縄文人(見習い)の糸魚川発!

ヒスイの故郷、糸魚川のヒスイ職人が、縄文・整体・自然農法をライフワークに情報発信!

司馬史観の龍馬像をぶっこわした原田芳雄さんの龍馬像・・・1974年ATG作品「竜馬暗殺」

2023年05月04日 07時26分36秒 | 記録しておきたいヒト・モノ・本・映画
映画やテレビの坂本龍馬像は、明朗快活なリベラリストとして描かれるが、これは司馬史観による「竜馬がゆく」が元になっているようで、繰り返し同じキャラクターで描かれすぎて食傷気味。いまや平明な龍馬像ばかりだ。
これまで観てきた龍馬像のなかで、1974年ATG作品「竜馬暗殺」では原田芳雄さん演じる龍馬に「幕府を倒したあとは薩長をたたくぜよ」と言わせて、目的達成のためなら手段を選ばない得体の知れないダークヒーローとして描かれていて、いちばん魅力を感じる。
 
いかにも70年代前半のATG作品らしく、反体制側の人物の鬱屈と挫折がテ-マになっているが、当時、新しいタイプのヤクザ役で脚光を浴びていた原田さんを龍馬役に起用したことが大正解。
 
また原田さんを兄貴として慕い、隣りに引っ越したほどの松田優作が、情けない暗殺者として登場して、この二人の丁々発止のアドリブの掛け合いが見所だ。原田さんの存在感と演技に圧倒され、若き日の松田優作がなす術もなく沈黙するのが看て取れ、これがすごいリアリティとなっている。
 
 
トンデモ説的な「縄文観」を史実として信じて信じている人も多く、6月に予定されている淡路島の縄文イベントでは、そのことをテーマにお話し会をするつもり。それはヒスイやヌナカワ姫伝説も然り。
 
個人の歴史観と史実を一緒にしてはいけない。
 
 

明治に無銭で自転車世界旅行をした日本の快男子・・・絵本「わがはいは中村春吉である」

2023年03月31日 07時18分54秒 | 記録しておきたいヒト・モノ・本・映画
明治期に「世界一周自転車無銭旅行」を挙行した中村春吉の冒険譚が絵本になっているではないか!
元ネタは明治期に冒険小説やSF小説を開拓した人気作家の押川春浪の著作「世界一周自転車無銭旅行」で、わたしが読んだのはその抜粋を掲載した横田順彌さんの『明治バンカラ快人伝』。
こちらは押川春浪や春吉の他、ブラジルに柔道を伝えてグレーシー柔術の元祖になった前田さんなど明治のバンカラ男を紹介した傑作。
 
本書は横田さんが子供向けに書きおろしたものであるらしいが、難解な文語体を話し言葉にした口語体の過渡期に書かれた原作は、左手を弓手(ゆんで)と古風な武家言葉で書いていて、いかにも海外に雄飛しはじめたころの時代の気概を感じる。余談だけど本書のタイトルは、同時代に口語体で小説を書いて人気作家になった漱石さんの「吾輩は猫である」をリスペクトしてるのだろうな。
そんなバンカラ男の典型だった春吉の冒険の数々は、豪快にして愉快。
 
インドで黒豹に襲われては「畳針で口を縫い付けてやったわい」とか、狼の群れに襲われては「高野豆腐に石油を染み込ませて空き缶にいれた手製爆弾をなげつけて撃退してやったわい」などなど、大らかで天真爛漫なエピソードで溢れている。
 
小学生の子供さんがいらっしゃるみなさん、お子様の情操教育に買ってあげてください!そして貸してください!(笑)
 
 
 

