縄文人(見習い)の糸魚川発!

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土偶と葉痕の類似性について若干の考察

2019年02月11日 07時23分09秒 | 縄文

某教育方面の機関誌から文章を依頼され「土偶と葉痕の類似性について若干の考察」というアカデミックな学術論文(笑)を寄稿。

比較写真の提出も求められたが、著作権などが色々と面倒なのでお絵描きも出血サービス。高校時代は美術部だったので模写は得意なハズだったのに、往年の絵心は何処に・・・3回も描き直して締め切り当日に間に合った。

 

不覚にも葉痕(ようこん)という言葉を初めて知ったのだが、教えてくれたのは信州でリンゴ農家をしている友人で、樹木の落葉時にできる傷痕とのことだそうだ。

葉痕の写真を見せられて、縄文時代の顔面把手深鉢や土偶の顔に似ていることにハッとした。

現代人でも「かわいい!」と思うくらいだから、縄文人が「うちの子供に似ているよ、これ!」と嬉々として土器装飾のモチーフにした情景を想像すると微笑ましく、五千年前の人との繋がりを感じてホッコリする。

ヒトはモノと出会い、心が動かされるとワレとモノとの関係性をモノガタリにする。

モノガタリは記憶の引き出しにしまい込まれ、何かを作る時に手を介在してモノガタリがカタチとして結実する。

平安歌人が子供の遊ぶ声を聞いて心が騒いで「遊びをせんとや生まれけむ」と歌を詠んだそうだが、縄文人(見習い)のワタシは葉痕を観て心が騒いで「土偶と葉痕の類似性について若干の考察」として、こんな主旨の駄文を書いた。