「平成の大首飾り」の時に作り、令和でロディン岩に作り替えた蛇紋岩の勾玉24点と管玉2点をつなげたら、まるで羽根を広げた怪鳥のような迫力。
蛇紋岩や滑石の出土品は、柔らかくて加工しやすいのに切削傷が残っていたり、不格好だったりの粗製品が多いように見受けられるのだが、希少な石材の代替品であったのか?
だとすると威信材というより、糸魚川の「天津神社境内遺跡」の出土品のように、祭祀の後に埋納するために作られたものなのだろうか?
こんな疑問を、個展に訪ねてきてくれた考古学者に質問したら、どうもそうとばかりは言えないらしい。祭祀で一度使って埋納する目的だけで作っていたなら、もっとたくさん出土していてもいいのにと思っていたけどネ。
「お客さんは安くヒスイを買いたいんだから、勾玉の形なんてどうでもええんだわ」と言っている同業者がいると伝え聞いたことがあるが、確かにそういうお客さんもいるだろう。
希少なロウカン質のヒスイで作った装身具なら、例え粗製であっても「いいヒスイを安く買いたい人」になら売れて当たり前だろうが、そこらに落ちている石で作った勾玉が売れないならば、技術は評価されていないということ。
丁寧に鏡面仕上げした蛇紋岩製の勾玉は黒光りして美しく、ヒスイを見慣れた同業者からも「なにこれ?黒ヒスイ?」と聞かれたくらいで、現代では蛇紋岩の魅力はあまり知られていない。ちなみにこの勾玉はつや消し加工をしてある。
ところが糸魚川の海岸や姫川にゴロゴロと転がっているありふれた蛇紋岩に縄文人は何ごとかを感じて、蛇紋岩で作った石斧をお宝のように副葬品にしている例もあるし、装身具だって作っていた。
ヒスイだけが糸魚川の石じゃないぜ!と言い続けてきたが、「ヒスイでなくても売れる勾玉作り」が、今年のとりくむべきテーマ。