在留邦人を戦車で踏みつぶして進軍したソ連軍・・・半藤一利著「ソ連が満州に侵攻した夏」

2023年03月14日 07時29分05秒 | 記録しておきたいヒト・モノ・本・映画
逃げまどう在留邦人を戦車で追いかけまわし、踏みつぶして進撃したソ連軍。家族を守るため投石で抵抗した少年たちは、ハチの巣にされた。
1945年の8月、ソ満国境のいたるところで虐殺された在留邦人の犠牲者数は不明で、生き残った人々の語る断片のみが世に知られるだけだが、なんでソ連は民間人を見逃さずに虐殺したのだろう?
日系企業の女子寮はソ連軍の慰安所にされ、囚われの乙女たちが集団自殺・・・終戦時にハルピンにいた居留民の話しは知っていたが、国境付近にいた満蒙開拓団などの惨劇を本書で知った。スターリンの「正義の戦争」の実態は残酷きわまりない。
 
不可侵条約を反故にして満州になだれ込んだソ連軍の大義名分は日露戦争の報復であったが、スターリンの本音は原爆を実用化して連合国軍の主導権を握ったアメリカへの牽制と、対独戦で多大な犠牲を払ったことの国民の批判を逸らすために戦果をアピールしたかったようだ。略奪と凌辱は、捨て駒として酷使してきた兵士への報酬。
 
満蒙開拓団をはじめとした居留民を守ってくれるはずの関東軍はなにをしていた?
①国境守備隊に死守を厳命し、居留民にソ連軍侵攻を秘匿
②居留民の男性に出刃包丁と火焔瓶をつくるためのサイダー瓶を二本持参させて臨時召集
③高級軍人・満鉄・官僚の家族を秘密裏に列車で逃がす
④満蒙開拓団をはじめとした居留民を置き去りにして、本隊は戦わずして長春まで撤退。
 
ソ連軍機甲師団相手に、民間人に出刃包丁とサイダー瓶で作った火焔瓶で突撃させ、偉いさんは逃げたのが「無敵皇軍」の実態であった。
 
ポツダム宣言受諾の表明をした8月15日以降も惨劇は続く。
国際法上は天皇が降伏を宣言したに過ぎず、その法的効力は9月2日の調印式から有効となるのだが、これで戦争は終わったと安堵していたのが日本の指導者たちで、そのことを熟知して「火事場泥棒」をはたらいたのがスターリン。
 
国境守備隊は救援部隊の反攻を信じ、10倍以上の兵力差をもつソ連軍に懸命に抵抗していたが、混乱のなかで停戦命令は届かず、全滅するまで戦い続けた。そのなかには現地召集された医師や看護婦も数多くいた。
 
長春やハルピンに陸続と入城してきたソ連軍は、山賊のように略奪と凌辱をほしいままにしたが、特にタチが悪かったのが対独戦の最前線から転戦してきた囚人部隊で、これは今も変わらないロシアの戦争。
 
実は満州にソ連が侵攻する兆候ありとする情報は、前年からストックホルム駐在武官の小野寺少将が警告し続けていた。
ところが対米戦に手一杯の大本営は、「スターリンは西郷南洲のような大人物。よもや不可侵条約は破ることはない」との願望を事実と断定して、警告を黙殺したまま対ソ戦の準備を怠っていた。
 
ちなみにナチスドイツのデーニッツ海軍大臣は、迫りくるソ連軍から民間人を守るため、独断でエルベ川東岸のドイツ人を救出したのだが、皇軍には民間人を守る概念はなかった。皇軍にとっては国体護持だけが問題で、民草の命は鴻毛よりも軽しであった。
 
それはフクシマ然りだし、ニューアカデミズ論者に引き継がれる、希望的観測を事実とする思考方法。
ノモンハン事件、ミッドウエー海戦、ガダルカナル戦、インパール戦、フィリピン戦にも共通した必敗の法則である。

 


