5,000年前の多摩丘陵の遺跡から出土した縄文土器をお手本に自作した「勝坂式土器」でござる。
口縁部に突起を持つ勝坂式の影響を受けて、4,500年前の越後で火焔型土器が作られた訳ですナ。
左側はイベントで何度も縄文鍋に使っているが、指で弾いた時の音が鈍くなってきたので、来週は未使用の右側をデビューさせることにした。
縄文土器は植木鉢と同じ素焼きなので、そのまま水を容れておくと土器表面がしっとりと濡れて水位が減ってくるし、煮炊きしても効率が悪い。
そこで使用前に澱粉質のものや脂っけの多いものを煮たりして目止めをする必要があるのだが、今回は水に溶いた片栗粉を容れてひと晩放置したら、ほとんど水は減ってなかったヨ。
最初に作った縄文土器
この問題を縄文人はどう解決していたのか?
土器の耐用年数は??
そもそも食事回数は一日に何回であったのかしらん???
用途が土鍋であったことや、ドングリのあく抜きに使っていたことは、土器内側にこびりついた煤の分析で解ってはいるのだけど、意外と解っていないことも多いのデス。
体験会で縄文土器の鍋を食った!というだけで終わらせてはもったいない。
大昔の人の暮らしに想いを馳せて欲しい、言葉を変えればモノからヒトを洞察して、物語を感じ取ってもらえれば幸いというのが私の想い。
この二つの土器に関したちょっと不思議な話し・・・。
まさか双子の兄弟だと思わずに翌年作った縄文土器。
東京都の埋蔵文化財センターの「土器つくり体験会」で、たくさんの実物から左側の土器を選んで作った翌年に、たまたま他の参加者が選ばなかった余り物の右側を作ったのだが、土器が専門のY学芸員から「さすがですねぇヤマダさん!この二つは同じ土壙墓から副葬品として揃って出土したんですよぉ。」と教えられてゲゲッ・・・聴け、5,000年前の死者の聲を!了解!( ´艸`)
ヒトと土器の物語。