紹介してますが、「縄文探偵」に書き換えてちょうだいとのお願いは却下されてしまいましたw
「実はやばかった縄文の〇✕」「成功者が実践するたったひとつの習慣」「人生が楽になる魔法の言葉」とかのキャッチコピーで集客するユーチューバーや自己啓発系作家みたいで恥ずかしい( ´艸`)
 
 
 
#翡翠 #糸魚川翡翠展2023 #ぬなかわヒスイ工房 #勾玉 
 
 

槍ガンナをつかってみた・・・みて真似をして、やってみて自己修正する「看取り能力」

2023年11月13日 07時08分11秒 | ぬなかわヒスイ工房
カンナの薄削りに挑む「全国削ろう会」が糸魚川で開催されたので見学にいったら、宮大工が槍ガンナの体験会をしていた。
見様見真似で初挑戦してみたら、あっけないほどスルスルと削れて木屑がクルクルと丸まっていったので、見物人から「超うめー!」「スゲー!」と声があがってムフフ。
槍ガンナは台ガンナ以前からあった材木を平らに均す手道具。宮大工さんは薬師寺棟梁として有名な西岡常一さんの下で学んだ方であるらしい。
 
宮大工から「大工さんですか?」と聞かれたので「ヒスイ職人ですぅ。古武術ならってましたぁ」と答え、疑問点をアドバイスしてもらい、前の人が凸凹につけた刃の痕を平らに均した。
上の直径20㎜くらいのロールになるのが宮大工さんのカンナ屑で、下の半分くらいの太さがわたしのカンナ屑。この理由は材木に対して45度の角度が正しく、わたしは30度くらいの角度であるからだそう。初めての素人にしては上手だよね?w
 
宮大工から見たら上手とはいえないだろうけど、これは面白い!
削った痕をライトで照らすと細長いうろこ状になっていて、触らせてもらったら気持ちよかった。
 
プロが研いだ刃物で素性のいいヒノキ材を削るのだから、宮大工の動きを真似するだけで平らに削れて当たり前だと思うのだが、わたしの前後に挑戦した家具職人たちは四苦八苦していた。
こちらは台ガンナの薄削り「一般の部」の決勝。大勢の人に観られるので緊張するだろうねぇ。
 
たぶんだが、うまく削れない人は自意識や操作願望が邪魔をして、見たままを真似することができないのではなかろうか。武術用語の「看取り能力」というヤツ。
 
大工に火起こしを教えると一発で成功したりするのは、見て覚え、やってみて自己修正する「看取り能力」が高いからだと思う。ヒスイ加工も、何年経っても巧くならない人は観察や工夫をしないもんねぇ。
 
 
 

三種の神器のなかで日本オリジナルは勾玉だけ・・・勾玉ってなんだろう?

2023年11月11日 08時04分36秒 | ぬなかわヒスイ工房
三種の神器のうち、八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)だけが非金属で日本オリジナルの祭器だと気付いたのは、「平成の大首飾り」を製作中のことだ。
金属器が渡来する縄文時代から勾玉はあったし、海外の勾玉の類例より歴史は古い。11月23日~26日に都内文京区根津の個展。製作期間はあと1週間。
北海道の高砂貝塚で見た、母子ともども亡くなった遺体に副葬された勾玉に思う処があり、勾玉の内実について考え続けているが、勾玉ってなんだろう?
副葬された勾玉は胎児そのものに感じる。縄文時代にしては珍しい深緑系のヒスイの綺麗な部分が使われている。
 
ニューアカデミーおじさんや、ユーチューバーみたいに「日本の霊性」「やばすぎる勾玉の真実」「実はすごかった縄文の祭器」なんてキャッチーな言葉で観念論を語る口はもたない。勾玉つくりの当事者として畏れ多さを感じるのだ。
 