絶体絶命の漂流から生還した海の男たちと戦争の非情・・・松永市郎著「先任将校」

2023年03月04日 09時28分04秒 | 記録しておきたいヒト・モノ・本・映画
太平洋戦争末期、軽巡洋艦「名取」が、フィリピン東方沖556キロで米潜水艦の魚雷攻撃をうけて沈没した。その生存者200余名が、航海器具・水食糧なしで2週間もの漂流航海をなしとげ、奇跡の生還を果たした記録が本書で、著者は生還者のひとり。
航海といっても二隻のカッター(帆走可能な手漕ぎボート・短艇ともいう)に、定員45名の倍以上の200名が乗船した状態だから、漕いでも帆走しても速度はでない。
 
奇跡の生還を成し得たのは、指揮権をもつ「先任将校」の小林大尉が、的確な判断と類いまれなリーダーシップを発揮したことによる。
航海器具をもたない小林大尉は、最初に生存者に気象や方角認定の知識をもっている者は遠慮なく申し出ろ、と問い、集めた情報の信ぴょう性を公開討論して、推測航法の確度を高めた。ここが素晴らしい。
 
階級社会の軍隊では、水兵が将校に「意見具申」するなどあり得ないから、疑心暗鬼の生存者の心理的ストレスはかなり軽減して、集団の心が生還へとまとまったのではないだろうか。
 
水はスコールだけが頼りの熱帯の大洋で、直射日光をさえぎる屋根も帽子もない過密状態で2週間ちかくも生きていただけでも奇跡だが、15日間の航海でフィリピン群島に到達できると推測した小林大尉の判断は大正解で、漂流13日目にフィリピン近海を航海中の日本船に救助された。
 
 
救助後に「名取短艇隊」の誰もが整然と自力で歩いて上陸してきたので、守備隊の陸軍兵がたいへん驚いたそうだ。イギリス海軍やアメリカ海軍の漂流記を読むと、軍紀はなきに等しく、いがみ合ったりして、ヨレヨレになって生還しているのだ。
 
本書は生還したところで終わっているので、その後の生還者を調べたら以下のことがわかった。
 
小林大尉と次席将校であった筆者は、報告のために帰国できたが、大部分の将兵は現地の陸戦隊に編入され、再び飢餓のままフィリピン戦で全滅している。その後の小林大尉の消息は不明だが、戦後の筆者はノンフィクション作家となり「先任将校」を出版して、名取短艇隊の偉業が世に知られることになる。
 
武器をもたない軍艦乗りなので、手榴弾とサイダー瓶の火焔瓶を渡され、地雷を抱いて戦車のキャタピラの下敷きになる人間地雷の要員になったのかも知れない。
 
戦争の非情と運命の皮肉。こういう人達のことを忘れてはいけない。
 
 

ブルース・リーのローキックは一撃必殺の斧刃脚だった!・・・覚えておきたい護身術

2023年03月03日 07時31分01秒 | 記録しておきたいヒト・モノ・本・映画

【宮平保】超危険な蹴り!斧刃脚の使い方から禁断の「斧刃脚破り」まで徹底解説!

「ドラゴンへの道」の決闘場面で、ブルース・リーがパワーで圧倒する強敵に対し、膝裏をローキックで戦闘力を奪っていく場面がある。
 
が、この動画で繋ぎ技にとどまらない一撃必殺の斧刃脚(ふじんきゃく)という、中国武術の殺し技であることがわかった。
 
澁谷の安藤組の構成員だった作家の安部譲二氏の著作に、実在したステゴロ(素手の喧嘩)無敗の小男が紹介されているが、戦法的にはまさしく斧刃脚。小男相手と侮って襟首を掴もうと迫ってくる刹那、スネを蹴って折るのだそうだ。
 
NHKの武術解説番組「明鏡止水」に様々な護身術が紹介されるが、術理を理解する鍛錬が必要なので素人向けとはいえず、斧刃脚だけ練習しておけばいいのではないか。
 
動画では基本は膝を狙うとあるが、大男であってもスネは「弁慶の泣き所」なので、攻撃範囲の広いスネ狙いでいいと思う。相手からは下半身が死角になる小柄な女性や子供の方が有利ということも、心理的に優位にたてる。
 
後ろから抱きつかれたら、カカトで爪先をふみつける、後頭部で顔面に一撃!
 
