「能生町史」に、大正時代に北海道に渡った漁民の記録がある。
ちなみに能生は糸魚川東端に位置し、海岸線に鬼伏・鬼舞・小泊・筒石の各漁港と、能生川沿いに農村と山村を持つ地区。
日高地方の開拓使から、定住すれば好きなだけ土地を提供すると言われても、「漁師は船と寝泊りする小屋さえあれば土地はいらぬ」と、「ゼン(銭)たまったら小泊(あるいは筒石)に帰るわんぞ」と懸命に働いた。
こういった考え方は漁民特有のもで、民俗学者の宮本常一の著書には、山村を調査すると先祖は平家の落ち武者で、と古文書を出されたりするが、漁村は見事なほど古い記録が残っておらず、定住する農民は「土の人」であり、移動する漁民は「風の人」と、そのアイデンティティの違いを書いている。
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小泊漁港はカニ漁が盛んな県内有数の水揚げ量を誇る。カニ甲羅でカニ・コーラ・・・もちろん買いました!
タラ漁やコンブ漁で成功して、一族郎党を呼んで定住する人もいて、静内町などは戸数10軒から大きな町になっていった。
糸魚川地方の人は、そんな状況にいても「旅に出ている」と表現する。身は異郷にあっても、心は故郷の人々。
糸魚川で売られている日高コンブは、その時の開拓移民の子孫たちが卸しているそうだ。
ヒトと日高コンブの物語は、開拓漁民の望郷の物語。
ありがたみが増した。