つくればつくるほど難しくなり、わからなくなっていく。
弥生中期、古墳前期の勾玉の完成度に打ちのめされ、遠く及ばない拙さがもどかしい。
 

傍流のひとりごと・・・赤メノウの勾玉

2023年11月03日 07時25分45秒 | ぬなかわヒスイ工房
月末の個展にむけ、ヒスイ以外にも北海道で仕入れた赤メノウとアオトラの作品をつくりためているが、赤メノウに苦戦。
出雲のメノウ加工業者がテレビで、「勾玉つくりは完成に何日もかかります」と誇らしげに言っていたが、物は言いようだ。彼らは手研磨なしで自動のバレル研磨機に放り込んで大量生産しているから、何日もかかって当たり前。
 
今どきのメノウ装身具は、どこの業者もバレル研磨機が主流らしいが、わたしは手作業の研磨こそ勾玉つくりの王道と考えたい。バレル研磨のピカピカな光沢が好きになれないし、研磨で輝きを増してゆく過程が楽しいのネ。
 
しかしヒスイと同じ研磨だと研磨傷が残ったり、熱膨張ひび割れがおこるので、いまだ最善の加工法がみつからずに迷走中。メノウや水晶を研磨するためのシートも試したのだけど、高価な割に耐久性がなさ過ぎ。
赤メノウの勾玉といえば古墳時代だけど、前期はまだしも中期になると量産のためか粗雑だし形状が好みに合わないのでタカチも試行錯誤中。小さい勾玉ならぽっちゃりした現代風、中型以上のサイズは弥生時代の流麗な定形勾玉タイプが似合うようだ。
 
天然モノは深紅にちかい朱、オレンジ色、半透明に朱のマダラと、赤メノウといっても個体差はおおきい。色に個体差があると売りにくいから、真っ赤に染めた赤メノウが主流になった訳ネ。つまりは大量生産・大量販売が主流なのであって、わたしは湧き水がチョロチョロと流れている傍流もいいところ。
わたし好みはウルトラマンや金魚を連想する半透明に朱のマダラ。均一でないところが得難い個性と感じている。
 
主流があれば傍流は玉つくりの王道をゆく、と自分に言い訳しながら苦闘中デス。
 
 
 

北の縄文人が愛したアオトラは縦ジマにつかえ!・・・ヌカビラ川産のアオトラ(緑色岩)

2023年10月29日 07時00分35秒 | ぬなかわヒスイ工房
二風谷アイヌのKさんからアオトラをわけてもらった。アオトラはヌカビラ川に産出するシマ模様の緑色岩の通称で、北海道・北東北の縄文遺跡で磨製石器がつくられてきた石。
 
ちなみにKさんはアイヌ文化研究家でアイヌ初の国会議員となった萱野茂さんの従弟で、6年前の初対面の時など、うちで二週間ほどバイトしないか?といわれて面食らったが、萱野さんのご子息と酒席を設けてくれたり、アオトラ拾いに連れていってくれたりと、叔父のように思える優しい方。民映研のアイヌ文化の記録映画を観なおすと、若き日のKさんも写っていて和む。
最初に横ジマ模様の勾玉をつくってみたら、濃い緑色の部分がやわらかく、黄緑色の部分がかたいために滑らかな曲線にするのは困難ということが判明。
それならとやわらかい部分を掘り窪めて強調した石笛をつくったら、いい味わいになった。
その次は縦ジマで小型の磨製石器ペンダントとヤジリ形ペンダントをつくったらシンメトリックに仕上がった。
ヤジリ形や磨製石器のミニチュアのような石製装身具が出土することがあるが、かたいモノには霊力が宿る、鋭いモノは魔除けになるという民俗例があるので魔除けのペンダントであったのか?ミニチュアでなくとも実用のヤジリや磨製石器が土壙墓から出土することもあり、愛用品を死者と共にあの世に送ったものか、それとも魔除けの意味合いであったのか。ついでながらアイヌの民俗例では、あの世にモノを送る時はわざと傷つけたり壊したりする。
出土品も縦ジマ方向に原石を磨り切って磨製石器をつくっているようだ。アオトラは縦ジマ方向で加工せよという学び。横ジマの石斧を実際につかうと折れやすいだろう。
 