宮平保先生は沖縄を拠点にする本物の中国武術家。わたしが護身術を習うとしたら宮平先生、体術と居合、剣術なら黒田鉄山先生だな。
 
 

インパール戦に従軍した学徒兵・・・映画「きけわだつみの声」

2023年02月25日 07時59分29秒 | 記録しておきたいヒト・モノ・本・映画

インパール戦に従軍した学徒兵を題材にした映画をレンタル屋でみつけた。

後に東映社長として大衆受けする戦争大作をヒットさせていく岡田茂が26歳の時に製作した映画。岡田が絶対的な存在として製作をしていた東映の戦争映画は軍国主義を賛美していると批判をうけることもあったが、岡田自身は無思想で「映画に芸術はいらん。なんぼ儲かるかだけだ」と豪語していた。この映画にも時代劇の悪代官のような上官が登場するが、文芸映画の範疇でヒットさせている。

 

半藤一利さんの追悼番組のなかで、大正時代の学生は「八紘一宇」という概念を笑っていたが、その風潮が一機にかわったのは昭和の満州事変から、との証言があった。

調べたら満州事変から学徒出陣まで17年間。この期間になにがあったかを学校できちんと教えなければならないのだが、サラッと習った記憶しかない。
 
当初はインテリ層に笑われていた皇国史観が、世界的な帝国主義の時流と合致して国是として絶対化して、日中戦争をへて太平洋戦争となっていく見逃せない期間なのだから、学校で教えるべきだろう。
 
圧倒的な兵力差と空腹に耐え、上官からパワハラをうけ、泥にまみて死んで、埋葬されることもなく朽ちていったのは「学業なかばで戦場に駆り出されたかわいそうな学生」だけではなく、学校へ行けなかった圧倒的多数の民草はもっと死んでいる。
 
わたしの祖父も民草として「生き地獄のインパール戦」に従軍したが、飢餓から目がみえなくなった部下を見捨てず連れて生還した立派な人。
戦争について何も語ることはなかった祖父だが、死後に助けられた元部下から追悼の手紙がきて、そのことが書かれていた。尊敬する。
 
 

人差し指で空手家を圧倒する武術家・・・古流武術家「黒田鉄山」

2023年02月24日 06時52分59秒 | 記録しておきたいヒト・モノ・本・映画

【古武術×空手】超豪華達人コラボ!中達也師範が体験した黒田鉄山師範の“神速”の世界とは⁉︎ 前編 Budo collaboration! Tetsuzan Kuroda × Tatsuya Naka

松濤館空手本部道場の師範、中達也先生を相手に、人差し指で腕相撲する古流武術家の黒田鉄山先生。どのような結果になるのか興味ある人は動画をみてほしい。
 
「型は実戦の雛形ではなく、技をかける体の使い方、術理を学ぶためのもの」と教える鉄山先生の演武は舞いのように美しい。暴力的な力の拒否、力を抜くこと、等速運動を唱え、ゆっくり静かに動いて技が効かないと技になっていないと断言する。
 
他流では刀の柄頭を抑えられたら柄を回転させて相手をブンと投げるが、鉄山先生は相手がいないかのように簡単に抜刀してみせる。これほどの達人でも、直径15㎝もある柿の樹を一刀両断、満州で馬賊に襲われた際に小銃ごと真っ二つにしたご尊父の泰治先生には遠く及ばないと謙遜する真の武術家。
 
NHKの人気番組「明鏡止水」に各界の達人がゲストに呼ばれてていて、ひさしぶりに鉄山先生の演武を観たら「日の本一の武術家」と実感した。改めて著作を読み直し、動画を視聴してみると、わたしのヒスイ加工の基本理念に多大な影響を受けていることも実感。
 
