某所から、大正時代にカワサキ船なる快速帆船に乗って北海道に移民した、糸魚川の漁民についての調査を託されたが、調べ出したら面白い。
移民したのは能生地区の小泊の漁師たち。
道の駅「マリンドリーム能生」に併設された博物館で、説明書きのない「水押造り・六丁櫓・二枚棚で全長10mの横帆船」というカワサキ船の特徴に合致する模型を見つけたが、確信が持てないので木造漁船研究の大御所、赤羽正春先生に問合せしたら、ストライクだった。

当時、小型漁船で津軽海峡を渡れたのは、北陸で考案されたカワサキ船だけであり、特に越後で改良されたカワサキ船は凌波性がよく、積載性に優れ、水漏れしないので、北海道でも売れたそうだ。

加賀、越中のカワサキ船の平面図と比較すると、越後カワサキは近代ヨットに似た船型をしており、優れた性能が伺える。

道の駅「マリンドリーム能生」の売店の北海道物産は、移民の子孫が卸しているそうだ。
北海道の漁師と話すと、先祖は新潟だよと言われることもあり、富山県氷見市の博物館に展示されていたアイヌのマキリ形のイカ刺し(包丁)も、出稼ぎ漁民が持ち帰ったものではないか?

航路を調べると、小泊の次は海路80キロ先の出雲崎に寄航しており、風待ちを抜けば、北海道まで実質6日間で渡っていたようだ。
この航路、北西風が吹けば左斜め後ろから波長の短い掘れたウネリが襲い掛かり、山形から北は風速10mを超える沖出しのヤマセとの戦いの連続で、私はその過酷さを身に染みて知っている。
実際に命がけの大冒険であったようだ。
赤羽先生から、北海道移住した漁民の関連資料についてご教示頂いたが、先生の知らない資料も提示できたのは幸い。
しばらくはカワサキ船づくし。