太平洋戦争末期、米軍によるヒロシマ・ナガサキを含めた日本の主要都市への無差別爆撃は、戦争犯罪を問われないのか?
ハーグ陸戦条約では無差別爆撃や非人道的兵器の使用、捕虜虐待が禁止されている。が、日本の軍需産業は小規模な下請け町工場が支えており、それら軍需産業を壊滅させる「合法的な爆撃」であり、非戦闘員の殺戮を目的とした無差別爆撃ではない、が米軍の言い分。
その一方で「名古屋大空襲」の際、東海管区指令部は、撃墜されたB29の搭乗員を「ハーグ陸戦条約で禁じられた無差別爆撃を実行した戦争犯罪人」と判断して斬首刑としたが、戦後に捕虜虐待を問われることになった。
藤田まことの遺作となった「明日への遺言」は、戦後の軍事裁判で、「B29搭乗員の斬首刑は捕虜に対してではないので捕虜虐待にはあたらない。あくまでも非戦闘員に対して無差別爆撃を行った戦争犯罪人への法執行であり、その一切の責任は私にある」と、進駐軍相手に堂々と法廷論争を展開した、元東海管区指令部司令官の岡田資(おかだたすく)陸軍中将の実話を元にした裁判映画。藤田の淡々とした演技が深くて実にいい。
仏教に深く帰依する人格者の岡田中将は、部下に慕われる人情味のある軍人であると同時に、イギリス駐在武官を歴任していたので西洋的な倫理観や思考も理解していたし、英語も堪能な人物だった。哲学者といっていい岡田中将にとって、この裁判は無罪を勝ち取ることを第一義とせず、戦争の理不尽さを世に問うという意味もあったのではないか?
すなわち岡田中将の「明日への遺言」である。
いわゆる東京裁判で、米軍の無差別爆撃が戦争犯罪であったと主張したのは、岡田中将だけであったようだ。
日本軍の重慶無差別爆撃や731部隊の化学兵器人体実験などが東京裁判で立件されなかったのは、連合軍にも都合が悪かったからとされている。
戦勝国の都合で無差別爆撃が不問とされたのに、捕虜虐待だけが戦争犯罪とされた理不尽さが「戦争」だし、それが東京裁判だった。
元部下からの助命嘆願は無論のこと、最初は高圧的だった連合軍側検察の態度も、次第に岡田の主張の正当性と高潔な人柄に同情を寄せるようになり、絞首刑から終身刑への減刑をマッカーサー元帥に具申したが退けられ、岡田は捕虜虐待のB級戦犯として刑場の露と消えた。
裁判劇にありがちな回想場面はなく、法廷内での論戦が大部分を占めるに関わらず、緊張感が最後まで続くのは見事。また過度な演出もなく、人間ドラマもきちんと描かれた骨太で良質な映画。
人気俳優をキャスティングしてCGを駆使した迫真の戦闘場面が売りの大作であっても、人間と戦争の本質が描ききれていない戦争映画からは、リアルさは伝わってこない。「戦闘」と「戦争」は次元が違うのだ。
逆にこの映画のように戦闘場面がなくても、戦争のリアルが伝わってくる映画もある。
渋くて深みのある映画を久し振りに観たと感銘を受けたら、エンドロールで小泉 堯史監督作品なのだとわかった。黒澤組で助監督を務めた人だ。流石です。