弱い部分と強い部分の組合せの妙で、加工しやすくも強靭な石斧をつくっていた縄文人の知恵に畏敬の念を抱く。
 
 

縄文スタイルはあるがままの色ムラを愉しむ・・・国産天然モノの赤メノウ

2023年10月28日 08時50分21秒 | ぬなかわヒスイ工房
北海道旅のいちばんの目的が赤メノウの仕入れだった。
今金の天然赤メノウ原石
 
現在の国産赤メノウは乱掘のために流通しておらず、流通しているのは濃い赤に染めたブラジル産が大半だ。均一さや安さを求め続けたから、外国産の染色赤メノウが国産の天然モノの市場を駆逐したこともある。
 
古墳時代の赤メノウ勾玉を大量につかった「平成の大首飾り」を依頼された時は原石の入手に困窮したが、運よく染める前のブラジル産を入手できたし、大正時代の研究書に薄い赤を焼くことで濃く変色させる江戸時代の技法があったとの記述を見つけたので、試行錯誤をつづけて成功して数を揃えた。
焼いて赤くする前はこんな状態
成功の確立は5割くらいで、割れたり染まらないのもあった。この時の苦労をおもうと今でも涙ぐんでしまう。
 
その時にアイヌの人々に松浦武四郎や、アイヌにとって道政150周年は祝祭なのか?と話を聞きたくて北海道を旅したのが6年前。
武四郎の導きとしか思えないのだけど、今金にある武四郎の史跡の隣家が、かって赤メノウの原石を販売していた高齢夫妻の家で、在庫をわけてもらったので「平成の大首飾り」に数点だけ加えることができた。
よりによって史跡の隣りが原石屋さんだったとは!
6年ぶりに今金の夫妻を訪ねたら、残念ながら都内の業者が根こそぎ買ってユニック車で持って帰った後だった。
 
それでもコンテナ一杯分を購入できた。これだけあれば古墳時代の遺物の複製を依頼されても大丈夫。
ちいさな欠片は超小型の勾玉をつくることにした。台になっているのが原石だけど、ずいぶんと違うでしょ?
 
国産の天然モノは色が均一でないところがいい。
わたしは均質を好まないから色ムラを個性ととらえる。全部が赤より一部だけの赤はカワイくない?
全体が同じ色もまたいいが、薬品で染めると色が濃くなるばかりか塗りつぶした感にいやらしさを感じてしまう、とわたしは思うのデス。
 
しかし自分で焼いて濃い赤に変色させる研究をしたことで気付きもあった。本来は半透明をした乳白色の部分が、加熱すると白濁化するのだが遺物にも白濁した赤メノウ勾玉があるのだ。
 
ということは古墳時代も、赤メノウ原石を焼いていた可能性があるということ。ただしそれは色を濃くするためではなく、原石を割り易くするためだと思う。すでに旧石器時代にはメノウを焼いて割り易くする技術があったしね。
赤メノウが拾えるという川を歩いてみた。大雨の増水で川の中に入れず、熊がでそうなので早々に退散。
岸辺にシプシプが群生していた。
 
和名は砥草(トクサ)で、紙ヤスリが普及する以前は開いた茎を板に張り付けてヤスリにしていた植物だ。アイヌは茎のまま木工用のヤスリにしていたので、手を動かすたびに茎がつぶれてシプシプと鳴るからシプシプと名付けられたそう。
 
ちょっと自慢になるが、わたしがアイヌの方々と話していると普通にアイヌ語名詞をつかうので、お主やるな!と思われるようだ。これは考古学者に質問する時も同じなのだけど、なにも知らない状態で質問するのではなく、調べた上で疑問を質問するのが大事だし、礼儀ということではないかな。