この動画で披露している「遊び稽古」は、わたしの恩師の甲野善紀先生との出逢いから、現代人に術理を学ばせる方法として鉄山先生が考案したものであるらしい。わたしも弟子筋の方から教えてもらったことがあるが、それは既存の身体観を覆す体験で、失われてはいけない日本の文化遺産だと思った。若い頃に出あいたかったですねぇ。

ヒスイ職人の読書感想文が学術論文あつかい!・・・「アースダイバー神社編」書評

2023年02月06日 07時06分53秒 | 記録しておきたいヒト・モノ・本・映画
「アースダイバー神社編」の読書感想文が東京電機大学の名誉教授、石塚正英先生(思想史・民俗学)の目にとまり、NPO法人頚城野郷土資料室の研究紀要に加筆して掲載されたので、興味ある方はご一読を。
 
80年代に流行した「既存のアカデミズムの枠におさまらない」とやらのニューアカデミズムの旗手、中沢新一の論考は、事実を切り張りしたご都合主義的な創作を事実のように断定して公表する点で、大本営発表やフェイクニュースといったポピュリズムと変わるところはないという視点を加筆した。
 
門外漢のしがないヒスイ職人の読書感想文が学術論文あつかいされて冷汗をかくが、編集長の日本民俗学会の元会長が高く評価してくれたとのことで一安心。
 
今思うと、大衆受けをねらって口当たりよくフワフワと脚色した空想物語りを史実とする中沢学をアカデミズムと呼ぶのであれば、ニューアカデミズとはアカデミズのゆるキャラ化ともいえると書き足したかったですナ。
 
 
 
 

脳内イメージはモヤモヤ、リアルはワクワク・・・高橋大輔著「ロビンソン・クルーソーを探して」

2023年01月30日 07時02分46秒 | 記録しておきたいヒト・モノ・本・映画
脳内イメージを史実のように断定しているナンチャッテ探訪記「アースダイバー神社編」にモヤモヤしていたので、口直しに椎名誠さんの「十五少年漂流記への旅」を読んだ。椎名さんの一連の探訪記は、文献をきちんと読んでから現地を探訪をした感想を語るというものなので、臨場感があってワクワクする。同じ探訪記でもモヤモヤとワクワクの差は大きいよ(笑)
椎名さんは少年時代に読んだ「十五少年漂流記」「さまよえる湖」などの冒険物語や探検記の感動が、その後の人生に与えた影響を熱く語っている。少年の好奇心を持ち続ける椎名さんの探訪記は好きですねぇ。私も椎名さんに影響されて高校のころから仲間を集めてキャンプしてた。
 
 
「十五少年漂流記への旅」の中で。高橋大輔という探検家が「ロビンソン・クルーソー漂流記」のモデルになった実在の人物の調査をして、住居跡まで発見したと絶賛していたのが「ロビンソン・クルーソーを探して」で、糸魚川図書館で検索してもらったらあるではないか!
文章の歯切れのよさもあって一気に読みおえたが、これぞリアルな探訪記でワクワクしながら読めて読了感はすがすがしい。文庫本もあるので興味のある方はぜひ!
 
高橋さんは学生時代から神話や伝説の検証をするバックパッカーで、卒業後もサラリーマンをしながら文献を精読しては現地を探訪していたそうだ。
 
ロビンソンクルーソーのモデルは、私掠船(国家公認の海賊船)の航海長だったアレクサンダー・セルカーク。その研究資料は海外にもなく、高橋さんは有給休暇を利用しては海外の博物館や研究者などを訪れては断片的な資料を集め、置き去りにされた島を野宿しながら歩きまわって、推理小説のようにその人物像に肉薄していく。
 
