縄文人(見習い)の糸魚川発!

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旅に出ているという人々と日高コンブの物語・・・カワサキ船に乗って北海道に移民した糸魚川の漁民

2021年06月18日 07時55分10秒 | 糸魚川自慢

「能生町史」に、大正時代に北海道に渡った漁民の記録がある。

ちなみに能生は糸魚川東端に位置し、海岸線に鬼伏・鬼舞・小泊・筒石の各漁港と、能生川沿いに農村と山村を持つ地区。

日高地方の開拓使から、定住すれば好きなだけ土地を提供すると言われても、「漁師は船と寝泊りする小屋さえあれば土地はいらぬ」と、「ゼン(銭)たまったら小泊(あるいは筒石)に帰るわんぞ」と懸命に働いた。
 
こういった考え方は漁民特有のもで、民俗学者の宮本常一の著書には、山村を調査すると先祖は平家の落ち武者で、と古文書を出されたりするが、漁村は見事なほど古い記録が残っておらず、定住する農民は「土の人」であり、移動する漁民は「風の人」と、そのアイデンティティの違いを書いている。
小泊漁港はカニ漁が盛んな県内有数の水揚げ量を誇る。カニ甲羅でカニ・コーラ・・・もちろん買いました!
 
タラ漁やコンブ漁で成功して、一族郎党を呼んで定住する人もいて、静内町などは戸数10軒から大きな町になっていった。
 
糸魚川地方の人は、そんな状況にいても「旅に出ている」と表現する。身は異郷にあっても、心は故郷の人々。
 
糸魚川で売られている日高コンブは、その時の開拓移民の子孫たちが卸しているそうだ。
 
ヒトと日高コンブの物語は、開拓漁民の望郷の物語。
 
ありがたみが増した。