中沢新一の「アースダイバー神社編」のように脳内イメージを史実のように書いているわけではなく、300年前の実在の人物を文献と現地踏査で徹底検証して浮び上った人物像だから、まるでセルカーグの息遣いや声が聴こえてくるようだ。
本書には6年がかりの個人的な探訪が書かれているが、この時点ではセルカーグの住居跡は見つけられなかったとある。
 
その後の高橋さんの足跡をネット検索したら、その研究成果が「ナショナルジオグラフィック」に掲載され評判となり、アメリカの探検協会の支援で探検隊を組織して、ついにセルカーグの住居跡を特定できたとのこと。つまり高橋さんはロビンソン・クルーソーに世界一詳しい男だ。
脱サラして探検家になった高橋さんの熱意と行動力もすごいが、なにごとにも誠実な人なのだろう。
 
本書にでてくる海外の研究者たちやセルカーグの子孫も、自分の知る限りではそれ以上のことは言えないといった慎重な態度を持つが、高橋さんの真摯さに協力を惜しまない。
民俗学者の宮本常一も、一時資料を読み込み、当事者インタビューをしながらも「・・・であるらしい」と、安易に断定せずに様々な可能性の含みをもたせてますナ。
 
 

歴史修正主義にもの申す・・・中沢新一著「アースダイバー神社編」その2

2023年01月26日 08時27分51秒 | 記録しておきたいヒト・モノ・本・映画

「アースダイバー神社編」がトンデモ本だと投稿したら、予想外の反響があり、さる研究紙から寄稿をとのお声がけ。

そこで資料集めとして、海にむかって現地を撮影したのが最初の写真。
中沢氏が「胎児の形をした渚の配石遺構」と書いている場所が中央に4本の短い柱が建っているところ。500m先にある海の手前に標高18mの海岸段丘がそびえており、ここが渚だろうか?
青い勾玉は、縄文晩期の胎児形勾玉モデルで、これを中沢氏は「生々しい生き物の形」と書いている・・・。
こちらは弥生中期の北部九州の定形勾玉モデルで、こっちをイズモでつくられた定形勾玉として、キティちゃんのようにかわいいと書いているが、縄文の胎児形と弥生の定形のどっちがキティちゃんだろう?これは個人の価値観によるが・・・。
そして下段右端が、間延びしたコの字をした古墳時代の山陰系の勾玉モデルで、こちらは玉類243点をつなげた「大首飾り」のなかの赤瑪瑙勾玉。前期の勾玉らしく丸みがあるが、中期以降は扁平で雑なつくりになるので、私は博物館からの注文でもなければつくらない。素材も赤メノウや青碧玉であってヒスイではない。
 
以上をみても、中沢氏が「アースダイバー神社編」で書いていることは、脳内イメージに都合よく史実を切り張りしてつくった夢物語だとわかってもらえるだろう。
 
誤解してほしくないのは、私は歴史解釈は自由でも歴史と個人の歴史観を混同してはいけない、と思っている。事実を歪曲した創作を史実のように書いては、歴史修正主義ではないか?
 
中沢氏がトンデモ説をひろめるスピリチュアルおじさんの類いであろうが、私の知ったことではない。ただアメリカ大統領選のあとに、「選挙が盗まれた」と大衆を扇動して国民に分断をつくったポピュリズム政治に似た危うさを感じるのだ。
 
あるいは戦前の八紘一宇を旗印にした侵略戦争を、アジア解放の聖戦であり、アメリカの陰謀でやむにやまれず始めた戦争だったとひろめる人々。そして戦時中に大本営発表を信じた人々。
 
こういった歴史修正主義の言説を真に受けていると、今が戦前になる危険が高まるのではないか?そのことを杞憂して、史実と違うぞ!と言っているのである。中沢氏の著作が面白いと思ったら自分で調べればいいのだ。その態度が戦前にならない訓練になるのだから。
 
 
*定形勾玉の写真は、丁子頭勾玉になっていますが、注文主の意向で後から定形勾玉の頭部に刻みをいれて丁子頭勾玉にした結果です。